「あの、一つだけいいですか?」
「何だ?」
「そのお金、本当にどこから引っ張ってきたんですか?」
それだけが気になっていた。
まさか犯罪に手を染めたのではないかと、心配になってしまったのだ。
「心配すんなって。真っ当とは言えないかもしれないけど、汚れた金じゃねえし」
「どういうことですか?」
「ちょっとな。金持ちの爺さんに伝手があるんだ」
「?」
クラウス・リーゼロックの事までは知らないオッドが首を傾げる。
「俺個人の伝手だからな。そこは気にしなくていい。そんで、その爺さんから一回限りのウルトラカードを預かっていたんだ」
「ウルトラカード?」
「レイス銀行のキャッシュカード。一回限りだが、二十億まで引き出せる。その後は足がつかないように処分しろって言われたから、切り刻んでゴミ箱に放り込んでおいたけどな」
「二十億……」
では、あの鞄に入っているのは二十億近くということだろうか。
「いや。この鞄に入ってるのは十億程度だな」
「残りは?」
「使った」
「は……?」
「だから、使った」
「ど、どういう用途で……?」
たった三日でどうやって十億もの金を使い切ってしまえるのか、それが気になった。
心配になったとも言う。
「まあ、いろいろだな。今後の逃走手段の確保とか、かりそめの身分証明の取得とか。情報屋と何でも屋と電脳魔術師《サイバーウィズ》に金をばらまきまくったから、一気に減ったんだよ」
「……一体どこからそんな伝手を」
「なんとなくかな。マティルダやトリスの時にそういった伝手を頼ってみた経験から、そういった奴らのいそうな場所とか、雰囲気とかがなんとなく分かるようになった。で、直感に従ってあちこち回ったりして、全部につなぎを取ったんだ」
「………………」
直感だけで恐ろしいことをしないで欲しい。
しかしそれで今後の安全が確保されるというのなら、呑み込んでおくべきなのだろう。
「明日は偽造身分証明を取りに行くし、ひとまずそれが出来ればエステリを出ることは出来るだろうな」
「そうですか。しかし偽造だとバレたら不味くないですか?」
「絶対にバレない偽造身分証明らしいから、出国チェックぐらいなら大丈夫だろうけど、それも今は不味いかな。表向きはテロリスト、裏事情はエミリオン連合軍との戦争状態だから、一般人の入出国にはかなりの制限がかかっているだろうし」
「では、しばらくここで足止めですか?」
「あんまり長居したくない」
「でしょうね。では、どうするんです?」
「密出国」
「え……?」
「五日後にエステリを出る貨物船に紛れ込ませてくれるってさ。荷物として船に運び込んで、出国前には乗組員のフリをさせてくれるらしいから、問題無いだろ。まあえらい金額をぼったくられたけどな。こっちも急いでいたから、足下見られてるって分かっても払うしかなかったんだ。ただし、金を払った分、船内労働は免除させた」
「……そんなことまで言われてたんですか?」
「ちょうど人手が足りていないタイミングらしくてな。乗せるついでに手伝えって言われたんだが、怪我人に労働させる訳にもいかないし、オッドには俺が付き添っておく必要があるし。無理だろ。だから金で解決した」
あっさりと言ってくれるが、既に庶民の考えではない。
どうしてそこまでぶっ飛んだ考えが出来るのか、不思議でたまらなかった。
しかしそれで生き延びることが出来るのならば、全て棚上げにしておくべきなのだろう。
「すみません。俺の所為で余計な金を使わせましたね」
「いいって。元々は使う予定の無かった金だ。それに、元々俺の金じゃねえし。あの爺さんには大きな借りが出来たから、いつかは返さなければならないけど、まあそれも今を凌いでからの話だな」
「その返済は俺も手伝いますよ」
「おう。是非ともそうしてくれ」
「じゃあ寝るぞ」
「はい。おやすみなさい、レヴィ」
レヴィアースは明かりを消してからソファで横になる。
そのまますぐに寝息が聞こえた。
「………………」
本当に疲れているのだろう。
すぐに眠ってしまった。
そんな時こそベッドを使って欲しいのだが、オッドの身体もまだ本調子ではない。
五日後には動き始めなければならないというのなら、その時にレヴィアースの足を引っ張らないよう、回復に専念するべきなのだろう。
「………………」
いろいろなことがあった。
いろいろな絶望があった。
しかし、レヴィアースは変わらない。
いつも通り、明るくて、磊落で、前向きな、優しい上官のままだ。
いや、もう上官ではないのか。
表向きは死んでいることになるのなら、次はどんな立場になるのだろう。
お互いに命の恩人だと言ってくれたが、どう考えても自分の借り分が多すぎる。
治療を受けられる環境を用意してくれて、命を繋いでいられる。
それはレヴィアースがあそこから必死でここまで命を繋いでくれたお陰だろう。
そして今後のことについても、レヴィアースがほとんど動いてくれている。
謎の金については金持ちの爺さんとやらが関わっているらしいが、レヴィアースが信用しているのなら、オッドに詮索するつもりはない。
いつかその人にも恩返しをしようと考えるぐらいだ。
オッドが寝込んでいる間に死んだ自分達の新たな身分と、この国からの脱出手段まで確保してくれている。
もしかしたら、ほとんど眠っていないのかもしれない。
「せめて、今だけはゆっくり休んでください」
オッドはそのまま横になった。
自分も少しでも休んで回復しなければならない。
これ以上、レヴィアースの足を引っ張ることだけは避けたい。
自分はレヴィアースを守りたいのだ。
守られたい訳ではないし、足を引っ張るなど言語道断だと考えている。
「………………」
しかしこの状況になって、改めて考える。
どうして自分はそこまでレヴィアースに拘っているのだろう。
尊敬する上官であることは間違いない。
戦闘機操縦に関しては天才であることも間違いない。
しかしそれだけだ。
戦場で、そして職場で関わる分にはそれだけで十分な筈だ。
しかしあの時は命の危険に晒されて、自分がまず生き延びなければならなかったのに、迷わずにレヴィアースを庇った。
自分を盾にしてまで、庇った。
そのことにオッド自身が驚いて、戸惑っている。
どうして自分はそこまでしたのだろう。
「………………」
まさか、恋愛感情?
「無いな」
きっぱり否定した。
断じて違う。
同性愛者を否定するつもりはないが、自分がそうではないことは、オッド自身がよく分かっている。
その証明に至る思考も明確で、レヴィアースとキスをしたいかどうかを考えるだけで済んだ。
断じて拒否。
これだけでも恋愛感情ではないことは明確だ。
だったらどうして、という疑問に立ち戻る。
「………………」
答えは出なかった。
分からない。
強いて言うならそれが答えだ。
しかし、案外そんなものなのかもしれない。
死なせたくないと思って、身体が勝手に動いて、今の状況がある。
理由を自覚しいる訳ではない。
だけど、そうしたかったのだ。
後悔なんてしていないし、これからもしないだろう。
「ああ、そうか……」
そして一つだけ分かったことがある。
四年前のレヴィアースも、きっとこういう気持ちだったのだろう。
ただ、助けたいから。
それだけの気持ちで、亜人の子供達を助けたのだ。
自分が危なくなることを承知の上で、そんなものは知ったことかと不安を吹き飛ばして、小さな子供達を助けた。
今も元気で暮らしているだろう子供達のことを、少し考える。
オッドは最後まで関われなかったけれど、幸せでいてくれればいいと思う。
「そういうことか」
深く考える必要なんてない。
ただ、そうしたいからしただけ。
自分のやりたいようにやる。
望むようにやる。
それだけなのだ。
そしてそれが正しいことを、オッドは知っている。
他人から間違っていると言われても、自分に後悔が無いのなら、それは正しいことなのだ。
自分で胸を張ってそう言える。
そういうことなのだろう。
そしてそんなレヴィアースの姿勢を自分もいつの間にか実践出来ていることが、少しだけ嬉しかった。
絶望の中でも前向きに、常に未来を見据えて、これからのことを考える。
それが出来る強さを、心の底から誇りに思う。
しかしそれは間違いだった。
そう思い込んでいたことが、致命的な間違いだったのだ。
オッドも眠りについてから二時間ほど経過して、呻き声が聞こえた。
「……?」
オッドが目を覚ます。
そしてレヴィアースの様子を窺った。
「やめ……ろ……」
「レヴィ?」
「俺たちが、一体何をした!? 命令に従って、任務をこなして、ただ、それだけだったじゃないかっ! それなのにどうしてこんなことになるっ!?」
「レヴィ!!」
オッドは痛む身体を引き摺って起き上がる。
そしてレヴィアースのところへと移動する。
「止めろ! 止めろ! 俺の仲間を、部下を、そんな簡単に殺すなっ! 俺にあんなものを見せるなっ! もう、止めてくれっ!!」
「レヴィっ!!」
「っ!?」
オッドが怒鳴りつけるように呼びかけると、レヴィアースははっと目を覚ます。
金色の瞳が涙で滲んでいる。
「オッド……?」
「大丈夫ですか? 魘されているどころではない状態でしたが……」
「……そんなに酷かったか?」
「かなり」
「そうか……」
夢の中で、過去に魘される。
いや、ほんの数日前の光景が、頭から離れないのだろう。
その絶望が常につきまとう。
乗り切ったのだと思っていた。
吹っ切れて、未来を見ているのだと思っていた。
そんな強さを心から尊敬していたのだが、そうではなかった。
そんな簡単なことではなかったのだ。
「悪いな。起きている時は、なるべく吹っ切るようにしてるんだが、眠ると、どうしても蘇ってくる。忌々しいことに」
「……それは、当然です。まだ、割り切れることではないでしょう」
途中で意識を失った自分とは違い、レヴィアースは全てを見ていた筈だ。
軍から切り捨てられることも、その後、ミサイルを撃ち込まれて、部下を皆殺しにされた光景も、全てを認識していた筈だ。
「そりゃそうだ。でも、今はそんなことを考えてる余裕なんてないんだよ。生き延びる為に、過去に囚われている暇なんてない」
「それも分かります。ですが、辛い時には弱音を吐いていいと思います」
「オッド?」
「俺たちは二人で生き残りました。だから、片方が辛い時は、片方が支えます。俺が死にかけた時に、貴方が支えてくれたように。だから、無理はしないで下さい。辛いなら、俺も一緒にその荷物を背負いますから」
「……ははは。出来れば可愛い女の子に言われたい台詞だなぁ」
「男ですみませんね。ですが軽口が言えるようになったのはいいことです」
「だなぁ。まあ女の子は当分余裕がないだろうから、相棒で我慢しとくか」
「相棒?」
「違うのか? 片方が辛い時は、片方が支える。支え合って生きていく。夫婦や恋人じゃないなら、関係は相棒が妥当だと思うけど?」
「そう……ですね……」
言われてみればその通りだった。
「俺が相棒でもいいですか?」
「今更だろ。戦闘機で戦ってる時は、常にバディだったじゃねえか」
「まあ、そうですね」
「お前は俺のことをよく分かってくれている。だから、これからも相棒で居てくれるなら頼もしいよ」
「もちろんそのつもりです。貴方が俺を必要としなくなる時まで、相棒でいることにしましょう」
「いやいや。そんな寂しいこと言うなよ。ここまで来たら生涯の相棒でいいだろうが」
「未来は分かりませんからね。俺よりももっと相応しい相棒に巡り会えるかもしれませんよ」
「そういうものか? だからってお前を蔑ろにするのは違うと思うぞ」
「そういうことをするとは思っていませんよ。ですが新たな相棒との出会いが、俺との別れを意味するとは限らないでしょう。新たな門出を意味するかもしれない。俺にとっても、今後そういう出会いはあるかもしれない。その時は、お互いに笑って相手を見送れるといいなと、そう思うだけです」
「ああ、それもいいな」
そんな未来を考えられる程度には、レヴィアースも平静を取り戻した。
絶望からは目を逸らせない。
しかしその上で、明るい未来に思いを馳せることぐらいは許されるだろう。
「落ちついたなら、まだ眠って下さい」
「そうだな。悪い。動くの辛かっただろ?」
「いいえ。大丈夫です」
確かに身体の痛みはかなり酷いことになっているが、レヴィアースの方が心配だったので我慢出来るレベルだった。
オッドは多少ふらつきながらも自分のベッドに戻った。
「また魘されるかもしれないけど、もう気にせず眠ってていいからな」
「はい」
無意識で見る夢は制御出来ない。
だからまた魘されないという保証は無い。
しかしレヴィアースが大丈夫だというのなら、それを信じることにした。
「おやすみ」
「ええ。おやすみなさい」
再び眠りにつく。
今度こそ、安らかな眠りであるように。
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