シャンティが現実に戻ってきたのと同じ頃、マーシャとタツミが棒術で模擬戦を行っていた。
マーシャの身体能力に興味を持ったタツミが、模擬戦を申し込んだのだ。
棒術は専門ではないのだが、素手で応じるにはやや不利なので、自分も獲物を持つことにした。
得意としているのは銃だが、流石に棒を持っただけの相手にその獲物は使えない。
レーザーブレードだとすぐに棒を斬り飛ばしてしまうので、一言断ってから棒を半分に断ち切った。
そして右手にハーフサイズの棒を剣のように持ち、左手はフリーにしてある。
どうやら体術と剣のコンボで攻めるつもりのようだ。
綺麗に整えられた庭園で、二人が向かい合っている。
ほどよい緊張感が流れていて、二人とも少しだけ楽しそうに笑っている。
縁側で着物姿のランカがちょこんと座ってそれを眺めている。
レヴィは柱に寄りかかって見物していた。
「いつでもいいぞ、タツミ」
「そうか。なら遠慮無く行かせて貰おう」
どちらも無駄な緊張はしていない。
構えもない。
自然体からの戦闘移行に慣れているのだ。
ゆるっとした体勢から一気にダッシュしてきたタツミが、マーシャの胴体へと突きの攻撃を繰り出してくる。
マーシャはそれを右の棒で弾いた。
そこから猛攻が繰り出される。
攻めているのはタツミのみで、マーシャは防戦一方だ。
攻められないのではなく、タツミの攻撃を受けながら分析しているのだ。
こういう時のマーシャは楽しそうで、口元がニヤニヤしている。
一挙手一投足が最適化されているタツミとは違い、マーシャの動きには無駄が多い。
しかしそれでも隙が無いのは、野生の獣並の反射神経を持つが故だろう。
無駄を省かなくても、その無駄をチャンスに切り替えるだけの身体能力と反応速度がある。
無駄と、そこから生じる隙を『誘い』へと変える。
それがマーシャの戦闘スタイルだった。
マーシャにとっては最強のスタイルでもある。
激しく繰り返される突きを一つ残らず捌き、マーシャは攻勢に転じた。
間合いはタツミの方が圧倒的に広い筈なのに、獣のような俊敏さであっという間に懐に入り込んでから攻撃を繰り出す。
右肩を狙った攻撃を避けられないと判断したタツミは、喰らうことを覚悟して右手に持った棒を反転させ、マーシャの事も攻撃しようとした。
相手が攻撃動作に入っているのならば、これは絶対に避けられない。
勝てなくとも、相打ちに持ち込もうとしたのだ。
しかしマーシャは右手に持った棒でタツミの左肩を打ち、左拳を後ろに繰り出すことで自分を打とうとしていた棒を叩き落とした。
「ぐあっ!」
強打の攻撃に耐えられず、膝を折るタツミ。
そこにマーシャの棒が喉元に突きつけられた。
「こ、降参っ!」
両手を挙げてタツミが降参の意思を示す。
マーシャは嬉しそうに笑ってから棒を引いた。
露わにしている尻尾もご機嫌に揺れている。
「ふふん。勝利♪」
勝負も好きだが、勝つのはもっと好きなのだ。
「いやあ、完敗だぜ。強いな、マーシャ」
「タツミも結構強いぞ」
「そう言って貰えると嬉しい」
そして縁側からはぱちぱちと拍手が聞こえる。
はしゃいだように手を打つのはランカで、ゆっくり打つのはレヴィだった。
レヴィにはこの結果が分かっていたようだが、それでもタツミの戦闘能力が予想以上だったので感心していたのだ。
「凄いですね。タツミはキサラギの中でも随一の棒術使いですのに。間合いの違う武器で、ここまであっさりと敗北させるなんて」
「長物の武器は間合いの内側に入ってしまえば自由度がぐっと下がるんだ。そのポイントさえ押さえていれば、勝つのはそんなに難しくなかったぞ」
「ふふふ。確かにその通りですね。でもタツミは棒術が一番相性がいいみたいなので、これからもあのスタイルは崩さないと思いますよ」
「おう。棒術最強っ!」
負けたばかりなのに、棒を構えてそんなことを言うタツミ。
マーシャには負けても、棒術そのものは最強だと信じているようだ。
これも相性の問題なのだが、それ以上に棒術そのものが好きなのだろう。
「私は棒術よりもランカの針に興味があるかな」
「私の針術に、ですか?」
可愛らしく小首を傾げるランカ。
ワクワクした表情で隣に座るマーシャは身を乗り出してから質問を続ける。
「いきなり動けなくしたり、かと思ったら激痛で苦しめたり。何だか面白そうだ」
「面白い、というよりは危険な技術なんですけどね」
「でも治療にも使っていただろう?」
自分を護ろうとして傷ついた護衛二人にも、針を使って治療をしていたのを思い出した。
「針は元々医術ですからね。本来は治療目的の技術なんです」
「そうなのか?」
「ええ。人間の肉体のあらゆる場所にあるツボ、経穴というのですが、そこを衝いて経脈を遮断する技です。止血したり、毒を受けた場合にも、それが身体に回るのを止めることが出来ます。それと同様に人体を攻撃する際にも有効です。人体を知り尽くし、致命的になる場所を正確に衝く事が出来ますから」
「へえ~。ますます面白そう。教えて教えて」
「……簡単に言いますけど、かなりの専門知識が必要になりますよ」
「専門知識?」
好奇心だけで知りたいと言ってくるマーシャを見て苦笑するランカ。
針術がどれだけ危険なものかを知り尽くしているからこそ、軽々しくその技術を伝えるのは躊躇われるのだ。
「人体は小さな宇宙と言われていますからね。小さいと言っても無限に広がっています。経穴も、そして刺激の仕方も、それによる反応も無数にあるのですよ。それら全てを把握してもまだ足りません。針の衝き方、力加減、衝く時間などによって効果が違ってきますから。こちらは知識ではなく経験による勘どころが必要になりますしね」
「そうなんだ。独学じゃ無理っぽい?」
「無理でしょうね。私も針医と暗殺者に同時に教えて貰いましたから」
「……真逆な二人だな」
「どちらも共通した技術ですから。私はこの技術を戦闘に活かすと同時に、治療にも活かしたいと考えていましたし」
「確かに両方出来るのは凄い。暗殺者っていうのがかなり物騒だけど」
「針術そのものが元々物騒ですからね。秘奥レベルになると、本当に暗殺用途に使えるんです。衝く場所によって、死亡までの時間を数時間から一ヶ月ぐらいまで調節出来ますから」
「怖っ!!」
ぶるっと毛を逆立たせて震えるマーシャ。
それならば本当に証拠の残らない暗殺が可能になってしまう。
「ですよね。それと対極のものとして、死にかけている人間を助ける事も出来ます。普通の医療では出来ない事も、針術なら可能になりますから」
「本当に凄い技術だな」
「ええ。針術はいわば生命操作ですからね。ミアホリックではありませんが、一時的な人体強化も可能ですよ」
「どうやって?」
「特殊な経穴を衝くことにより、火事場の馬鹿力的なものを意図的に引き出すことが可能です」
「それがあれば十分に対抗出来るんじゃないか?」
「そこまで便利なものではありませんよ。あくまでも火事場の馬鹿力です。効果時間は恐らく十分が限界でしょう。その後は限界を越えて酷使された筋肉が悲鳴を上げて、動くことも出来なくなります」
「……十分かぁ。それは実用的じゃないな」
「そうですね。どちらかというと切り札として使うべきでしょう。といっても、戦いの途中でそんな経穴を衝く余裕など無いと思いますけど」
「そうか? あの見事な投擲なら出来そうに見えるけど」
手裏剣のように鮮やかな投擲技術、そして正確に経穴を衝く精密さを考えれば、それも難しくないのではとマーシャは考える。
「無理ですよ。経穴の場所が特殊ですから。動いている相手はとても狙えません」
「そうか。それは残念だな」
「禁忌に触れる技術ですから、それぐらいでちょうどいいんですよ」
「うん。とにかく教えて貰うのは無理そうだって分かった」
興味はあるが、軽々しく手を出していいものではなさそうだ。
それに話を聞いた感じだと、そう簡単に身につけられる技術でもないらしい。
長い年月の修練と膨大な知識、そして才能が必要になる。
そこまでのものを費やして身につけたい技術かというと、それほどでもない。
マーシャはあっさりと諦めた。
「教えることは出来ませんけど、体感させる事なら可能ですよ。もちろんマーシャさんが許してくれるなら、ですけど」
「何? 痛いことをするのか?」
「痛いことは痛いですけど、引き摺るようなダメージは与えませんよ。どうしますか?」
「うーん。じゃあちょっと試してみたいなぁ。あ、でも動けなくなるやつは勘弁して。自分の身体が思うように動かないのはぞっとする」
「もちろんですよ。ではやってみますね」
ランカはにっこりと微笑んでから、細い針でマーシャの右肩を軽く衝いた。
「ぴぎゃーっ!!」
その瞬間、左足の付け根に激痛が走った。
座っていた姿勢からそのまま倒れてしまう。
「うぅ~……」
涙目で動こうとするのだが、痛くて動きたくない。
尻尾がしおしおになってしまっている。
耳もぺったり垂れている。
「どうですか?」
「痛いっ! すっごく痛いっ!」
「ではこちらは?」
続いて、脇腹を軽く衝いた。
「はにゃっ!?」
次は首の後ろに激痛が走った。
ビクビクと身体を痙攣させているマーシャの姿がとても痛々しかった。
「と、体感的にはこのような感じになりますが、まだやりますか?」
「い、いらないぃぃぃぃ……」
にこにこしながら針を構えているランカがちょっぴり恐かった。
体感してみたいと言ったのは確かに自分なのだが、これは予想以上に凶悪な技術だった。
まだ左足と首の痛みが治まらない。
「ふふふ。こう見えて、結構危険なんですよ」
「みたいだな……ところでどうして尻尾を撫で回すんだ?」
「気持ちいいので」
「……そうか」
みんなもふもふが大好きなんだなぁ……と力なくうなだれるマーシャ。
嫌われるよりはいいので、そのままにさせておく。
「ふふふ。ではこういうのはどうですか?」
針を構えたランカが、首元をちくっと衝いてきた。
再びどこかに激痛が走るのかと身構えたマーシャだが、次の瞬間、痛みがすっと引いた。
それどころか、身体がどこかふわふわしていて気持ちいい。
「これ、何?」
「ふふふ。リラックス出来るツボですよ」
「確かにリラックスだなぁ……」
はにゃ~ん……と縁側に寝転がるマーシャ。
痛みは無くなったし、何だか無性にだらだらしたい気分になった。
「ふふふ」
そんなマーシャをにこにこと見下ろすランカ。
自分よりも年上である筈なのに、年下の少女に向けるような笑みだった。
「少し失礼しますね」
マーシャの傍によって、その頭を持ち上げてから膝の上に乗せる。
「あう~……」
マーシャはされるがままになっている。
いつもなら他人にそんなことを許したりはしないのだが、今は何だかどうでもいい気分だった。
膝の感触が気持ちよくて、そのまま縁側ですやすやと眠ってしまう。
狼というよりは陽だまりで眠る猫のようで、ランカは耳を撫でながら優しげに微笑む。
それを少し離れた位置から見ていたタツミが、羨ましそうに唸っている。
「お嬢の膝枕……いいな。俺もしたい……」
その横ではレヴィが、
「俺のもふもふなのに……」
と唸っている。
二人とも、同じレベルのアホだった。
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