眠り続けるちびトリスの状態は、見た目以上に深刻だった。
セッテ・ラストリンドの手によって創られたクローン体としては破格の完成度を誇っているが、あくまでも実験過程の為、無茶をさせることを前提に設計されていたらしく、身体にかなりの負荷を掛けられていた。
本来ならば戦闘経験を積んでいく内に身につけていく反射神経や運動能力などを、ナノマシンで強制的に覚醒させ、小さな身体の負荷などお構いなしに全能力を発揮させていた。
それだけではなく、あの奇形戦闘機キュリオスに乗せるにあたって、ちびトリスを『操縦者』ではなく『プロセッサー』呼ばわりしていたことからも分かるようにまともな扱いはしていなかった。
キュリオスを動かすにあたって、操縦桿を握るのではなく、直接脳に配線を繋いでから、極限まで反応速度を上げていた。
全方位の対応が可能だったのは、キュリオスが受け取るデータを直接脳に送り込まれていたからだ。
その情報圧は一流の電脳魔術師《サイバーウィズ》であっても廃人になるほどのものだった。
人間としては最高峰の電脳魔術師《サイバーウィズ》であるシャンティであっても、一時間と保たないほどの圧力なので、幼いちびトリスがどれだけの負荷を強いられていたかは想像に難くない。
亜人のクローンとして強化された身体であっても、後遺症が残るほどだった。
恐らくセッテはあの場でちびトリスを使い潰し、オリジナルのトリスを手に入れることで帳尻を合わせるつもりだったのだろう。
使い潰されることを理解していてなお、逆らうことの出来なかったちびトリスは、その脳内に小型爆弾を仕掛けられていたらしい。
逆らえば殺されるという状況では、何の希望も見いだせなかったに違いない。
幸い、その爆弾は自動機械を用いた手術によって除去することが出来た。
シルバーブラストには医療技術に精通した人間が一人もいないので、自動機械に高度な医療技術プログラムを仕込んである。
大抵の病気や怪我ならば問題無く治療出来るし、ネットワークを介して常に新しいデータを受け取っているので、進んでいく技術にも対応している。
自動機械に命を預けるなどぞっとしない話だとレヴィは思ったが、マーシャ曰く、精神状態や健康状態に左右される人間に任せるよりはずっと安定している、ということらしい。
そして言われてみれば確かにその通りかと納得するレヴィ。
人間の精神状態、健康状態、そして恐ろしい気紛れや悪意に左右されない分、自動機械の方が確かに安心出来る。
それにマーシャが太鼓判を押している機械なのだから、これ以上は疑ったりしなかった。
しかし爆弾は取り除いても、後遺症は残った。
脳に強大な負荷を掛けられ続けていたちびトリスは、長い時間活動することが出来ない。
一日の半分以上は眠っている。
活動し続けると、すぐに眠くなる。
だから医務室からはしばらく出られないし、常に健康状態にモニタリングが必要だ。
ちびトリスはそれが不満なようだが、自分の身体が思うように動かないことも分かっていたので、今は大人しくしていた。
ここの人たちが自分を護ってくれると、直感で理解しているのだろう。
シルバーブラスト内に砲を削られたキュリオスを受け入れたマーシャは真っ先にちびトリスを保護しようとしたが、まずは脳内に直結されていた配線を取り除くのが先だった。
しかし脳に直結されている以上、そのまま取り外せばいいというものではないだろう。
そこで活躍したのが二人の天才電脳魔術師《サイバーウィズ》だった。
複雑なプログラムとセキュリティロックを解除して、ちびトリスから直結配線を取り除くのに大活躍してくれた。
その際に、ちびトリスの脳に多大な負荷がかかっていることを教えてくれたのもこの二人だった。
体内に注入されている肉体の強化用ナノマシンに関しては、取り除くのではなく、プログラムそのものを書き換えることにより、流用しようということになった。
強化ではなく治療、再生用プログラムを仕込んだ医療用としてプログラムを書き換えられたナノマシンは、ゆっくりとちびトリスの身体を治している。
あのままでは一年と生きられなかったであろうちびトリスの身体は、少しずつ回復して、普通の人間や亜人と同じぐらいに生きられる見込みが出てきている。
リーゼロックで研究途中のアンチエイジング技術もフル活用して、ダメージの大きすぎる細胞を回復させたりもしていた。
とにかく、そういう治療過程において、ちびトリスの身体は常に休息を欲しているのだ。
たまには身体を動かすことも必要なので、起きている時間もそれなりに長いのだが、眠っている時間の方が圧倒的に長い。
後数ヶ月はこの状態が続くだろう。
しかしきちんと治る見込みはあるのだから、絶望する必要もない。
今はただ、こうやって護ってやるだけでいい。
「しかし、あの頭目のクローンとは思えないぐらいに可愛げがあるよな」
眠るちびトリスの頭を撫でるシデン。
彼もちびトリスのことをそれなりに可愛がっている。
「ジジイ呼ばわりされて虐めていた癖に」
「虐めじゃない。躾けだ」
「俺から見たら虐待だぜ」
「人聞きの悪い。それを言うなら種類が違うだけでお前のもふもふマニアっぷりだって立派な虐待だろうが。嫌がってるし」
「そ、そんなことはない。ちびトリスのこれは照れ隠しって奴だ」
「……幸せな奴だな」
本気でそう思っているのだから、実に幸せな性格だと呆れる。
しかしこれもレヴィらしいと思えるようになってきたのだから、シデン自身もかなり毒されてきていると言えるだろう。
「入るぞ」
「………………」
そんなことを話していると、マーシャとトリスが入ってきた。
「なんだ。ちびトリスは眠っているのか」
マーシャがしゃがみ込んでちびトリスの頭を撫でる。
寝顔があどけなくて可愛らしいので、微笑ましい気分になるのだろう。
「さっき眠ったところだぜ」
「まあ眠くなるのはいいことだ。ナノマシンが回復を進めてくれている証拠だからな」
「そうだな。眠っている時はもふり放題だしな」
「……起こすなよ」
「分かってる。優しくもふってるから安心しろ」
ちびトリスの尻尾を撫でる手つきは本当に優しくしている。
気持ちよさそうに目を細めているちびトリスには気に入られているらしい。
目を覚ましている時は荒っぽく撫で回されるので嫌がられるが、眠っている時は安心出来る。
「随分と懐かれたなぁ」
「まあな。俺の人徳だ♪」
「まあ、そういうことにしておいてもいいけど」
「なんだその疑わしそうな目は」
「どうせ起きている時は嫌がられているんだろう?」
「そ、そんなことはない。あれは照れ隠しだ。そうに決まってる」
「うん。よく分かった」
「なんだその生暖かい目はっ!?」
マーシャの生暖かい目で肯定されると切なくなるレヴィだった。
「シデンもありがとう。ちびトリスの面倒を見てくれて」
マーシャはシデンの方にも礼を言う。
ちびトリスの面倒をよく見てくれているらしいシデンにはかなり世話になっているので、多少は労わなければと思ったらしい。
「それは構わないけどな。俺を自由にしていていいのか?」
「いいんじゃないか? 裏切る心配もなさそうだし」
「なんでそう言えるんだ? そんなの分からないだろう?」
「直感」
「………………」
「私はお前を信じている訳じゃない。ただ、自分の直感を信じているんだ。他に理由はない。以上」
「シンプルだな」
「悪いか?」
「いいや。ごちゃごちゃ理屈を並べられるよりは面倒がなくていい。俺も当面は裏切るつもりもないしな。頭目がここにいる以上、俺も離れるつもりは無いし」
「……俺はもう頭目じゃないんだが」
頭目呼ばわりされたトリスが複雑そうに呟く。
確かにファングル海賊団が壊滅してしまった以上、頭目と呼ばれるのは嫌なのかもしれない。
ただのトリスに戻った以上、普通に名前で呼ばれることを望んでいるのだろうか。
「それもそうだな。じゃあなんて呼べばいい? 名前でいいか?」
頭目なら上司なのでそれなりに気を遣うが、その立場を捨てたのならば、ただの年下の青年なので、喋り方も変えていた。
この方が自然な感じで心地いいと感じることに、トリス自身が驚いていた。
「好きにしろ」
「じゃあトリスで」
「ああ」
「………………」
「………………」
名前で呼ばれたトリスは黙り込み、シデンの方もそんなトリスにどんな反応をしていいのか分からず戸惑う。
抜き身の刃のような荒み方をしていたトリスは、今はかなり穏やかになっている。
しかし同時に不安定でもあった。
昔の自分と今の自分との間で揺らいでいるのかもしれない。
「そう言えばトリスはこのちびトリスと会うのは初めてだったよな?」
そんな気まずさを壊したのはマーシャだった。
無理に明るく話しかけているが、トリスの方は余計に気まずくなった。
「ああ」
今まで自室に籠もっていたトリスはちびトリスに会いに来たりはしなかった。
望めばいつでも会えた筈だが、トリスの方がそれを望まなかったのだ。
一度は殺そうとした相手なので、どんな顔をしていいのか分からないという気まずさもあったが、ほとんど自分自身に近い存在に対して、どう接していいのか分からないというのが最も大きな理由だろう。
「もっと早く会いに来てやればよかったのに」
「……何を言っていいのか分からない」
「普通に喋ればいいと思うぞ」
「………………」
ある意味で自分自身なのだ。
自分に対してどんな言葉をかけていいのか、トリスには想像もつかない。
「いや、自分自身と考えるから気まずいんだろ。もっと別の関係でいいと思うぞ」
そしてレヴィの方がトリスに語りかけた。
困り果てているトリスを見ていられなかったのだろう。
「レヴィさん?」
「この子は確かにトリスのクローンだけど、性格はかなり別物だぞ」
「……そうなのか?」
「ああ。あんなに素直で優しくて可愛かったトリスとは完全に別物だな。かなりやんちゃだし、元気いっぱいだぞ。俺がもふもふすると全力で嫌が……じゃなくて、照れ隠しで対応してくるからなっ!」
「嫌がられているのか……」
「照れ隠しっ! これは照れ隠しなんだっ!」
「………………」
必死で言い張るレヴィの姿が実に痛々しかった。
「……つまり、嫌がられているんだな?」
「う……うぅ……違う……違うんだ……照れているだけなんだ。そこがちびトリスの可愛いところなんだ……」
「いや~。ありゃあ全力で嫌がっていたぜ」
「てめえ余計なこと言うんじゃねえシデン!!」
「事実だろうが」
「目が腐ってんじゃねえかっ!?」
「あれが嫌がっていないように見えるなら、その目の方が腐っている心配をした方がいいぞ」
「なっ!?」
かなり言いたい放題のシデンだった。
「あははは。凄いな、二人とも」
「………………」
マーシャだけではなく、トリスも少し噴き出している。
やりとりがおかしかったらしい。
「お。頭目……じゃなくて、トリスが笑ったのは初めて見たな」
「む……」
海賊団を指揮していた頃は、こんな風に笑うことはなかった。
そんな精神状態ではなかったし、そんな余裕が無かったことも確かだが、何よりも内心を露わにすることを嫌っていた。
隙を見せることになると思っていたのだ。
しかし今はそんな緊張感や義務感からは解放され、ある程度素直な感情を表に出すことが出来るようになっている。
いい傾向だと思う。
「トリスも昔はよく笑っていたんだけどなぁ」
「そうそう。よく笑っていたし、素直に俺にもふられていたし。可愛かったんだけどなぁ。ブラッシングも大人しくさせてくれていたし」
「うんうん。素直で可愛かった」
「へえ~。やっぱり今のトリスからは想像がつかないな」
「………………」
言われたい放題のトリスは顔を赤くしながら視線を逸らした。
照れているというよりは、恥ずかしくていたたまれないらしい。
「そ、それでレヴィさんの言う別の関係って、何なんだ?」
「ああ、単純なものだよ。自分によく似た年下の存在なんだから、弟でいいんじゃないか?」
「む……なるほど。確かにそうだな」
言われて、あっさりと納得するトリス。
確かに弟と言われればしっくりくる感じがする。
「そうか。弟か」
トリスは苦笑しながらちびトリスの頭を撫でる。
眠るちびトリスの寝顔はあどけなく、確かに過去の自分を思い出す。
それでも彼らは別の存在だ。
違う人生を生きてきたトリス。
これから違う人生を生きるであろうちびトリス。
違う存在として、弟として、その存在を尊重していけばいいのだろう。
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