男の名前はクロド・マースというらしい。
個人営業者の運び屋だった。
二十代前半で自らの持ち船ステリシアを購入し、運び屋として二十年以上活動してきたらしい。
それなりのキャリアを持つ運び屋だった。
クロドの名前は業界ではそこそこの知名度があるらしく、指名依頼も頻繁に入ってくるので、仕事に困ることは無かったようだ。
そして今回も、快速で知られる運び屋であるクロドに緊急の依頼が入ってきた。
辺境惑星リネスで厄介な感染病が広まり、これ以上の拡大を防ぐ為にも、そして治療の為にも、一刻も早くワクチンを運んで貰いたいという依頼だった。
人命第一主義であるクロドはもちろんその依頼を引き受けた。
しかしその途中で運悪く宇宙海賊に襲われてしまったらしい。
応戦はしたのだが、結果はこの有様だった。
ステリシアには民間船として最高の武装を積んであったし、クロド自身も海賊との戦闘経験を持つ腕利きの運び屋だった。
しかし今回は運の悪いことに推進機関を最初に撃たれてしまった為、身動きが出来ないまま襲撃を許してしまったらしい。
船の中にまで侵入してきた海賊達は、金目の物が無いと分かるとすぐに引き上げていった。
当然、ただで引き上げたりはしない。
腹いせにクロドを死なない程度に撃ち、苦しませて殺そうとしていた。
あのまま一時間も放置されていれば、クロドは間違いなく死んでいただろう。
ワクチンだけは死守するつもりだったが、それは最初から金にならないと海賊達にも分かっていたので、そのまま放置されていたのだ。
このまま死ぬかもしれないと絶望して意識を失ったことで、レヴィ達に助けられた。
そして辺境惑星リネスは、今もワクチンの到着を心待ちにしている筈だ。
一日遅れれば、それだけ多くの人が死ぬ。
「厚かましい頼みだと承知しているが、人命がかかっている。どうかお願いしたい。このワクチンをリネスまで届けてもらえないだろうか。報酬は前金も含めて全部あんた達に渡す」
「うーん……」
レヴィは腕を組んで考え込む。
この仕事はもちろん引き受けるつもりだが、きな臭いことも事実だった。
そんなことにマーシャ達を巻き込んでいいものか、判断に迷ってしまうのだ。
マーシャ自身、人間にはあまり優しくない。
その気持ちは分かるし、それを無理に改善させようというつもりもない。
自分が大切に想う相手を大切にしてくれるのなら、それで構わないと思っている。
亜人に限らず、人間とはそういう生き物だと思うから。
「まあ、俺が行けば話は早いんだよな」
幸いにして、この宙域からリネスはそこまで遠くない。
クロドの調査の為に少し離れてしまったが、スターウィンド単独で飛ばしても三時間ほどしかかからないだろう。
一刻も早くワクチンを届けるには、改良したばかりのシルバーブラストの方がいいのは分かっているのだが、マーシャが気乗りしないのなら、レヴィが一足先にリネスへと行くことも考えている。
問題は、戦闘機のみでは宇宙港に着陸出来ないことだが、宇宙港の管制に事情を話せばワクチンの引き渡しぐらいは問題無く行えるだろうし、その後はマーシャに迎えに来て貰えれば、すぐに戻ることが出来る。
レヴィは元々運び屋だったので、こういう仕事を目の当たりにすると血が騒いでしまうのだ。
元々はこういう運送業をやりたくて宇宙船の操縦を学んでいたのだ。
皮肉なことに、その結果として軍にスカウトされたり、更には殺されそうになったりもしたのだが。
しかし地上の運び屋をしていた時は結構楽しかった。
もちろん今も楽しい。
運び屋ではないけれど、好きなように宇宙を飛び回れる今の状況を、レヴィはとても気に入っている。
誰も見たことの無い場所に行きたい。
誰も知らない宇宙を見てみたい。
マーシャの願いはレヴィの願いでもある。
けれど、運び屋の仕事も楽しかったのだ。
だから久しぶりにその仕事をやってみたいとレヴィが考えるのも当然の流れだった。
「よし。久しぶりに単独でやってみるか」
レヴィが楽しそうに笑う。
人命がかかっている時に不謹慎かもしれないが、それでもこういう時に笑えるのが彼の強みでもあった。
「という訳でこの依頼、引き受けてみることにしたんだ。三時間ぐらいスターウィンドで飛べば何とかなるし」
「ふうん。人命がかかっているなら仕方無いかな。でもその程度ならシルバーブラストで行った方が速いぞ」
レヴィはクロドの依頼を引き受けた事をマーシャに話したが、反対はされなかった。
というよりもこの状況で反対をすれば、いくら何でも人道的に問題がありすぎる。
マーシャも人間には無関心であっても、死んだ方がいいとまでは思っていないし、救える命ならば救われて欲しいとも思う。
「それはそうなんだけどな。ちょっときな臭い事情もありそうだし。まずは俺が単独で行動した方がいいと思うんだ」
「……きな臭いと思うなら引き受けなければいいのに」
「人命がかかっているのは本当かもしれないし。行ってから確かめればいいかなと思って」
「む~。そうなるとレヴィが危険かもしれないってことだろう?」
「それはそうだけど。でもスターウィンドがあれば俺は無敵だぜ」
「う~」
それも事実だった。
レヴィとスターウィンドの組み合わせは無敵だ。
宇宙最強だとマーシャは信じている。
「だがスターウィンドを降りた後にトラブルに巻き込まれたら……」
「その時は出来る限り逃げてみせるさ」
「う~……」
危険かもしれないことにレヴィを巻き込みたくなかった。
しかしレヴィ自身がやると決めた事を邪魔したくもなかった。
そんなマーシャの気持ちが分かるレヴィは、不満そうに唸っている彼女の頭を撫でて抱きしめる。
「大丈夫だって。何も無ければそれが一番いいし。ワクチンの件は急いだ方がいいのも事実だしな。それにトラブルを抱えていた場合、俺達全員が巻き込まれるのは不味い。俺が何らかのトラブルで捕まったとしても、その後はマーシャが助けてくれるだろう?」
「……そういう言い方は、ずるい」
それはマーシャ達に対する信頼だった。
何があっても助けてくれる。
無条件に信じられる仲間。
そして大切な恋人。
そんな風に頼られたら、頑張らない訳にもいかないではないか。
「仕方無いな。でも、気をつけるんだぞ。捕まるぐらいなら後で迎えに行くけど、死んだらリネスごと壊して腹いせするかもしれないからな」
「俺の彼女マジ怖い……」
腹いせで惑星一つを破壊されてはたまらない。
しかしその気になれば出来てしまうのが実に恐ろしい。
リネスの傍にある迎撃衛星を破壊して、それらを地上に落下させていくだけでも、星は多大なるダメージを受けるだろう。
シルバーブラスト一隻でも決して不可能ではない。
だからこそレヴィは自分の身は絶対に守らなければならないと肝に銘じておいた。
本当はこんな危険なことに関わるべきではないのかもしれない。
しかし人命がかかってる可能性がある以上、見て見ぬ振りもしたくなかったのだ。
「じゃあマーシャ達は少し遅れて追ってきてくれ。一緒に行動したら、トラブルの時に巻き込まれるからな」
「分かった。レヴィも無茶はするなよ」
「大丈夫だ。俺はまだまだマーシャをもふりたいからな。そう簡単には死ねない」
「……無事に戻ってきたらいくらでももふらせてやる」
「よしっ! 確かに聞いたぞっ!」
「無様に捕まったらもふもふはお預けだけどな」
「死ぬ気で頑張りますっ!」
「………………」
嫌すぎるモチベーションだった。
しかしこれならば確実に頑張ってくれるだろう。
「じゃあ地上で合流しようぜ。トラブルさえ無ければリネスの首都で合流。そしてデートだ」
「分かった。トラブルになったら遠慮無く暴れていいんだな」
「……出来れば少し手心を加えてやってくれ。リネスの為にも」
「気が向いたらな」
トラブルの臭いがする案件を引き受ける以上、荒事になることが前提として行動することになる。
マーシャもこの件が何事もなく終わるとは思っていない。
それでも引き受けることを了承したのは、これからリネスに行く以上、きな臭いことがあるのなら先に情報を手に入れておいた方がいいと判断したからだ。
その結果としてレヴィが危険に巻き込まれたとしても、絶対に助けると決めているし、レヴィならば致命的なことにはならないという信頼もある。
それにリネスのどんな組織であっても、リーゼロックを本気で敵に回すような度胸は無いだろう。
いざとなればリーゼロックの名前を使えば、かなり強引に解決出来るという思惑もあった。
「感染病が広がっているなら、一応これを持っていけ」
「これは?」
「リーゼロック医療部門の最新マスクだ。使い捨てだけど、大抵の細菌の呼吸器侵入を防いでくれる」
「へえ~。使い捨てなのに優れものだな。分かった。危なそうだったら使わせて貰うよ」
「ああ。遠慮無く使ってくれ」
レヴィは使い捨てマスクセットを懐に入れて動き始める。
「戻ってきた時に感染していたら近付かないからな」
「そんなことをされたらもふれないじゃないかっ!」
「だったら感染しないように気をつけろ」
「さーっ! いえっさーっ!」
「誰が『さー』だ」
「もふっ! いえっもふーっ!」
「………………」
アホな敬礼を見ているとドン引きするしかなかった。
しかし心配なことは確かなのだろう。
マーシャの獣耳が心配そうにピクピクしている。
「マーシャ」
「ん?」
レヴィはマーシャに近付いた。
「え?」
このままキスでもされてしまうのだろうかと思ったマーシャだが、その行動は予想外のものだった。
近付いてきた口は、キスをするのではなく、獣耳の裏側をペロリと舐められたのだ。
「びゃああああああーーっ!?」
未知の感覚に悲鳴を上げるマーシャ。
そんなことをされたのは初めてだったので、かなり奇声を上げてしまった。
「お、いい反応だな」
マーシャの新鮮な反応に嬉しくなるレヴィはもう一度舐めようとしたのだが……
「何をするかーっ!」
「ぐはっ!」
マーシャの強烈なパンチによって阻まれた。
「じゃあ行ってくる」
「………………」
晴れるほど酷くは殴られていないが、それでもまだ痛む頬を少しだけ撫でながら、レヴィはスターウィンドに乗り込んだ。
マーシャは操縦室でむくれたまま『しっしっ』と犬を追い払うような仕草で見送った。
「……少しやり過ぎたかな。でも可愛かったからもう一度やりたいな」
ちっとも懲りていないレヴィだった。
痛みによる学習能力は備えていないらしい。
そして再び殴られるのだろう。
それもまた二人の楽しい関係だと思えば、自然と顔がにやけてくる。
かなりの重症だった。
「さてと。私達はのんびりと後を追うか」
シルバーブラストの方はのんびりとした速度でスターウインドを追いかけている。
あまり急ぐと一緒に捕まる可能性が高いので、のんびりと追いかけなければならない。
もちろん簡単に捕まるつもりはないし、いざとなればリネスに大打撃を与えてでも逃げ出す自信はあったのだが、あまり大きすぎるトラブルを起こすとリーゼロックに迷惑がかかってしまうので、出来る事なら穏便に済ませたかった。
「しかしレヴィさんは一人で大丈夫ですかね~?」
シオンが心配そうに呟く。
自動操縦なので、今はオッドの膝の上でのんびりとくつろいでいる。
ものすごくラブラブすぎる光景なのだが、マーシャもシャンティも既に慣れたので何も言わない。
オッドも開き直ったようで、最近では人前でもシオンの好きにさせている。
「レヴィをスターウィンドに乗せれば無敵だ。心配する必要は無い。宇宙海賊ごときがダース単位で攻めてこようと、軍が艦隊単位で攻め込んで来ようと、問題なく蹴散らしてくれるだろうよ」
実際、レヴィとスターウィンドならそれも可能なのだ。
「それはそれで心配なんですけどねぇ」
「具体的には後処理とか?」
「………………」
シオンたちは呆れつつも否定はしなかった。
スターウィンドとレヴィが揃えば、それぐらいのことはやってしまえるからだ。
「まあ、その時はその時だ。ある程度リネスについて調べておきたいから、二人はここからリネスの情報にアクセスしてみてくれ」
「了解」
「了解ですです~」
シャンティとシオンは早速情報収集を開始した。
シャンティは端末に向き合って真面目にやっていたが、シオンの方は生身でシルバーブラストの端末に無線アクセス出来るので、オッドの膝でのんびりくつろぎながらの情報収集だった。
調べてみたら、リネスはかなり厄介なことになっていた。
「うーん。これは少し、早まったかな……」
マーシャはレヴィを一人で送り出したことを、少しだけ後悔していた。
しかしレヴィが決めたのならば、それを阻むようなこともしたくなかったので、所詮は後追いの後悔でしかなかった。
「まあ、なんとかなるか」
何がどうなっても、なんとかなる。
なんとかしてみせる。
マーシャの凶悪な怒りは表に出ることはなく、ただ内側で醸成されるのだった。
その後、リネス宇宙港に到着したレヴィは、予想通りにトラブルへと巻き込まれてしまい、その場で戦闘になることはなかったが、警察に捕まって檻の中に入れられることになった。
しかしそれはもう少しだけ先の話である。
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