「ほんと、よく事件に巻き込まれるね…」
すっかり日が暮れた後、酒槇家に帰ってきて早々、秋夜が顔を合わせたのはアリスだった。
今回は被害者であり、後遺症が無いか検査を受けてからの事情聴取となったが、特に体に異常は無く、事情聴取も簡単なものであっさり解放された。
この前も事件に首を突っ込んだばかりに彼女達に心配をかけさせたが、彼女の青い瞳には非難の色は一切無い。
しかし、謝意を見せないのは如何なものかと思い、彼は頭を下げる。
「す、すみません…」
「謝んないで。秋夜のせいじゃ無いのは分かってるから」
彼女は顔を上げた秋夜へと近づくと、額に手を当てて髪をかきあげた。
「頭から血が出てたんでしょ? …傷はもう塞がってるのね」
「はい。その時はとにかく治さなきゃって思って、それで…」
「手放しに喜んでいいのかは分からないけど、大事にならなくて良かった」
額から手を離すと、今度はその手で頭を軽く叩く。
「出来るだけ無理をしないで。もし、秋夜に何かあったら、私も、お姉ちゃんも悲しくなるから」
「……はい。今度こそ、気をつけます」
「…秋夜の作るご飯、何時も楽しみにしてるんだから」
それを聞いて、普段からどれ程大切に思われているのかを改めて実感する。
そして、アリスは秋夜の肩を軽く叩くと、居間へと案内するように廊下を進んでいく。
「さ、今日は私に任せて、秋夜は休んでて」
「アリス姉さん、ありがとうございます」
その後、晩飯時になってアリスが出したのは、大きめの具材をふんだんに盛り込んだ和風カレー丼。
程良い辛さと具材の柔らかさが絡みあうそれは、愛情と共に体に染み渡るほどの美味であった。
翌日。
少し様子を見てから、問題無しと見て秋夜は外出する。
食材はアリスがある程度買い溜めしてくれた為、スーパーに行く必要は無く、外出しなければならない理由も無い。
だが、彼には彼なりにやっておきたい事がある。
それは、滅射達との思い出作りの為の場所探しである。
以前訪れた洋菓子店の件ではっきりと分かってしまった事がある。
秋夜自身、外に対する興味がかなり薄いという事。
このままでは秋夜自身はおろか滅射達に恥をかかせるのが目に見えている。
しかし、焦りも禁物だと思い、平常心を保ちつつまずは近場の探索を始めるのだった。
聞き覚えのある、舌っ足らずな声が聞こえてくるまでは。
「しゅうやー!」
振り向くと、滅射が満面の笑みを浮かべて秋夜へと近づいて来た。
その後ろには、操と支愛瑠の姿も見える。
「またお前らか。今日はどうしたんだっ…」
彼女達に同行する、両手に大量の紙袋を持つ青い蜥蜴の青年を目にして、秋夜は動揺する。
荷物の量からして、三人分を一身に抱えていると言っても過言では無いだろう。
そもそも、彼女達に同行しているが渦廻9姉妹や『斑禍』との接点がいまいち分からない。
「な、なあ。その人は誰なんだ…?」
恐る恐る問うと、彼女達は少し考える。
「にもつ持ち!」
「親衛隊の一人にして荷物持ちですね」
「し、親衛隊の人。来てもらったの…」
それから、三人は口々に青年が何者かを軽く説明した。
親衛隊という事は、昨日出会い戦う事となった山之助と同じような立場でもあるという事。
また戦う事になるのでは無いのか、と秋夜は身構えるが―――
「君が秋夜くんだね! 昨日は山之助の奴が迷惑かけてごめんよ! 僕は戦うつもりは無いからどうか安心して欲しい!」
―――青蜥蜴の青年から出てきたのは、昨日の件についての謝罪と、彼自身の意思表明だった。
尤も、すぐさま戦闘態勢になれるとは思えない程に彼の両手は塞がってしまっているが。
「は、はあ…。それで、山之助…さんは今どちらに」
「彼は今、謹慎中です」
当の山之助が見当たらない事を問うと、支愛瑠より返答が返ってくる。
それに、滅射が続いた。
「きのう、しゅうやをいじめてたから、ひびきお姉ちゃんがおこったんだ! 一週間のきんしんと、はんせいぶんのていしゅつをするように、って!」
「いや、俺はいじめられては無かったが…」
元々は響が誘い、その上で滅射と仲良くなり、支愛瑠と操とも友人関係になった。
部下に勝手に手を出されたなら、それ相応の叱責をするのは当然である。
何日も連続して殴打されるような事態になれば心身共に疲弊しただろうと思う秋夜は、一週間はあの大男と会わないで済む事に深く安堵した。
「それで、今日はこの人が付き添いをする事になったのか」
「そうなんだよ。一昨日から明日までは山之助の番だったんだけど、謹慎になってしまったからね。次の担当になる僕が前倒しで妹さん達と同行する事になったんだ」
「ん? …ちょっと待って欲しい。俺は一昨日は山之助…さんと出会っては無いぞ?」
洋菓子店に一緒に行った日から山之助と支愛瑠達が同行していたというのは今が初耳である。
「なんかね、さんのすけがね、あぶない気配をかんじるっていって、とびだしていったんだ!」
「私も…それらしき気配を感じたの…こ、怖かった……」
「す、すまないな。嫌な事思い出させてしまって…」
今にも泣きそうになる操を宥めつつ、秋夜は情報を整理する。
山之助と一昨日出会わなかったのは、危険な気配の正体を確かめるべく別行動をとっていたから。
昨日、山之助が単独行動をとっていたのには必ず理由がある筈だ。
そして、危険な気配について、秋夜は心当たりがあった。
「ひょっとして、危ない気配っていうのは、強烈な殺気の事か?」
「確かに、それに近かったですね〜」
「俺も、支愛瑠達との別れた後に感じ取ったんだ」
「そ、そうだった、の…?」
秋夜は、操に首肯する。
支愛瑠達と、秋夜達が感じた気配。
恐らくは、彼らだけに向けられたものである。
山之助が向けていた可能性は無くなり、少なくとも支愛瑠達も知らない何者かによるものとなる。
皆目見当がつかず、秋夜の額を嫌な汗が滴り落ちた。
◇◆◇
混沌派の組織の一つ、『斑禍』。
大きな規模の組織とは呼べないが、それでもそれなりの規模と構成員を有している。
ビギナー向け混沌派と呼ばれるくらいには、混沌派に憧れ門戸を叩く者が多い。
今日もまた、そんな者達が彼女らに接触してくる。
「おうおう。『斑禍』のアジトの一つってのはここか」
既に電気の供給の止まった廃工場の中へと、人相の悪い若い男達がぞろぞろと入ってくる。
そんな彼らを、作業机の上に座ったゴスロリ少女、響が出迎える。
彼女の他に三人、少女達が控えているものの、その特徴的な姿が見えない程の暗がりに隠れている為か、男達は目もくれない。
豊かな肉体を持つ姉に下賤な目を向ける男達へ、舌打ちする音が聞こえてきたのはきっと気のせいでは無いのだろう。
「君たちが新しく入りたいって言った子達だね」
いつぞや出会った少年にも、これくらいがつがつして欲しいな、などと思いつつ響は足を組み直して若い男達に声を掛ける。
ビギナー向けとは言われているが、『斑禍』に入る為には幾つか条件がある。
混沌派としてほぼ必須になるその条件の数々は、平穏な生活を自ら手放す覚悟が必要となる。
そうでもなければ、この『斑禍』の一員になることはおろか、他の混沌派の組織の一員になることすら厳しいからだ。
若い男達はその条件をあと一つといった所までクリアし、残るは渦廻9姉妹、その代表との面談のみとなる。
長女、次女が諸事情につき面談が出来ない為、代理の更に代理として響が担当を務める面談が始まろうとしていた。
「どうして、ここにしたいと思ったのかな?」
「どうしても何も、決まっているじゃねぇか」
若い男達は、『斑禍』に入れると確信した、自身に満ちた表情で答える。
「ここの好きに活動していいという基本方針に惹かれたからだよ!」
「うんうん、原則好きに活動していい、だね。そこは間違えないで欲しいかな」
「どっちでも同じだろうが」と若い男達の一人が言い返す。
が、響にとって認識の齟齬をわざと起こそうとする彼らの態度は減点対象だった。
『斑禍』に対して何を齎してくれるのかは最悪加えてからでも遅くはないが、それを示す素振りすら無いのも如何なものか、と響は考える。
それに、彼女には妹からのタレコミがある。
十中八九、目の前の男達が黒だと言える根拠が、彼女の手にはあった。
「一昨日から起きてる建造物の破壊事件。これ、君らのした事でしょ」
「アァ? 何の関係があるんだよ?」
質問しているのは響であり、更に質問を質問で返した。
内心で更に減点した上で、響は無言の催促をする。
彼女の凄みに怯んだ男達は、はぐらかすだけ無駄だと理解したらしく、正直に答える。
「ああ、憂さ晴らしにやったんだよ。俺らは混沌派だぜ? 好きな時に物を壊して何が悪いんだよ!?」
力量差を理解していないのか、あるいはわざとなのか。
段々と声を荒げて、男の一人が言い放つ。
響は男達を見渡すも、そこに罪悪感を感じている顔は無い。
此処にめぼしい存在は居ないと知ると、彼女の視線は冷ややかなものになる。
それと共に、暗がりの中から気味の悪い笑い声が聞こえてきた。
「ひひ、ひひひひひっ、否定しないんだ。ひひっ、そこだけ、潔いね?」
「ああ? 誰だよてめぇは」
「気持ちの悪い笑い声してんじゃねぇぞ?」
「ひひ、弱い犬ほどよく吠える……ひひひひひひひひひひ」
暗がりの中で何かが小刻みに震えているが、男達からは何も見えてはいないようだ。
これでは埒が明かないと思った、暗がりの中のもう一人がため息を吐く。
「――お帰りいただきますわ」
「なに?」と男達が聞き返すのは時間の問題だった。
不合格だと告げたその声の主は、臆する事なく続ける。
「私達に必要なのは優雅さ。そして確固たる意思。貴方達からはそれが感じられませんの」
「俺達とお前らの何が違うってんだよ!」
「何もかもが違います。いい加減で示威の為の破壊など、美しさに欠ける」
「言わせておけば!」と男達の中から一人が飛び出して暗がりへと殴りかかる。
暗がりから聞こえてきた声はどちらも女性のもの。
あわよくば、押し倒して二度と逆らえなくしてやろうか、と下卑た事をその男は考える。
故に、巨大な蛸足と手裏剣のような輝く物体に迎え撃たれるのは必然だったのかも知れない。
「こ、こいつら…」
「殺す気かよ!?」
腹部に手裏剣のような物体が突き刺さったまま伸びた仲間を見て、男達は震えた声を出す。
すると、暗がりの中から更に「ああ?」とガラの悪い女の声が聞こえてくる。
「ウチらをそんなヘマする奴だと思ってんのか?」
「ひひ、ちょっと気に食わないからって調子に乗っちゃってまぁ…恐れ知らずだね?」
「この場合は向こう見ずとも言いますわ。私達を敵に回して、無事で済むと思っているのですから」
暗がりの中にどんな化け物が居るのか、見当の付かない彼らは恐る恐る響に止めてもらうよう目で主張する。
だが、響はもう男達から興味を無くしてしまっており、我関せずと決め込んでしまっている。
こうして『斑禍』の中枢を怒らせてしまった若い男達は、自分達の選択を強く後悔するのだった。
気絶する程痛めつけられ、その上で警察に突き出されるおまけ付きで。
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