俺の幼なじみである涼夏鈴は、彼女の顔の大きさほどあるジョッキに並々と入ったクラフトビールをぐびぐびと豪快に飲み干し、完全に出来上がっていた。
まるでおっさんのような呑みっぷりの後『ヒック···』と小さなしゃっくりまで出始め、完全に目が据わっている。
彼女が飲み干した酒が何杯目になるかなんて考えたくもない。
彼女の愚痴を聞き始め三時間程経った頃から、俺は時計を見るのをやめた。普段は酒癖も問題無く、顔色一つ変えず店の酒を飲み干す程の酒豪が、今日は何時にもなく荒れている。
「酒!しゃけもっと持ってこーい!」
「おい鈴、やめとけって」
呂律が回らない彼女を見るのは初めての事で、いつもは彼女の言動に兎や角言わないが、流石に心配した俺は止めるしか無かった。
彼女はお望みの酒が来ないと分かった途端暴れ始め、カウンター席の背面に設置された棚の中からお高そうなウイスキー(恐らくその酒一本で車が買えそうな値段)を手に取ろうとしたので、俺の全身全霊をもって全力で止めた。そりゃもう全力で。
どうにか彼女を諌める事に成功し、席に座らせる。
「だって···推しが···あたしの推しが結婚なんて···!なんでよスバルぅうう!···」
「あぁ、機嫌が悪いのはそのせい···ブフッ」
彼女が取り乱している理由がやっと分かったかと思えば、これを読めとばかりに皺くちゃになった雑誌の切り抜きを俺の顔面に突きつけられた。勢い良すぎて鼻の頭が地味に痛い。
八は鼻の頭を指先で擦りながら切り抜きに目を通し始めた。
記事の見出しには【人気グループ-noisy-ボーカルSUBARUついに噂の一般女性と電撃結婚!】とデカデカと太文字で書かれている。
「私だって【一般女性】なのに···!」
「あのなぁ···よく雑誌に出てくる【一般女性】なんて、なんちゃら区系女子ってやつだろ?···お前と」
『お前と一緒な訳が無い』
そう言いかけ、慌てて口を噤んだ。
多分これ言ったらジョッキで頭殴られる。まじで。
鈴は何かを叫びながらわんわんと声を上げ泣き始めたが、次の瞬間にはスマホ画面(恐らくスバル画像)を見つめ頬を染めながらうっとりとしていた。もう情緒不安定さが尋常じゃない。
隠すまでなく、彼女はガチ恋勢だ。
何時ぞや鈴から見せられたスバルの写真は、いけ好かないインテリ眼鏡の姿が写っていた。
暫く雑誌の切り抜きを読んでいると、後方から肩をぽんぽんと叩かれた。
振り返った先には、大柄でボディビルダー顔負けの鍛え抜かれた筋肉を持った黒のサングラスをかけたスキンヘッドの男性が一人佇み、青筋を立て取って付けたような笑顔で俺たちを見つめている。
ちなみに目は笑っていない。
「あのぅ···お客様。もう大幅にお時間過ぎておりまして···」
「あ、はい。今すぐカエリマス!」
やだ、何この店員怖いワ。思わず片言になっちまった。
「お会計がお時間延長料も含めまして、52万6400円になります」
「ごじゅ!?···ほら、鈴!金払えってよ」
「んー···?今日は八の奢りでしょ〜?あたしお金にゃい!むにゃ···寝りゅ···」
「はあ!?」
ちなみに俺は奢ると一言も言っていない。
そして一滴も呑んでいない。
とろりとした目でへらへらと笑い、無責任に爆弾発言を投下した彼女は、そのまま意識を失ったかのようにカウンターに突っ伏しピクリとも動かなくなった。
頭ぶつけた時凄い音したけど···え?死んだ?そう思った途端ぐぅぐぅと彼女の寝息が聞こえ胸を撫で下ろす。
いや違う。寝てる場合じゃない。待ってくれ。
俺、金無いんだって。
* * *
時刻は朝9時。
俺たちは鈴が一晩で呑み明かした酒代(延長料とやらも含む)52万6400円から、俺の無けなしの手持ち2万円を差し引いた50万6400円が支払えず、バーの奥にある事務所の様な部屋に連れ込まれ刺青の入った怖いお兄さん達に囲まれて、地べたに這いつくばっている。所謂、土下座である。
因みに横に転がっているこのぽんこつ幼なじみは、財布すら所持していなかった。人の苦労も知らず、すやすやと眠ったまま起きる気配がなく、今も幸せそうに地べたで眠っている。
重厚感のある高級そうな事務所の扉が徐に開き、女性が入ってきた。
彼女の豊満な谷間を隠すことなく、むしろ胸元が大胆に開いたセクシーな赤のスーツはかなりお高そうだ。彼女の胸元を彩り光る煌びやかなゴールドのネックレスは、少なくとも俺達が今支払えてない額以上の値段だろう。
「ローズさん、お疲れ様です!」
イカつい店員達は、まるで異国の軍隊かのようにその人に向かって一斉に90度の角度で頭を下げ、即座にその人が通れる道を作った。
周りの反応を見た限りこの人がボスで間違いないだろう。
女性は部下の間を優雅に通り抜け、地べたを這っている俺達の前にしゃがんだ。
彼女と共にふわりと甘い香水の匂いがする。
···うん。そして良い乳だ。
「ふぅん?お金無いのに、呑んじゃったノ?」
「ハイ、スミマセン」
『悪い子ネ···』と呟いて葉巻を口に運ぶや否や、俺の顔に吹きかける。
あの···煙が俺の顔にバッチリかかってます、お姉さん。あれ?声よく聞くとお兄さん?
「でもアタシ、悪い子は嫌いじゃないノ。今日からウチの社員になりなさイ」
「···え?」
社員というワードに耳を疑った。
目前のお姉兄さん(結局どっちか分からなかった)は長いストレートの髪をくるくると指先で弄び、妖艶に微笑んだ後、立ち上がった。
「ワールドエンド社へようこそ!アットホームな会社ヨ!皆フレンドリーでそこが我社のいい所なノ。安心してネ」
あまりにも自然に手を伸べられたので、つい条件反射で握ってしまった。先に断っておくが、決して握りたかった訳じゃない。ちょっと可愛いなと思っただけだ。
その人の手を握ってしまったが故か、部下達が一斉に俺に向けて何か構えた。ゲームで聞いたことある拳銃のセイフティを外す音のようなものが聞こえた気がしたんですけど。
アットホームでフレンドリーなんて、絶対嘘だろ。
今にも殺されそうなんだが。
「あの、ちなみに···拒否権って···」
「海に沈んで魚の餌になるか、働くかになっちゃうケドどっちがいいかしラ?」
「精一杯働かせて頂きます!ありがとうございます!幸せです!」
こうして俺は、ワールドエンドに入社した。
そこが異世界派遣の会社だとも知らずに。
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