あきとかな ~恋とはどんなものかしら~

その営業課長が愛したのは、手技と言霊で男たちを搦め取る、魔物。
穂祥 舞
穂祥 舞

9月 4

公開日時: 2021年8月16日(月) 12:00
文字数:4,328

 仮称相談室のメンバーは、埼玉の工場に赴いている清水以外が迅速に集合した。会議室に慌てて空調が入れられる。最後にやって来た山中は、暁斗の顔を見て苦笑した。

「すみません山中さん、明日の準備もあるのに」

 暁斗は先に謝った。ああ、それはいい、と応じる彼は、連携する女子大との打ち合わせから戻ったばかりだった。

「これは桂山さんのことなんですか、ほんとに」

 全員が席に落ち着くと、大平が信じ難いといった口調で尋ねてくる。暁斗は頷く。

「俺がこのデリヘルをこいつに紹介した、俺も使ってる」

 山中はあっけらかんと答える。大平はデリヘル、と復唱してから、目のやり場に困ったように暁斗から視線を外した。西山と岸はほぼあ然としている。

「……いやまあデリヘルでもソープでも使うのは自由だ、桂山くんの名が出ている訳ではないからスルーしておいてもいいんじゃないか」

 西山の口からデリヘルやらソープやらという言葉が出て、大平はますます困惑の表情になる。

「部長、ちょっとセクハラですよ……問題は名前が出ていなくても、これを読んで桂山だと判る人間がかなりの数いるということです」

 山中は毅然とした口調で言った。

「アウティング……に当たるかな」

 岸が続けた。本人の了解を得ず、その人の性的指向等を他人に暴露する行為を指す言葉だということを、暁斗も最近知った。

「出版社に抗議するには十分だと思います、会社にその覚悟があればですが」

「いや、抗議するなら俺個人でやりますよ」

 暁斗は山中の言葉に慌てた。山中は暁斗を軽く睨む。

「おまえだけの問題じゃない、おまえの他に客だと挙がってる連中や……何よりも高崎奏人だ、いくら何でもこれは酷い、悪意さえ感じるぞ」

「どうして奏……高崎さんが悪意を向けられなきゃいけないんですか」

「俺に訊くな、おまえのところに取材に来たとかいう女が書いた記事じゃないのか」

 山中は苛立ちを隠さず言った。あのフリーの記者が書いたものなのか。本人に連絡を取る以外、確かめる術は無い。

「誰が書いたかは今はいい、桂山くんはこの記事を否定はしないという立場でいいのか」

 岸は厳しい表情になっていた。暁斗は構いません、と即答した。奏人との関係を否定する訳にはいかない、誰が何と言おうと。取り乱した気持ちが落ち着いてくると、暁斗は奏人のためにも戦おうと思った。

「遅かれ早かれオープンにするつもりでしたから、ただ私や他の人や高崎さんを吊し上げる権利はあいつらには無いと考えます」

「そうね、同性愛者だからという理由ではやし立てるなんて人権侵害も甚だしいわ、会社が抗議しないのであれば私が組合に持ち掛けます」

 大平は宣言した。この会社の労働組合は、かつてほどではないがまだまだ経営側に噛みつく元気を保っている。

「相談室の最初の仕事が相談室員の名誉回復とはなぁ」

 岸がちょっと相好を崩したので、僅かに場が和む。暁斗はすみません、と小さくなった。

「我々は桂山くんをフォローするということで良いと思うが、専務連中の中には今回の件の本質が理解出来ない人がいる……桂山くんは呼び出しを食らう可能性があると心しておいて欲しい」

 西山は困ったことだと言わんばかりの口調で言った。山中もげんなりした顔になる。

「無思慮な言葉にキレるなよ」

 山中は無思慮な言葉を浴びせられたのだろう。だいたい想像はつく。

「会見は明日予定通りに行う、よろしく頼む」

 岸が言う。暁斗はスマートフォンをちらりと見て、奏人から何の反応も無いことに気を揉んだ。外回りの最中なのか、あるいはもう既に社内で何か訊かれるなどしているのか。奏人に会いたい。今朝東京駅で先にメトロを降りた時、こんなことになるとは想像もつかなかった。暁斗は岸たちの勧めに従い、今日は定時で帰宅することにした。

 

 どれだけ不安で落ち着かない気分でいても、腹は減るものらしく、早めの帰宅に時間を持て余した暁斗は、丁寧に夕食を作ることにした。炒めた牛肉と根菜に出汁を注ぎ、コンロの火を弱めると、スマートフォンが長く震えた。神崎綾乃からの電話である。

「ご無沙汰しております、今どちらに?」

 少しその丁寧な話し方が懐かしかった。家に戻っていることを告げると、彼女はあんな記事が載るのを察知も阻止も出来ず、大変申し訳ないとまず詫びた。暁斗は、ディレット・マルティールが週刊誌に対してそんなインテリジェンス能力があるのかと、少し胸がひやりとする。

「出来る限りの手は打っています、私どもの母団体は性的少数者を揶揄したことと、名誉顧問だった西澤遥一への侮辱的な言及に対してもう出版社に抗議文を送付しました」

「……手を回すのが早いですね」

 思わず暁斗は言った。神崎は、もはやスタッフとお客様のプライバシーの問題だけではなくなったと話す。

「記事に出ていた区議がいたくお怒りで……元々社会的弱者の人権の保護を公約に掲げてらっしゃる方なのです、二度と何処にも書けないように記者を潰すとまでおっしゃっていまして」

 神崎は淡々と話した。潰すとは、それも恐ろしい話である。暁斗は気になっていたことを訊いてみることにする。

「何処からあんな情報が漏れたのですか? もしもう情報源が割れていて……差し支えなければ伺いたい」

「2年前までスタッフとして働いていた30代の男性です、情報が少し古いのでもしやと思ったのですが……こんなことになりわたくしも残念と言いますか…… 」

 神崎は躊躇いもせず答えた。やはり尻尾を掴んでいたか。頼もしく、恐ろしいひとだと暁斗は思う。

 神崎が言うには、あの記事に挙げられていた男たちのうち、現在奏人と定期的に会っているのは、暁斗と歌舞伎役者だけだという。他は奏人のパトロヌスとしてクラブに在籍してはいるが、忙しかったり東京を離れていたりして、この2年奏人への指名は無い。ピアニストに至ってはパリ在住のため、個人的に奏人にグリーティングは来るらしいが、もう会員でさえない。

「桂山様の情報だけが新しいのでこれは記者が調べたのかと思います、奏人が尾行されているような気がすると一時話していましたから、その頃に目撃されたのかも知れません」

 暁斗はあの女性記者を挑発した。それも良くなかったかも知れない。一応共有すべき情報として、そのことを神崎に話し、名刺の画像を後で送る約束をする。

「うちの山中が、記事に奏人さんへの悪意を感じると話していたのですが……」

「はい、たぶんその元スタッフは奏人を逆恨みしておりました」

 暁斗は予想していたものの、やはりショックを受けた。高校の美術部の事件といい、何故あの心優しい奏人がそんな目に遭わなくてはいけないのか。

「年齢が近いこともあって、比較的良く話していたと思います、二人が出会ったころはあちらが奏人に思いを寄せていた節もありました……」

 神崎は悔恨のようなニュアンスを声に混じらせた。

「ある時その元スタッフが、とある常連のお客様の約束の時間に行かなかったのです……代わりに急遽奏人が向かったのですが、お客様が奏人を気に入ってしまわれました」

 自分の客を奪われたと考えたのか。そんなことは何処ででも起こり得るのに。暁斗は営業の経験上、元スタッフの気持ちは理解出来なくは無かった。しかし最後に客の心を掴めなかったとしたら、それは誰のせいでもなく、自分の力不足が招いた結果でしかないのだ。

「そのスタッフはその後も好ましくない行動が目立ったので私がたしなめました、するとすぐに辞めてしまったのです」

 奏人はかつての同僚が自分を売るような真似をしたことに、少なからず傷つくだろう。暁斗の気持ちが曇る。それを振り払うように、スマートフォン片手に鍋の中身を混ぜに行く。

「あなたはその元スタッフを……どうなさるおつもりですか?」

 暁斗はダイニングテーブルの椅子を引き、自分の手が届く範疇のことではないと思いながら、神崎に訊いた。

「場合によっては告訴いたします、ディレット・マルティールに対する明らかな営業妨害、それにスタッフとお客様のプライバシーを毀損していますから」

「他の方はどうお考えかわかりませんが……私はその元スタッフをあまり責めるつもりはないと申し上げておきます、奏人さんが悲しみそうな気がする」

 神崎は少し沈黙した後、それはそうなのですが、と困ったように言った。

「……桂山様はいつも奏人を一番に考えてくださるのですね」

 え、まあ、と暁斗はどぎまぎと答える。

「ああ、私がそちらのナンバーワンスタッフを辞めさせるきっかけになってしまったことはお詫びします」

 暁斗が言うと、神崎は電話の向こうでくすくす笑った。

「失礼いたしました、桂山様が気になさらなくて結構なのですよ、奏人が決めたことですし……私は奏人がディレット・マルティールを飛び出す覚悟をしてくれて良かったと思っています、あの子にとってここはいつも自分が必要とされる居心地の良い場所でした、でも……ぬるま湯に浸かりっぱなしではあの子の良いところがこれ以上伸びなくなってしまいます」

 暁斗は神崎の言葉を聞き、この女性が真実、母や姉のように奏人を見守り続けていたことを知った。

「大切な子を家から出す……そんな気分なんですか?」

「ええ、私には子どもがいませんから同じではないでしょうが、それに近いかも知れません」

 しみじみとした口調だった。

「こんなトラブルをあの子の卒業前に抱えたくはありませんでした、桂山様には本当に申し訳なく思っております」

 いえ、と暁斗は応じた。

「記事に挙げられていた他の方々は、皆さんカムアウトされているか、肯定せずとも否定もしないという立場を取っていらっしゃいます……結果的にアウティングを受けて一番ダメージが大きいのは桂山様です、お手伝い出来ることは何でもいたしますので」

 神崎の力の籠った声は、頼もしかった。大平といい、女性はこういう場面で本当に強い。暁斗も励まされ、答える。

「いえ、奏人さんのことをずっと隠すのは嫌だったので、カムアウトしたいと考えていましたから……少し早まったということです」

「ご立派です、お仕事に不愉快な支障が出ないことを心から祈っております」

 最後に神崎は、奏人が常連客へのメール対応と予約に追われ忙しくなり始めたことと、今日はもしかすると、会社に捕まっているかも知れないことを伝えてきた。昨日奏人の家に泊まったことは彼女には秘密なので、そうですか、と物分かりの良い客として答えた。

 彼女はこのトラブルが落ち着いて、奏人の「卒業」までのスケジュールが固まれば、いずれ直接会って話したいと言ってきた。暁斗は奏人も交えて食事でも、と、社交辞令抜きで答えた。奏人の保護者には、やはりきちんと挨拶しなくてはいけないだろうと思ったからだった。

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