「トリス。度々悪いな。今、大丈夫か?」
ドア越しにトリスへと声を掛ける。
「レヴィアースさん? どうしたの?」
トリスの声はだいぶ落ちついているようだ。
少し前までの思い詰めた声とは違い、少しだけ明るさを取り戻している。
彼なりに折り合いを付けられたのなら何よりだった。
扉を開けたトリスはマティルダもいることに驚いた。
「マティルダ? どうしたんだ?」
「ん。ちょっとな。私も入って大丈夫か?」
「もちろんだよ」
トリスがマティルダを拒絶する訳がない。
二人とも部屋に招き入れた。
「さあ、ブラッシングの時間だ」
「へ?」
ブラシを掲げてワクワクしているレヴィアースを見て、トリスがぎょっとする。
一体何をするつもりなのだろうと首を傾げた。
「ちょっと膝に来い」
「え?」
半ば強引に自分の膝へと寝転がらせるレヴィアース。
マティルダはよくレヴィアースに甘えるので不自然ではないのだが、トリスの方は照れと戸惑いの方が大きく、少しだけ暴れる。
「落ち着け。ブラッシングするだけだから」
「ブ、ブラッシング!?」
「おう。折角立派な尻尾を持っているんだから、きちんと手入れしないとな。さっきマティルダのを済ませたところだ。次はトリスの番だと思って」
「ま、まさかその為だけにまた来たの!?」
「おう。悪いか?」
堂々と胸を張るレヴィアース。
悪いとは欠片ほども思っていないようだ。
トリスなりに悩み、答えを出そうとして足掻いているところに、割としょうもない理由で再び訪れたのだ。
怒りたくなるのも無理はなかった。
しかし気持ちが沈んでいるトリスを元気づけようとしているのは分かってしまったので、これ以上は逆らえない。
それがレヴィアースなりの優しさであり、気遣いなのだと理解しているからだ。
トリスはされるがままに尻尾をブラッシングされていた。
「トリスの尻尾は大きくてブラッシングのし甲斐があるなぁ」
「そ、そうかな」
「おう。ふさふさで気持ちいいしな」
ふさふさしてきた尻尾をそっと撫でるレヴィアース。
その手つきは本当に気持ちよさそうだった。
「………………」
もふもふ狂いとなる要素が徐々に目覚めているが、今の時点ではまだ気付かない。
純粋に毛並みを褒めているだけだ。
その様子をマティルダが楽しそうに眺めている。
「どうだ? トリス」
トリスの正面に寝転がったマティルダが問いかけてくる。
「どうって?」
「ブラッシング」
「えっと……?」
マティルダの意図が分からず首を傾げるトリス。
「私達はこうやって誰かに尻尾を褒められたことなんてないだろう?」
「それはそうだよ」
「だからちょっと新鮮じゃないか?」
耳と尻尾は亜人の象徴であり、獣じみた特性として人間からは差別の対象とされていた。
なまじ人間に似た姿をしているだけに、人間の劣等種だと思われているのだ。
身体能力ならば人間よりも優れているし、亜人そのものの適応力の高さを考えると、むしろ優れている筈なのだが、それを認めたくないからこそ差別が行われたのだろう。
レヴィアースはそう考えている。
これが他の特徴を持った人外ならば、もう少し対応は違っただろうか。
いや、それは無いだろう。
たまたま獣の特徴を持っているから、それを貶しているだけであり、それが他の特徴だったとしても、やはり同等に扱ったりはしないだろう。
人間は臆病な生き物だ。
人間以外の知的生命体の存在を探していても、それが自分達よりも遙かに優れた存在では困るのだ。
人間と対話が出来、なおかつ人間よりも劣った種でなければならない。
少なくとも政治に携わる連中はそう考えているだろう。
身勝手な意見だが、それは恐れているからでもある。
なまじ対話が出来るからこそ、敵対した時が恐ろしい。
人間よりも優れた種と敵対した場合、勝ち目は無くなり、自分達は駆逐されてしまうかもしれないからだ。
人間が亜人に対してそうしたように、今度は自分達がそうなるかもしれない。
彼らはそれを恐れている。
だからこそ亜人という自分達よりも優れているかもしれない存在を差別し、劣っていると思い込み、排除しようとしたのだろう。
排除そのものは九割方成功している。
生き残りは各地に散らばっているだろうが、亜人という勢力そのものは消滅したと考えていいだろう。
そしてその象徴である尻尾などは貶されることはあっても、褒められたことはない。
今のレヴィアースはトリスの尻尾を心から褒めてくれている。
お世辞や気休めなどではない。
本当に気持ちよさそうに触っているのだ。
「……まあ、少しは新鮮かな」
「だよな」
トリスが照れくさそうな表情で答える。
そして戸惑いの理由が分かってしまう。
未知の経験だからこそ、どうしたらいいのか分からなくなってしまうのだ。
「よし。ブラッシング終了。素晴らしい毛並みになったぞ、トリス」
「あ、ありがとう」
「ん。どういたしましてだ」
「もしかして、用件ってこれだけ?」
「いや、もう一つあるぞ」
「もう一つ?」
「ああ。このベッドは結構大きいよな」
「うん」
クラウスが与えてくれた個室にあるベッドはかなり大きい。
キングサイズと言えるほどに。
大人二人が寝転がっても余裕だし、大人一人と子供二人でも余裕だ。
つまり、三人で寝転がっても余裕がある。
「今日は三人で寝ようぜ」
「え?」
「賛成」
トリスがきょとんとなり、マティルダが笑顔で頷く。
元々、マティルダはそうなることを望んでここにやってきたのだ。
明日になったら別れることになるレヴィアース。
次はいつ会えるかも分からない。
だからこそこの時間を無駄にはしたくなかった。
一緒に居られる間は、ずっと傍に居たい。
そう考えたからこそ、ハッキングによる電子ロック解除などという暴挙に出てまでレヴィアースの部屋に忍び込んでいたのだ。
「嫌か?」
レヴィアースがトリスに問いかける。
マティルダの答えは訊くまでもないが、トリスが嫌がるのなら少しは考慮しなければならない。
「い、嫌じゃないけど……」
トリスもレヴィアースが居なくなるのは寂しいと思っている。
人間に対する憎悪は消えていないが、それでもレヴィアースとクラウスだけは例外だと思っている。
大好きだと言える人間達だ。
だからこそ、別れは寂しい。
出来る限り傍に居たいと願う。
「なら決まりだな」
二人を両手に抱えてそのまま寝転がるレヴィアース。
リモコン操作で部屋の明かりを暗くして、そのまま二人に腕枕をした。
「………………」
「………………」
誰かの腕枕で眠るなど初めての経験なので、二人ともびっくりしてしまう。
しかしマティルダはすぐに幸せそうな表情になり、その腕に身を委ねた。
トリスの方もそんなマティルダを見て、同時に頭の下にある温かさに心地よさを感じて、そのまま身を委ねた。
初めての経験だが、素晴らしい経験でもある。
この時間がずっと続けばいいのにと願ってしまうほどに。
一人の青年と二人の亜人は、穏やかな夜の眠りについた。
そして別れの日がやってきた。
宇宙港で見送ってくれるのは、クラウスとマティルダ、そしてトリスだった。
マティルダとトリスはずっとレヴィアースと手を繋いでここまでやってきた。
ちなみに復路のチケットはクラウスが買い改めてくれて、最上級の個室になっている。
長時間の移動なので、宇宙船の席は大抵が狭い個室かドミトリーベッドなのだが、今回はかなり豪勢な復路になりそうだった。
「ここまでしてくれなくても良かったのに」
「気にするな。二人もの可愛い孫と出会わせてくれた礼じゃ」
「そういうことなら受け取っておきますけどね」
「それにしても驚いたぞ」
「?」
クラウスからの呆れ混じりの視線に首を傾げるレヴィアース。
どうしてそんな目を向けられるのかが分からない。
「レヴィアース・マルグレイト大尉」
「………………」
「エミリオン連合軍第七艦隊所属の大尉。部隊指揮よりは遊撃操縦者としての活躍の方が有名のようじゃな。『星暴風《スターウィンド》』」
「また、妙なことを調べましたね」
クラウスならば簡単に調べられる程度の情報だが、自分のことをそこまで調べる理由が分からなかった。
「いや、この二人の安全を考えるならお主をエミリオン連合軍から引き抜くのが手っ取り早いと思って調べたのじゃが、ちと難しそうじゃなぁ。『星暴風《スターウィンド》』としての知名度と実力。連合軍が簡単に手放すとは思えん。リーゼロックの力でも強引な引き抜きは難しそうじゃ」
「そんなことを考えていたんですか……」
確かに引き抜いてくれるならありがたい話だが、頷く訳にもいかなかった。
彼にはまだ守るべきものがあるのだから。
少なくとも、部下への引き継ぎなどが落ち着かない限り、簡単に軍を辞めることは出来ない。
望んで軍人をしている訳ではないが、その程度の責任は自覚している。
「まあ、軍に嫌気が差したらこっちに来るといい。仕事ならいくらでも紹介してやるぞ」
「その時は考えさせてもらいますよ」
真っ当にやめることが出来たら、それもいいかもしれない。
そうすればマティルダやトリスにまた会うことが出来るし、それほど悪い選択肢ではないように思えた。
「じゃあ、そろそろ行くよ」
「うん。絶対、絶対また会うから」
「また、会えるといいな」
マティルダは絶対に会うのだと決めている。
トリスも、また会えたらいいと願う。
それだけの絆を結ぶことが出来たという事実が嬉しい。
「おう。またな、マティルダ、トリス」
また会える。
確証は無いけれど、そう信じるのは自由だ。
レヴィアースは二人の身体をそっと抱きしめてから、宇宙船へと乗り込んだ。
マティルダとトリス。
そしてレヴィアース。
三人は一度別れ、再び再会するのは数年後のことになる。
今はまだ、それぞれの道を歩み始めることすら始まっていなかった。
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