シルバーブラスト

水月さなぎ
水月さなぎ

Zero Edition 2

ちびもふ達の日常

公開日時: 2021年3月30日(火) 10:15
文字数:4,250

 すやすやとした寝息を立てる少女がいる。


 心配事など何もないとでもいうような、安らかな寝顔だった。


 少女の名前はマティルダ。


 人間ではなく、亜人の少女だった。


 つややかな黒髪と、同じ色の獣耳。


 そして同じ色の尻尾がぱたぱたとご機嫌に揺れている。


 いい夢でも見ているのだろう。


 そんなマティルダを穏やかな表情で眺めている少年がいた。


「マティルダ。そろそろ起きた方がいいよ」


「ん……もうちょっと……」


 ゆさゆさと身体を揺さぶる少年はトリスという名前だった。


 マティルダと同じぐらいの年齢で、十二歳ぐらいだろう。


 外見年齢はそれぐらいだが、実年齢は本人も知らない。


 恐らくそれぐらいだろうと、予想しているだけだった。


 マティルダとトリスはこの世界でただ二人の同胞だった。


 亜人は人間に滅ぼされてしまったので、生き残りは限られている。


 もしかしたら他にも生き残っている人たちはいるのかもしれない。


 だけど同じ場所で生きて、生き残ったのは、マティルダとトリスだけだった。


 だからこそ、彼らはこの世界でたった二人の同胞なのだ。


 同じ地獄を経験して、そして新しい世界で生きる場所を手に入れた、たった二人の同胞。


「そろそろご飯が出来上がるよ。僕たちの為に準備してくれているのに、待たせるのは申し訳ないよ」


「んむ……それもそうか……」


 むにゃむにゃとしながら起き上がるマティルダ。


 開かれた銀色の瞳はまだ眠そうだった。


 とろんとした瞳でトリスを見上げる。


「おはよう、マティルダ」


「おはよう、トリス」


 トリスは穏やかな紫水晶の瞳でマティルダを見た。


 マティルダと同じ黒髪がさらりと流れる。


「また徹夜したのか?」


「え?」


 マティルダはトリスを見て顔をしかめた。


 徹夜であることは事実なのだが、どうしてそれが分かったのだろう。


「尻尾の毛並みが荒れてる」


「……分かるの?」


「分かる。睡眠が足りていないと毛並みが荒れる。レヴィアースが教えてくれた」


「……あの人の尻尾に対する執念は凄かったからなぁ」


 レヴィアースというのは三ヶ月前に別れた命の恩人の名前だった。


 エミリオン連合軍の軍人であり、マティルダとトリスにとっては命の恩人でもある。


 放っておいたら死んでしまうかもしれなかったマティルダとトリスを救い出してくれて、新しい場所まで連れ出してくれた。


 そして安らかに生きられる場所をくれた。


 こうやって穏やかに眠って、食事の心配もせずに済むようになったのは、半分以上はレヴィアースのお陰だった。


 もう半分は彼らが今住んでいる家の主であるクラウス・リーゼロック。


 惑星ロッティの大財閥の経営者であり、政府や各国にもそれなりの影響力を持つ老人であり、突然面倒を見ることになったマティルダ達のことをとても可愛がってくれている。


 出会いは偶然だが、今となってはかけがえのない家族でもある。


 マティルダとトリスも彼のことを『お爺ちゃん』と呼んでいる。


「それで、何で徹夜していたんだ?」


「ちょっとした勉強だよ。眠れなかったから、勉強してただけ」


「眠れない?」


「うん」


 マティルダは起き上がってからトリスの頬に手を当てる。


「………………」


 目の下にある隈を見てため息を吐いた。


「ちゃんと寝た方がいいぞ」


「分かってるよ。でも眠れない時は仕方ない」


「分かった。今日は一緒に寝よう」


「……また?」


「命令だ」


「……僕はマティルダの部下って訳じゃないんだけど」


「文句あるのか?」


「……無いけど」


「なら決まりだな」


 トリスとマティルダの部屋は隣同士だが、しっかりと分かれている。


 鍵はかかっていないのでお互いの部屋には自由に入れるが、プライベートはしっかりと守られている。


 だからトリスとマティルダはそれぞれの部屋で眠っているのだが、マティルダは時々トリスを自分の部屋へと誘う。


 マティルダはそんなこともないのだが、トリスは時々不眠症になってしまうのだ。


 眠りたくても眠れない。


 そんな日が続くと、体調を崩してしまう。


 しかしマティルダが隣に居るとよく眠れる。


 誰よりも近い相手の体温があると、安心するのだろう。


 トリスにとってはマティルダこそが安心出来る相手なのかもしれない。


 あるいは、守るべき相手が隣に居てくれることで、悪夢や罪悪感に苛まれることがなくなるからなのかもしれない。


 マティルダはそれが分かっているからこそ、限界が近いと感じたら一緒に眠るように誘う。


 いつまでこんな状態が続くかは分からないが、それでもトリスが落ちつくまでは自分が力になろうと決めている。


 流石に毎日一緒に寝るようなことはしないが、それでもトリスが弱っている時はなるべく力になってやりたかったのだ。


 レヴィアースが助けてくれたように、自分もトリスを助けてやりたい。


 誰かを助けてやりたいと思えるほどお人好しにはなれないが、せめて一番近い相手ぐらいは助けたいと思うのだ。


 最初は大嫌いだった相手なのに、今は家族同然になっている。


 不思議なこともあるものだと奇妙な気分になってしまうが、今の環境はとても居心地がいい。


 出来るだけ長く続いて欲しいと思えるものだった。


「マティルダ」


「何だ?」


「心配掛けてごめん」


「そう思うなら心配掛けなくても済むようになればいい」


「うん。努力するよ」


「努力でどうにかなるものでもないと思うけどな」


「……じゃあどうすればいいんだよ」


「気の持ちようじゃないか?」


「………………」


「割り切れば楽になれるのにな」


「それは出来ないよ」


「分かってる。トリスらしいとは思うけどな。でもそれが出来ない限り、ずっと辛いままだと思うぞ」


「………………」


「私はトリスにそんな苦しみを味わって欲しくない。だけど、それは口で言ってどうにかなるものでもないからな。時間をかけてどうにかしていくしかない」


「うん……」


「時間をかければどうにかなる問題って訳でもないけどな。そこはなりゆき任せにするしかない」


「そうだね」


「………………」


 少しだけ申し訳なさそうに笑うトリス。


 心から楽しむような笑顔ではない。


 だけど、笑えるようになっただけでも進歩している。


「よし、起きよう」


 マティルダは起き上がってからトリスの手を取った。


「食堂に行くぞ」


「うん」


 二人で手を繋いで食堂に移動する。


 トリスが落ち込んでいる時は、マティルダが手を引っ張る。


 少しでも前を向けるように、出来ることを少しずつしていくのだ。




 食堂に移動すると、既に美味しそうな朝食が用意されていた。


「おはよう」


「おはよう」


 マティルダとトリスは控えていたメイド服の女性に挨拶をする。


 メイド服の女性はまだ若く、それなりに整った顔立ちをしている。


 クラウスが二人の世話役として雇い入れた女性で、亜人への偏見もなく、にこやかに接してくれる。


 名前はレイネ・シュトリーゼという。


「おはようございます、マティルダ。トリス。朝食の準備は出来ているので、二人とも手を洗って席についてくださいね」


「はーい」


「すぐに洗ってくる」


 食堂の脇に手洗い場があるので、すぐに移動した。


 そしてごしごしと手を洗う。


 その後は席について、いただきますを言う。


 朝から肉たっぷりのメニューなので、マティルダもトリスもご機嫌だった。


 尻尾がぱたぱたと揺れている。


 まともな食事すら与えられなかった数ヶ月前に較べたら破格の待遇だった。


「美味しい~」


「うん。凄く美味しい」


 そして味も素晴らしい。


 ここに来て味の善し悪しも分かるようになったので、随分と舌が肥えたような気がする。


 もちろん好みの問題もあるだろう。


 しかしこの屋敷の料理人達は二人の好みもしっかりと把握してくれるので、嫌いな料理が出ることはあまりない。


 自分が何が嫌いなのかを知るのも初めての経験だった。


 好き嫌いが出来るような環境ではなかったし、それが分かるほどまともな食べ物も出されなかった。


 ここに来るといろいろな食べ物が出てくるので、初めて好き嫌いや好みを実感したのだろう。


 マティルダは臭いの強い野菜が苦手だった。


 トリスはハーブ系を使った料理が苦手だった。


 どちらも独特の臭いがするものだった。


 本来は『匂い』なのだろうが、二人にとっては『臭い』でしかなかったらしい。


 それを伝えるとリーゼロックの料理人達は、二人の好みに合わせたものを作るようになった。


 このあたりもクラウスに言い含められているのだろう。


「レイネ。お肉のお代わりってある?」


 遠慮の無くなったマティルダの方が旺盛な食欲を発揮して、お代わりを要求する。


 レイネはにっこりと笑ってから頷いた。


 子供が食欲旺盛なのはいいことだと思っているのだろう。


「すぐに持ってきますね。トリスはどうしますか?」


「じゃあ、僕も」


「分かりました」


 トリスはマティルダと違ってお代わりを要求出来るような性格ではないので、レイネの方から促すことが多い。


 トリスもマティルダに負けず劣らず肉が好きなので、本当は食べたいのだということに気付いていた。


 レイネはそんな二人を心の底から可愛いと思っている。


 獣耳と尻尾を持っているだけで、普通の子供と変わらない。


 どうして亜人が差別されるのか、彼女には理解出来なかったし、理解するつもりもなかった。


 少なくとも今の自分が接している二人は、可愛くて、賢くて、楽しい子供達だ。


 その事実だけで十分だった。


 他の使用人達もクラウスが引き取った子供達が亜人であることに驚いてはいたが、接してみるとごく普通の子供達だったので、レイネと同様に可愛がっている。


 何よりも素直で可愛らしい二人はすぐに屋敷の人気者になった。


 嬉しいことがあれば素直に笑い、尻尾をぱたぱたと揺らしてくれるのだ。


 その見た目が非常に微笑ましいので、つい口元が緩んでしまうのだ。


「はい、お代わりを持ってきましたよ」


 レイネが肉のお代わりを持ってくると、マティルダとトリスの尻尾が激しく揺れた。


 ぱたぱたぱたぱた。


 その尻尾が足に触れてもふもふした感触が伝わってくる。


「………………」


 気持ちいい……と思ってしまうレイネだった。


 見ている分にも心地よさそうだが、実際に触れてみると更に気持ちいい。


 二人とも毎日ブラッシングはしているらしいが、たまにお願いするとレイネにもさせてくれる。


 特にトリスの尻尾は大きくてもふもふでブラッシングのし甲斐があるのだ。


 もちろん、マティルダの尻尾も小ぶりだが素晴らしい。


 二人とも、それぞれの良さがある。


 レイネは亜人の良さに目覚めつつあった。


 いや、はっきり言おう。


 二人の可愛らしさに萌え始めていた。


 そしてそれはこの屋敷に住む使用人全てに言えることだった。


 ロッティの亜人萌えブームはここから始まる……のかもしれない。




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