シルバーブラスト

水月さなぎ
水月さなぎ

加速の先にある世界

公開日時: 2021年9月3日(金) 12:27
文字数:3,682

 救いの神というものは実在するらしい。


 それがここ数日における私の感想だった。


 絶望の淵を覗き込んで、もう二度と飛べなくなるかもしれないと覚悟していた。


 だけどオッドさんが私の前に現れてくれて、そしてもう一度飛ぶチャンスをくれた。


 他の惑星からの客人であるオッドさんは長いことヴァレンツにはいられない。


 だからこれが最後のチャンスであり、絶対に失敗出来ないことは分かっている。


 それでも、手を差し伸べて貰えたことが嬉しかった。


 もう駄目だと思っていた時に、何気ない風な態度で手を差し伸べてくれた。


 本当に、あの時は彼が救いの神に見えてしまった。


 小さな天使みたいな女の子を連れた救いの神様。


 オッドさんが神様で、シオンちゃんが天使。


 あの二人の組み合わせはよく似合っている。


 まさか恋人同士ってことはないと思うけれど。


 大人と子供すぎるし。


 まあ、そうなったらそうなったですごく微笑ましいカップルが誕生するのかもしれない。




「さてと。準備オッケー」


 レーサー用のツナギに着替えてから、上着を羽織る。


 お洒落とは無縁の実用百パーセントの衣類だけど、私にはそれぐらいの方が性に合っている。


 化粧はもちろんしない。


 汗を掻いた時に直すのが面倒だし。


 元々、化粧にはあまり興味が無い。


 女としては失格なのかもしれないけれど、レーサーとしてはこれでいいと思っている。


 同じ女性レーサーであっても、外見を大事にする人も多いけれど。


 やっぱりスターになれば顔を見られる商売な訳だし、外見は大事にした方がいいと何度も忠告されたことがある。


 だけどそこにかまけて肝心の成績が落ちてしまったら意味が無いような気がするのだ。


「……まあ、かまけるまでもなく今の私はボロボロだけどさ」


 成績が落ちるどころか、どん底だという自覚ぐらいはある。


 だけどそのままでいるつもりもない。


 私が見ている『道』は他とは違う。


 危ないということは分かっているし、レースとして『魅せる』道でもないことも分かっている。


 だけど見えてしまった以上、私はそこを目指さずには居られないのだ。


 レーサーはスターであると同時に、高みを目指す競技者でもあるのだ。


 人前で活躍することよりも、自分自身で目指した目標を乗り越えていくことだって大切だ。


 客商売である以上、どうしても無視出来ない部分はあるけれど、それでも私はあの道を目指したい。


 その結果が散々なものであり、一度はレーサーとしての人生を諦めるところまで追い詰められたけれど、まだ大丈夫。


 私はまだ終わっていない。


 まだ飛べるし、まだ目指せる。


 だから立ち止まらずにいきたい。




「ふふふ。待っててね。私の新しい『グラディウス』」


 私はウキウキした気持ちで家を出た。


 ランファン・モーターズまでバイクを走らせて、二十分ほどで到着する。


「おはようございますっ!」


 一番に来たと思っていたのだけれど、オッドさんたちは既に到着していた。


 というよりも、前にある喫茶店で優雅に朝食を摂っていた。


 のんびりとした時間を過ごす五人の大人と子供達は、本当の家族のようで少し羨ましくなる。


 私にも家族と呼べる人たちはいるけれど、ここから離れた田舎で暮らしている。


 もう二年ほど会っていない。


 私がレーサーになると言ったら大反対をして、それから家を飛び出したまま帰っていないのだ。


 娘を危ないことに関わらせたくないという親心は理解出来るし、反発ばかりするべきではないと分かっている。


 だけどそれでも私はレーサーを目指すことを止められなかったし、今もレーサーであり続けている。


 トップレーサーとして活躍するようになっても、両親は会いに来てくれなかった。


 それを寂しいと感じる気持ちはあったけれど、それでも私は振り返らずに夢を追いかけることをやめられなかった。


 いつか帰る時が来るのかもしれない。


 もしかしたら、突然会いに来てくれるかもしれない。


 だけど今は一人で頑張る時だ。


 目の前の温かい光景を少しだけ羨ましいと思う気持ちを、すぐに心の奥底へと引っ込めた。


「おはよう、シンフォ。よく眠れたみたいだな」


 最初に声を掛けてきてくれたのはマーシャさん。


 私のスポンサーになってくれた人。


 私よりも若い女の子なのに、かなりのお金持ちだという。


 凄く可愛いのに、凄くやり手なのかもしれない。


 人は見かけによらないというけれど、マーシャさんはなんだか可愛さと凄さが矛盾なく同居している感じがして、そこがまた凄いと感じさせてしまう。


 私にとってはオッドさんの次に感謝するべき人だ。


 スポンサーを引き受けてくれたのはマーシャさんで、オッドさんはマーシャさんと引き合わせてくれたという関係だけれど、それでもオッドさんがきっかけであることに変わりはないから。


 といっても、どちらも同じぐらい感謝しているけどね。


 最初のきっかけになったオッドさんが特別、という意識はあるのかもしれない。


「おはよう。シンフォ」


「おはようですです~」


「おっはよ~」


「おはよう」


 続いてオッドさん、シオンちゃん、シャンティくん、レヴィさんが声を掛けてくる。


「シンフォも朝食がまだなら、一緒にどうだ?」


「確かにまだですけど……」


 まだなんだけど……ここは結構高いんだよね……。


 ランファン・モーターズの前にあるから便利なんだけど、朝食にかけられる料金設定じゃないのが少し困る。


「奢るぞ」


「いただきます」


 マーシャさんの一言であっさりと陥落。


 奢り大好き。


 他の相手なら悪いなという気持ちになるけれど、マーシャさんぐらいのお金持ちなら、むしろ厚意に甘えておく方が喜ばれるだろうし。


 モーニングセットを一人前追加注文をしてから、私も朝食を食べさせてもらうことにした。


 お値段は高いけど、とっても美味しかった。


 マーシャさん達はオッドさんが作ってくれればいいのに、とぼやいていたけれど。


 オッドさんの方は外食出来る時はそうしてくれた方がありがたい、という反応だった。


 もしかしてかなりの料理上手なのかな。


 だとしたら興味がある。


 一度ぐらいは食べてみたいかも。




 それからランファン・モーターズが開店するまで喫茶店でのんびりした。


 雑談をする内にいろいろと分かったことがある。


 マーシャさんは宇宙船の操縦者で、レヴィさんは戦闘機の操縦者。


 オッドさんは砲撃手で、シオンちゃんとシャンティくんは電脳魔術師《サイバーウィズ》という役割を負っているらしい。


 電脳魔術師《サイバーウィズ》についてはネットワークのエキスパートというぐらいしか分からないけれど、こんなに小さいのに一人前の仕事をこなしているのはかなり凄いと思う。


 オッドさんも元々は戦闘機操縦者だったらしいのだけれど、いろいろあって今は引退しているらしい。


 少しだけ興味もあるけれど、引退したのには他人が踏み込めない理由があるかもしれないと思うと、迂闊に質問することも出来なかった。


 恩人を不用意な言葉で傷つけたくない。


「よし。開店時間だな。行こうか」


 マーシャさんが立ち上がる。


 このグループのリーダーはマーシャさんなのだろう。


 彼女の行動にみんなが沿っているという感じだ。


 もっとも、沿ってはいても従っているという感じではないのが温かくていいと思うけど。




「おはよう。ゼストさん。グラディウスは調整出来てるかな?」


「おう。早いな」


 作業場で振り返ったゼストさんは、目に大きなクマを作っていた。


「うわっ!? ゼストさんどうしたのっ!? 凄い顔してるよっ!?」


「馬鹿野郎。お前のグラディウスの調整をしていたんじゃねえか」


「え? で、でもまだ二箇所ぐらいしか要求していないから、そんなに時間はかからなかったと思うんだけど……」


「箇所が少なくてもお前の要求はいちいちデリケートなんだよっ! 時間がかかるのは当たり前だっ!」


「うっ! ごめんなさい……」


 た、確かに他の操縦者ならしないような要求とか、微調整とかをお願いしてしまったけれど。


 まさかそんなに時間がかかるとは思わなかった。


 徹夜をさせてしまったのなら反省しなければならない。


「言っておくけど、他の整備士ならとっくに匙を投げてるからな」


「ごめん……」


 確かにロンタイさんのところにいる整備士は私の要求には応えてくれなかった。


 あちらの雇い主はロンタイさんであって私じゃない。


 更に言えばそんな無茶な整備が出来るかと怒られたぐらいだ。


 だからこそ私は不満の残る機体で飛び続けてきた訳だけど。


 でもゼストさんは気心が知れた相手だし、デビューの時にはお金のない私のことも真摯に面倒を見てくれた。


 だからこそ今まで言えなかった我が儘を言おうと決意出来たのだけれど。


 ちょっと調子に乗りすぎたのかもしれない。


「つ、次からはもっと我慢するから……」


 しょんぼりしてしまう私を見て、ゼストさんはギロリと睨み付けてくる。


「え……」


 なんで睨まれるのだろう。


「アホ。お前を最高の状態で飛ばせるのが今の俺の仕事なんだぞ」


「あ……」


「だから遠慮なんかしたら容赦無くぶん殴るからな」


「ご、ごめん……」


 そうだった。


 ゼストさんはそういう人だった。


 だからこそ、ロンタイさんとの契約が切れて、真っ先にここに来たのだ。


 私が一番信頼している整備士さんだから。


 全力で頼れる人だから。



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