「あのー……オッドさん? まさかとは思うですけど……」
シオンが俺の携帯端末を覗き込みながら、恐る恐る声を掛けてくる。
何をしようとしているのかを理解したのだろう。
「参加費はいくらだ?」
「……一レースあたり二十万ですけど」
「ふむ。改造費用を含めてざっと七百万というところか……」
「………………」
信じられない、という視線を向けてくるシンフォ。
しかし空色の瞳の中には俺に対する希望を隠しきれていない。
期待はしているのだろう。
そして応えるつもりもある。
「俺は仲間の付き合いでここにいるだけだ。だからそれほど長い間は滞在しない。それでもよければ俺がスポンサーになろう。機体とレース参加費用ぐらいしか用意出来ないが」
「あの、どうして……」
期待に満ちた目を向けてくるシンフォだが、疑問も感じている。
後は警戒もしている。
見知らぬ男性がそんなことを言い出したのだから、下心すらあるかもしれないと考えているだろう。
「俺には俺の理由がある。それにずっと援助してやる訳じゃない。滞在期間からして、一ヶ月以内に結果を出せなければ、君はレーサーとしては終わる。俺はそれをほんの少しだけ先延ばしにして、苦しみを長引かせるだけに終わるかもしれない。その覚悟があるのなら、手助けしてもいい」
結果さえ出すことが出来れば新しいスポンサーを見つけることが出来る。
それが出来なくても、勝ち続けることが出来れば、賞金だけで何とか続けていくことも出来るだろう。
どちらにしても結果が全てだった。
「もちろん覚悟はあります。ですがオッドさんの真意が分かりません」
「別に、深い理由は無い。君の為という訳でもない。強いて言うなら君の飛翔、その完成形に興味があるといったところか。それを見てみたいんだ」
「っ!! あれが分かるんですかっ!? オッドさんには『道』が見えているんですかっ!?」
「っ!?」
いきなり俺に詰め寄ってきて服を掴むシンフォ。
ち、近い。
あと柔らかい。
柔らかさに動揺するほど初心ではないつもりだが、いきなり迫られると流石にびっくりする。
「一応、分かっているつもりだ。君は他のレーサーとは違う『道』を見ている。だから飛び方が違う。そうだろう?」
「そ、そうなんですっ! まだ上手く見えないから遅いんですけど、でもきっともっと上手く見えるようになれば、速くなる筈なんですっ!」
「だろうな」
「びっくりしました。あの『道』が見えているのは私だけだと思っていましたから」
自分以外、誰もその『道』を飛ぼうとはしなかったからだろう。
本来、『レーサー』が飛ぶ『道』ではないのだ。
あれは、あの『道』は……
「昔、似たようなものに乗っていたことがあるからな」
しかし俺はその『道』については答えなかった。
先に答えを与えるべきではないと思ったし、何よりも同じように見えているものでも、彼女が自分自身で探し当てたのならば、別の解釈もあるのではないかと思ったからだ。
「そうなんですかっ!? 一体何に乗っていたんですか!?」
「それは秘密だ」
「え……」
興味津々で見上げてくるシンフォ。
しかしいい加減、離れて貰いたい。
「悪いが、少し離れてくれ」
「あ……す、すみませんっ!」
自分がどんな状況になっていたのか、ようやく理解したようだ。
真っ赤になって離れるシンフォ。
反応は可愛いと思うのだが、それ以上の感情は無い。
「まあ、俺には俺の理由がある。協力するつもりはあるが、無理強いするつもりもない。初対面の人間の協力なんて胡散臭いと考えるのならば、断ってくれて構わない」
興味が湧いたのは本当だが、執着するつもりはない。
ただの気紛れなのだ。
だからシンフォが拒絶すれば、それまでの話なのだ。
「いえ。事情は分かりませんが、協力してくれるというのなら、ありがたく受け取っておきます。今の私には、そうするしかありませんから。私はもっと、飛びたいんです。少なくとも、自分が納得出来るまでは」
「そうか。ならこれからよろしく。シンフォ」
俺はシンフォに手を差し出した。
これから協力関係になるのだから、こうするのが当然だと思ったのだ。
「はい。よろしくお願いします」
シンフォは花開くような笑顔で俺の手を握ってくれた。
そしてすぐに闘志を取り戻した瞳で俺を見た。
自分はまだ飛べる。
シンフォにとってはそれが一番大切なことで、それ以外ははっきり言ってどうでもいいのだろう。
俺が何を考えて手助けを申し出たのか、それすらも踏み込むつもりはないようだ。
彼女にとって大切なのは、自分にとって最高の飛翔を目指すこと。
そしてそれが俺の望みでもある。
「詳しいことは後日話そう。今日はもう戻ることにする。待ち合わせをしたいんだが、どこかいい場所はあるか?」
「シェンロンのグエン・ターミナルは分かりますか?」
「そこなら分かる」
ホテルから出ているシャトルバスがグエン・ターミナル直行だからな。
今回はレース会場直行バスに乗ったが、明日はグエン・ターミナル直行バスに乗ればいいということだろう。
「ターミナルの噴水広場は分かりますか?」
「ああ」
確かに上空から見ると噴水があった。
道は覚えていないが、降りれば探すことも出来るだろう。
「念の為に連絡先を交換しておこう」
「そうですね」
……初対面の女性相手に連絡先の交換など、まさしくナンパだが、警戒はされていないようで何よりだ。
元よりそんなつもりも無いしな。
お互いに携帯端末のアドレスを交換して、今日は別れた。
そのままバス停に向かおうとしたのだが、むくれたシオンに袖を引っ張られた。
「ん? どうした?」
「………………」
涙目の翠緑で見上げてくる。
訳が分からない。
彼女を怒らせるようなことをした覚えはないのだが。
「う~……」
「?」
「う~……」
「なんだ。言いたいことがあるならハッキリ言え」
言わなければ分からない。
言わないのならば察するつもりもない。
必要なことをきちんと言葉にするのは大切なのだ。
「………………」
きゅるる……と可愛らしい音が鳴った。
「あ……」
「う~」
空腹を訴える音だ。
そう言えば食事に行くところだった。
そしてそれを忘れて帰ろうとしていたのだから、シオンから恨みがましく睨まれるのも当然だった。
「……すまん。忘れていた」
「オッドさんの馬鹿ーっ!」
ぽかぽかと殴られるが、これは甘んじて受けておくべきものだろう。
忘れていた俺が悪い。
レストランエリアに移動してから、何でも好きなものを注文していいと言っておく。
ちなみに俺の奢りだ。
シオンも金銭的には困っていない筈だが、ここは俺が奢らなければならない場面だろうと判断した。
「オッドさんは忘れっぽいですね~」
食事を始めたシオンはご機嫌になった。
空腹で不機嫌だったので、解消されればご機嫌になるということだ。
分かりやすいところが可愛い。
「悪かったよ」
「別にいいですけど。でも本当にスポンサーになるつもりですか?」
「おかしいか?」
「理由がよく分からないです。泣きそうな女性を放っておけないっていうのはオッドさんらしいと思うんですけど、そこからスポンサーになるっていうのは、ちょっと踏み込みすぎかなと思って。確かに大金ってほどじゃないので、懐的には痛くないですけど」
「その金銭感覚はおかしい。俺にとってはかなりの大金だぞ」
少なくとも、貯蓄の半分は消えるぐらいには。
「そうですか? マーシャにおねだりすればすぐにお小遣いとして貰える金額ですよ?」
「………………」
それは断じてお小遣いの金額ではない。
子供の金銭感覚を狂わせる教育方針はかなりどうかと思うのだが、やはり俺が口出しをする問題でもないのだろう。
「まあ一種の暇潰しだ。気紛れでもある。俺の金を俺がどう使おうと、基本的には自由だろう?」
「まあ確かにそうですけど。でも人一人の人生を変えるようなことを暇潰しとか気紛れとか言わない方がいいと思うですです」
「それも正論だな。だが人生を変えるというほど大袈裟なものではないつもりだぞ。現状維持の助力なんだから」
「失敗したらシンフォさんの人生が狂うですよ」
「今日から狂う筈だったのを少し先延ばしにしただけだろう。どのみち彼女はこのままでは潰れていた。俺はほんの少し彼女にチャンスを与えようとしているだけだ。そのチャンスをどう生かすかはシンフォ次第だろう。それだけは俺が金を出したところでどうこうなるものではないからな」
「オッドさんはきっかけに過ぎないってことですか?」
「そういうことだ」
「シンフォさんが美人だったからほだされちゃったとか?」
「……なんだそれは」
「だってシンフォさん、美人だったですよ?」
「まあ、確かに美人だったな」
「オッドさんの好みですか?」
「……基本的な好みとしてはもう少し肉付きがいい方が……って、何を言わせる」
「なるほど~。肉付きですか~。おっぱいが重要ですね?」
「………………」
子供とこんな会話はしたくないんだがな。
「オッドさんの好みはおっぱいですか~」
「………………」
誤解……でもないのだが、子供の口から言われると何故か腹立たしい気持ちになる。
しかし怒るのも大人気ない。
「……どうして俺の好みにそこまで食いつくんだ?」
「だってオッドさんに彼女が出来たら笑ってくれるかもしれないでしょ?」
「………………」
「オッドさんはあまり笑わないから、どうやったらちゃんと笑ってくれるか、ずっと考えているですよ」
「………………」
「あと、自分の為に笑わないから、彼女が出来たらもっと幸せになれるのかな~とか」
「………………」
ずっと俺の為にそんなことを考えていたのか。
どうしてシオンがそこまで考えるのか、俺にはまだ分からない。
ただ、この子はみんなが笑ってくれるのが嬉しいのだろう。
その心は尊いと思う。
しかし俺はそれを望んでいるのだろうか。
俺が俺自身の為に生きることを、望んでいるのだろうか。
「オッドさん?」
俺が黙ったままなのが不安なのか、シオンが近付いて覗き込んでくる。
透き通るような翠緑はどこまでも見通されそうで恐ろしい。
「何でもない」
「そうですか?」
「ああ」
「ならいいですけど。シンフォさんと仲良くなりたいなら協力するですよ?」
「しなくていい。元より俺は特定の恋人を作るつもりもないしな」
「そうなんですか? それって寂しくないですか?」
「寂しいかどうかは俺が決めることだ」
「ん~。だって一人は寂しいですよ?」
「一人なら寂しいだろう。だが俺は一人じゃないだろう? レヴィがいて、シャンティが居て、マーシャがいて、シオンがいる。この仲間達がいるんだから、寂しくはない」
「それはそうかもしれませんけど。うーん。何かが違う気がするですよ」
「違わないさ。求める絆は必ずしも恋人に限られる訳じゃないからな」
「それは分かるですけど」
「だから俺はこのままでいいんだ」
といっても、女性を求めていない訳でもない。
一夜限りの関係、割り切った相手ならばそれなりに遊んでいる。
そういう相手で一時的に寂しさを紛らわせている。
……そう考えると基本的には寂しいのかもしれない。
だが俺はどうしても特定の相手を作ろうとは思えないのだ。
それが何故なのか。
……それ以上は、思考が停止する。
考えないようにしている。
考えてしまったら、俺はきっと、レヴィとも離れなければならなくなるから。
「……えいっ!」
「っ!?」
シオンから小さな手で叩かれた。
痛いというほどではないが、何故叩かれたのかが分からない。
頭をぺちん、というダメージとも言えないようなものだが、いきなり叩かれたことが理解不能だ。
「なんだ? いきなり」
「今のオッドさんは嫌いですです」
「は?」
何故いきなりそんなことを言われなければならない?
「最初から何かを諦めているような態度は嫌いですです」
「………………」
最初から何かを諦めている。
その言葉を否定出来ない。
それは確かに俺の心なのだから。
だけど、求めるのはもう……
いや、考えるな。
これ以上は、考えたくない。
考えてはいけない。
「上手く言えないけど、オッドさんは今のままじゃ駄目なんです」
「仮にそうだとしても、シオンには関係無いだろう」
「関係あるです」
「何故だ?」
「だって、オッドさんはあたしの家族ですから」
「?」
「マーシャもレヴィさんも、シャンティくんも、そしてオッドさんも、シルバーブラストのみんなはあたしの家族ですです」
「………………」
なるほど、シオンにとってはそういう扱いなのか。
「だからオッドさんにはちゃんと幸せになって欲しいですよ」
「………………」
ありがたい、と思うべきなのだろう。
だがどうしても余計なお世話だという気持ちが拭えない。
純粋な気持ちに対してそんなことを思うのは、俺が人でなしだからだろうか。
「だからお節介でもなんでも、あたしはオッドさんがちゃんと自分の為に笑ってくれるようにしたいですよ。今のオッドさんとなるべく一緒に居たいって思うのは、きっとそういうことだと思うですです」
「………………」
最近やたらとつきまとうようになったのはそういうことか。
俺の中にある何かがシオンの琴線に触れたのかもしれない。
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