「………………」
ぷるぷる震えているレヴィを軽く睨むマーシャ。
か弱い女性扱いをされたい訳ではないのだが、そこまで凶悪な扱いをされるのも不本意だと言いたいのだろう。
「ありがたい申し出だが、遠慮しておこう。あまりこの国に長居は出来ないからな。気ままな道楽旅とは言え、それなりの予定もあるんだ」
「そうか。残念だけど仕方ないな」
「悪いな」
「気にしないでいい。こっちも君みたいな美女と会話が出来てそれなりに楽しかったし」
気楽な調子で手を振る男性。
その後ろ姿はちょっぴり落ち込んでいた。
この機会にマーシャと仲良くなりたかったのかもしれない。
亜人だとバレなければ、マーシャは誰が見ても文句無しの美女なのだ。
しかもスタイルもいいので、ほぼ万人受けするタイプの美女だ。
「いやあ、知らないってすげえなぁ。幸せと言うべきか」
隣にはいつの間にかレヴィがいて、まだ笑いを堪えている。
マーシャはむっとした表情でレヴィを見上げた。
「いくらなんでも笑いすぎだ」
「いやいや。笑うところだろう、ここは。俺だってマーシャに稽古をつけてやるとか、命知らずなことは言えないぞ。叩きのめされるのが目に見えてるからな」
「だったら私が稽古を付けてやろうか?」
物騒に笑うマーシャ。
稽古を付ける以上のことをやってきそうだ。
「締め上げられそうだから遠慮しておく」
「特別に尻尾で締め上げてやるぞ」
「是非ともお願いしますっ!」
「……ブレないなぁ」
冗談のつもりだったのだが、レヴィは本気と受け取ったようだ。
その感性が実に恐ろしい。
「もふもふ相手ならいくらでも締め上げられたい」
うっとりしながら言うレヴィにマーシャがぶるぶると震えた。
この男の病気は確実に加速している。
行き着くところまで行き着いてしまったらどうなるのか、考えるだけで恐ろしい。
「ちなみに尻尾で締め上げるって、どうするつもりだったんだ?」
「む……そうだな。たとえば、尻尾で首を絞めるとか」
ガチの締め上げである。
マーシャの発言もかなり恐ろしい。
しかしそれ以上に恐ろしいのはもふもふマニアであるレヴィだった。
「尻尾で首を絞められて気絶か。至福だな」
「………………」
恐ろしすぎる。
首を絞められて至福など、完全に変態の台詞だ。
しかも本人にその自覚はない。
あくまでも『尻尾』で『絞められる』のが『至福』なのだ。
手で締め上げられて至福と言わないだけマシなのかもしれないが、ある意味ではそれ以上に酷い。
「レヴィ」
「なんだ?」
「発言が完全に変態じみてきているから、少しは控えて欲しいんだが」
「? どこが変態じみてるんだ? 俺はもふもふをこよなく愛しているだけだぞ?」
「………………」
処置無しだった。
これはもう、何をしても無駄だと諦めるしかない。
かくなる上はこれ以上酷くならないように、現状維持に務めるしかないのかもしれないが、それすらも自信がなかった。
しかしターゲットは自分なのだ。
自分の身を守る為にも、レヴィのもふもふマニア度を何とかしなければならない。
そうしなければ自分の身が危うい。
もちろんレヴィはマーシャに危害を加えたりはしないだろう。
その程度には大切にされているという自覚がある。
しかしそれとこれとは別問題だ。
自分の好きな人の変態度が増していくのを目の当たりにするのは、精神衛生上大変よろしくない。
なんとかしなければならないと、切実に考えていた。
「待たせたな、マーシャ」
「っ!」
聞き覚えのある声が後ろからかけられる。
マーシャは嬉しそうな顔で振り返る。
「お爺さまっ!」
「会うのは三ヶ月ぶりぐらいか? たまにはロッティに帰ってきてくれんと寂しいじゃろうが。レヴィアースに会いに行くと言ったきり、連絡もまともに寄越さなかったじゃろう?」
そこに立っていたのはレヴィにとって懐かしい姿だった。
クラウス・リーゼロック。
七十を過ぎていても活力に満ちたその姿は、老人を年齢以上に若く見せている。
真っ白に染まっている髪はしっかりと年齢を感じさせるが、水色の瞳はまだまだ力強い。
「ごめん。ちょっと面倒な監視がついていて、お爺さまに連絡を取ると、巻き込みそうだと思ったんだ」
「大いに巻き込んでくれてもいいものを。うちのPMCは腕利き揃いじゃぞ。マーシャも知っておるじゃろう?」
「知ってる。でも現時点でエミリオン連合軍と正面からぶつかるのはよくないと思ったんだ」
「まあ、それは遠慮したいところじゃな。しかしマーシャの為なら構わん」
「ありがとう。でもまあ、レヴィの周りが騒がしくなるのも良くないと思ったし。それに私達だけでも十分だったんだ」
「確かにシルバーブラストとマーシャ、そしてシオンがいれば十分じゃろうなぁ。加えてレヴィアースとスターウィンドまで加われば無敵じゃろう? 艦隊の一つや二つぐらい平気で潰しそうじゃな」
「うん。潰した」
実に恐ろしい会話だった。
しかも事実なのが尚更恐ろしい。
「人の横で恐ろしい会話をしないで欲しいんだけどな、クラウスさん」
「おお、久しぶりじゃな、レヴィアース」
「今はレヴィと呼んでくれるとありがたい。その名前は色々と不味い」
「うむ。ではレヴィと呼んでおこうか。新しい戸籍は用意しておくから安心せい」
「……お世話になります」
レヴィアース・マルグレイトは死人だ。
少なくとも、書類上は死んでいる。
しかし当人は生きている。
死んだことにしておく為には、レヴィアース・マルグレイトの戸籍は使えない。
新しい戸籍を用意する必要があった。
仮の戸籍は『レヴィン・テスタール』。
レヴィ自身が裏の伝手を頼って用意したものであり、少し調べられれば偽造だと分かる儚いものだった。
それをシャンティが少し手を加えて少しぐらいではバレないように強化して、今に至っている。
本格的な調査が入っても問題の無い戸籍を用意するには、それなりの大金と後ろ盾が必要だ。
後ろ盾が必要となる最大の理由はもちろん、何かあった時にその立場を保証してくれるからだ。
たとえ偽物の戸籍であっても、保証してくれる人間が肯定すれば、それが事実としてまかり通る。
そしてクラウスはそうやってマーシャとトリスの戸籍を用意したのだ。
マティルダとトリスという子供達は表向き存在しないことになっているが、マーシャ・インヴェルクとトリス・インヴェルクという亜人は存在する。
それをクラウス・リーゼロックが保証する。
それだけで十分なのだ。
同じものをレヴィにも用意してくれるという。
ありがたい話だった。
「出来れば三人分頼みたいんだけど、いいかな? 俺にとっては彼らも大切な家族なんだ」
「分かっておる。オッド・スフィーラとシャンティ・アルビレオについてもマーシャから聞いておるからな。誰が見ても文句の付けようのない、エミリオン連合の情報部が監査に入っても口出し出来ない完璧なものを用意してやるから安心せい」
「頼もしいなぁ」
「マーシャの頼みじゃからなぁ。全力で叶えるのが爺心《ジジゴコロ》という奴じゃろう」
「確かに」
「生きておったと聞いた時はやはりと思ったがな」
「ちょっとは疑おうぜ」
「簡単に死ぬようなタマではなかろう」
「それはまあそうだけど。でもほとんど偶然に近い生き残り方だったぞ。死んでいてもおかしくはなかった」
「運も実力の内じゃ。あるいは日頃の行いの成果かのう」
「特に善行は積んでいないんだけどなぁ」
「マーシャとトリスを助けたじゃろう? 十分な善行じゃと思うぞ」
「ああ、なるほど。もふもふ救世主なら確かに善行だな♪」
「……その通りなのじゃが、何か言い回しがおかしくないか?」
「?」
どこがおかしいのかさっぱり分からないレヴィだった。
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