シルバーブラスト

水月さなぎ
水月さなぎ

女王と駄犬 2

公開日時: 2022年2月24日(木) 09:20
文字数:5,772

 ランカが次に目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。


 タツミの奮戦で何とか処置が間に合い、一命を取り留める事が出来たのだ。


 ランカは意識を取り戻すと、真っ先にタツミの姿を探した。


 首だけを動かすと、すぐ傍にタツミがいた。


 さっきまでの怖い顔ではない。


 いつも通りのタツミに戻っている。


 けれど今にも泣き出しそうなぐらいに憔悴していて、とても痛々しい姿だった。


 理由はもちろん分かっている。


 死にかけている自分を心配しているのだ。


 安心させてあげたいと思ったランカは、再び遠のきそうになる意識を必死で繋ぎ止めた。


 そして動かすだけで悲鳴を上げたくなるような身体を必死で動かそうとして、何とか腕だけをよろよろと持ち上げた。


 生死の境を彷徨ったばかりの小さな手は、生きているとは思えないほどに体温が失われ、弱々しいものだった。


 その儚さにタツミが再び顔を歪める。


「大丈夫……だよ。私は……大丈夫だから……」


 それだけを何とか伝えると、タツミもくしゃくしゃに顔を歪めたまま頷いた。


「ごめん。ごめんな、お嬢。俺、お嬢の事を護れなかった。こんなに酷い目に遭わせちまった……」


 絶対に護ると誓っていた小さな主を護れなかった自分の不甲斐なさを責めている。


 そんなタツミに、ランカは弱々しく笑いかけた。


「護って……くれたよ……だって、生きてるもん……」


「お嬢……」


 そう、タツミは確かにランカを護ったのだ。


 失われる筈だった命を、他の命を殺し尽くすことで繋ぎ止めた。


 それだけは確かな事実だった。


 しかしだからこそ、ランカは深く傷ついていた。


「でも、さっきのタツミは怖かった……。もう、あんなのは、見たくないよ……だから……頑張るね……タツミが、あんな風にならなくて……済むように……強く……なるから……」


 

 そろそろ喋るのも辛くなってきたが、大切なことを伝える為に、ランカは頑張り続けた。


「だから……傍に居てね……今のタツミのままで、ずっと……傍に居て……。そうしたら……私はきっと……頑張れるから……」


 タツミは小さな手を自分の両手で包んで、精一杯優しく笑いかけた。


「傍に居るよ。約束する。もう二度と、お嬢を怖がらせたりしない。ずっと、お嬢の傍に居るよ」


 それはタツミにとって紛れもない本心からの言葉であり、願いでもあった。


 それが出来ないと分かっていても、心からそうしたいと思っていたことは本当なのだ。


 それだけはどうか伝わって欲しい。


 その言葉に安心して、ランカはようやく意識を手放した。


 タツミは傍にある機器のバイタル表示を確認する。


 それぞれの数値は、ランカの容態が安定状態に向かっていることを示していた。


 これなら放っておいても徐々に回復してくれるだろう。


 不安になっていたランカをタツミが安心させてやった効果も大きい。


 それを確認して、タツミもようやく安心した。


「ごめんな、お嬢」


 ランカの頭を優しく撫でて、タツミはもう一度謝る。


「約束は守れそうにない。でも、護りたいって思っているのも、傍に居たかったっていうのも、本当なんだぜ」


 恐らく、自分はもう二度とランカには会えない。


 十二人も無惨に殺したのだから、どう考えても無事で済むとは思えない。


 これから警察に捕まって、裁判を行い、死刑判決が下されるだろう。


 タツミはそれだけの覚悟を決めていたし、自分の行動を後悔もしていない。


 こうしなければ、ランカは命を落としていた。


 だから後は、順調に回復してくれることを祈るだけだ。


 願わくば、この子の未来が多くの幸に包まれますように。


「よし」


 タツミは未練を振り切るように、勢いよく立ち上がった。


 パイプ椅子が僅かにズレて音を立てたが、それでランカが目を覚ます事は無い。


「無理を言って悪かったな。もういいぜ」


 振り返ると、壁際には壮年の警官が建っていた。


 レイジ・アマガセ警部は、タツミの逮捕を数時間だけ保留にしていたのだ。


 事件の後、救急車と同じタイミングで駆けつけたレイジは現場の凄惨さに眉を顰め、すぐにタツミを逮捕しようとした。


 しかしランカの容態が安定するまでは絶対に傍を離れないと拒絶された為、仕方無く一緒に付いてきたのだ。


 やむを得ずこうして同じ部屋に居たのだが、ランカが助かってレイジもほっとしていた。


 ここでランカが死んでしまったら、本気で怒り狂ったキサラギが後先考えずにラリーへと攻め込み、血みどろの抗争が始まっていたかもしれない。


 もしくは心を折られたキサラギが、ラリーに取り込まれていたかもしれない。


 どちらにしても酷い犠牲が生じた筈だ。


 それを考えると、十二人の犠牲で済んだ事はむしろ御の字と言ってもいいのかもしれない。


 タツミのお陰でキサラギと、そして北部が救われた。


 それだけは確かな事実だった。


 そして幼いながらも気高い心を持ち、躊躇わずに友人を庇った小さな女王も、未来の北部にとって必要な存在になるだろう。


 ここで失わずに済んだ事は僥倖だった。


 レイジは差し出されたタツミの両手に手錠を掛けながら、安心させるように笑いかけた。


「そんなに悲壮な顔をしなくても大丈夫だ。お嬢さんとはまた会えるさ」


「え?」


 諦めきっていた表情に僅かな光が戻る。


 そんなことは考えてもいなかったらしい。


 レイジは現場調査を任せていた部下の報告内容をタツミにも教えてやる。


「目撃者の証言と監視カメラの映像から、今回の件は正当防衛であると判断される。組織抗争の状況も考慮されるだろうから、無罪にはならなくても、有期懲役にはなる筈だ。長くても二十年。腕のいい弁護士を雇えばそれ以下に抑えられる筈だ」


「本当かっ!? だったらいつかまたお嬢に会えるんだなっ!?」


 タツミの表情が嬉しそうにぱっと輝く。


 まるで主人に会いたがる犬だと思ったが、もちろん口には出さなかった。


 しかしこの辺りからタツミに犬キャラが、そして駄犬キャラが定着し始めていく。


 呆れながらもレイジは続けた。


「いつかとか遠い話でなくとも、お嬢さんが元気になったら面会に来てくれるだろう」


「そうか。それもそうだなっ! だったらそれを希望に囚人ライフを頑張ろうかな♪」


「頑張るようなものでもないと思うが、元気になったようで何よりだ」


「おう。何よりもの励ましだったぜ」


 タツミが振り返って、眠るランカの傍に近付く。


 そして覆い被さるようにして、そっと頬ずりをした。


「元気になったら会いに来てくれよな、お嬢。待ってるからさ」


「………………」


 容態は安定した筈なのに、何故かその寝顔が魘されているように見えた。


 うーんうーん……という幻聴までレイジの耳に届きそうだった。




 こうして二人は一度離ればなれになった。


 幸運なことに、トウマ・キサラギが腕のいい弁護士を派遣してくれた為、裁判はかなりこちらの有利に進めることが出来た。


 それだけではなく、マスコミも味方に付けて、世論をキサラギに傾けさせることにも成功していた。


 最終的な判決は懲役八年。


 十二人を殺した結果としては破格の判決だろう。


 自陣の人間を十二人も殺されたラリー側はこの判決に猛抗議したが、そもそも最初に幼い子供を攫って殺そうとした事が祟って、世論は完全にキサラギへと味方した。


 逆にラリーに対しては非難囂々だった。


 ランカも徐々に回復して、二ヶ月もすれば退院出来るようになった。


 頻繁に面会に来てくれるキサラギの仲間や、レイジから外の状況を教えて貰っているので、タツミはもうすぐランカが会いに来てくれると思って期待に胸を膨らませていた。


 しかし再会は叶ったものの、それはタツミが期待していたものとはかなり違っていた。


 面会にやってきたランカは、車椅子に座っていた。


 回復はしたが、まだ自力で動けるほどではないらしい。


 それでも元気そうな姿を見てタツミは嬉しくなった。


 しかし、ランカは違ったらしい。


 涙目でタツミを睨み付けて、そして怒鳴りつける。


「馬鹿っ! 嘘つきっ! タツミなんか大っ嫌いっ!!」


 と、第一声からいきなり怒鳴りつけられてしまい、嬉しさが一気に萎んでしまった。


「お……お嬢……?」


 怒鳴られたタツミは、強化硝子の向こうでおたおたしてしまう。


 会えたのは嬉しいが、いきなり怒鳴られてしまうとは思わなかったので、かなり弱ってしまう。


 嘘つき、というのは傍に居ると約束した事に対してだろう。


 しかしあの時はああ言うしかなかった。


 もしもあそこで馬鹿正直に「実は俺、この後捕まっちゃうんだ」とか「多分、死刑になるからこれでお別れだ」などという台詞を口にしていたならば、安心して眠ってはくれなかっただろう。


 それどころか、下手をすると容態が悪化して、再び生死の境を彷徨った可能性もある。


 ランカの回復を手助けする為にも、あそこは嘘を吐くのが最善だったのだ……と苦しい言い訳をしてみたのだが……


「嘘つきっ!!」


「ううっ!!」


 結局のところ、どんな事情があっても自分に嘘を吐いていた事が許せないらしい。


 誰よりも信じていた相手だからこそ、どんなに残酷な事実であっても、本当のことを言って欲しかった。


 命を護られて、嘘で護られて、全ての重荷をタツミに背負わせてしまった事が許せなかった。


 それ以上に許せなかったのは、護られるばかりで何も出来なかった自分自身なのだが、それと同じぐらいに、一人で全てを背負い込んで、ちっとも自分を頼ってくれなかったタツミのことも許せなかったのだ。


 半ば以上は八つ当たりだと自分でも分かっていたが、それでも言わずにはいられなかった。


 タツミはランカのそんなやるせない気持ちまで察した訳ではないが、とにかく泣き止んで貰おうと必死だった。


「いや、その、ずっと傍に居るって約束は、八年後に出所してから必ず果たすよ。それまではほら、お嬢が俺に会いに来てくれよ。そうしたら傍に居られる時間は増えるじゃないか。ま、まあ硝子越しにはなっちゃうけどさ……」


 しどろもどろになりながらも、何とかランカを宥めようとするタツミ。


 その姿は、鬼神の如き凶悪さで十二人を惨殺した人間と同じとは思えないぐらいに情けないものだった。


 しかしタツミはそんなことに構っていられない。


 情けなくても、みっともなくても、それでもタツミはランカに泣いて欲しくなかった。


 一番大切な女の子には、いつだって笑っていて欲しいのだ。


 しかしランカはそんなタツミの気持ちを無視して、キッと睨み付ける。


 そして……


「来ないもんっ!」


「え……?」


「会いになんて来ないもんっ! 檻から出てくるまで絶対に会わないもんっ!」


「ええーっ!?」


 これにはタツミの方が泣きそうになった。


 この先ランカがちょくちょく会いに来てくれることを期待していたからこそ、八年という長い囚人生活にも希望を見出していたのに……


「お……お嬢……? 冗談だよな……?」


 震える声で恐る恐る尋ねると、


「本気だもんっ!!」


 と、本気で怒鳴りつけられた。


「っ!!」


 がびーんっ!! という効果音が頭の中で響き渡る。


 十九年というあまり長くはない人生経験の中でも、最大のショックを受けた事は間違いない。


「帰るっ!!」


 ショックに打ち拉がれているタツミを睨み付けたまま、ランカは車椅子を動かして反転させた。


 傍に控えていた護衛が慌てて後ろから押し始める。


「ちょっと……お嬢っ!? 冗談だよなっ!? ちゃんと会いに来てくれるよなっ!?」


 情けない声で追い縋るが、ランカはぷいっと乱暴にそっぽ向いてから出て行ってしまった。


「お嬢……」


 呆然と立ち尽くすタツミ。


 監視人が声を掛けるまで、その場に固まったままだった。






「………………」


 懐かしい夢を見た気がする。


 ランカは本家の寝室で目を覚まし、薄暗い室内でゆっくりと起き上がる。


 タツミとマーシャを見送ってから二日が経過している。


 まだたった二日なのに、とても寂しいと感じてしまう。


 切り捨てた筈の弱さを実感してしまい、ランカは苦笑する。


 タツミと再会するまでは、あらゆるものを切り捨てて強くなろうと決めた。


 そして再会してからは、少しずつ取り戻していこうと決めていたのだ。


 取り戻したものを護りきれるぐらいに強くなれたのなら、その時初めて自分はそれを求めることが出来るのだと思っていたから。


 本当に少しずつ求めて、そして取り戻していくつもりだった。


 だけどタツミが戻ってきてから、それは恐るべき速度でランカの手元に溢れてきたのだ。


 それはランカの心が追いつかないぐらいの勢いで、彼女自身に襲いかかってくる嵐のようなものだった。


 告げることは無いと思っていた恋心も。


 そして不思議なぐらい自然な気持ちで出てきた「友達になって」という言葉も。


 八年間、自分から一度も求めたことの無い絆を、マーシャと出会ってすぐに求めてしまった。


 自然な口調で、自分でも驚くほどにすんなりと、そう言葉にしていた。


 言った自分が一番驚いた。


 マーシャも驚いていたが、彼女は友人としてとても魅力的な女性だった。


 三つも年上だとは信じられないぐらいに可愛らしくて、幼い部分がある。


 とても強くて優しくて、傍に居るだけでとても楽しい気持ちになる。


 彼女と友達になっても失う心配はしなくて済む。


 それだけの安心感があった。


 また会いたいと、心から思う。


 一緒に遊んで、はしゃいで、そしてまた温泉に入りたい。


 あの可愛らしいもふもふにもっと触れさせて欲しい。


「うぅ……」


 そして同時に思い出すのは、忘れようも無い唇の感触だった。


 いきなりのキス。


 驚いたと同時に、激烈な怒りが込み上げてきたのだが、それでも嬉しかった。


 タツミが自分と同じ気持ちを抱いてくれている、という事がとても嬉しかったのだ。


 きっと、今度こそずっと傍に居てくれる。


 殴ってしまったけれど、それぐらいは構わないだろう。


 その程度のことで、今更嫌われるとは思わない。


 ……むしろ殴られることを喜んでいたような気がするのがかなり恐ろしい。


 あの時言いかけた言葉はまだ伝えられないけれど、でも帰ってきたらもう一度挑戦してみよう。


 いや、すぐに好きだと言うと調子に乗ってしまうかもしれない。


 もう少し怒ったままの方がいいかもしれない、と思い直す。


 だけど、言ってしまいたい。


「うーん……」


 どちらにしようか、本気で悩んでしまう。


 薄暗い室内で、恋する少女はひたすらに悩み続けた。


 最後に一言、旅立った彼らに向けて笑顔で呟いた。


「無事に戻ってきてね」


 事件の証拠を掴めなくても、それはそれで構わない。


 無事に戻ってきてくれれば、それだけで十分だったのだ。



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