「お嬢。俺もそろそろ行くけど、ちゃんと気をつけろよ。一人で出歩いたりするなよ」
今は二人きりになっているが、十メートルほど離れた場所にはきちんと二人の護衛が待機している。
最後にタツミを見送った後は、護衛と一緒に本家に戻る筈だ。
「分かっているわよ。貴方もちゃんと仕事をしてきなさい」
「それはもちろんそのつもりだけどさ」
「………………」
「お嬢?」
少し前から何か言いたそうなのに、それでも躊躇っている様子のランカを見て、訝しげに問いかける」
「どうしたんだ?」
「その……」
「?」
何かを言いかけて、それでも言えなくて。
それを何度か繰り返していると、ランカの頬が赤く染まってしまう。
好きだと言いたいのに、でも言えなくて。
一歩が踏み出せなくてもどかしい。
だけど今はまだこれでいいのかもしれない、と逃げてしまう。
戻ってきたらまた挑戦してみよう、と自分に言い訳をしてしまう。
その様子はたまらなく可愛らしく、そしてそれがタツミを狂わせた。
「お嬢」
「え?」
タツミはしゃがみこんで、そのままランカに軽く唇を合わせた。
「っ!?」
いきなり襲いかかってきたその感覚をすぐには信じられず、咄嗟に唇を押さえる。
「な、ななななっ!?」
そしていきなりキスされたのだと理解して、ランカは真っ赤になった。
それだけではなく、ばちーんと景気のいい音を立てながらタツミの頬をびんたした。
「何するのよーっ!!」
「いやあ、お嬢が今までで一番可愛かったからつい……」
照れたように笑うタツミには、欠片ほどの罪悪感も存在しなかった。
「つい……じゃないでしょうっ! いきなりこんな事をするなんてっ!!」
再びびんたを喰らわせようとしたのだが、少し遅かった。
二つの容赦無い拳がタツミに襲いかかったのだ。
「ぐぼあっ!?」
顔面にめり込んだ厳つい拳は、更にタツミを殴りつけていく。
これはランカのものではなく、十メートル先に控えていた護衛二名のものだった。
「てめえ、お嬢に何しやがるっ!」
「もう一度檻の中に入っちまえっ!」
「つーか出てくるなっ! 戻ってくるなっ!」
「ぐはっ! げふうっ! ぐおおおおーーっ!」
ひたすら殴られまくり、蹴られまくるタツミ。
どうやら護衛二名もランカのことを好ましく思っているようで、タツミの抜け駆けに心底腹を立てていた。
「あの……ちょっと……」
戸惑ったのは被害者であるランカの方だ。
確かにもっと殴ってやりたいと思っていたが、流石にタコ殴りされまくっているタツミを見ると、止めに入らなければという気持ちになる。
「申し訳ありません、お嬢。俺達が傍に居ながら、お嬢の唇をこんな駄犬にっ!」
「俺達だってお嬢を狙っているのに、こいつが抜け駆けをっ!!」
「………………」
どうやらランカにはかなりのファンがいるらしい。
女王というよりは姫という扱いで、キサラギの男達にとっては高嶺の花であると同時に、いつか振り向いてもらいたい恋の対象なのだ。
ずっと自分を護ってくれていたタツミに特別な感情を抱いていることはみんな知っていたが、それでもいつか自分達にもチャンスがあるかもしれないと夢見ていたのだ。
それなのにランカが告白もしない内からファーストキスをかっ攫ってしまったのだから、いくら殴ったところで怒りが収まる訳がない。
「この野郎くたばっちまえっ!」
「死ね死ねっ!」
「ぎゃあああああーっ!!」
「えっと……そろそろ止めてあげて。本当に死んじゃうだろうし……」
「殺しても構わないんですが」
真顔で言う護衛。
もう一人もこくこくと頷いている。
「流石に死なれたら困るから、止めてあげて」
「む……お嬢がそう言うのでしたら」
「仕方ありませんな」
忌々しげに吐き捨てながらもランカの命令には従う護衛二名。
ようやく暴力の嵐から解放されたタツミはかなりへろへろになっていたが、辛うじて生きていた。
「助かったぜ、お嬢~」
「馬鹿っ!」
己の行いを全く反省していないタツミの様子に呆れて、再び怒鳴りつける。
しかしキス出来たことが余程嬉しかったのか、タツミは殴られながらもヘラヘラしていた。
ふらふらになりながらも立ち上がり、再びランカと向き合う。
「それで、一体何を言おうとしていたんだ? 言いにくいことみたいだけど」
「何でもないわよっ!」
今更言える訳がない。
というよりも、言いたくない。
ここでそんなことを言えば、更に調子に乗るのは目に見えている。
「いや、何か言いかけていただろう? 気になるんだけど」
「知らないわよっ! 早く行きなさいっ!」
「戻ってきた時に聞かせてくれよ」
「却下よっ!」
結局、怒りっぱなしで見送ってしまった。
そんな二人の様子を見て、やれやれとため息を吐くマーシャ。
「まったく。何をやっているんだか……」
頭痛を堪えるように人差し指でこめかみを押さえるマーシャ。
タツミの馬鹿っぷりに呆れ果てているようだ。
「あのまま大人しくしていれば上手くいっただろうに……」
マーシャはランカが何をしようとしているのかを知っていた。
上手く告白出来れば、あのままロマンチックな雰囲気で新しいカップルが誕生していただろうに。
その雰囲気のまま、合意の上でキス出来ていただろうに。
乙女の一世一代の告白をあんな形で台無しにされたのだから、しばらくは怒ったままだろう。
こうなるとランカが可哀想になってくる。
フルボッコにされたタツミに対する同情心は欠片ほども存在しない。
むしろため息ばかりが出てくる。
「でも気持ちは分かるな。俺から見てもさっきのランカは可愛かったし」
「む……」
「妬くなよ」
「別に妬いてない」
「そうか。ならもっとランカを褒めよう」
「………………」
ぷくっと頬を膨らませるマーシャに噴き出してしまう。
反応が分かりやすいので、からかい甲斐があるのだ。
しばらくすると、顔を腫らしたタツミが戻ってきた。
「よお。色男になってるじゃねえか」
「いやあ、それほどでも」
「ちなみに、これっぽっちも褒めてないからな」
「あれ? てっきり英雄的行動を褒められているものかと思ったんだが」
「アホの行動にしか見えなかった」
「同感」
「えー……」
レヴィの意見にマーシャも同意して頷く。
「それよりも、ランカって結構ファンが多いんだな。本家に戻ったらもっとしばかれるんじゃないか?」
「お嬢とキス出来たんだから、いくらしばかれても悔いは無いっ!」
「言い切った……」
「アホだ……」
駄犬の力説に呆れ果てる二人。
「あんな美少女ならキスしたくなる気持ちも分かるけど、もっと状況を考えろよ」
「だってお嬢がすげー可愛かったんだよ。キスしたくなったんだよ」
「だからって普通、本人の許可無くするか?」
「したくなったんだから仕方無い」
「やっぱりアホだ」
「同感」
「アホじゃなくて犬だっ!」
「力説されても困るんだが」
「激しく困る」
「でもさ、お嬢も少しだけ嬉しそうに見えたんだけど、気のせいかな?」
「………………」
「………………」
「もしかして嫌がってなかったのかな? だとすると戻ってきた時にはお嬢ともっといちゃつけたりするのかな?」
「………………」
「………………」
嫌がっていないどころか、怒っていながらも内心では少しだけ嬉しいと思っていることは明らかだが、この駄犬相手にそれを教えてやるのは癪だったので黙っておいた。
小さな恋が実る寸前で台無しにされたりしながらも、シルバーブラストは宇宙へと飛び立っていった。
戻ってくるのは一ヶ月ほど先になるだろうが、次は頑張っている少女の笑顔が見られるといいなと思った。
マーシャが視線を移したその先には、スクリーン越しに手を振る少女の姿があった。
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