「まったく……嫌な時期に来たものね」
愚痴を吐きながら地下牢獄へ向かう。
隣国の内情には目を光らせていなければならないのに、何故懐に刃が潜り込んでいるのか。
解決しなければ愛する国民が夜も眠れない。
厚い鉄製の扉を開きし、男を幽閉した最下層の厳重な牢獄へ入ると――
「おう、待ちくたびれたぜ」
「……すぐに減らず口が叩けないようにしてあげるよ」
真っ先に飄々とした声が投げられたので、鞘に挿したままの聖剣をセドナに突きつける。
異変。
鉄格子が破損しているが、男は逃げも隠れもする気は無いらしい。
返答として、彼はニヤリと笑みを浮かべた。
「漸く、俺と話す気になったか。嬉しいぜ聖女さんよ」
「私は長居する気はないけどね。さっさと圧倒的に不利な条件を突き付けてドラゴンを退かせてやる。国を人質に取ろうなんて許さない――で、何が欲しいの?」
蝋燭の炎が揺らめいた。
呼応して、ゆらりと揺れるようにセドナが立ち上がる。
「腹ぁ減ってんだ。お前が来ねえから。見てくれよ、バッキバキだぜ」
そう言ってセドナは囚人服を捲り上げると、余分な水分が抜け落ちた腹直筋が現れた。
――凄まじい死線の跡。
リィンの瞳孔が大きく広がった。
鍛え上げられた筋肉には、生々しい傷跡が刻まれている。
この男は、その戦跡に似合った獣じみた眼光でリィンを射抜く。
「何度でも言うぜ、俺はお前を奪いにきた。返答を聞きたいと言っている」
「それはもう答えた。断固拒否するわ」
「それ以外の解答が欲しいね」
「はぁッ?」
なんと強情な男。
ぐぬぬとリィンは眉を潜めた。
なんと言われても無理なのだ。
聖女の身であるリィンには、自分の恋愛になど手を回せない。
思考を回転させるリィンに男は畳み掛ける。
「『恋叶える聖女』――これは、天恵(ギフト)の力だな? 大方、代償は自らの恋愛感情の喪失、と言ったところか。神さまは意地悪だからなぁ」
「……まぁ」
「え、まじで合ってるのかよ」
自分の告白が断られる理由が無い。
いや、断られる訳がない。
その自信があるセドナは、柔軟に考えた。
『リィンの方に原因があるのでは?』と。
聖女や聖人と、ひいては英雄が持つ超常の力は天恵と呼ばれる神から与えられし祝福だ。
だがしかし、祝福には代償がある。
大小差異あれど、何かしらの業を背負わなければならない。
つまるところ、そう都合の良い話は無いということだ。
尚、素直にリィンが答えたのはさっさと諦めさせたいからに過ぎない。
「……ほら、仕方ないでしょ。君を好きになれそうにないんだ」
「そうか」
仕方ない。
仕方ない。
自分の感情に仕方ないと、ケリをつける。
ずきんと胸が痛んだ気がした。
でも、これでこの男も納得するだろう。
そう思って聖剣を下ろす。
「俄然やる気湧いてきたぜ」
「何でそうなるの!?」
セドナが立ち上がり腕を組む。
「絶対手に入れる――俺をこの国に受け入れろ。そうすりゃナイトとして剣を振るってやる」
――紅蓮の髪がふわりと揺れる。
遠く、ドラゴンの雄叫びがして、遠のいていくのがわかった。
その三白眼に、リィンが映り込んだ。
「ドラゴンは野に返した。国は襲うなとも命令した」
「信用出来ない」
「何言ってやがる。てめえの国をてめえで滅ぼす馬鹿に見えるか? この俺が」
「はぁ……もう国民になった気?」
「ああ、リィンの恋人気分だ」
「……ばっかみたい」
いつの間にやら呼び捨てされている――何だかなぁ、と。リィンの心は既に白旗を挙げていた。
「――まぁ、他国の犯罪なんて知らないし……ていうか君が犯罪者かどうかなんてそもそも証拠が無い」
否、無断侵入という罪は確実に犯しているのだが――その辺りは棚に上げる。
「つまり?」
「うん、下級兵にでもぶち込みます」
「何でだよ!」
そこは騎士位とか貰えるんじゃねえのかよ! と、セドナが戯けた事を言い出したので、リィンは「特別扱いする訳にはいかないでしょ」と返した。
「ほらッ、こんなにも愛しているんだ。側に置いてくれよ!」
大きく両手でジェスチャーし、セドナは自らの愛を表現した。
「……話は終わり。適当に配属するから暫くは兵舎で暮らしてて」
もう言うことは無いと、リィンは踵を返す。
背後から何やら馬鹿でかい声が掛けられだが、それは努めて耳に入れない様にした。
聖女が姿を消して暫くすると、黒髪の女が牢獄に足を踏み入れた。
純白のメイド服が目を引く、勝気な目をした女だ。
これまた十二分に美女だが、リィンの後だと流石に霞む。
上から下まで舐め回すように俯瞰してくる男にフェリスは軽く悪寒を感じて一つ、舌打ちした。
「……セドナ。貴方の処遇が決定しました」
「へぇ、下級兵なんてごめんだぜ」
「減らず口を……黙らせますよ」
強い語気には、確かな武威が含まれていた。
聖女程では無いが、このメイドも中々の使い手。先程重心や足運びを軽く確認したが、なるほど今の飢餓状態では分が悪い。
セドナは熱く冷たい男である。
大人しくなったセドナにフェリスは軽く眉を潜めつつ、続けた。
「非常に、物凄く――断腸の思いですが、リィン様は貴方を客人として迎え入れる事を決定しました……」
重く重く、遺憾であるといった様子で告げる。
「リィン様直属戦闘メイドである、このフェリスの後について来てください。
下手な真似はしない様に、お願いします」
「はいはい、わかったよ」
美少女の困った反応を見るのは楽しい。
空腹が腹痛に変わりつつあるのを堪えながら、天下一の『大盗賊』は笑った。
全てを手にして尚、空虚な男が、リィンが紡ぐ王国の歴史の一ページに加わる事になる。
その始まりの一幕は、暗い地下牢獄から始まった。
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