地下牢獄のひんやりとした地面も慣れると存外心地良い。
蝋燭の灯りをぼんやりと眺めながら、ゆるりと時が経つのを傍観する。
「それにしても、綺麗だったなぁ……」
三日前、塔での出来事を思うと自然ににやけてしまう。
『恋叶える聖女』は、この世のものとは思えない程美しく、あれは正しく何物にも変えがたい万金を越える価値がある。
果たして自分は釣り合うだろうか。
父親譲りの赤い髪に、三白眼。
村一番の男前だと自負しているが、流石に大陸一の美女と比べると劣って見えるだろう。
しかし、それがどうしたという話だ。
これまで手に入れられなかった物など無いのだから、そんな下らない物差しで自らを推し量るのはそも大きな間違いだ。
――と、セドナは牢獄に叩き込まれた事実を独自の理論で曲解した。
「聖女さんはこの俺を私有しようとしているな? 中々に欲深い。嫌いじゃねえ」
あのドラゴンはただの威圧用だ。
元より手を出すつもりは無かった。牢獄にぶち込まれるのなんて想定内。
その上で攻略してみせよう。
「セドナ――飯を持ってきたぞ。今度は……食えよ?」
薄暗い牢獄に新たな光が差し込み、看守の男が入ってきた。
簡素な料理は、本日二度目。
つまり今が丁度昼という事だ。
食事は三食きちんと出されている。
未だドラゴンが上空で蜷局を巻いている状況故、拘束は解かないが最低限丁重に扱っている。
だと言うのに、セドナはここまで一度も食事に手を付けていない。
その理由を、看守は聞いて呆れた。
「聖女と同じ席でなら食ってやる。拘束したままでいい、そうすりゃ腰を据えて話せるだろ」
「馬鹿言うな、貴様は犯罪者だ。一国の主人であるリィン様に近付ける訳が無い!」
「……一国?」
「ああ、まだ国に名前は無いがな」
――街だと思っていた。
上空から見下ろした限り、小国とも言えないお粗末な囲いと百棟程度の建物が立ち並ぶ小さな街に見えた。
あの聖女がそう決めたのか。
それも気になったが、今は少し苛ついているからそれは後回しだ。
――俺を……何だと思っていやがる。
「俺は盗賊だが。街を無闇に破壊したりしねえし、人命はいと尊いものだと思ってる。てめぇは今、俺を単なる人殺しかなんかを見る目で見たな? あん!?」
鉄が曲がる、可笑しな音がした。
セドナの剛腕が鉄格子をこじ開けたのだ。
ずかずかと看守に歩み寄り、その長駆で見下ろした。
「ひぃッ!」
気圧されてよたよたとへたり込んだ看守はそのまま後退し、来た道を辿るようにして去っていった。
「馬鹿が」
そう吐き捨てたセドナは、ずかりと座り込んだ。
腹が鳴ったのは気の所為とする。
「聖女さまッ、ありがとうございます。貴方のお陰で幸せになれました!」
「そう、私も嬉しい。末長くお幸せにね」
「うん! ありがとねー」
――また、今日も恋を叶えてしまった。
屋敷の執務室に戻ったリィンは椅子から投げ出した足をぱたぱたとさせて余韻に浸る。
やはり、恋愛とは良いものだ。
小さな恋も大きな恋も、分け隔て無く叶える。
私の愛する国民は、愛の中で繁栄する。そうなれば自分も嬉しい。
幸せの相乗効果って奴である。
「何ですか……? にやけ面して……あぁ紅茶が溢れてます!」
「ぇえ……? あっちち!」
「……ああもう!」
熱々の紅茶が書類に掛からないように強引に動かして、濡れてしまった仕事着を脱ぎ捨てて部屋着一枚になる。
「あら、こっちの方が良いかも」
薄着一枚とは実に良い。
涼しいし動きやすい。
ごてごての装飾が付いた聖職衣なんてそもそも好みじゃない。
ただ、自分の裁量だけで判断するのは頂けない。
リィンの肌面積が増える――というのは、正直同性であっても緊張する。
メイドのフェリスはやや視線を下げつつ、執務室備え付けのタンスを開けた。
「……これを着て下さい。王ならもっと周りの目を気にするべきです」
「そう? うーん、それもそうか」
差し出された予備の聖職衣に腕を通したのを見て、フェリスはほっと安心した。
以前にも全く同じことがあって後々騒ぎになったから準備をしておいて本当に良かった、と。
「さて――やりますか」
漸く、仕事に向かおうと、リィンが腕まくりをした――その時だった。
バタン。
ノックもせずに男が入室し、慌てて頭を下げたのは。
「看守か――何を慌ててるの?」
「あの男が……セドナという囚人にやられました! 見てください、この傷を!」
看守は腕に付いた擦り傷を見せてきた。
確かにそれは生々しく、つい先程出来たものに間違いない。
リィンは、平静を欠いている看守を問い詰める事はしない。
この看守は過去、通り魔により家族を失っているからだ。大方、犯罪者であるセドナに噛み付いたのだろう。
あの男が殺す気なら、そもそも看守如き容易く捻ることが出来る。
――もしかすると、あのドラゴンの狙いは?
こちらのカードは奴自身の身柄。
対してあの男は国中を人質に取っている。
「……後回しには出来ないかぁ」
今はその気が無くとも、手段を変えるかもしれない。
奴の狙いは分かっている。
リィン自身が行動を起こさねば問題は解決しないだろう。
――いつまでもドラゴンに頭上を取られていると、安心して夜も眠れないし。
「仕方ない……これは仕方ない事……心を殺すの、リィン―――よし、フェリス。ちょっとあいつと話してくるからここは任せたよ」
「……そうですか。承知しました」
やけに素直に言うことを聞いたフェリスを訝しく思いながらも、リィンは窓から外へ出て行った。
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