「くそ……」
レヴィと別れたトリスは路地裏に入ってから一人呟く。
心底忌々しげな呟きだった。
まさかこんなところでレヴィに会うことになるとは思わなかった。
「まだだ、まだ、駄目だ……」
懐かしい、というだけではない。
弱さも、脆さも、許してくれるあの場所が、トリスにとってはこの上なく忌々しい。
今はまだ、弱い自分に戻る訳にはいかないのだ。
冷静で、冷徹で、残酷な、ファングル海賊団の長としての自分を保たなければならない。
「あと、少しなんだ。だから、邪魔しないでくれ……」
今すぐにレヴィと一緒にロッティへ帰りたい。
もう一度、楽しかったあの時間に戻りたい。
復讐から背を向けて、ただ、笑い合えていた頃に戻れたら、どんなに……
「違う。違う。違うっ! 俺はそこから背を向けたんだっ! マーシャとの時間も、クラウスさんとの時間も、全部捨てて、ここにいるんだっ! だから、今更戻れないっ!!」
頭を抱えて必死で首を振るトリス。
揺らぎそうになる心が忌々しい。
レヴィと再会しなければ、こんな気持ちにはならなかった。
再会出来たことは嬉しい。
噂では死んだと聞いていたので、本当に、生きていてくれたことが嬉しかったのだ。
それでも、今は会いたくなかった。
こんな気持ちにさせられるぐらいなら、会いたくなかったのだ。
「頭目?」
「っ!?」
いきなり後ろから声を掛けられて、身体を震わせるトリス。
しかしすぐに振り返った。
ここで待ち合わせをしていたことを思い出したのだ。
「……シデンか」
待ち合わせ相手はシデン・グリード。
ファングル海賊団の副頭目だった。
トリスの側近的役割を果たしている。
海賊団なので軍のような規律は無いが、雑務全般を取り仕切ってくれている。
ファングル海賊団はトリス以外は人間の構成員なので、基本的には信用していない。
しかし、仕事を任せるという意味では頼りにしている。
人間は憎いが、シデンのことは使える部下だと認めていた。
シデンはトリスよりも少し年上だが、シデン自身がトリスのことを頭目として立てているので、二人の関係は上手く行っている。
灰色の髪は荒くれ者らしくボサボサになっているが、マーシャと同じ銀の瞳はトリスに対する親しみがある。
「……どうかしたんですか? 頭目」
「どう、とは?」
「いや……その……」
いつもは冷徹で容赦が無い自分達の頭目が、今は泣きそうなぐらいに揺らいでいるのだ。
何かあったのか心配になるのは当然だろう。
トリスが自分達を信じていないことは分かっている。
復讐を目的としている者が他人を信じないのは珍しいことではない。
ファングル海賊団はエミリオン連合軍への恨みを持つ人間が集まった組織なので、トリスのような手合いはむしろ多い。
信用されていなくても、利用し合う関係としてならば、連携も成立する。
ファングル海賊団はそういう組織だった。
そしてシデンという男はそれらの調整を上手くこなしている有能な存在だ。
だからこそ、自分達をまとめるリーダーが揺らいでいるというのは放置出来ない問題だった。
圧倒的な力を見せつけて、カリスマ性を発揮する。
人格ではなく、実力で人を引っ張る。
トリスはそういう存在なのだ。
だからこそ、弱くて揺らいでいる姿は他の人間には見せられない。
人格的に信頼されている訳ではないトリスがそんなところを見せれば、組織はたちまち瓦解してしまいかねないからだ。
シデンはトリスの力ではなく、別の理由から彼に力を貸しているので、失望することはないが、部下の中にはこんな姿を見たら考えの変わる者も出てくるだろう。
それだけは避けなければならなかった。
「……そうだな。いつもと違うことは認める」
「頭目……」
「少し、懐かしい人に会った」
「懐かしい人、ですか」
「ああ。それだけだ」
「………………」
それだけだというには、あまりにも弱々しい。
トリスにとってそれだけ大きな存在だったのだろう。
今は少しずつ本来の冷徹さを取り戻そうとしている。
揺らいでいるアメジストの瞳は、一秒ごとに冷え切っていく。
トリス自身にとっては良くないことなのだろうが、ファングル海賊団にとっては望ましい。
しかし僅かな時間でこれほどまでにトリスを揺らがせる存在が近くにいるというのは、望ましくない状況だった。
「もう大丈夫だ」
「そうっすか。なら、いいんですけどね」
少なくとも、表面上は大丈夫に見える。
そして表面上だけでも大丈夫に見えるのなら、部下の前では最低限取り繕うことが出来るだろう。
「エミリオン連合軍の動きはどうなっている?」
「情報通り、俺たちを排除する為にこの宙域に集まっていますよ。ただし、戦力の差は明らかですからね。逃げ出す奴もいるかもしれません」
「それならそれでいい」
「意外ですね。粛正するとでも言い出すかと思ったんですが」
「それも考えたが、手間が惜しい。そんなことに時間を掛けるぐらいなら、限られた戦力で状況を切り抜ける方法を考えた方がマシだ」
「つーか、死にますよね?」
「………………」
「この戦力差だと俺たちも含めて死にますけど、いいんですか?」
「エミリオン連合軍に復讐する為ならば死んでも構わない。ファングル海賊団はそういう復讐鬼の集まりだと思っていたが?」
トリスが頭目を務めているが、元々はシデンが頭目を務めていたのがファングル海賊団だ。
しかしエミリオン連合軍の情報を求めて接触してきたトリスの実力を認めて、彼を頭目に押し上げた。
トリスも自由に出来る戦力が手に入るのは好都合だったので、お互いに利用するという条件で頭目になることを了承したのだ。
「そりゃそうですけどね。しかし絶望的な戦いで勝ち目が見えないとなると、逃げ出したくなる奴もいるでしょう」
「お前は?」
「俺はまあ、副頭目としては逃げられない立場っすからね」
「逃げてもいいぞ」
「逃げませんよ。そうやって落ちついているところを見ると、勝ち目はあるんでしょう? だったらあんたに賭けますよ」
「勝てるとは限らない。だが、ただ負けるつもりもない。俺にはどうしても成し遂げなければならない目的があるからな」
「セッテ・ラストリンドでしたっけ? エミリオン連合が秘密裏に抱え込んでいる科学者で、人体実験をやっているって噂ぐらいしか知りませんけど」
「大体その通りだな」
「頭目の狙いはそいつを殺すことですか?」
「もちろん殺す。だが、そいつの研究成果をこの世から消し去る。それが俺の目的だ」
「………………」
人体実験の研究成果。
それは切り刻まれた遺体も含まれる。
それを取り戻すのではなく、葬ると言ったトリスの意志は強烈な殺意で塗り潰されていた。
何があっても譲らない。
何があっても許さない。
どんなことになっても折れない。
脆さと強靱さが合わさったような、矛盾する意志。
しかしだからこそ、燃え尽きるまで止まらない。
「家族ですか?」
「………………」
少し踏み込んだ質問をすると、強烈な殺意を込めた視線を向けられた。
「分かりました。分かりましたよ。踏み込みませんから、殺しそうな眼で睨むのは止めて下さい」
「それ以上踏み込んだら殺す」
「了解っす」
それは本気の殺意だった。
誰にだって踏み込まれたくないことはあるだろう。
トリスにとってそれがセッテ・ラストリンドとそこに関わるものなのかもしれない。
両手を挙げて降参の意を示すシデン。
殺すと口にした以上、トリスは本気で殺すだろう。
以前、トリスの警告を無視した部下が本当に殺されたことがある。
それによって少なくない部下の反発を招いたが、その時はトリスに喧嘩を売った部下の自業自得でもあったので、シデンが取りなしたのだ。
それからトリスに喧嘩を仕掛ける者は居なくなった。
不満を抱く者も少なくはないが、それを実力で黙らせることが出来るのがトリスという存在だった。
人望はシデンよりも少ないが、圧倒的な実力で問答無用に部下を引っ張っていく力がある。
それはシデンには持ち得ないものだった。
だからこそトリスを頭目に据えているのだ。
「ひとまず今分かっているだけの情報と、こちらの戦力を示しますから、作戦の方は考えて下さいよ。少なくとも、こちらの勝ち目が残されている作戦に見えるようなものを頼みたいですね」
「分かった」
トリスは踵を返してから歩き始める。
ファングル海賊団がアジトにしている場所へと移動した。
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