シルバーブラスト

水月さなぎ
水月さなぎ

憎悪の炎6

公開日時: 2021年4月14日(水) 21:12
文字数:3,462

「よせっ! トリス!!」


「っ!?」


 外から聞こえた声にハロルドが反応する。


 あれはイーグルの声だ。


 トリスに向かって叫んでいる。


 何事かと思って戻ってみると、トリスがイーグルを攻撃していた。


「なっ!?」


 救出に来た筈の自分達をトリスが攻撃している。


 つまり敵だと思われているということだろうか。


「トリス!?」


 ハロルドもトリスに呼びかける。


 しかしトリスは何の反応もしない。


「まさか。操られているのか?」


 脳に何らかの操作をされているのだとしたら、自分達を味方だと認識出来なくてもおかしくはない。


 救出に来た筈の自分達を攻撃する理由は、他に思い浮かばない。


 しかしそうなると一度トリスを無力化しなくてはならない。


 今のトリスを相手に無傷で済ませるのは無理だった。


 ただでさえ、格闘訓練では自分達に迫る腕を持っているのだ。


 ナイフの扱いは得意ではなかったが、今は驚くべき鋭さを発揮している。


 イーグルはよく避けているが、トリスが相手なだけに思い切った真似は出来ない。


 このままではいずれ斬りつけられるだろう。


「くそっ! 何らかの操作を受けているのだとしたら、不味いぞ。解除させないと……」


 ハロルドが忌々しげに呟く。


 周りの隊員達も麻痺レベルでエネルギー銃を撃ち込もうとしているが、二人の位置が密着しすぎて上手くいかない。


 イーグルを巻き添えにする可能性があるのだ。


 イーグルを撃ってしまえばトリスは間違いなく彼を殺すだろう。


 今のトリスにイーグルは認識出来ない。


 そして正気に戻った時、彼はそれを後悔する。


 そんなことはさせられなかった。


「違う。トリスは何の操作も受けていない」


 しかしマーシャがそれを否定した。


 確信のある口調だった。


「どうして分かる? あれはどう考えても正気じゃないだろう。そうでなければ俺たちを攻撃する筈がない」


「そうじゃない。正気を失っているのは確かだが、操作されている訳じゃない。あれはトリスがずっと抑えつけていた感情なんだ」


「なんだと?」


「トリスはずっとああしたかったんだと思う」


「ちょっと待て。つまり、俺たちを殺したかったってことか?」


「違う。『人間』を殺したかったんだ」


「………………」


「トリスは『人間』を憎悪している。もちろん、私も同じだ。許せないと思っている」


「………………」


 それは無理もないと思った。


 人間が亜人にしてきたことを考えれば、当然の感情でもある。


 それを理解していても、マーシャの口から聞かされると哀しかった。


 自分達は間違いなく彼女たちに愛情を注いでいる。


 その愛情が伝わっていないのかと思うと、哀しくなってくるのだ。


「そんな顔をしないで欲しい。少なくとも、全ての人間が憎い訳じゃないよ」


 マーシャは苦笑してから弁解した。


 このままでは誤解されかねないと判断したからだ。


「レヴィアースに助けられなかったらどうなっていたか分からないけどな。もう駄目だと思っていた時にレヴィアースに助けられて、お爺ちゃんに出会わせてくれて、そしてみんなに出会わせてくれた。人間にもいい人たちがいるって、思い出させてくれた。私はみんなが好きだよ。人間すべては好きになれないけど、でも、レヴィアースやお爺ちゃん、そしてみんなのことは好きだよ」


「マーシャちゃん」


「トリスだって同じ気持ちだと思う。だけど、トリスは私よりもずっと情が深い。仲間達に対して、自分達に対して、そして私に対してされたことを忘れていないし、忘れられない。だから、本当はいつああなってもおかしくなかったんだ。何かきっかけがあったのは確かだけど、あれは本来のトリスだ。操作されている訳じゃない。それは断言出来る」


「だとすれば、今後も俺たちは敵として扱われるということか?」


「いや。正気を失っているからこそ私達を認識出来ないんであって、ちょっと落ちつかせれば理性は取り戻すと思う」


「どうやって?」


「私が行く」


「マーシャちゃんっ!?」


「人間は認識出来なくても、私なら認識出来る。トリスは私を一番大事にしてくれているからな。私ならトリスを止められる。その自信がある」


 それは確信だった。


 自分が止めに入れば、トリスは正気を取り戻してくれる。


 それだけトリスに想われている自信があった。


 トリスの本質は『大切な仲間を護る』ことだから。


 トリスにとってマーシャはたった一人残された『護るべき存在』だから。


「駄目だ。危険過ぎる。下手をするとマーシャちゃんまで殺されるぞ」


「大丈夫。多少の傷は負うかもしれないけど、トリスは絶対に私を殺さない。その確信がある」


「しかし……」


「行ってくる」


「マーシャちゃんっ!」


 ハロルドが止める間もなく、マーシャは駆け出した。


 トリスにイーグルを殺させる訳にはいかない。


 そんなことをすれば、あの優しい少年は自分をもっと責めるだろう。


 それを止められるのは世界でただ一人だけ。


 彼にとって唯一護るべき存在として認識されているマーシャだけなのだ。


 だから自分が行く。


 自分にしか出来ないことだと分かっているからこそ、マーシャは躊躇わない。


 止めようとするハロルドの手をすり抜けて、マーシャは正気を失ったトリスへと駆け寄る。







 視界が真っ赤に染まっている。


 憎悪という感情に支配されていることは分かっていた。


 堰き止められていたものが溢れ出している。


 ずっとこうしたかった。


 ずっと人間を殺したかった。


 そんなことをしては駄目だという理性とずっと戦っていたけれど、今はそれすらもどうでもよかった。


 切り刻まれた仲間の遺体が目に焼き付いている。


 死んでからも弄ばれ続けた仲間達。


 首だけになってチューブに繋がれた少女。


 内臓の一つ一つを標本にされた少年。


 アリシャ、アレス、グレース、ケイン、ローラ、シャルロッテ、トリエラ、キリエ……


 他にも沢山の仲間達がいた。


 その一人一人が、まともな形をしていなかった。


 まともな遺体として残されているものが一体もなかった。


 脳だけ取り出されて、ホルマリンの中に浮かんでいるものすらあった。


 あれが誰なのか、トリスにも認識出来ない。


 そんな有様にされたのが許せない。


 あれだけは許せない。


 戻れなくてもいい。


 取り返しがつかなくてもいい。


 あんなものを許すぐらいなら、道を踏み外した方がマシだ。


 心を壊した方がマシだ。




 そしてトリスは自分を壊した。


 自分の意志で、自分の心を繋ぎ止めていた最後の楔を壊した。




 動くものは全て敵だった。


 それが誰かなんて認識していない。


 ただ、人間は殺す。


 全て切り刻む。


 そう決めていた。


 武装した人間は適度に切り刻み、白衣の人間は念入りに切り刻んだ。


 白衣の人間は仲間をあんな姿にした張本人達だ。


 絶対に許すつもりはなかった。


 死んだ仲間達は生きながら苦しめられることはなかったけれど、それでも生き地獄を味わって貰うつもりだった。


 そして殺して、殺して、殺し尽くした。


 最後に残っているのはセッテ・ラストリンド。


 彼だけは見逃せない。


 船の中をうろつきながら、彼の姿を探し続ける。


 出会う人間は片っ端から殺し尽くした。


 セッテを殺すまでは自分を取り戻すつもりもなかった。


 今の状態は都合がいい。


 心を壊しているお陰で、身体能力も上がっている。


 トリス自身が無意識にかけているリミッターが外れているのだ。


 亜人の身体能力は高いが、トリスの能力はその中でも群を抜いて高かった。


 しかし高すぎる能力に対して、トリスは無意識で制限をかけていたのだ。


 迂闊に力を発揮すれば、大切な仲間を壊してしまう。


 幼なじみの少女を殺してしまったあの時から、トリスは自分の力をセーブすることを意識していた。


 自身の中にあるスイッチを切り替えれば、その制限も取り払われる。


 身体にかかる負荷も無視した全力を発揮出来る。


 そうなったトリスは無敵に近い。


「………………」


 しかし今は手こずっている。


 本来ならば簡単に殺せるぐらいの相手なのに、身体が上手く動かない。


 殺せるタイミングで、どうしても動きが鈍ってしまう。


 何故だろうとぼんやり考える。


 殺す相手の顔は見えている。


 見覚えのあるものだった。


 イーグル。


 彼を護ってくれる筈の顔だった。


 しかし彼は『人間』だ。


 憎むべき人間なのだ。


 殺せという意識と、駄目だという意識が鬩ぎ合う。


 正気を失っているのに、正気を取り戻そうとしている。


 まだ取り戻す訳にはいかない。


 だから邪魔をしないで欲しい。


 セッテを殺すまでは、このままの自分でいたいのだ。


 殺したくないのに、殺したいという願いが邪魔をする。


 人間は全部殺したい。


 そんなこと、したくないのに。


 そんなことを、したくてたまらない。


 相反する気持ち。


 壊れてしまった心が、再び形を取り戻そうとしている。





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