「んぶぇえええっっくしょい!」
夏とはいえ、この場所は三十度越えしてるわけでもない。濡れ鼠の勇治が肩を抱く。
「さむううううい!」
「すみません、臭いに負けて後のことを考えていませんでした」
ヒポグリフやハーピィが消え始め魔素に還元されていく中、ラウールが何度も頭を下げる。
「いいんだ、汚れが落ちたのには感謝してる。そこだけはな」
「仕方がない、一旦宿に戻ろう。直接行けるだろ」
ラウールが頷いて通路を開ける。
俺達は宿に戻ると、とにかく風呂へ向かった。
「あ゛あ゛ああぁぁぁ……しみるうぅぅぅ」
湯船にどっぷり浸かっている勇治の声が風呂場の中に響く。
「あれ? なんだ、お前らも風呂かよ」
「当たり前だろ、一緒に帰ってきてんのになんでお前だけなんだよ」
俺は笑いながら勇治に言う。ラウールは先程はすみませんとまた謝った。
「もういいって。それより城の場所ってまだ変わってねえんだよな?」
「はい、通路を閉じる前にも確認しましたが変化なしでした」
「どの程度で場所が変わるのか、わかんねえもんな。すまん、次は予備装備もう少し増やすわ。そしたらもっと長時間向こうで動けると思うし」
「二十四時間だよ」
湯船の反対側から少年っぽい声。誰だ?
「あん?」
「出現から丸一日で移動。移動先はランダム。なんだけど、何となく僕の気持ちが反映されてるような気はするんだよね」
「そいつがわかれば……って、お前!」
「やあ」
魔王……何でここにいる。睨む俺の視線を無視してそいつはのんびりと言った。
「このお風呂気持ちいいねえ。うちの城にも作ろうかな」
「お二人共ここは堪えてください。私達以外にも人がいますから」
長い髪をタオルで留めたラウールの頭が湯の中を俺達の目の前に移動してくる。
魔王はニヤつきながら勇治を指差した。
「忠告しに来たのさ。次にいなくなるのはあなただよ」
「何で俺なんだよ」
「あなたさあ、ヒポグリフ相手に剣使って雷撃ぶっ放してたじゃない。あれ、やりすぎると剣が劣化するの知ってる?」
「は?」
「ひび割れでもしてるんじゃないかな。武器もないままどうやって戦うの?」
「ご忠告どうも。武器くらい用意するから黙って首洗って待ってろよ」
「なまじな剣じゃ魔法の力に耐えられないよ。当てはあるの?」
「うるせえよ。俺が手ぇ出す前にさっさと消えな!」
うわ、怖いとか言いながら魔王が消えていく。
何なんだ……しまった、毒気抜かれすぎてぶん殴るの忘れてた。
「あの野郎……前回といい今回といい、何しに来てんだ」
「意図はわかりませんが、移動に関して情報を漏らしたのは幸いです」
「二十四時間で移動ってやつか。信用できるかどうかはわからんが」
「それもだけど。なあ、雷撃って剣劣化すんのか」
「私も知りませんでした」
「とにかくちゃんと見ておこう。あれの言ってることが本当ならまずいだろ」
部屋に戻ると留守番の子が温まりましたかと笑って迎えてくれた。
「ばっちりだよ。キミがあっためてくれればもっと……痛ってえ!」
「それどころじゃないだろ」
今は口説いてる場合じゃないだろ。彼女の肩を抱こうとする勇治の耳をひっぱる。
大人の余裕ってやつがとか何とか文句言いながらも、鞘から抜いた剣を見て勇治は顔を顰めた。
「うへぇ、これあかんやつだわ。うっすら細かい亀裂が入ってるし、ちょっと曲がってねえか? どうりで最後の方は斬れ味悪かったわ」
本当だったのか。じゃあ、城の出現時間も考慮の余地はあるかもしれない? ああ、それよりもこの剣じゃ戦闘は無理だ。どうにか……
「お前仮にも勇者だろ? 伝説級の剣とか持ってないのかよ?」
「あー、諸事情がありまして、今それ魔人が持ってんだよ。取り返すわけにもいかねえからなあ。どうすっかな」
「村の武器庫から選んでいただいてもいいんですが、これ以上のものがあるかどうか」
「とりあえずそれで凌ぐしかねえな。俺もちょっとツテを当たってみるわ」
「わかりました。トゥロさんに連絡して用意してもらいます」
ラウールが連絡をとる間、勇治もスマホを操作していたが、なかなかいい返事は返ってこないらしい。
「どうだ? ありそうか」
「んー、あんまよくねえな。「ただ今使用中につき」とか「こちらも探し中」とか「手に入ったら売ってくれ」とか。まあ、そりゃそうだな。一件だけ可能性のありそうなやつがあるんだけどさ」
勇治が言った途端スマホが希望の鐘を鳴らした。画面に光る「着信:伊達藤次郎」の表示。勇治がスピーカーをONにする。
「儂だ」
「ええっと、政宗……様っすか」
「うむ。お主、刀剣を探しておるのだろう」
「あー、展示してあるやつ盗んでくるとかはダメっすよ?」
勇治が冗談交じりに言った瞬間、怒声が響いた。
「ど阿呆!!」
……耳が、ってかスマホ壊れなかったかな……政宗は咳払いをひとつして続けた。
「お主、影打ちというものを知っておるか」
「なんすか? それ」
「刀というのはだな、特に献上刀の類はそうなのだが……刀を打つ時には数本打って最もよいものを依頼主に渡すものなのだ。儂の刀鍛冶もそうしておった」
「てことは?」
「儂の太刀にも影打ちはある。所在も知っておる」
「どこですっ!?」
「弘前まで来れぬか」
聞いた瞬間、勇治が遠い目でブツブツ言い始めた。
「え? えええ……弘前かあ……そうだよな、どう考えても海の向こうだよな、てことはまた船? で、今度は俺一人……生きて……帰れるだろうか……」
「どうした、来ぬのか」
政宗の苛立ちを含んだ声が届く。
「ああ、いや……行きま……行きたい、です。はい」
「なんだ、何を弱気になっておるのだ」
勇治のどんよりした様子が気になったらしくラウールが心配そうな顔を向けた。虚ろな顔は、武器あったんだけど場所が弘前でと言う。
「ああ、それなら大丈夫ですよ。私、一度行ったことがある場所は座標がわかるので通路を繋げやすいと言いましたよね」
「あ……そうだ、そうだった! じゃあ、すぐ行けんじゃねえか。政宗様! 今、会いに行きます! すぐ行きます!」
「お、おう。では城前の公園で待ち合わせるとしよう」
さっきとは打って変わった晴々とした表情で通話を切る勇治に数枚の紙が差し出された。
魔法陣と呪文の書かれたその紙はスクロールというのだそうだ。魔法使い達はいつの間にか便利なものを開発したらしい。
「弘前城前ではありませんが近い場所に通路を開けられます。帰りはここの座標を魔法陣に組み込んでいますから、こちらのスクロールですね、これをお使い下さい。残りは隠蔽の魔法陣です。魔力を通せば使えますから」
「わかった」
それから勇治は政宗と会うための準備を始め、俺とラウールは討伐のための装備を固めた。
その間にもラウールは索敵のために通路を開け魔法陣を展開していたんだが……
「なあ、魔力使いすぎじゃねえのか」
勇治がボソッと言った。
「このくらいでしたら一晩で回復しますから大丈夫ですよ」
「そうか。それならいいんだが。じゃ、俺そろそろ出発するわ」
「はい、政宗様にも藤次郎様にもよろしくお伝え下さい 」
「ああ、わかってる」
鼻歌の聞こえてきそうな勇治を見ながら俺はどうにも面白くない。それは勇治にも丸わかりだったようで、何ムッとした顔してんだと聞かれた。不貞腐れたくもなるってもんだろ。
「結局、あの魔王の言った通りになるじゃないか」
子どもかよと返された。でもなぁ、なんかムカつくじゃないか。
「これは元勇者としての意見だが……魔王討伐ってのはな、一つ一つクリアしていかねえと後で余計めんどくせえことになる。ついでに魔王の言うことが予言みたいに聞こえるのは今だけだ」
気休めで言ってくれてるにせよ、俺は元勇者の言葉を聞いてそんなものなのかと思い直した。
「だからお前は間違ってねえし、そのまま進んでいいんだ。俺はすぐ帰ってくるから小物は倒しとけよ。あ、待て。大物は倒しとけ」
「わかった。大物を残しとくよ」
苦笑いする俺の肩を叩いて勇治はエンジンをかける。そして通路へ向けてバイクを走らせた。
その後のことはあまりよく覚えてない。頭に薄ぼんやりした紗がかかったみたいで。
次に俺が覚えてるのは刀を構えて敵に相対していたことだった。
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