風の歌は雲の彼方に

片腕を失った兵士と少女が紡ぐ物語
yaasan y
yaasan

別離と温かな感触と

公開日時: 2021年10月27日(水) 10:40
更新日時: 2023年9月13日(水) 11:46
文字数:1,996

 城壁の壁際までボルドを肩に抱えて連れて来たジェロムは、壁にボルドの背中をつけてゆっくりとボルドを地面に下ろす。気を完全に失っている様子のボルドは、その間も呻き声をひとつとして漏らすことがなかった。

 

「少尉、少尉!」

 

 ルーシャがそう呼びかけながらボルドの傍で片膝を着いた。

 

「ごめんなさい、私のせいで……」

 

 そう詫びるルーシャの声もボルドには届いていないようだった。ボルドの瞳はそれまでと変わらずに固く閉じられている。

 

「ルーシャ、少尉の傷をこいつで固く巻いてくれ」

 

 ジェロムがそう言ってルーシャに包帯を差し出した。

 

 そうだ、傷が……。

 そう思いルーシャはボルドの脇腹に瞳を向けた。

 

 ボルドの左脇腹は赤黒く染まっていて、そこからは今も流れる鮮血がボルドの座る地面をも赤黒く不吉に染め上げていた。

 

「早くしろ!」

 

 赤黒く染まっている地面を唖然としながら凝視していたルーシャだったが、そうジェロムに怒鳴られて慌てて差出された包帯をボルドに巻き始める。

 だが、三重、四重と包帯を巻いても、瞬く間に白い包帯が赤く染まっていく。

 

「軍曹、血が、血が止まりません!」

 

 悲鳴に近い声を出すルーシャに代わってジェロムは包帯を握ると、それを強く結び直した。

 

「私のせいで……」

 

 そう呟くルーシャにジェロムが濃い茶色の瞳を向けた。

 

「気にするな。少尉は既に負傷していた。あの爆発でその傷が大きくなっただけだ。それに、これは戦争だ。誰が悪いわけでもない」

「でも……」

 

 尚も何かを言おうとするルーシャをジェロムは押しとどめた。そして副官のタダイに顔を向ける。

 

「タダイ准尉、血を止めないと流石に……」

「……俺たちの隊長だ。本人がいくら死にたがっているとしても、こんな形で死なすことはできやしないな。それに、皆で死ぬ必要なんてどこにもありはしない。ダネル、ハンナを呼んできてくれ。ハンナの回復魔法であれば血を止められるだろう。そうすれば、まだ助かるはずだ。まったく、最後の最後で迷惑をかけてくれる隊長だ」

「……分かりました」

 

 タダイの言葉にダネルは少しだけ何かを言いかけたが、無言で頷くと踵を返して城外に向かって走り去って行った。タダイはそれを見送った後、再びルーシャとジェロムに顔を向ける。

 

「ジェロム、そしてルーシャ、俺たちは行くぞ。あの三連装砲を爆破して、俺たちがこの戦いを終わらせる」

「でも、でも……」

 

 そう言い淀むルーシャにタダイは首を左右に振った。

 

「少尉は大丈夫だ。もうすぐハンナも来る。ボルド少尉はこんなことで死にはしない」

「はい……」

「片腕もないのにずっと俺たちと戦ってきたんだ。もう十分だと俺は思う。少しだけ休ませてやろう」

「はい……」

 

 ルーシャはもう一度頷くと、地面に膝をつけて固く目を閉じているボルドの首に両腕を回した。そして、ボルドの頬に自分の頬を重ねる。重ねられた頬からボルドの温もりが伝わってくる。その温もりに触れたら不思議と少しだけ安堵する自分が不思議だった。

 

 ボルドとの最後の別れがこのような形になるとは思っていなかったとルーシャは思う。

 

「少尉、今までありがとうございました。志願兵の皆も最後の時までちゃんと守ってくれて、本当にありがとうございました。最後は私だけになっちゃいましたね。私……これから行って来ますね」

 

 タダイはその光景からそっと顔を逸らすと、声を張り上げた。

 

「俺が血路を切り開く。三連装砲の塔まで一直線に進むぞ!」

 

 ルーシャとジェロムが頷く。タダイは更に言葉を続けた。

 

「竜人種の能力を見せてやる。ジェロムは何があってもルーシャを守れ。塔に突入後はルーシャ、お前に任せる。こいつが第四特別遊撃小隊、最後の突撃だ」

 

 

 

 

 首筋と頬に温かな感触があるとボルドは思った。不思議と心が安らぐ温かさだった。

 それにこの匂い……何だろうか? 懐かしい匂いだとボルドは思う。

 どこで嗅いだ匂いだったろうか。遠い、遠い、昔だったような気がする。

 

 もう起きなくてはいけない。目を覚さなくてはいけない。唐突にボルドの中でそんな思いが浮かび上がってきた。

 

 でも、もう疲れたんだとも思う。自分はもう少しだけこの温もりと匂いに包まれていたいのだから……。

 

 だが、起きなくてはいけない、目を覚さなければいけないという思いの方が、ボルドの中で僅かに勝ってしまったようだった。

 

 ボルドはゆっくりと黒色の瞳を開いた。徐々に自分が置かれている状況がはっきりとしてくる。周囲は喧騒で満ちていた。爆発音、叫び声、悲鳴。それらが入り混じっているようだった。

 

 自分がどこにいるのか、何をしていたのかが分からない。ボルドはゆっくりと周囲を見渡した。

 

 ……ここは紛れもなく戦場だった。ある意味、自分が慣れ親しんだ場所だと言ってもよかった。

 

 そう思った瞬間、ボルドは直前までの全てを思い出した。

 そうだった。爆発の際、志願兵のルーシャを庇って、それで……。

 ボルドは自分が今まで意識を失っていたことを悟った。

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