新年度が始まり、新入社員がやって来た。まだ配属は決まらないので、数人の若者が順番に研修にやって来る。新人の研修は通常業務に上乗せされる臨時の仕事なので、それだけ手を取られるが、暁斗はこの時期のこの慌ただしくもわくわくする空気感が嫌いではない。自分が新人の頃の思い出など記憶から薄れつつあるが、まだ学生の空気をまとう若者たちがやって来ると、何かのはずみにぽんと頭の中に浮かぶものがある。今日は、自分が新人の頃は、今の自分くらいの年齢の上司はみな父親のように感じられたということだった。我ながらおじさんになったなと、あらゆる意味で思ってしまう。
営業1課の若い社員も駆り出し、新人たちと社員食堂で昼食をとった。仕方なく付き合っているのだろうが、新入社員たちは比較的良く話してくれた。きらきらした目や真新しいスーツが眩しい。女の子も、遠慮せずいろいろなことを問いかけてくる。今年3年目の落合も少し背伸びして、彼女の問いに先輩として答えてやっていた。
「相手を知るには食事を一緒にするのが一番だな、まず酒抜きで」
暁斗が営業課に配属された時の課長は、そう話してくれた。今彼は営業と企画を統括する部長で、そろそろ専務の一人に名を連ねるのではないかともっぱらの噂だ。
食事を一緒にするという行為が人と人との間を縮めることを、暁斗は図らずも社外で経験した。奏人と3回も食卓を囲んで過ごすと、暁斗にとってもう既に奏人は「自分の手の届く場所にいる人間」になってしまっていた。正確には、そうであって欲しいと激しく望んでいた。一人暮らしが長い奏人は、世話になったにお礼になればと、冷蔵庫にあるもので昼食を手早く作ってくれた。米を炊く間に段取り良くハム(暁斗は冷蔵庫にそれが残っていたことさえ失念していた)や野菜を切り揃え、火を入れていく。少しくたびれていたブロッコリーは立派に具となり、玉ねぎと共にスープに浮かんでいた。自炊はするほうだと彼は言った。外食が続くと、胃が疲れるのだという。
暁斗が駅前の店で選んだセーターとジーンズを身につけた奏人は、やはり綺麗な箸づかいで野菜炒めを口に運んだ。眼福、の一言である。シンプルに塩胡椒だけで味つけしたそれは、水切りや切り方の加減なのか、しゃきしゃきした歯ざわりが絶妙だった。彼ともし暮らすようなことがあれば、いつもこうして美味しいものを作ってくれるだろうか。料理は奏人のほうが上手だから、自分は洗濯と掃除をしよう。暁斗の妄想は肥大するばかりだった。
「みんなでランチか、営業1課は仲良しだね」
暁斗たちのテーブルの横にやって来た男が声をかけてきた。企画課の山中穂積だった。新入社員たちは一斉にこんにちは、と彼に挨拶する。
「ちょっと課長貸してくれる?」
山中は意外な申し出をした。企画1課と話し合うべき案件など、心当たりが無い。
「昼休み終わったら先に戻って、みんなに仕事を与えろよ」
暁斗は落合に指示して、盆を手に席を外した。食器を片付け、山中に頼まれたコーヒーをオーダーして窓際の席へ向かう。
「何ですか、いきなり」
暁斗がコーヒーをテーブルに置くと、山中は手にしていた紙袋からファイルを出した。
「おまえの親戚ちゃんと帰れたの?」
「次の日の午後に帰りましたよ」
山中が先月の夜に会社を訪れた奏人の話をしていることはすぐに分かった。暁斗の言葉は嘘ではなかった。帰り先が違うだけだ。しかし何故そんな話をするのか。暁斗は警戒する。
「東京にいるんじゃないのか?」
山中はファイルから青い紙を出した。暁斗はそれを見て声を上げそうになったが、かろうじて堪えた。ディレット・マルティールの会員ページのカラーコピーだった。微笑んでこちらを見る写真が載った、奏人のプロフィールページ。
「こないだのあの子だよな?」
「……似てますね」
「あの子だよ、たかさきかなと君だって受付に確認した」
暁斗は頭を巡らせる。山中の目的は何だ。俺はどの立場を演じればいい。
「てかこれ何なんですか」
暁斗が不審な表情を作って問うと、山中は少し声を落とした。
「俺が世話になってるゲイデリヘルのスタッフのページだよ、おまえの親戚めっちゃ人気者なんだけど? 俺なんか手が出ない指名料が要るトップスタッフだ」
山中の言葉は大げさだった。この会社の課長クラスの給与で、月一回程度なら出せない金額ではない。現に暁斗はこのトップスタッフを指名している。
「可愛い子だったから記憶に残ったんだ、どっかで見たような気がしてたら……やっぱり知らなかったのか」
「……俺の身内をそっちの対象にしないでください」
「可愛いから気になるさ、指名はしないから安心しろ……指名したほうがいい? こんな仕事してるんだから金が要るんだろう」
やめてください、と暁斗は反射的に言う。いろいろな意味で山中の言葉が不愉快だった。多くを話すとぼろが出そうなので、暁斗は押し黙ったが、山中は暁斗が親戚の性的指向と風俗バイトにショックを受けたと解釈したようだった。
「金が要るのなら何とかしてやれよ、若い子がこんな仕事をするのは良くない」
暁斗の頭にカッと血が昇った。
「あんたはその若い子を金で買ってるんじゃないか、あんたが言えたことなのか!」
大声になるのを抑えた代わりに、声がかすれた。こいつは何を考えているのだ。
「言えないさ、でも俺なら身内がこんなことで稼いでいたら嫌だ」
「勝手過ぎるだろうが!」
暁斗は立ち上がってテーブルを離れた。椅子が大きな音を立てたので、周囲の人々がこちらを見たが、そんなことはどうでも良かった。都合よく午後の始業のチャイムが鳴ったので、桂山課長と山中課長がやり合っていたという噂は、広まらずに済みそうだった。社員食堂から人が吐き出されていく。暁斗は振り返りもせずにエレベーターホールに向かった。激しく動揺していた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!