「――以上が報告になります」
「上々だね」
「……本当に、よかったんです?」
「何が?」
「心が痛んだりとか……しないんですか?」
青白い月の下、天を突く塔――その最上階。
現世離れした輝きと何処か冷たさを内包する聖女――リィンが専属メイドである黒髪の女、フェリスに向けて諭す様に柔らかく微笑んだ。
「私は何も悪くない、恋を叶えただけ。勿論アイサちゃんも悪くない」
でもね。
「お父さん達が無能だった……無能同士掛け合わせたら、すっごい無能が出来上がると思わない? 国がどうにかなっちゃうくらいのね……まあ、たった一ヶ月でそうなるとは思わなかったけど」
ちゃんと膿が払えてよかった。
影響力の弱い、意見の一つも言えない愚王と。
虎視眈々と家の利益だけを追い求め、民に目を向けようとしない欲塗れの貴族。
民衆は決して馬鹿ではない。
可視化した問題に立ち上がった勇気ある者達が頑張ったのだろう。
その過程で彼女は犠牲となった。
なるほど、理解は出来る。
争いは根本的な原因を断ち切らなければ治らなかったのだ。しかし、だからといって容易に首を縦には触るのはおかしい気がする。
「私は貴方が外道なのを理解している。その上でついて行くつもりです――しかし! 人道を踏み外したその時には、斬りますよ」
敵意でも殺意でもない、中途半端な意志。
「家の腐敗に気付き、止めるのも娘の役目。何で一度婚約破棄されたのかくらい分かって欲しい」
論点がずれている。
否、眼中に無いから、敢えて外している。
「私はそれでも恋する女の子を応援したい、勿論君もね。
まあ―――」
聖女の聖職衣が風に流されてふわりと舞う。
そして眼下の景色を見下ろした。
それは、一面に広がる街。
まだあまり規模は大きくないが、確かに人の営みがあった。
「恋愛は全力で応援する。その次いでに利用出来るならそうする。それがこの国を大きくする為の利益に繋がるなら是非も無い」
これを『街』と呼ぶのは禁句である。
言ったら懲罰、この辺りの話題に聖女は寛容ではない。
「さぁて、明日からまた聖女業頑張りますか!」
一転、神妙さが露のように消え失せる。
話は終わりだと、リィンはさっさと塔を駆け下りてしまった。
「……困ったお人ですよ、まったく……」
苦労メイド、フェリスは長い長い螺旋階段をゆったりと降りて行った。
意気込んでみたものの聖女業はぶっちゃけ暇だ。
国王でもあるから屋敷に篭って執務を消化すれば幾らでも時間は潰せるのだが、それは性に合わないので下の者にやらせている。
「ふわぁ〜、可愛い女の子来ないかなー……っておじさんみたいか。いけないいけない」
敬虔な聖女信者達の恋は粗方叶えた。
だから朝、礼拝に来る人々の前で適当に聖女っぽい振る舞いをすれば一日の業務が完了する。
――と、今日は何だか向こうから恋がやって来そうに無い。
女の勘はよく当たるのだ。
なので、
「城下町でも散歩しよ」
あっさりと祭壇を留守にした。
天高く登る太陽に向かって背を伸ばす。これだけで心地が良い。
自分が作った国の中だから余計に気持ち良い。
「あ、聖女さま!」
「聖女さま聖女さま! こんなところで何してるの?」
恋が集まりやすい中央広場に赴くと、噴水で遊んでいた元気いっぱいの子ども達が群がってきた。
リィンは優しく顔を輝かせた。
「何か面白い恋が無いかなーって、いても立ってもいられなくってね。来ちゃったの」
てへっと、無邪気に笑うと子ども達もそれに応じた。
男子はというと――顔を赤らめてそっぽを向いてしまう。
「あ、男子が聖女さまに恋してます!」
「うっせ! そんなじゃない!」
「えー違うの? 哀しいな……」
「ぅえッ!? ごごごごめんなさい! 聖女さま!」
およよと、目元を擦ったリィンがその手を退くと、湿り気の無い紺碧の瞳が覗かせた。
「冗談っ。でも、きっと私なんかよりも良い人見つかるよ」
屈み込んで男の子達を順々に撫でていくと、なぞる様にして茹で上がってゆく。
「せ、聖女さまなんて」
「きらいだー!」
「あら」
どてんと尻餅を突きながら逃げ去ってしまった。
「嫌われちゃった」
「えー、あいつらさいてー」
「とっちめてきまーす」
と、残った女子もその背中を追い掛ける。まったく、微笑ましいものだった。
「平和だね」
「ええ、本当にその通りですよ」
しゃらり、と。
鉄が擦れる音。
ぽんと肩に手が乗せられた。
「……フェリス」
「さあ! 帰りますよ、今日こそは逃しません!」
――書類がっ、溜まっているのです!
そうのたまう彼女に強引に引っ張られて教会ではなく、屋敷に向かう無様な聖女を、国民は微笑ましげに見守っていたのである。
「―――し、これで終わり。ちょっと涼んでくるわ」
「いけませんね……まだまだ残ってますよ」
執務室の机に置かれた書類の山は、新興国を立ち上げる為に書いた申請書の数々。
実は、まだ国とは認められていない為、色々と面倒な時期なのだ。それでも、もう少しで要望が通りそうなのは彼女の努力の賜物だ。
ざっと目を通したリィンは今日も今日とて塔へ向かうと言う。
あそこは彼女のお気に入りの場所なのだ。
「フェリスも城下町で羽を伸ばしてくるといいわ、人手は足りているのだし」
「……それはそうでけど……」
「だよね。じゃあそういう事で!」
「えぇっ!? リィン様!」
ぺろっと可愛らしく舌を出したリィンは風の様に走り去ってしまった。
背後でがっくしと項垂れるフェリスに心の奥底で謝りつつ塔を駆け上がる。
――違うよ、フェリス。書類を書いたくらいで国は立たない。
かつての景色が脳裏を焼く。
炎は消えない。
だから、それが届かない。
一番高いところに登るのだ。
屋敷の裏にある塔――その天辺に立つと、山の奥に太陽が沈もうとしているのが見えた。
相変わらず壮大、しょうもない出来事を洗い流し、楽しかった思い出だけが残る。
子ども達の笑顔に――私は癒されているのだ。
――と、感慨に耽っていると。
「なんだろう、あれ……?」
太陽の中から、黒い点が見えた。
それは段々と大きくなり、こちらに近付いているのが分かる。
凄まじい速度だった。
黒い巨大な双翼が空を切り裂き、顎門からは火の粉をちらちらと撒き散らしながら――豪、と風を貫いて猛然と突き進む、あの恐ろしい怪物は。
「――ドラゴン? ――不味い、迎撃の準備を!」
城下町に騒ぎはない。
あれに気づいているのはリィン一人。
狼狽るな、出方を伺え、沸騰した脳では突破口も見つからない。
それに好都合だ。
奴はこちらへ向かって真っ直ぐに向かってくる。
「狙いは、私か」
愛用の聖剣はここに無い。
だから塔に備え付けてあった槍を構える。
そして、その全貌が明らかになり――
「おうおうおうおうおうッッ!! その物騒なもん下ろしなッ!」
粗野で馬鹿でかい男の声が響いた。
あろうことかドラゴンの背から――唐突かつ想定外の出来事に体が硬直し、頭上を取られてしまう。
「とう!」
またも声がして、人影が塔に降り立った。
「まさか……本当に」
幻聴では無かった。
ドラゴンは上空で大人しく下等生物である筈の人間二人を見下ろし、何か仕掛けてくる様子もない。
生唾が喉を滑り落ちた。
竜騎士か何かか――何にせよ強者なのは間違いない。まずは誰かが気付くまで時間を稼ぐことに意識を割く。
だからまずは、
「何者? 私が聖女だと知った上での無法?」
何か聞き出せたのなら大収穫、そうでなくとも足止めになれば十分だ。
そんな意を込めた問いに対して、衣服の汚れを払う様な仕草をした男は――混じり気のない清涼な赤髪を揺らして、緊張感無くニカっと歯を剥いた。
「よくぞ聞いた!」
右手を腰に当て、反対の手で天を指差す。
何だか締まらないポーズを自信満々に決めた。
「俺はセドナ。天翔る盗賊団頭領にして不当不屈の竜騎士ったぁ俺のことよ――」
「はぁッ――?」
「大陸一の美女、いや美聖女がいると聞いて今宵は頂戴馳せ参じたって格好つけて言ってみりゃあ分かるかい? お嬢さん」
「おじょッッ?!」
何だって言ってるんだいこの男は。
訳が分からない――リィンは、よく分からない感情になって二、三歩後退した。
「おうおう、意外に好感触かなこりゃあ。派手に登場した甲斐があるってもんだ」
男――セドナは会心の笑みを浮かべ、勝利を確信したのか腕を組んでどかりと胡座をかいた。
凡そ、雰囲気もへったくりもない態度に目眩を覚えたリィンは思わずこめかみを小突く。
――それ以前に。
一国の王にして聖女であるリィンが次に発すべき言葉は最初から確定している。
「……帰って? 本当に……牢屋にぶち込むよ?」
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