「入るぞ」
「あ、先生。どうぞどうぞ」
ぶっきらぼうな声と共に中へ入ってきたのは、四十をすぎた男性だった。
くたびれた白衣を着ている。
どうやら彼が医者らしい。
「ったく。俺の家なのになんでお前がどうぞどうぞとか言ってるんだ?」
「すみませんねぇ。なんとなく、ノリで」
「ノリで銃を突きつけられたらたまったもんじゃねえんだがな」
「いやあ~。緊急事態だったんで。許してくれなくてもいいけど、反省はしてません」
「しろよ」
「反省してたらオッドは助からなかったかもしれないんで」
「………………」
苦虫を噛み潰したような顔になる医者。
忌々しげにレヴィアースを睨むが、本気で腹を立てている訳ではないらしい。
どちらかというと呆れている。
「目を覚ましたならもうじき回復だろうな」
医者はしゃがみ込んでオッドの診察を開始する。
医者としての本分は果たしてくれているらしい。
ぶっきらぼうだがいい人なのだろうと思った。
「お世話になります。ご迷惑をおかけして、申し訳ありません。それから彼の非礼は俺が代わりにお詫びします」
「随分と礼儀正しいな。類は友を呼ばねえらしい」
「友人ではなく上官ですが」
「同い年ぐらいに見えるが、そんなに階級が違うのか?」
「俺が大尉、彼が少佐です。俺は彼の副官でして」
「なるほどな。例の調印式に巻き込まれたクチか」
「知ってるんですね」
「テロリストが突っ込んできて全部ご破算になったんだろう? それに巻き込まれたのは災難だったな」
「………………」
「………………」
エステリでもそういうことになっているらしい。
てっきりエミリオン連合軍の非道を大々的に取り上げると思っていたのだが、そこは完全に手を回していたらしい。
流石というべきか、えげつないと呆れるべきか。
「まあ助けを求められるような状況でもなさそうだから、非常手段を頼ったのは分かるけどな。巻き込まれる方はいい迷惑だ」
「すみませんでした」
「まあいい。報酬は弾むらしいからな。妥協しといてやる」
「……レヴィ。そういえば、お金はどうするんですか?」
この医者への礼金、そしてこれからの逃走費用。
身一つで逃げてきたレヴィアースに払うアテがあるとは思えない。
「問題無いぜ。全財産下ろしてきた」
「え?」
「ほら」
レヴィアースが持っていた旅行バックの中にはたっぷりと紙幣が詰まっていた。
軍人としての給料と、出撃の度の特別手当、更には撃墜王としての割り増しなどもあって、レヴィアースはかなりの給料を貰っている。
使う暇が無いので、貯まる一方だと嘆いていたが。
「いいんですか? その……」
お金の問題が解決したのはありがたいのだが、それをレヴィアース・マルグレイトの口座から下ろしたというのが問題だった。
死亡扱いになっているのにそんなことをすれば、実は生きているということを証明しているようなものだ。
「問題無い。いくら俺でもここまでは稼いでいない」
「え?」
「これはちょっとした秘密兵器を使った結果さ」
「………………」
確かに、いくら撃墜王《エース》であり佐官の給料だといっても、あの紙幣の量は少しばかり行きすぎている。
十億は超えているのだから、軍人が稼げる金額ではないだろう。
そんなことも分からないぐらい、今のオッドは頭がぼーっとしているらしい。
「まあ俺の口座じゃないから安心しろ。とある金持ちがいざという時の為に使えって渡してくれていたものなんだ」
「……意外な人脈があるんですね」
「まあな。という訳で今後のこともあまり心配しなくていいぜ」
「そのようですね」
お金の問題は割と深刻だと思っていたので、そこは安心してしまった。
オッドの口座からも下ろせない以上、レヴィアースに頼り切りになるが、この際それも仕方ない。
何か別の形で返していけばいいだろうと割り切った。
その間にも医者は手際よくオッドの点滴を交換して、薬を飲ませている。
「終わったぞ。後三日もすれば動けるようになるだろう」
「ありがとうございます」
「おう。ありがとうな。おっちゃん」
「誰がおっちゃんだ。先生と呼べ」
「せんせー」
「むかつくガキだな」
「いや~。よく言われるんだよな」
「………………」
「あ、先に報酬渡しとく」
鞄を開けたついでなので、レヴィアースは札束を一つ医者に渡した。
百万ダラスはある。
「……これからも必要なんじゃないのか?」
「大丈夫だって。それぐらいじゃ懐は痛まないから。迷惑かけてるんだから、遠慮無く取っとけよ」
「……分かった。そうさせてもらう」
医者はそのまま札束を懐にしまい込んだ。
その直後に玄関の呼び出しベルが鳴った。
「おーい。客だぞ」
「分かってる」
医者は立ち上がり、すぐに部屋を出て行った。
「……まさか追っ手じゃないですよね?」
「俺たちみたいな死に損ないを追うほど、エステリもエミリオンも暇じゃないと思いたいが、まあ違うだろ。いつもの奴だ」
「いつもの?」
「時間帯的に間違いないだろうよ。もうすぐ戻ってくる」
「?」
よく分からないオッドが首を傾げていたが、本当にすぐに戻ってきた。
「今日は目を覚ましてるから食えるな」
医者はトレイに入った弁当を二つ、持ってきてくれた。
「え……?」
「お前、三日ぐらい眠りっぱなしだったからな」
「まさか、残りの二日分は食事が無駄になったんですか?」
「いや。俺が二人前食った。だから無駄にはなってない。お前は栄養点滴してるから、問題無いしな」
「そうですか」
「今日は食えるだろう?」
「多分……」
まだ起き上がれない状態だが、覚醒している以上、空腹感はある。だから恐らく食べられるだろうと判断した。
「食べられないようなら栄養点滴してやるから言え」
「ありがとうございます」
それだけ言って医者は出て行った。
こちらに振り返ることもしない。
「ちょっと待ってな。飲み物も用意するから」
レヴィアースは立ち上がってから部屋の中にある冷蔵庫から飲み物を取り出した。
ボトルに入っているのは麦茶のようだ。
それを冷蔵庫の上にあるトレイに載せてあったグラスへと注いでいく。
「起き上がれるか?」
「……なんとか」
起き上がるとかなりの激痛が走ったが、少しは身体を動かしておかないと不味いことは自分でも分かったので、少し無理をする。
無理をしすぎるのは良くないが、多少の無理は自分の身体の状態を把握する為にも必要だった。
「ぐ……」
鎮痛剤の効果が切れかけている。
先ほどの医者は必要な点滴はしてくれても、鎮痛剤の投与は止めたようだ。
意識が無い間は痛みも無い方が睡眠で回復に専念出来ると判断したようだが、覚醒したのなら、ある程度の痛みに身体を慣れさせておくべきだということだろう。
その意見にはオッドも賛成だ。
痛みはあるが、生きている実感もある。
その感覚を鈍らせられるのはあまり歓迎出来ない。
「大丈夫か?」
「大丈夫です」
「あまりそうは見えないんだけどな。ゆっくり食え」
「ありがとうございます」
突き刺して食べられるようにフォークを用意されていた。
病人食とはいかないが、それでもよく咀嚼して食べればしっかりと栄養になる。
オッドは一時間ほどかけて、ゆっくりと食事を済ませた。
「食べられたな」
「はい」
全部食べてくれたので、レヴィアースもほっとしたらしい。
「よし。じゃあ寝るか」
「……俺は起きたばかりなんですが」
「そうだな。でも俺が眠い」
レヴィアースはソファに寝転がって毛布を被る。
「ちょっと待って下さい。まさか、ずっとソファで寝ていたんですか?」
「そりゃそうだ。床に寝るのは嫌だったからな。ソファの方がずっと寝心地がいい」
「……代わりますから、ベッドを使って下さい」
「アホ。怪我人を差し置いて俺がベッドを使えるか」
「しかし……」
自分が寝込んでいる間、ずっとレヴィアースに負担を掛けていたかと思うといたたまれないオッドだった。
しかしレヴィアースの方も譲るつもりは無い。
「任務や訓練中の床雑魚寝に較べたら遙かにマシだ。気にするほどのことじゃない」
「………………」
「それよりも悪いと思うならさっさと治せ。元気になったら働いて返せ。俺が言いたいのはそれだけだ」
「……はい」
それがレヴィアースなりの不器用な優しさだということは分かっている。
彼はストレートに優しい時と、不器用に優しい時がある。
どちらも微笑ましいと思うのだが、対等と認めた相手には割と不器用で、保護しなければならない弱者にはストレートに接している。
そういった意味では対等と認められているので嬉しく思う。
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