レティーの腕にはワンセットの民族衣装が抱えられている。
そして試着室の前まで引っ張られてしまう。
「ふふふ。試着してよ。見たいし」
「う~……」
ワクワクした表情でそんなことを言われてしまったので、マーシャは渋々と試着室の中に入った。
金色の瞳がキラキラしているのを見ると、どうにも逆らいづらい。
マーシャは試着室のカーテンを閉めてから、大きなため息を吐いて服を脱ぎ始めた。
「………………」
下着姿になったところで、少し困った。
独特な民族衣装の服は、奇妙な作りになっていて、どうやって着たらいいのか分からなかったのだ。
「ええと……ここが袖で……首元……襟? というかどうやって開くんだこれは?」
マーシャは苦戦しながらも、とりあえず着てみることにした。
「うーん。取り敢えず首から通してみようか……」
首と袖を通せば何とかなるだろう……と思ってその通りにしてみようとしたところで、いきなりカーテンが開かれた。
「うわああああああっ!?」
試着中に乗り込んで来る無礼者がいるとは思わなかったマーシャは悲鳴を上げた。
「マーシャちゃん。遅いけど着方が分からなかったのかな~?」
レティーはマーシャが遅いことを心配してカーテンを開いたようだ。
試着スペースは展示エリアから離れた場所にあるので、人の目は無い。
レティーは周りに人が居ないことを確認してから乗り込んだのだ。
女同士なら構わないだろうという遠慮の無さからの行動だが、マーシャにとってはそれどころではなかった。
下着姿を見られただけではなく、この状態では隠しようのない亜人の特徴、つまりもふもふ尻尾まで見られてしまったのだから。
「………………」
「………………」
じーっと視線を注がれるマーシャ。
金色の瞳が見ているのは、もちろんマーシャの尻尾だった。
「う……」
早く出て行けと怒鳴りつけたいところだが、ここで騒がれても困る。
マーシャは居心地の悪さを感じながらも、その視線に耐えていた。
亜人として差別されるのは慣れているが、最近ではランカという同性の友人にも好ましいものとして親しまれていたこの姿を改めて罵倒されるのは辛いと思ってしまう。
つい先ほどまで仲良く(?)していた相手の表情が、侮蔑のそれに変わるのを見たくなくて、マーシャは視線を逸らした。
しかし……
「もふもふーっ!」
「ーーーっ!?」
レティーはいきなり飛びついてきて、マーシャの尻尾に頬ずりし始めた。
「ななななななな何するんだいきなりっ!」
「ちょっと何これ何これっ!? 滅茶苦茶可愛いんだけどっ!?」
「はーなーせーっ!」
じたばたと暴れるが、手荒な真似は出来ないので、されるがままになってしまう。
「すっごいもふもふっ! 可愛いっ! 気持ちいいっ! 手触り最高っ!」
「やーめーろーっ!!」
「もしかして耳もあるのっ!?」
マーシャのカツラに手を伸ばそうとするレティー。
「わあっ! 触るな馬鹿っ!」
マーシャが抵抗するがもう遅い。
素早いレティーの手はあっという間にマーシャのカツラを取ってしまった。
ぴょこん、と可愛らしい獣耳が露わになる。
それを見たレティーがまた金色の瞳を輝かせた。
「耳っ! 耳があるっ! 可愛い可愛い可愛いっ!!」
「わああああーーっ!!」
ぎゅーっと抱きつかれて頬ずりされてしまう。
試着室で押し倒されたマーシャは悲鳴を上げることしか出来ない。
「お客様。どうかされましたか?」
そして悲鳴を聞きつけた店員が心配そうに声を掛けてくる。
「た、たすけ……」
思わず助けてくれと言いそうになったのだが、レティーが素早くその口を塞ぐことによって封じられてしまう。
「もがーっ!」
「ごめんなさい。何でもないのよ。ちょっと女同士でふざけ過ぎちゃって。もう静かにしますから大丈夫」
レティーがマーシャを抑え込んだまま、しれっとした口調で言う。
「そうですか。それではごゆっくり」
店員はそれを信じてあっさりと出て行ってしまった。
「もがーっ!」
涙目のマーシャがレティーを睨み付けるが、涙で滲んでいる瞳では迫力に欠ける。
というよりも、可愛さが増している。
「うふふ。ごめんごめん。マーシャちゃんがあまりにも可愛かったからつい……」
「つい、じゃないっ! いい加減離せっ!」
これ以上お店に迷惑を掛ける訳にもいかず、マーシャは小声で反論する。
「マーシャちゃんってもしかして亜人なの?」
「……そうだけど。それがどうした」
「どうして隠しているの?」
「……レティーには関係無い」
「折角可愛いのに勿体ない。ロッティにも最近は増えてきたわよね。可愛い亜人」
「………………」
そうだった。
レティーはロッティに住んでいるので、亜人に対する耐性……というよりも、隣人としての親和性が育っているとしても不思議ではなかったのだと思い出した。
「最近のロッティではますますもふもふブームが盛り上がってるわよね」
「は……?」
「え? マーシャちゃん知らないの? リーゼロックが発信源なのに?」
「え?」
「驚いたわ~。リーゼロックが亜人のもふもふ魅力をメディアミックス化してから、もふもふがかなりの萌えジャンルになっているのに、リーゼロックの関係者が、しかも当事者である亜人がその事実を知らないなんて」
「え?」
萌え?
ジャンル?
一体何をのたまっているのだ?
マーシャの頭の上には『?』マークが浮きまくっていた。
「結構有名よ? 漫画とか、小説とか、アニメとか、ゲームとか」
「そ、そうなのか?」
「そうなのよ。もうみーんな可愛いんだから」
「へえ……」
「最初はロッティに移住してくる亜人への親しみやすさを植え付ける為の戦略だったと思うんだけど、もう大成功ね。お陰でロッティでの亜人人気が高まっているぐらいだし。しかも相互効果でもふもふジャンルのメディアミックスが大ブレイクだし」
「ふうん……」
「利益はぜーんぶリーゼロックが独占しているみたいだけどね……」
「………………」
お爺さま、ちょっと大人気ない……と思ったが口には出さなかった。
道理でロッティでは普通に歩いていても奇異の目では見られずに、ほのぼのした温かい視線を向けられる訳だ。
亜人そのものがロッティで受け入れられつつあるのだと思っていたが、裏にはそんな働き……もとい悪戯があったらしい。
恐らくはリーゼロックの出版部門を焚きつけたことがきっかけだろう。
「映像や漫画では散々見てきたし、萌えまくってたんだけど、まさか生身のもふもふちゃんに会えるとは思わなかったな~」
「そ、そうか……」
萌え萌え言わないで欲しいと思いながらも、マーシャは侮蔑的な態度を取られなかったことに安心してしまう。
「ええ。本当にこの尻尾は気持ちいいわね」
「……触るな」
「嫌。もっと触るの」
「………………」
「それよりも着方が分からなかったのね。着せてあげるからちょっと待って」
「う~」
着方が分からなかったのは本当なので、マーシャは大人しくしていた。
レティーはこういう服にも詳しいらしく、詳しい説明と一緒にマーシャの着付けを行ってくれた。
言われてみればなるほどと思える造りで、マーシャは新しい服に袖を通す事が出来た。
ミニスカートも着用して、ようやく下着姿から着衣姿にクラスチェンジ出来た。
「ああ~。折角の尻尾が半分隠れちゃう。尻尾穴付けて貰おうかしら。寸法直しと同じ要領でやってくれないかしら?」
「必要無い。というか隠すし」
マーシャはいつも使っている腰巻きをミニスカートの上から巻いた。
「やめてーっ! その腰巻きはその衣装と合わないからっ!」
「………………」
確かに、鏡で見ると似合っていない。
民族衣装風の服に、いつもの腰巻きはミスマッチすぎた。
「仕方無いな。なら着替える」
「駄目っ! このまま着ていくのっ!」
「何でっ!?」
「可愛いからっ!」
「尻尾が出るじゃないかっ!」
「出していいのっ! 可愛いんだからっ!」
「奇異の視線を浴びせられると分かっていて出せるかっ!」
「マーシャちゃんの可愛さが分からないような馬鹿のことなんてガン無視しておけばいいのよっ!」
「うぐ……」
何だか強すぎる態度に逆らえないマーシャ。
無意識にカツラに手を伸ばして被ろうとするのだが、それも取り上げられてしまった。
「か、返せっ!」
「駄目っ! 耳も出すのっ!」
「横暴だっ!」
「横暴じゃないっ! 萌えは全てに優先されるのよっ!」
「なんだその恐ろしい理屈はっ!」
強引《ゴーイン》グマイウェイな意見に反論しつつも、たじたじになるマーシャ。
「とにかくそのまま出るのよっ!」
「やめろーっ!」
「出ないとスカートめくるわよっ!」
「それは百パーセントセクハラだっ!」
「目の保養よ」
「誰のだっ!」
「もちろんわたしの」
「心の底からどうでもいいっ!」
「酷いことを言うわねぇ。友達相手に」
「いつ友達になったんだ?」
本日遭遇したばかりの行きずり相手でしかない。
少なくともマーシャにとっては。
「出会ったばかりだろうと、名前で呼び合うなら立派に友達よ」
「む……」
あっけらかんとした態度で言われたので、それ以上は反論出来なかった。
ぽかんとしているマーシャを強引に引っ張っていって、驚いている店員相手に会計を済ませてしまうレティー。
自分で買うつもりだったのに、またも奢られてしまうのだった。
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