翌日、俺はすぐに出かける準備を済ませた。
先日はシオンの買い物に付き合って、それだけで完了してしまったので、自分の用事を済ませられなかったのだ。
食材や調味料ももちろん見て回るつもりだが、それ以上に気になっているのはスカイエッジ・レースのことだった。
レヴィを誘おうとも考えたが、マーシャといちゃいちゃするのに忙しそうだったからやめておく。
何があったのかは知らないが、夜になるとレヴィの鼻息がかなり荒かったので、恐らくはマーシャが起き上がれないほどにいちゃいちゃしたのかもしれないと考えると、そんな二人に近付くのも躊躇われた。
二人の仲がいいのは歓迎なのだが、あまりにも生々しい場面には近付きたくない。
レヴィは気にしないかもしれないが、マーシャはあんなに物騒でも女の子なので、そういう時に近付かれるのは遠慮したいだろう。
テーブルの上に置いたままのスカイエッジのパンフレットを見る。
戦闘機が見栄え良く映っている表紙だった。
正確には戦闘機ではなく、レーシング・マシンという扱いになるらしいのだが、見た目的には完全に戦闘機だ。
しかし普通の戦闘機とは違う。
このスカイエッジはヴァレンツでしか生産出来ないことになっている。
浮遊エンジンに天翔石を利用しているからだ。
ジェット噴射で強引に空へと舞い上がる戦闘機とは違い、スカイエッジは僅かなエネルギーでふわりと浮き上がる。
天翔石の特性を利用した機体なのだ。
高速でも、低速でも、安定した浮力を得ることが出来る。
マーシャのシルバーブラストもフロートシステムという安定した浮力を得ているが、あれは天翔石ではなく、違うシステム理論に基づいたものなので、参考にはならないだろう。
というよりも、天翔石無しであそこまで大きな宇宙船に安定した浮力を与えているマーシャの技術力が恐ろしかったりもするのだが。
しかしエンジンに重量を取られていない分、スカイエッジの機体は戦闘機よりも随分と軽くなっている。
軽くなっている分、防御力は落ちるが、それでも加速はかなり上がる。
軽い機体で何をするかと言えば、浮島が散在する場所を飛び回るのだ。
特定のコースがある訳ではなく、浮島、つまり岩石を避けながらゴールを目指していく。
操縦者はスカイエッジを操る技倆だけではなく、即座に最適なルートを見つけ出す勘どころと一瞬の判断力が必要になる。
毎年それなりの事故も起きているし、犠牲者も出ているがそれでも人気が衰えないのは、この星の住人がそれだけスカイエッジというものの魅力に取り憑かれているからだろう。
戦闘機との共通点も多い所為か、俺はこのスカイエッジという機体に強い興味を持っていた。
自分が乗りたいとは思わないが、これが実際にレースをするところを見てみたいという気持ちにはなっている。
戦闘機とは完全に別物だが、浮島をすり抜ける技倆は戦闘機で小惑星帯を進んでいくものと似ているし、かつて自分が経験したものとよく似ているからこそ、少しだけ懐かしくなっているのかもしれない。
「まあ、他にすることもないし。見に行くぐらいはいいか」
今回はマーシャの買い物がメインであって、俺たちにはほとんど仕事が無い。
というよりも、全く無い。
強いて言うなら食事担当というぐらいだろうか。
最近では夕食も俺が作るようになってきたし。
給料泥棒になるつもりはないのでシェフ扱いされても不満はないのだが、本来は砲撃手としてついてきているので、仕事が少ないのも少しばかりストレスがたまる。
ワーカホリックのつもりはないのだが、仕事が無いのも落ち着かない。
レヴィは思う存分楽しんでいるようだが、どうやったらああなれるのかはよく分からない。
……なりたくはないという気持ちもあるが。
レヴィが幸せそうなのは大歓迎だが、俺自身がああいう感じでアホみたいな振る舞いをするのは無理だ。
「………………」
パンフレットをテーブルに置いて、俺は部屋を出て行く。
スカイエッジ・レースが開催されている賭博会場まで行けばそれなりに白熱したレースが見られるだろう。
浮島から地上に降りる送迎バスはホテルの出口にある。
いつでも利用出来るので、バスというよりはタクシーみたいな扱いだが、ホテルの料金を高額設定にしている為、これでも利益が出ているらしい。
それだけ恐ろしい金額を払っているマーシャには思うところもあるが、金というものはあるところには有り余っているのだろうと諦めることにした。
俺の懐が痛む訳ではないし。
むしろ増えている。
対して仕事をしていないのに、給料だけは軍時代よりも遙かに多いのだから。
そしてあまり使う機会が無いので、気がつけばかなりの貯蓄が出来ている。
何か使い道を考えたいところだが、今のところは何も思い浮かばない。
その内何かあるだろうと気楽に構えている。
「ん?」
バス停に向かっていると、シオンの姿が目に入った。
「シオン?」
「あ、オッドさん」
シオンは下のラウンジで優雅に紅茶を飲んでいた。
ああいう雰囲気はもっと大人になってからの方が似合うのだが、シオンがやっていると子供が背伸びをしている風に見えてしまう。
両手でミルクティーのカップを抱えているから、余計にそう見えるのかもしれない。
微笑ましいことは確かだが。
「おはようございます。早いですね~」
「シオンも早いな」
まだ朝の七時を過ぎたばかりだ。
スカイエッジ・レースの会場までは移動に時間がかかるので早めに出るつもりだったが、シオンがこの時間にラウンジで過ごしているというのは意外だった。
「ここからの景色がいいので、お茶を飲みながら楽しんでいたですよ」
「なるほど」
崖に近い位置にあるテラスは下の街がよく見えるようになっている。
確かに眺めは最高だった。
優雅にお茶を楽しみたくなる気持ちもなんとなく分かる。
「オッドさんはこれからお出かけですか?」
「ああ。少し出てくる」
「昨日はあたしの買い物にだけ付き合わせちゃったですからね。ごめんなさいです」
「別に構わない。時間には余裕があるからな。その分、今日は自分の用事を済ませに行く」
「じゃあ今度はあたしが付き合うですよ~」
「は?」
シオンは椅子から立ち上がって俺のそばに来た。
「心配しなくても今日は自分の買い物をしたりしないから、大丈夫ですです~」
「……いや。買い物は無くてもお守りがあったら苦労は変わらないというか」
「お守りされるほど子供じゃないですですっ!」
「………………」
それはどうだろう。
その反応からして明らかにお守りが必要な子供のような気がする。
というよりも、昨日も完全にお守りだったような気が……
いや、深く考えるのはよそう。
お守りといっても、それほど不満がある訳ではない。
手のかかる子供らしさはむしろ微笑ましいと感じさせる。
「出来れば今日は一人で行きたいんだが」
用事といっても娯楽の用事だ。
しかも向かう場所はスカイエッジ・レース会場。
つまり一種の賭博場だ。
スカイエッジ・レースそのものは子供にも人気があるので、立ち入り禁止という訳でもないのだが、子供を賭博に関わらせるのは気が進まない。
「え~。あたしも行きたいですです~」
「………………」
さて、どうしたものか。
昨日のお詫びに付き合うというよりは、自分も退屈しているからお守りをして欲しいという感じになっている。
連日でお守りをするのが苦痛という訳ではないのだが、スカイエッジ・レースは一人の方が楽しめるような気もする。
「悪いが遠慮してくれ」
「行くです」
「………………」
これは、拒絶しても無駄な雰囲気だった。
「すぐにお出かけの準備をしてくるので待っていて欲しいですです」
「……誰も連れて行くとは言っていないんだが」
「う~……」
「う……」
上目遣いで睨むのは、卑怯だ。
子供にそういう顔をされると弱い。
弱い自分自身にも問題があるような気がするが。
罪悪感でいたたまれなくなる。
「あたしが行くとそんなに邪魔ですか?」
「……そ、そういう訳ではないんだが」
「あたしが行くとそんなに嫌ですか?」
「……そういう訳でも、ない、んだが」
敗北の予感。
いや、確信か。
「じゃあ一緒に行くです~」
「………………」
降参するしかない。
邪魔だ、付いてくるな、嫌だ、などとは言えない。
こんな縋ってくるような態度の子供にそんなことを言えば完全に悪者だ。
というよりも、そこまで冷たくなれない自分に問題があるのかもしれないが。
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