こちらは、9月 14-②の読後に
読んでください!
私のミスで1章分のエピソードが
抜けておりました。
申し訳ありませんが、
よろしくお願いいたします。
穂祥 舞
相談室のオープンが社内報に見開き2ページで紹介され、相談専用のメールアドレスも作ってもらったが、今のところ相談は1件も来ていない。具体的な活動が見えないから仕方ないと考えつつ、暁斗はニューズレター用の自己紹介文を読み返していた。「お騒がせしている分お役に立てることもあるかと思います」とは自虐が過ぎるようにも感じたが、正直な気持ちだからまあ良しとする。
編集の大平に原稿を添付して送ってから、ちょっとした勉強代わりにとっつきやすい本や映画は無いものかとネットで検索してみる。そういう作品をニューズレターで紹介するのはどうだろうと考えたのである。
西澤遥一がモデルとされる美少年が登場するあの小説は取り上げたかった。直木賞候補作という看板もあるし、在日外国人の問題にも注目できるからだ。
「おはようございます、自己紹介文受領いたしました。お忙しいところ、ありがとうございました。」
大平からの返事を見て、忙しくないけど、と胸の内で突っ込む。ふと、清水はあれで結構なオタク傾向があるらしいことを思い出し、面白くて考えさせてくれる漫画やアニメを知らないか訊いてみるべくメールする。
「いかにもみたいな作品はドン引きされかねず、相談室の名誉にかかわってはいけませんので、じわっとくるやつがいいでしょうか。」
清水の返信は意外に早かった。
「但し個人の感想になってしまいますよ。」
「良いと思います、選んでくれたものを私も読みたい(観たい)です。」
暁斗は応える。相談室の話を持ちかけられた時、自由にやらせてもらえそうだからそうしようと、山中と話し合った。そう、動かなくては新しいプロジェクトはいつまでも絵に描いた餅のままだ。
女子大との連携プロジェクトは予想以上に反響があり、仮カタログがよく捌けて、工場側も大わらわらしい。新しい部品の試作もまだ必要で、下請けへの営業も忙しくなりそうだ。現場とのパイプである清水と親しくなれたのは、良いタイミングだった。
午後から外回りに出ない者たちで、新作の営業方針に関するミニミーティングを2課と合同でおこなう予定だった。社員食堂から戻った暁斗は、平岡と一緒に、資料を作るべく複合機の前に陣取っていた。
「ステープル今日調子悪いんです」
平岡が言うので、暁斗はホッチキス片手に6枚のA4の紙を重ねて揃える。
「それずっと言ってない? お盆前に一回メンテ来てくれたよな、確か」
「あの時見てもらって直った筈ですよ、やっぱりもう古くて駄目なのかなぁ」
「ステープル以外は問題ないんだよなあ、うーん」
暁斗はホッチキスを2箇所に留めながら、数が多いと困るなと考える。
暁斗のデスクの電話が鳴った。和束がそちらに立っていたので、小走りで行ってくれた。彼女は受話器を上げてのんびりと、課長いますよ、代わる? と答えていたが、は⁉ と素っ頓狂な声を上げた。そして暁斗のほうを振り返る。
「えっでも、課長に会いに来られたんじゃないんだよね?」
部屋にいた全員が和束を見てから、暁斗に視線を送った。彼女は焦った声で、わかったと言って受話器を置いた。その頬が心なしか上気している。
「課長、彼氏が殴り込みに来られたって1階から報告が」
「はぁ⁉」
和束の声に、今度は暁斗がひっくり返った声を上げた。部屋の中がざわめく。
「高崎奏人さんが会社の副社長さんと総務部長さんと一緒にお越しになったそうです、人事部のフロアにとりあえず通したって」
「待って、アポあったのか?」
「無かったんじゃないですか、1階と人事がバタバタしたみたいです」
暁斗はあ然として失語する。メンバー的に、例の件で訪れたに違いない。こちらがまともな対応をしないから、キレられてしまったのではないか。それはそれで、まずい。
また暁斗のデスクの電話が鳴った。和束は受話器を直ぐに取り、暁斗に目配せした。暁斗はホッチキスを置いて走った。
「桂山くん、すぐに人事の第二会議室に来てもらえないか、相談室員全員と専務室と社長室に召集をかけてる」
西山がいつになく早口で言った。
「何事ですか」
「きみのパートナーとその会社の人たちが至急話をしたいと言って直接来たんだよ」
暁斗はわかりましたと答えて受話器を置いたが、かなり混乱していた。やっぱり殴り込みですか、と小声で和束が訊くので、ガチでそうみたい、と答えた。
暁斗がエレベーターホールに向かうと、平岡と和束がついて来た。
「どうしたの、すぐに戻れなさそうだったら電話するから」
「ついて行っちゃ駄目ですか、彼氏見たいです」
「駄目だ、来るな」
えーっ、と彼女らは揃って声を上げた。エレベーターに乗り込んで来ようとするので、暁斗は閉のボタンを連打しながら彼女らを押し返した。エレベーターが無事昇り出したので、ひとつ息をつく。
何を考えてる? 暁斗は奏人の意図を測りかねる。いや、奏人ではなく会社の意向かも知れない。エレベーターのドアが開くと、人事部の連中と思われる社員たちが狭いホールに鈴なりになっていた。あっ桂山課長、と誰かが言い、暁斗のために道が開く。第二会議室の前では、大平と清水が戸惑いを隠せない表情で待機していた。
「岸部長はすぐに戻られる予定です、山中さんは無理だと」
大平は上擦った声で暁斗に報告した。
「今2人の専務と社長室の秘書が入ったんですよ、副社長が掴まりそうだから間に合えば来るって」
清水が興奮気味に続ける。
「何でこんなことになってるの?」
暁斗が言うと、清水は暁斗を見て苦笑した。
「いやいや、来客と唯一顔見知りの桂山課長がわからないなら僕らにわかる訳ないです」
確かに昨日、専務たちが相変わらずだという話を奏人にした。しかしこれは無茶過ぎないか。
「あちらの副社長がいらっしゃったから、身分合わせで社長室に連絡が行ったのもあると思いますよ」
大平が言った。混乱させるのが狙いなのか。
ドアが開いて、西山が顔を覗かせた。その表情を見る限り、困難な状況では無さそうである。人事部の社員たちが中を覗こうとするのを遮りながら、3人は会議室に入った。
だだっ広い会議室の机の左手に座っているのは、こちらの会社の面々である。2人の専務は昨日も顔を合わせたが、困惑が隠せない様子だ。秘書室の室長は、大平より数年上の女性だと暁斗は記憶していたが、落ち着いた表情で相談室員たちを迎えた。
右手には3人の男性が座っていた。おそらく一番上座にいる中年の男性が副社長、真ん中が原総務部長だろう。原は、暁斗に寄越したメールに相応しい、穏やかできちんとした印象の人だった。そして高崎奏人は、紺色のスーツに身を包み、背筋を伸ばして座っていて、暁斗の姿を認めると、微かに口許を綻ばせた。まるでイギリスのエリートの若者のようなその佇まいに、暁斗は場違いにも見惚れてしまう。
相談室員たちはこちらの会社側に並んで腰を下ろし、西山からあちらに簡単に紹介された。あちらも自己紹介をしたが、大平と清水が明らかに奏人ばかり見つめているので、暁斗は冷や汗が出るのを感じる。
「アポイントメントもなくお訪ねした無礼をお許しください、先日の許し難い雑誌の記事への対応について、そちら様の相談室と共に動きたいというこちらの考えを汲んでいただいたこと、感謝いたします」
副社長の森田は滞りなく話した。
「しかしこれまでの流れを見ますと、今回の件は個人の性的指向に対する侮辱以上の問題を孕み始めたようです、そこでこちらといたしましては、より大きな枠組みで協働していく必要があるのではないかと考えています」
森田の言葉に、こちらの専務が言いにくそうに応じた。
「わざわざご足労いただき本当に恐縮です……相談室からそちら様のお考えは伺っておりましたし、こちらも昨日事実確認をまた一つ済ませてはいるのですが、その……二つの会社がこぞって対応しますと、大げさになり過ぎはしないかという意見も多々ありまして」
「私どもは当事者である高崎を大切な社員だと思っておりますし、御社の当事者になってしまわれた桂山さんは優秀な営業担当だと伺っています、大切な社員の権利を守るのに大げさということは無いと考えるのですが」
原総務部長は案外はっきりと言った。こちらのほうがひやりとしてしまう。専務ははあ、と応じたが、それ以上言葉が続かない様子だった。
「狡猾な物言いになりますが、こういった案件にきっちり対応するかどうかは会社の外部へのイメージ戦略に直結いたします」
森田は微笑しながら言った。
「私どもの会社は有り難いことに、大学生が首都圏で就職したい会社のベスト20にここ数年選ばれておりますが、特に若い人は社会的な理不尽に会社がどう立ち向かうかをよく見ていて、人権擁護への意識も高いです」
隣で大平がはあぁ、と小さく感嘆のニュアンスを含んだ溜め息をついた。この会議が終わったら、奏人の会社に転職したいと言い出すかも知れない。
「そんなこともあり、今回の件の取り扱いは全社を挙げて慎重かつ大胆に考えるべきだとしておりまして……いやもちろん、我が社の方針を押しつけるつもりはございません」
詰んだな、と暁斗は思った。この副社長はどんな経歴を持っているのかわからないが、営業や企画担当だったとしたら相当なやり手だったに違いない。こんな言い方をされて、でもうちはやりませんなどと返せる訳がないのだ。
専務たちが返答に困って会議室に気まずい沈黙が落ちた時、岸が副社長の浅野を伴い、失礼しますと言ってドアを開けた。秘書室長が立ち上がり2人を奥の席に招いたが、2人はここで、とドアに近い席に着いた。暁斗は隣に浅野に座られ、やや緊張する。年始の挨拶でしか顔を知らないような人である。ただ生え抜きではなく転職組であるせいか、考え方はリベラルだという噂もあった。秘書室長が浅野と岸の間にやってきて、素早く事の経緯とここまでの流れを話した。ちらっとそちらを見ると、岸と目が合った。彼が微笑してから奏人に視線を送るので、暁斗は俯くしかない。
「失礼いたしました、副社長と営業企画統括部長が参りました、性的少数者のための相談室のメンバーが1名を覗き全員が揃ったことになります、1名は仙台から今日17時に戻る予定ですので顔を出せませんがご容赦ください」
西山が仕切り直すように言った。
「お忙しいのに揃っていただき恐縮です、私どものハラスメント撲滅委員会は現在総勢20名でして、全員連れて参る訳にはいきませんので代表2人で失礼いたします」
原の言葉に暁斗は驚く。ひとつの労働組合レベルの人数だ。
「私どもは今回の件をきっかけに、と申しますとここにいる当事者たちには失礼ではありますが、こういう案件により柔軟かつ効果的に対応するためにも、横の連携ができれば良いと考えました」
原は一度言葉を切る。
「御社の相談室は桂山さんのために行動なさっており、こちらの申し出を快諾してくださっていますが、御社としてのお考えがいまひとつ分かり辛いので伺ったのです」
岸は横に副社長が座っているにもかかわらず、あっさりと返答する。
「私が参るまでに少しお話しをなさったようですのでご理解いただけたかと思いますが、先日出版社への抗議文を相談室の名前で出し、それをそちら様に報告して以来、状況に変化はありません」
「つまり今も会社として抗議なさるおつもりは無いと」
原は、岸とその横に座る浅野に視線を送っている。隣の浅野がやや困惑しているのが暁斗に伝わってきた。
「御社の考えは素晴らしいと思いますが、社員一人一人の全てのトラブルに対応することなど実際には不可能です、ましてや今回の件は個人の極めて特殊なプライベートな話であって……」
専務の言い訳に、原の表情が冷ややかなものに変わった。
「では社員のどんなことなら会社がフォローなさると?」
「それこそ柔軟かつ効果的に対応を考えます、今回のことなどそもそも個人の不注意に根源があるのですから」
「失礼ですが、問題を取り違えてらっしゃるように思います」
穏やかできちんとした印象の総務部長は、意外と武闘派らしかった。大平が興奮して頬を赤らめ始めたことに気づき、暁斗は不謹慎にも笑いそうになる。原はいきなり桂山さん、と言い、暁斗のほうを向いた。暁斗は驚いてはい、と返答する。
「あなたにここでの1.5倍の月給をお渡しするので我が社にいらっしゃいませんか?」
暁斗は何を言われたのか本当に理解できなかった。一拍置いて探るように答える。
「申し訳ありません、おっしゃることの意味がわかりかねます」
「あなたがうちの高崎との将来を考えてらっしゃると伺っています、うちは来年度中に同性カップルに対して異性のカップルと同様に、結婚にあたる環境を作る場合に祝金を贈る等の制度を整える予定です……こちらは優秀な営業担当が欲しい、我が社なら高崎と堂々と家庭を作り桂山さんにモチベーションを上げていただけると約束できます」
暁斗は頭の中が真っ白になった。清水がええっ、と暁斗の代わりに声を上げた。奏人と家庭を持って祝金とは何の話なんだ? 意味不明な空白が、会議室の中に生じた。
「部長、桂山さんにそういう冗談は通じないので……」
奇妙な沈黙の中に聞こえたのは、奏人の小さな声だった。森田が、原の横で笑いを堪えている。
「冗談じゃないぞ」
「いや、お気持ちはわかりますけど行き過ぎです」
奏人は暁斗の方を見て、微苦笑した。この状況においても、暁斗は奏人のそんな表情を可愛いなと思ってしまったが、大平が独り言のように可愛い、と言ったのでぎょっとした。
「要するに御社は同性愛を認めない会社の優秀なゲイの社員を……好条件を提示した上で引き抜いてしまいたいと」
岸が半笑いで言った。暁斗はようやく何を言われたのかを理解し始め、自分でもわかるくらい赤面した。奏人がこちらを見て笑いを堪えるのに口を手で押さえたので、それに気づいた大平が暁斗を覗き込み、あらま、と呟く。
「そうです、桂山さんに良い環境で良い仕事をしていただきたい」
原はあくまでも強気である。
「桂山くんどうする、受けますか?」
岸は浅野の向こうから、やはり半笑いで暁斗に尋ねてきた。浅野があ然としているのも視界に入った。
「いや、ちょっと……即答できません」
暁斗の上擦った声に、今度は西山と清水が小さく笑った。
「いや、笑い事じゃありません、うちも営業のエースをヘッドハントされては困ります、少し時間をいただきたい」
遂に浅野が発言した。一同はすっと顔から笑いを消した。
「そちらのおっしゃることはごもっともです、元々相談室も、将来を期待される若い社員が急に辞めてしまうことが続いて、その中に性的指向をからかわれた人がいたと判明したので設置することになったのです……相談室員である桂山を同じ理由で失う訳にはいきません」
専務たちがはらはらした様子で副社長を見ていたが、彼はそちらに強い一瞥を送った。そこには明らかに、専務たちの対応への不快感が示されていた。
「わかりました、そちらのご意見を纏めていただき提示してくださるとありがたく思います」
森田も決断が早かった。と言っても、あちらははなからこの結論を引き出すつもりで来たのだろうから、一件落着というところか。暁斗はひとつ息をついた。
「両社連名で出版社に改めて抗議するという方向で考えましょう、私が何かと情報を共有できていなかったとわかりました、大変お手数をかけ申し訳ありません」
浅野はてきぱきと話した。武闘派の原も満足気な表情になった。タイミングを見計らったように、人事部の社員がコーヒーカップを載せたワゴンと一緒に会議室に入ってきて、秘書室長が準備を手伝う。浅野が立ち上がって専務たちの傍へ行き、厳しい表情で二言三言何かを伝えると、専務たちは来客に挨拶して会議室から出て行った。
「今から全員に召集をかけるのよ、ざまあみろっての」
大平がさも愉快げに言った。清水は如才なく名刺入れを出しながら、大平と暁斗にあちらに挨拶に行くよう促してきた。岸もそれに続く。
「さっきの話は冗談ではないんですよ、ちょっとキャリアチェンジも考えていただけると嬉しいです」
暁斗が先日貰ったメールのことを含めて礼を言うと、原は笑いながら言った。
「そんなに買い被っていただいてほんとに恐縮です、ありがとうございます」
またじわりと顔が熱くなった。同性カップルへの福利厚生とは、なかなか進んでいる。それにしても奏人が自分たちの話をこの人にしているとは思わなかった。当の奏人は大平に捕まってにこやかに話している。
名刺交換が済むとコーヒーで歓談して、嵐のように始まった会議は和やかに終了した。
「暁斗さん、ごめんなさい」
奏人は解散を告げられると、暁斗の傍にきてついと袖を引いた。
「かなりびっくりした」
暁斗が苦笑すると、奏人は下を向いた。
「こんな方法しか思いつかなくて、部長もその気になってくれたものだから」
暁斗の会社からの扱いに、奏人はずっと胸を痛めていたのだった。
「いや、おかげで会社が動いてくれそうだ……ありがとう」
ここが会議室でなかったら、腕の中に奏人を取り込んでいるところである。今日の奏人はこれまで見たことがない姿をしていて、それが新鮮で暁斗の胸をときめかせた。
「よく似合う、オックスフォードの学生かと思った」
藍色に近い細身のスーツは、良い仕立てだった。白い肌の奏人が着ると、色が映える。
大平がこちらを見てにやにやしながら会議室を出たのが視界の片隅に入った。
「同僚にもええとこの子みたいって褒めてもらった」
奏人の関西イントネーションが巧みで笑えた。例の大阪出身の女性の言葉だろうか。
「えっとお邪魔してすみません、出ましょうか」
清水がからかう口調で声をかけてきた。奏人ははい、と答えて扉に向かう。暁斗は奏人の深い紅色のネクタイに、銀色のピンが光っているのに気づいた。暁斗が借りていて、先週返したタイピンだった。
「そのタイピン……」
暁斗が言うと、奏人はえ、とこちらを見た。
「暁斗さんがお守り代わりにしていたって言ったでしょ、僕にとってもこれはお守りだから」
暁斗は奏人のその言葉に、彼が今日、かなりの覚悟を持って故意にアポ無しでここを訪れたのだと気づいた。何か言おうと思ったが、会議室を出て現実に引き戻される。大量の野次馬が待ち構えていた。あの子? とかきれいな子、とかいう言葉が耳をくすぐる。暁斗は視線が痛くてやや怯んだが、奏人は自分を取り巻く好奇の空気を意に介さない様子で、まっすぐ顔を上げエレベーターホールに向かう。エレベーターには、原と奏人、それに暁斗と清水が乗り込んだ。ドアが閉まると、奏人が笑顔になる。
「桂山さんは人気者ですね、僕まで注目浴びまくっちゃった」
「ごめん、何かもう俺のプライベートは社内でほぼ全公開なんだ」
原がくすっと笑った。
「社内は明るいですね、上のごく一部が古い考えを振りかざしているのはもったいない」
はっきりものを言う人である。気持ちいいくらいだ。
1階にも人がうようよしていて、暁斗はもう笑うしかなかった。奏人は心配そうに小声で言う。
「しばらく噂になりますよね、これ……」
それを聞いた清水は、気にしないでください、と軽い調子で言った。
「桂山課長はこうやって社内にネタを提供しながらダイバーシティを啓蒙する計画をお持ちですから」
「そんな深遠な計画は練ってない」
暁斗は憮然として言ったが、原と奏人はなるほど、と笑った。奏人はカウンターに新城の姿を認めて、彼女のほうに歩いて行く。
「いつもお騒がせしてすみません、ありがとうございました」
奏人が流れるような仕草で頭を下げるのを見て、新城の顔がぽやんと緩んだのを、暁斗と清水は見逃さなかった。
「いえ、とんでもないです、またお待ちしています」
噂の桂山課長の彼氏から声をかけられて、新城まで衆目を集める。そのせいで余計にどぎまぎする彼女を見て、清水が小さく笑う。
相談室の5人と副社長に見送られ、3人は駅方面へ徒歩で去って行った。奏人は角を曲がる前に一度振り返り、深々と頭を下げた。
「きれいな子だな、若いのに礼儀正しいし」
「可愛いわぁ、うちの息子と替えたい」
岸と大平が同時に言い、同時に笑う。
「面食いが過ぎる」
岸は付け足した。いや、と暁斗は否定しようとしたが、無駄な抵抗に思えたのでやめた。
「しかし大胆で策略家だな、暁斗の手に余るんじゃないのか」
「手に余るどころかそもそも私にはもったいない人なので」
ビルの中に戻りながら暁斗は岸に話した。ロビーにはまだ人が多い。みんな暇なのだろうか。人混みの中に営業1課の面々を見つけて、暁斗は思わず何やってるんだ、と言った。平岡が代表して申し開きをする。
「だって彼氏見たかったからー」
「珍獣じゃないぞ」
「少なくともパンダより見る価値がありました、ああいう美形はなかなか日本に生息してません」
部下に慕われていいわねぇと大平が笑った。舐められているの間違いだろうと暁斗は思う。部下たちを追い立ててエレベーターに乗せ、相談室の面々とも解散する。
「ニューズレターの原稿揃いましたよ、一度校正したらすぐ印刷に出しますね」
別れ際に大平がみんなに報告した。10月号として発刊できるだろう。
「お疲れ様でした、お茶淹れますね」
「もう毎日事件が起きて身が持たないよ」
暁斗はエレベーターの中でどっと疲れを覚えて、つい愚痴を口にしたが、何かやりかけていたことを思い出す。
「ミーティングは? 今からやる?」
「……誰一人としてやる気無いでしょう」
そうだな、と暁斗は認めた。それにまたこれから、副社長あたりに呼び出されないとも限らない。
「課長、予定外に彼氏の顔が見られてちょっと嬉しかったんじゃないですか?」
自分のデスクに落ち着いてお茶を飲んでいると、ハンコを貰いにきた松田がこそっと話しかけてきた。彼も先日の飲み会に参加している。
「あ、そうだなぁ、まあ……」
暁斗はとても、と答えたいところを抑制して言った。それでも松田は満足そうな顔になった。
「恋はいいですねぇ」
「どこのおやじだよ」
突っ込んでおいて、丁寧にハンコを押す。桂山課長の彼氏と騒がれてしまった奏人には申し訳ないが、暁斗は自分たちのことを、みんなが楽しく好意的に話題にしてくれるならそれでいいと思い始めていた。そしてそんな、同性愛者として生きていく覚悟もできていないまま走り出してしまった自分に、寛大でいてくれる奏人に感謝する。
一緒に暮らす同性のパートナーを、会社が配偶者として認めてくれる。考えてみたことがなかった。山中が目指しているのは、きっと異性カップルなら当たり前のことを、同性カップルでも享受できる体制なのだろう。……ふと、今日会議室にいなかった山中が悔しがって、明日ここに来て暴れそうな気がした。心積もりをしておかなくてはいけないと、暁斗は胸の内で苦笑しながら思った。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!