呼吸が整い、削られた体力も戻ってきた彼は酒槇家の玄関前まで到着する。
しかし、彼の表情に余裕は無かった。
他でもない、彼が『斑禍』の筆頭格であろう渦廻9姉妹の一人に目を付けられたからだ。
「はあ…ッ」
乱れつつある思考を整理させるように、彼は深く息を吐く。
今日はあっさり引き下がったが、これから先、秋夜と関わりを持つようになる混沌派の勢力は増えていくと言っても過言では無い。
彼一人が奮闘したところで、アリスや血撫が手を出されずに済む確証など何処にも無く、彼には焦燥が募るばかり。
「…どうすれば」
それに、『斑禍』が彼女達9人だけとは限らない。
例えば渦廻9姉妹と親密な関係にある構成員が中に居たとして、その者が秋夜の存在を知った場合に、嫉妬や怒気を抱かずにいられるだろうか。
どう転んでも、面倒な事になる。なってしまう。
「……正直に話すべきか」
何も知らないまま、アリスや血撫が害されてしまうという最悪の事態は避けるべきである。
玄関の引き戸を開け、彼は重苦しくも強い眼差しを宿したまま帰宅する。
それから日が落ちて。
夕焼けの赤い空が少しずつ夜闇に染まっていく頃。
学生服からレディススーツに着替えていたアリスもまた仕事を終えて、帰ってきたのだった。
「姉さん、お帰りなさい」
腹を括った秋夜は自然体を装いながらアリスを出迎える。
そんな義理の弟の様子を見て、アリスは意外そうに目を見開いた。
「珍しい。秋夜が出迎えるなんて」
「あ、アリス姉さん…」
しかし、自然体を取り繕ったところで、いざ話そうとすると勇気が要る。
たどたどしく言葉を紡ぐ彼の姿を見て、アリスは訝しげにしていた。
「なに?」
「…実は……」
秋夜はアリスへと、今自身の置かれている状況について、打ち明ける。
帰宅時間が変動しやすい仕事をしている立場でありながらも、義理の姉は真剣に聞いてくれていた。
そんな彼女の態度に安心感を覚えたからか、秋夜は彼自身が意外と感じる程にすんなりと話し切る事が出来た。
「なるほどね……」
秋夜からの情報提供を受けて、アリスは顎に手を当てて、考える素振りをする。
5秒ほど経った後、考えがまとまったのか再び彼女は秋夜へと目線を合わせた。
「確かに用心するのに越したことは無い。ありがと」
秋夜は義理の姉の頼もしい姿を見て内心安堵するが、すぐさま聞こえてきた彼女の「それよりも」という一言で再び緊張感を露わにする。
そんな弟の姿を目の当たりにして、少しだけ不安があるらしく、彼女は一応の確認という名目で彼に問うた。
「秋夜自身は平気? そんな連中に目を付けられて」
「大丈夫…じゃ無い、ですかね」
こんな頼りない姿を見せて良いものか、と少しばかり葛藤するが、秋夜は本心を打ち明けるべきだ、と震える口で言葉を紡ぎ出す。
「怖いんですよ…何が起きるか分かったものじゃ無いですから……」
彼の不安は至極尤もである。
混沌派はその名の通りこの世界に混沌を齎すべく、己の欲望のままに暴れまわっている。
例えそれが軽重を問わず、犯罪行為であったとしても。
不可抗力とはいえ、そんな勢力の一端と関わる事になってしまったのを彼は自責していた。
そんな彼に何かを言う事も無く、アリスは迷わず、彼を抱き締めた。
「わっ、姉さん…?」
「貴方の心配はよく分かった。この家の事は私と血撫お姉ちゃんに任せて、秋夜は秋夜自身の事を優先して」
暖かい手が、秋夜の小さな背中を擦る。
秋夜はともかく、アリスもまだ高校生活真っ盛りの未成年である。
しかし、しっかり者の姉はそうと思わせない程に頼もしく、暖かった。
「私、お腹空いた。もうご飯は準備出来てる?」
「えっと…出来てます。今日のおかずは豆腐ハンバーグとお野菜になります」
「それは美味しそう」
何時もはあまり感情を表に出さないアリスも、今日は微笑みを見せ、秋夜の案内と共に自宅へと上がる。
今日の夕方の食卓は、賑やかなものとなった。
次の日の朝。
公園の時計が短針を「10」の表記に合わせている頃に、彼は渦廻9姉妹の一人と出会う事になった公園に来ていた。
何故なのか、というと2時間ほど前に何者かの手によって大量の手紙が振りまかれるという事件が起きたのである。
それも、この公園より3km圏内、ほぼ全域に。
手紙一つ一つに秋夜を名指しで指定時刻に公園へと呼びつける旨の文章が記載されており、たちまち報道陣の耳にも入る事になる。
そして、そのニュースが酒槇家の食卓にも必然的に流れる事にし、名指しされた張本人も見てしまう事になる。
あまりにも馬鹿げた、それでいて羞恥心をかき乱させる行為を止めさせる条件に従い、彼はこうして一人でやって来る事になった。
耳周りを赤くさせながら。
「…居るんだろ、出て来い」
指定時刻より少し早い程度だが、あれだけの事をするのだから待ち構えていても不思議では無い、と考えた秋夜は自分以外誰も居ない筈の公園で呼びかける。
すると、彼の読み通り、擬態を解くようにゴスロリ衣装の少女が姿を現した。
やはりと言うべきか、彼女の表情は上機嫌である。
「分かっちゃうんだねー、秋夜君。君のそれは天性のものなのかな?」
「どうだっていいだろ。…それより、何で俺の名を」
「言ったじゃん見てた、って。君の名前は把握済みでーす」
「警察に連れて行かれるのも見てたのか」
「もちろん」
何処までを把握しているのかが分からない以上、迂闊な事は言えない。
秋夜は少女の軽い雰囲気に乗せられる事無く、警戒を強めた。
「そんな事より、今日は約束通り、妹達を連れてきたよ」
彼女の指を弾く音と共に、3人の人影が姿を表す。
一人は、左右で黒と白に分かれた、特徴的なツインテールの紫の吊り目の少女。
一人は、先端になるに連れて黒に近い色合いとなる緑のロングヘアを持つ、深緑色のタレ目の少女。
一人は、黒より青に近しい色合いを持つショートヘアと目を持つ、活発そうな少女。
その全員が、おとぎ話の登場人物のような洋服を着ている。
暗色の肌である事を除けば人間と遜色無い姿形と服装だが、いずれも混沌派の混沌の種である事に変わりない。
「紹介するよ。左から、支愛瑠ちゃんに、操ちゃんに、滅射ちゃん! そして私は響だよ、覚えておいてね!」
響と名乗った少女の紹介により、彼女の妹たちは三者三様の反応を見せる。
「えへへ、支愛瑠ですー。よろしくお願いしますねー」
愛嬌のある笑顔を浮かべるのは、黒白ツインテールの少女、支愛瑠。
「響お姉ちゃん、しゃ、喋りすぎだよ…」
手に持つ熊のぬいぐるみに鼻から下を隠し、おどおどとするのは緑のロングヘアの少女、操。
「お前がしゅうやだな! どんなかっこいい異能力をもってるんだ!?」
舌っ足らずながらも好戦的な様子で、目を輝かせるのは青に似た黒のショートヘアの少女、滅射。
彼女達は、冷や汗を浮かべながらも身構える秋夜と大差が無いほどに若かった。
一体、何をしてくるのか。秋夜は響の前に並び立つ三人と、響自身を警戒する。
「それじゃあ、皆。この秋夜君が遊び相手になってくれるから、いっぱい遊んでね~」
響がそう言って、持ち前の翼で公園から遠ざかる。
すると、滅射が一歩前に出た。
「ようし、一番手はあたしだ! いっくぞ~!」
滅射はそう言うや否や、秋夜へと走って殴りかかる。
前から、ただ突進してくるだけ、と非常に分かりやすいが為に、秋夜は身を捻って容易に回避してみせた。
「やるなー! じゃあ、これならどうだ!」
躱された事で秋夜の背後に立った滅射は、腕を振った勢いで振り向く。すると、秋夜の足元から、巨大な鉄の筒が生え出てくる。
それが動き出すよりも先に、何をしようとしたのかを理解した秋夜は足から火炎を放ち、噴射の勢いで立っていた場所から離れた。
そして―――
「どかーん!!」
―――彼女の合図と共に鉄筒より赫灼が撃ち放たれる。その正体、赤熱した砲弾は瞬く間に朝空の向こう側へと飛んでいった。
そう、砲弾である。
生えてきた鉄の筒は、大砲だったのだ。
(何て威力だ…!)
一歩、回避するのが遅れていたらと思った瞬間、彼に寒気が走った。
幼く、それでいて姉達と同じく混沌派の所属である為に、こうも簡単に強大な力を使えてしまうのだろう。
使用した本人に恐れなどなく、自身の能力が発動できた事を純粋に喜んで見せている。
滅射を警戒しながら、彼女から離れた場所に着地しようとする秋夜。
しかし、固い地面の上に降り立つ事は許されなかった。
混沌の種、つまり異能力者は他にも居る。
「…!」
ずぶぶっ、という音と共に秋夜の体はカラメル色になった地面の中へ沈み込んでいく。
地面と言うには、あまりにも柔らかすぎる。
別のものに置き換わっているのだ。
「特製プリン、いかがですかー?」
そんな呑気な声を沈む秋夜へと掛けるのは、支愛瑠である。
どうやら、彼女が地面の一部をプリンに置き換えてしまったらしい。
距離を取った筈が、何時の間にか滅射も秋夜に追いついており、2つ出現させた砲塔を彼へと向けている。
「遊びだからといって油断しないでね。これは異能力者同士の戦いでもあるんだから」
遠くから様子を見ている響が、そう呟く。
渦廻の少女達が持つ、全く異質な異能力の数々。
秋夜は胸から上がプリンの中へ沈んでいる状態で、考える。
この状況の打開策を。
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