「お盆に困らせたこと、ごめんなさい。誰も予想していなかったことが起きたということは、あなたが本当は男の人が好きだということや、奏人さんと交際していることを、私や晴夏が知り、受け入れなさいと、またあなたが私たちにちゃんと話しなさいと、神様か仏様がおっしゃったのだと、私は思います。家を出るまでほとんど私たちを困らせなかったあなたの初めての、今さらの反抗期⁈ でも奏人さんはステキな子なので、安心しています。晴夏の弟か妹になるはずだった子が、ちゃんと産まれて育っていたら、奏人さんの年齢になるので、勝手にご縁を感じています。しっかりしているからって、あまり迷惑かけたら、逃げられるわよ。それに倒れるまで仕事をするのはやめなさい。お父さんの時代ならともかく、今時はやらないです。お彼岸に一度家に来て、お墓参りに行ってお父さんに話せればいいですね。私も晴夏も口がすべりそうで困ります。駅前で北海道フェアをしていたので買ってきました。奏人さんと食べてください。母より」
「わぁ、お母様北海道にご旅行ですか? 熱海に続いて課長の家族サービス?」
平岡に訊かれて、暁斗は苦笑した。
「いや、立川のデパートで北海道フェアをやってたらしくて……どっさり送って来た」
暁斗の説明に、平岡はわからないという顔になった。
「買ってわざわざ……ですか?」
「時々こういう意味不明な行動をするんだ、俺1人で食べ切れないって分からないらしい」
母から宅急便が来た日の翌朝、暁斗が営業1課の部屋に持参したのは、有名なバターサンドの大箱だった。奏人と会うまでに、賞味期限が来てしまう。それに2人で食べるにしても、数が多すぎた。
「お母様面白いですねぇ、でも何だか課長のお母様感あるわぁ」
「何それ、俺がそのボケ風味の遺伝子を引き継いでるってこと?」
そうかも、と平岡が笑うと、周りのデスクからも小さく笑いが起きた。暁斗は肩をすくめて、課の冷蔵庫に箱を入れた。
とは言え暁斗は母からの食料供給と手紙に感謝していた。こんな手紙を添えてくる辺り、自分のことであの後いろいろ考えたのだと申し訳なく思う。
乃里子が突然流産した日のことは、暁斗の記憶に焼きついている。乃里子は妊娠に気づかないまま、暁斗の3番目になる下のきょうだいを失ってしまったのだ。お腹が痛いと台所で座り込み動けなくなった母の背中を、暁斗は震えながら抱いた。星斗は怯えてその場に固まってしまい、晴夏は泣き出した。父が乃里子を車で病院に連れて行き、入れ替わりに祖父が慌ててやって来た。暁斗は長男だからこういう時はしっかりしないとな、などと言って、泣かなかった自分を褒めてくれた。――乃里子があの時の子を奏人に重ねるなどとは思ってもみなかったが、何かとても彼女らしいと感じる。暁斗さんのうちの子になりたいと言った奏人に話してやったら、喜ぶかも知れない。
それにしても、もう乃里子と晴夏から自分のことを父に話してくれたらいいのに、と思う。そのほうが、父もまだ受け入れやすいような気がするのだが。
仮称「性的少数者のための相談室」に関する初会合が、ようやくその日の午後から人事部フロアで開かれた。暁斗と山中、それに総務課長と、全国4カ所にある工場を統括する現場管理課の課長補佐が主要メンバーで、岸と西山が責任者となる。6人では手が回らなくなったり、対応出来ない案件が出たりする可能性を鑑み、関わる人間を増やしたいという話だった。紅一点の総務課長は暁斗の5年上、頼りなげな風貌に似合わずやり手と噂の管理課長補は2年下である。山中は2人を良く知っているようだったが、暁斗は挨拶を交わす程度の仲である。総務課長の大平は、一部の男子社員から鉄の女という呼称を賜っていたが、面と向かうと、温かみのある声が良く通りきれいな話し方をするのが、暁斗には好ましく感じられた。管理課長補の清水は、眼鏡の奥の目がちょっと何を考えているかわからない空気感を醸し出していて、このような役目をどうこなすつもりなのか、興味深い。
「うちの課には偏見が強い人も多いから」
大平は困ったように言った。
「ありとあらゆるハラスメントの温床です」
「そうなんですか?」
清水が応じたが、課の面子の平均年齢が高い総務課なら、あり得る。大平自身が、年上の男どもと常に戦闘モードのようである。
「営業課はその辺やりやすそうですかね」
清水に振られて、暁斗は少なくとも1課は、と答えた。
「まああくまでも表面上の話ですけれどね、私だって意識していた以上に偏見がありましたから」
「親戚にゲイのかたがいらっしゃるとか」
清水の問いに頷く。俺自身がそうなんだけど、と言ってしまいたくなる。
「若いのであっけらかんとしていますけれど……」
暁斗の言葉に山中がちらりと笑ったのが、視界に入った。
「若い人は比較的多様性に慣れているというか、多少違和感があってもそんなものかとなりますね、まあやはり問題は中高年男性かな」
山中が言った。大平が同意を示す。
「違和感を当人にぶつけることだけでも我慢してくれたらいいんですが」
「ですね、今更年寄りの価値観や凝り固まった偏見はどうこうできませんしね」
清水も苦笑混じりに言う。
「では根本的解決までは目指さなくていい?」
岸が尋ねた。清水は、そこまで私たちがやる必要があるとは思えません、とはっきり答える。なかなか臆さず物を言うなと、暁斗は面白く思う。
「部長は根本的解決が出来そうな魔法をご存知ないですか?」
山中の言葉に笑いが起きた。
「魔法ではないが……年寄りは罰則を述べて脅すよりも情に訴えるほうが効果的かな」
「あなたの息子さんが連れてきた恋人が男だったら? って感じですか」
暁斗は返事が聞きたくて岸にそう振ってみた。
「私は娘が2人いる、研修でそんな風に問われて、嫁に行く気が無い下の娘がもしやレズビアンだったらと……考え込んだなあ」
「もし本当にレズビアンだとしたら……親としてはショックですか、やっぱり」
「ショックだろうな、『普通』の人生を歩んでほしいと思ってしまう」
岸は暁斗と山中を順番に見ながら答えた。高校生になったばかりの息子がいるという大平も、岸に同調する。
「好きな人がいるというだけで……相手が同性であろうが異性であろうが素晴らしいことです、でもうちの子がもし男の子を連れて帰ってきて……この人と付き合ってるんだって言ったら、よかったわねとはとっさに言えないかも知れません」
暁斗は大平の話が身に沁みて、胸が痛んだ。母にこんな思いを、まさしくさせてしまった。
「でも最終的には祝福するだろうとも思うな、自分の子が選んだ相手なんだから」
岸は大平に言った。彼女もそうありたいですね、と頷く。
「普通って何だろう、ってことなのでしょうね」
山中は静かに言う。
「私や、たぶん桂山くんなども仕事の上では普通に囚われるななんてずっと言われてるし、そうやってきたと思うのですが……もっと根本の部分でそうあるべきなんですよね」
「山中さんがそんな風におっしゃるってことは、根本的解決を目指したいんですね」
清水がすっと話を受け継ぐ。山中は笑いながら応じる。
「当たり前だろ、俺は当事者だぞ」
みんなの会話を聞いていて、勉強しなくてはいけないと暁斗は感じた。素のままの自分でことに当たるのも良い。しかしやはり、この問題には何が含まれるかを見極め、具体的に誰がどう傷つくのかを精査し、どうして行くべきなのか目標設定をしなくてはならない。暁斗は当事者でありながら、社会問題としては非当事者であるような感覚を未だに抱いている。自分と奏人さえ良ければいい、ではいけないのだ。
「桂山さん黙り込んじゃったけど、大丈夫ですか?」
大平に言われて、暁斗は正直に答えた。
「いや、ちょっと荷が重いなと思い始めたところです」
「百戦錬磨の営業課長が何をおっしゃる」
「営業と同じようにはいきませんよ」
微笑を浮かべている岸と目が合った。面白がられているのだろうなと思う。
「まあ最初からあまり飛ばすと息切れしてしまう、まず社内で認知度を上げていくことからかな」
西山がもっともな意見を述べた。広報課が1日も早くプレスリリースしたがっているので、それらしい形をまず作って欲しいとのことだった。
「社内報の締め切りに間に合うかな? 写真撮っておこうか」
岸の言葉に、人事部の社員が会議室に呼びつけられて、岸のスマートフォンを手渡される。
「スマホの写真でいいんですか? 広報のカメラ呼びましょうか?」
「いいよ、緩い写真のほうが親しみが出る」
岸と若い社員のやりとりが何となく意味不明だったが、全員で机に座ったままカメラに顔を向けた。
その後、情報共有の方法や、会合の回数などを話し合い、お開きとなった。小さく息をついて席を立つと、山中が暁斗の背中を軽く叩いて先に部屋を出て行く。
「大丈夫か、急に召集して悪かった」
岸が続いて声をかけて来た。大平と清水が、先行きますと言いながら出て行った。皆忙しいのだ。暁斗はこの後内勤の予定だが、電話やメールをしておかなくてはいけない案件が幾つかある。
「少し勉強しなくちゃいけないですね」
暁斗は西山が出て行ってから、岸に言った。
「性的少数者を巡る世論なんかは頭に入れておいた方がいいだろうな、もの凄い速さで変わってるから」
「当事者なのに分かってませんから」
暁斗が言うと、岸は焦らなくていい、と笑った。
「ほづみんみたいな当事者ばかりじゃない、緩い部分も持たないと組織が硬直してしまう……何かあったのか?」
「何も無かったと言えば嘘になります、お盆に母と妹がうちに来た時に彼が来て……鉢合わせして地味に修羅場に」
岸は目を見張った。暁斗は大丈夫です、と笑いを作った。
「妹がショックを受けたようでした、母は自分を納得させようとしてくれているようで手紙をくれました」
岸に促されて会議室を出た。廊下の窓から晴れた外を見て、一年前の今頃は何をしていだろうかとふと思う。仕事だけ……それもぼんやりとしか思い出せなかった。それに比べて、現在のこの濃厚で目まぐるしい毎日はどうか。将来この日々を振り返ることがあったら、人生の転換期だったとでも思うのだろうか。
「とにかく無理はするな、何処かで気を少し緩める時間を作れよ……相談室もメンバーが皆優秀だがアクが強過ぎる、暁斗に緩衝材になってもらわないと空中分解しそうだから、元気でいてもらわないと」
暁斗も岸の心配はもっともだと感じる。
「面白いメンバーですけどね」
「追加メンバーはもう少し薄い奴にしよう」
暁斗は自分も濃い者に分類されているのがやや解せなかったが、流しておいた。
「各工場に清水くんの部下というか、補佐が要りますね」
「やっぱりそう思うか、またその辺も詰めよう」
岸は先にエレベーターを降りた。暁斗は頭を下げて見送り、営業部のフロアに向かう。
エレベーターを降りた時、スマートフォンが震えた。ポケットから取り出して、メールの着信を確認する。ディレット・マルティールの代表アドレスからだった。タイトルを見て、暁斗は一瞬呼吸を止めた。
「当クラブスタッフかなとをご贔屓にしてくださっている皆様にお知らせ」
暁斗はエレベーターホールの隅に寄り、メールを開いた。丁寧な季節の挨拶と序文の後に続く言葉に驚愕する。
「この度かなとは、学業に専念するために、ディレット・マルティールを卒業することとなりました。最終出勤日は12月30日の予定です。皆様には長らくかなとをご贔屓にしていただいた御礼を申し上げると同時に、かなとの旅立ちを暖かく見守っていただければと存じます。」
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