そしてオッドの部屋にはレヴィとマーシャ、シオンが残された。
「ああ、怖かった。オッドがあんなに怒ったところは初めて見たぞ、俺」
「私もだ……。あんなに怖いとは思わなかった」
レヴィとマーシャはビクビクした表情でカップラーメンをすすっている。
ちなみにレヴィがカレー味、マーシャがシーフード味だ。
そんな二人をシオンが気の毒そうに眺めている」
「大変でしたね~」
「……元はといえばシオンも原因の一人じゃないか」
気楽そうに言うシオンを恨みがましそうに睨むマーシャ。
シオンが服をはだけたまま押し倒されたりしなければ、あんな誤解をしなかったのだ。
もちろん、その後に面白がってからかおうとした自分達が悪いことぐらいは自覚しているが、それでもシオンだけがのんびりとした態度でそれを眺めているというのはなんとなく腑に落ちないものがあった。
「あたしはただオッドさんに助けて貰っただけですよ~。笑いものにしたマーシャ達が悪いですです」
「それを言われると辛いなぁ。あまりにも面白かったからつい……」
「まあ、オッドさんはあたしには興味無いみたいですから、あんまりからかわない方がいいですよ」
「そうなのか? じゃああの状況は何だったんだ?」
怒れるオッドに圧倒されて、どうしてあんな状況になったのかを理解していないマーシャは、今更ながらそんな質問をした。
「あれはですね~。実はかくかくじかじかで……」
シオンはオッドとの間に何が起こったのかを説明した。
そしてマーシャとレヴィはマジマジとシオンを見る。
「オッドじゃなくて、シオンの方が誘惑していたのか……」
「シオンはオッドが好みなのか?」
まさかシオンの方から色仕掛けを行ったりしていたという事実に驚く二人。
おじさん趣味なのだろうか。
「オッドさんは格好いいと思うですよ。でもまあ、ご飯はいつでも作ってくれるみたいですし、無理に誘惑する必要は無いって分かったですです~」
「……食い気か」
「まあ、シオンは子供だしなぁ」
結局のところ、ご飯を作って欲しいからという理由で恋人に立候補しようとしたらしい。
理由があんまりだが、子供ならこんなものだろうと諦めがつく。
むしろそんな理由で誘惑されようとしていたオッドの方が哀れだ。
それをネタにからかったのだから、あれほどまでに怒るのは理解出来る。
理解は出来るが、怖いのでもう怒らないで欲しいとは思うのだが。
「結局オッドさんには振られちゃったですよ~」
振られたという割には全くショックを受けていない様子のシオンだった。
食事さえ作って貰えればそれでいいのだろう。
それは恋愛感情とは言わない。
微笑ましい子供らしさだが、それが原因で怒られたマーシャとレヴィにとっては複雑な心境になるのだった。
「あーあ。こんなんじゃ全然足りねーよ」
「私もだ。しかし今のオッドに作ってくれと言う度胸は無いなぁ……」
「じゃあマーシャは何か作れるか?」
「味の保証をしなくていいのなら頑張ってみるが?」
「……やめておく。不味いと言ったら殴られそうだし」
「殴らない。もふもふを禁止するだけで」
「それだけは勘弁してくださいっ!」
アホなやりとりだった。
「二人とも、無理にここで食べなくても、外で食事をすればいいだけだと思うですよ」
「それもそうか」
「まあ、そうだな。シオンはお腹空いていないか?」
「あたしはオッドさんにパスタを作って貰ったから大丈夫ですです」
「え……」
「え……」
「とっても美味しかったですです~」
「………………」
「………………」
自分達はカップラーメン。
シオンは手作りパスタ。
そんな事実をかみしめて、目頭が熱くなる二人合った。
しょっぱい水が流れてくる前に、ラーメンの汁をすする二人。
実に切ない気分になるのだった。
胃袋管理人の機嫌を損ねたらしょっぱい気持ちを味わうことになるので、今後は気をつけたい。
「ねえ、レヴィさん。ちょっと訊いてもいいですか?」
「ん? シオンが俺に質問とは珍しいな。俺に答えられることなら構わないけど、何だ?」
「オッドさんの寝顔が気になるですです」
「は? 寝顔?」
「はいです。あたしはお腹が空いてオッドさんの部屋に来たんですけど、その時のオッドさんはソファの上で眠っていたですよ。上に乗っかって起こそうとしたんですけど」
「上に乗っかったのか……」
少女がいきなり自分の上に乗ってきたら、オッドはさぞかし驚いたことだろうと同情するレヴィだった。
「寝顔が不思議だったです」
「不思議?」
「なんだか嬉しそうだったり悲しそうだったり、泣きそうだったり。いろんな風に変化するですよ」
「そりゃあ嫌な夢を見ていたり嬉しい夢を見ていたりしたら、表情の変化ぐらいはあるだろう」
「それはそうなんですけど。でも起きているオッドさんはほとんど表情が変わらないじゃないですか」
「確かにな」
「オッドはクールだからな」
女性ならばクールビューティーというところだろうか。
とにかく冷静でぶれない、落ちついた大人の男性というイメージがあるのだ。
……先ほどまでのオッドはその逆だが。
しかしあれはより恐ろしい。
落ちついているように見えて凶悪なことを表情一つ変えずにしてくるのだから。
あれならば怒り狂って叫んでくれた方がまだマシだ。
「だから、寝ている時にあんな辛そうな表情をするのが気になるですよ。それって、起きている時はいっぱい我慢しているってことじゃないですか?」
「いや、そうじゃない。オッドは元々ああいう感じだぞ。眠っている時に表情が変わるのは、きっと嫌な夢でも見ているんだろう」
「嫌な夢?」
シオンが更に食いついてくる。
好奇心というよりも、オッドを本気で心配しているのだろう。
しかしオッド自身が話さないことを、レヴィの一存で教える訳にもいかない。
しかし本気で心配してくれているらしいシオンに対して、いい加減なはぐらかしもしたくなかった。
子供であっても、シオンは大切な仲間であり、家族でもある。
出来る限り誠実に対応したい。
「俺もオッドも、それなりに嫌な経験をしてきているからな。忘れようとしてもなかなか忘れられない。だからあまり気にするな」
「嫌な経験、ですか」
「そうだ。経験だよ。つまり過去。変えようと思っても変えられない。経験した以上は、記憶に焼き付いている。それは一生折り合いを付けていかなければならない問題なんだ」
「一生……? 辛い記憶を一生抱えていくんですか? ナギくんみたいに記憶を消したら駄目なんですか?」
「それは駄目だ」
嫌な記憶なら消してしまえばいい。
シオンは単純にそう考えている。
しかしあれはナギだったから出来たことなのだ。
他の人間の記憶はそう簡単には消せない。
消せるからこそ、消してはいけない。
「マーシャ?」
「シオン。確かに嫌な記憶は消せる。今はそれだけの技術がある。だけど、人間が生きていく上で、記憶という経験はとても大切なものなんだ。それがどれだけ辛いものであっても、忘れたいものであっても、そう簡単に消していいものじゃないんだよ」
「でもナギくんは?」
「ナギの記憶は本人のものじゃないからな。本人の記憶ならどれだけ辛くても抱えて、向き合わなければならない。だけど本人のものじゃない記憶で辛い思いをしたりするのは間違っているだろう? だからナギの記憶は消せたんだ」
「なるほど。そういうことですか」
「そういうことだ」
「じゃあ、自分の記憶なら辛いことでも向き合っていかなければならないってことですか?」
「そういうことだな。まあ、全ての人間がそれを実践出来ている訳ではないが」
「そうなんですか?」
「あまりにも辛い記憶だと、自分自身で忘れてしまったりすることもあるからな。後は人格が歪むほどに酷い記憶だと、医師の判断で消去したりすることもある」
「ん~。酷い記憶なら消去してもいいなら、オッドさんの記憶も消去していいんじゃないですか? 基準がよく分からないですよ」
シオンは難しそうな表情で考え込んでいる。
確かに難しい問題だろう。
消していい記憶と、消すべきではない記憶。
それはあくまでも持ち主や周りの人間の主観に依るところが大きいのだから。
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