シルバーブラスト

水月さなぎ
水月さなぎ

悪夢を越えて 3

公開日時: 2021年6月2日(水) 22:13
文字数:5,143

「あの、一つだけいいですか?」


「何だ?」


「そのお金、本当にどこから引っ張ってきたんですか?」


 それだけが気になっていた。


 まさか犯罪に手を染めたのではないかと、心配になってしまったのだ。


「心配すんなって。真っ当とは言えないかもしれないけど、汚れた金じゃねえし」


「どういうことですか?」


「ちょっとな。金持ちの爺さんに伝手があるんだ」


「?」


 クラウス・リーゼロックの事までは知らないオッドが首を傾げる。


「俺個人の伝手だからな。そこは気にしなくていい。そんで、その爺さんから一回限りのウルトラカードを預かっていたんだ」


「ウルトラカード?」


「レイス銀行のキャッシュカード。一回限りだが、二十億まで引き出せる。その後は足がつかないように処分しろって言われたから、切り刻んでゴミ箱に放り込んでおいたけどな」


「二十億……」


 では、あの鞄に入っているのは二十億近くということだろうか。


「いや。この鞄に入ってるのは十億程度だな」


「残りは?」


「使った」


「は……?」


「だから、使った」


「ど、どういう用途で……?」


 たった三日でどうやって十億もの金を使い切ってしまえるのか、それが気になった。


 心配になったとも言う。


「まあ、いろいろだな。今後の逃走手段の確保とか、かりそめの身分証明の取得とか。情報屋と何でも屋と電脳魔術師《サイバーウィズ》に金をばらまきまくったから、一気に減ったんだよ」


「……一体どこからそんな伝手を」


「なんとなくかな。マティルダやトリスの時にそういった伝手を頼ってみた経験から、そういった奴らのいそうな場所とか、雰囲気とかがなんとなく分かるようになった。で、直感に従ってあちこち回ったりして、全部につなぎを取ったんだ」


「………………」


 直感だけで恐ろしいことをしないで欲しい。


 しかしそれで今後の安全が確保されるというのなら、呑み込んでおくべきなのだろう。


「明日は偽造身分証明を取りに行くし、ひとまずそれが出来ればエステリを出ることは出来るだろうな」


「そうですか。しかし偽造だとバレたら不味くないですか?」


「絶対にバレない偽造身分証明らしいから、出国チェックぐらいなら大丈夫だろうけど、それも今は不味いかな。表向きはテロリスト、裏事情はエミリオン連合軍との戦争状態だから、一般人の入出国にはかなりの制限がかかっているだろうし」


「では、しばらくここで足止めですか?」


「あんまり長居したくない」


「でしょうね。では、どうするんです?」


「密出国」


「え……?」


「五日後にエステリを出る貨物船に紛れ込ませてくれるってさ。荷物として船に運び込んで、出国前には乗組員のフリをさせてくれるらしいから、問題無いだろ。まあえらい金額をぼったくられたけどな。こっちも急いでいたから、足下見られてるって分かっても払うしかなかったんだ。ただし、金を払った分、船内労働は免除させた」


「……そんなことまで言われてたんですか?」


「ちょうど人手が足りていないタイミングらしくてな。乗せるついでに手伝えって言われたんだが、怪我人に労働させる訳にもいかないし、オッドには俺が付き添っておく必要があるし。無理だろ。だから金で解決した」


 あっさりと言ってくれるが、既に庶民の考えではない。


 どうしてそこまでぶっ飛んだ考えが出来るのか、不思議でたまらなかった。


 しかしそれで生き延びることが出来るのならば、全て棚上げにしておくべきなのだろう。


「すみません。俺の所為で余計な金を使わせましたね」


「いいって。元々は使う予定の無かった金だ。それに、元々俺の金じゃねえし。あの爺さんには大きな借りが出来たから、いつかは返さなければならないけど、まあそれも今を凌いでからの話だな」


「その返済は俺も手伝いますよ」


「おう。是非ともそうしてくれ」


「じゃあ寝るぞ」


「はい。おやすみなさい、レヴィ」


 レヴィアースは明かりを消してからソファで横になる。


 そのまますぐに寝息が聞こえた。


「………………」


 本当に疲れているのだろう。


 すぐに眠ってしまった。


 そんな時こそベッドを使って欲しいのだが、オッドの身体もまだ本調子ではない。


 五日後には動き始めなければならないというのなら、その時にレヴィアースの足を引っ張らないよう、回復に専念するべきなのだろう。


「………………」


 いろいろなことがあった。


 いろいろな絶望があった。


 しかし、レヴィアースは変わらない。


 いつも通り、明るくて、磊落で、前向きな、優しい上官のままだ。


 いや、もう上官ではないのか。


 表向きは死んでいることになるのなら、次はどんな立場になるのだろう。


 お互いに命の恩人だと言ってくれたが、どう考えても自分の借り分が多すぎる。


 治療を受けられる環境を用意してくれて、命を繋いでいられる。


 それはレヴィアースがあそこから必死でここまで命を繋いでくれたお陰だろう。


 そして今後のことについても、レヴィアースがほとんど動いてくれている。


 謎の金については金持ちの爺さんとやらが関わっているらしいが、レヴィアースが信用しているのなら、オッドに詮索するつもりはない。


 いつかその人にも恩返しをしようと考えるぐらいだ。


 オッドが寝込んでいる間に死んだ自分達の新たな身分と、この国からの脱出手段まで確保してくれている。


 もしかしたら、ほとんど眠っていないのかもしれない。


「せめて、今だけはゆっくり休んでください」


 オッドはそのまま横になった。


 自分も少しでも休んで回復しなければならない。


 これ以上、レヴィアースの足を引っ張ることだけは避けたい。


 自分はレヴィアースを守りたいのだ。


 守られたい訳ではないし、足を引っ張るなど言語道断だと考えている。


「………………」


 しかしこの状況になって、改めて考える。


 どうして自分はそこまでレヴィアースに拘っているのだろう。


 尊敬する上官であることは間違いない。


 戦闘機操縦に関しては天才であることも間違いない。


 しかしそれだけだ。


 戦場で、そして職場で関わる分にはそれだけで十分な筈だ。


 しかしあの時は命の危険に晒されて、自分がまず生き延びなければならなかったのに、迷わずにレヴィアースを庇った。


 自分を盾にしてまで、庇った。


 そのことにオッド自身が驚いて、戸惑っている。


 どうして自分はそこまでしたのだろう。


「………………」


 まさか、恋愛感情?


「無いな」


 きっぱり否定した。


 断じて違う。


 同性愛者を否定するつもりはないが、自分がそうではないことは、オッド自身がよく分かっている。


 その証明に至る思考も明確で、レヴィアースとキスをしたいかどうかを考えるだけで済んだ。


 断じて拒否。


 これだけでも恋愛感情ではないことは明確だ。


 だったらどうして、という疑問に立ち戻る。


「………………」


 答えは出なかった。


 分からない。


 強いて言うならそれが答えだ。


 しかし、案外そんなものなのかもしれない。


 死なせたくないと思って、身体が勝手に動いて、今の状況がある。


 理由を自覚しいる訳ではない。


 だけど、そうしたかったのだ。


 後悔なんてしていないし、これからもしないだろう。


「ああ、そうか……」


 そして一つだけ分かったことがある。


 四年前のレヴィアースも、きっとこういう気持ちだったのだろう。


 ただ、助けたいから。


 それだけの気持ちで、亜人の子供達を助けたのだ。


 自分が危なくなることを承知の上で、そんなものは知ったことかと不安を吹き飛ばして、小さな子供達を助けた。


 今も元気で暮らしているだろう子供達のことを、少し考える。


 オッドは最後まで関われなかったけれど、幸せでいてくれればいいと思う。


「そういうことか」


 深く考える必要なんてない。


 ただ、そうしたいからしただけ。


 自分のやりたいようにやる。


 望むようにやる。


 それだけなのだ。


 そしてそれが正しいことを、オッドは知っている。


 他人から間違っていると言われても、自分に後悔が無いのなら、それは正しいことなのだ。


 自分で胸を張ってそう言える。


 そういうことなのだろう。


 そしてそんなレヴィアースの姿勢を自分もいつの間にか実践出来ていることが、少しだけ嬉しかった。


 絶望の中でも前向きに、常に未来を見据えて、これからのことを考える。


 それが出来る強さを、心の底から誇りに思う。






 しかしそれは間違いだった。


 そう思い込んでいたことが、致命的な間違いだったのだ。


 オッドも眠りについてから二時間ほど経過して、呻き声が聞こえた。


「……?」


 オッドが目を覚ます。


 そしてレヴィアースの様子を窺った。


「やめ……ろ……」


「レヴィ?」


「俺たちが、一体何をした!? 命令に従って、任務をこなして、ただ、それだけだったじゃないかっ! それなのにどうしてこんなことになるっ!?」


「レヴィ!!」


 オッドは痛む身体を引き摺って起き上がる。


 そしてレヴィアースのところへと移動する。


「止めろ! 止めろ! 俺の仲間を、部下を、そんな簡単に殺すなっ! 俺にあんなものを見せるなっ! もう、止めてくれっ!!」


「レヴィっ!!」


「っ!?」


 オッドが怒鳴りつけるように呼びかけると、レヴィアースははっと目を覚ます。


 金色の瞳が涙で滲んでいる。


「オッド……?」


「大丈夫ですか? 魘されているどころではない状態でしたが……」


「……そんなに酷かったか?」


「かなり」


「そうか……」


 夢の中で、過去に魘される。


 いや、ほんの数日前の光景が、頭から離れないのだろう。


 その絶望が常につきまとう。


 乗り切ったのだと思っていた。


 吹っ切れて、未来を見ているのだと思っていた。


 そんな強さを心から尊敬していたのだが、そうではなかった。


 そんな簡単なことではなかったのだ。


「悪いな。起きている時は、なるべく吹っ切るようにしてるんだが、眠ると、どうしても蘇ってくる。忌々しいことに」


「……それは、当然です。まだ、割り切れることではないでしょう」


 途中で意識を失った自分とは違い、レヴィアースは全てを見ていた筈だ。


 軍から切り捨てられることも、その後、ミサイルを撃ち込まれて、部下を皆殺しにされた光景も、全てを認識していた筈だ。


「そりゃそうだ。でも、今はそんなことを考えてる余裕なんてないんだよ。生き延びる為に、過去に囚われている暇なんてない」


「それも分かります。ですが、辛い時には弱音を吐いていいと思います」


「オッド?」


「俺たちは二人で生き残りました。だから、片方が辛い時は、片方が支えます。俺が死にかけた時に、貴方が支えてくれたように。だから、無理はしないで下さい。辛いなら、俺も一緒にその荷物を背負いますから」


「……ははは。出来れば可愛い女の子に言われたい台詞だなぁ」


「男ですみませんね。ですが軽口が言えるようになったのはいいことです」


「だなぁ。まあ女の子は当分余裕がないだろうから、相棒で我慢しとくか」


「相棒?」


「違うのか? 片方が辛い時は、片方が支える。支え合って生きていく。夫婦や恋人じゃないなら、関係は相棒が妥当だと思うけど?」


「そう……ですね……」


 言われてみればその通りだった。


「俺が相棒でもいいですか?」


「今更だろ。戦闘機で戦ってる時は、常にバディだったじゃねえか」


「まあ、そうですね」


「お前は俺のことをよく分かってくれている。だから、これからも相棒で居てくれるなら頼もしいよ」


「もちろんそのつもりです。貴方が俺を必要としなくなる時まで、相棒でいることにしましょう」


「いやいや。そんな寂しいこと言うなよ。ここまで来たら生涯の相棒でいいだろうが」


「未来は分かりませんからね。俺よりももっと相応しい相棒に巡り会えるかもしれませんよ」


「そういうものか? だからってお前を蔑ろにするのは違うと思うぞ」


「そういうことをするとは思っていませんよ。ですが新たな相棒との出会いが、俺との別れを意味するとは限らないでしょう。新たな門出を意味するかもしれない。俺にとっても、今後そういう出会いはあるかもしれない。その時は、お互いに笑って相手を見送れるといいなと、そう思うだけです」


「ああ、それもいいな」


 そんな未来を考えられる程度には、レヴィアースも平静を取り戻した。


 絶望からは目を逸らせない。


 しかしその上で、明るい未来に思いを馳せることぐらいは許されるだろう。


「落ちついたなら、まだ眠って下さい」


「そうだな。悪い。動くの辛かっただろ?」


「いいえ。大丈夫です」


 確かに身体の痛みはかなり酷いことになっているが、レヴィアースの方が心配だったので我慢出来るレベルだった。


 オッドは多少ふらつきながらも自分のベッドに戻った。


「また魘されるかもしれないけど、もう気にせず眠ってていいからな」


「はい」


 無意識で見る夢は制御出来ない。


 だからまた魘されないという保証は無い。


 しかしレヴィアースが大丈夫だというのなら、それを信じることにした。


「おやすみ」


「ええ。おやすみなさい」


 再び眠りにつく。


 今度こそ、安らかな眠りであるように。





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