ドラゴンが去り、民の声に活気が戻った。
それに安心して、執務中でありながら窓から差す陽光に頭の中が微睡む。
「もう、つかれた〜」
「おう」
「税金の調整を求める声にどう対応すればいいんだよ〜」
「おう」
「だから少し休憩させてって、あれ?」
「おう!?」
頭の天辺に感じる少しの温もりと重さにリィンは突っ伏していた頭を跳ね上がらせ、透き通るばかりに白く美しい髪を軽く整えながら、『そいつ』を睨め付ける。
「この無礼者! 常識知らず! 許可も無く触らないで! ――ていうか何で君がここにいるの?」
『そいつ』――リィンの頭を撫でていた無礼者ことセドナは事も無く反論する。
「ノックはしたぜ? それに返事も貰った|うーん《・・・》ってな」
そんな記憶は無い。
多分、呻き声みたいなものだろう。
そう思うと、凄く恥ずかしくなって顔が熱く火照る。
本当にこの男はデリカシーが欠如している。
「うるさいっ、君は客室に戻って。私は忙しいの!」
ぴしゃりと言い放ち、ふいとそっぽを向く。
やれやれと肩を竦めたセドナは、頑なに動かないという事も無く、執務室を後にした。
……何がしたかったのだろうか。本当に。
「ま、どうでもいいよね」
今日の午後は忙しくなる。
その為に、英気を養わなければならない。だったら何も問題はないよね。
自らにそう言い聞かせて再び机に真正面から向かい合った。
「……リィン様」
「ふぇ……っ?」
やはりというべきか、彼女の空返事を入室の許可として受け取ったフェリスに叩き起こされたので、明日からは『入室禁止』の立札でも設置しようと思う。
湯を浴びて、純白の聖職衣を羽織う。
顔を引き締め、聖女としての雰囲気で自らを着飾る。
そうして『彼』を待つ。
きっと情念に身を焦がしているであろう、かの国の王子を待つ。
祭壇の前、長椅子で数度夢と現の間で揺蕩っていると、「彼が来ます」――フェリスの声に姿勢を正す。
ゆったりとリィンが立ち上がるのと、神殿の扉が勢いよく押し開けられるのは、ほぼ同時だった。
「聖女殿か……ッ!」
金髪の青年だ。
リィンは彼の事をよく知っている。かなり下調べをしたから。
「私はフィンス・ヴィ・アインザック――アインザック王国の第一王子。リィン殿だな」
青年の名乗りを、聖女は祭壇に上がりながら聞き流した。大して興味は無い。
「それで……今日はどのような御用で?」
「ああ、時間が無い故単刀直入に聞くぞ――私に何をした?」
「何を……とは?」
「とぼけるな! 私はアイサから聞いたんだ! 『聖女様が恋を応援してくれた』とな! あの時は、何も不思議に思わなかった。いや、思えなかったと言ったほうが正しいか」
「何が言いたいのです?」
「ああ、言ってやるよ! 今私には、彼女への恋愛感情がない! 不気味なくらいにな」
息を切らして全てを吐き出すかの如し形相のフィンスには、もはや国の頂点に立たんとしていた第一王子の面影は無い。
それをリィンはやはり感情の篭らない瞳で見返すと、
「言い訳しないで欲しいですね。愛が、足りなかっただけでしょ」
「何だと!?」
「きっと彼女が死んだその時から、『まるで魔法が解けたかの様に』愛していた理由が分からなくなったのでしょう」
「……ッ、貴様……どこまで知って――やはり」
「やはり? お前の所為? とでも?――愚か者が。一時でも愛した女を裏切る様な科白を吐こうなどと私が許さない」
「……せ、聖女殿は何を言って」
――
恋の病にかける――それが聖女としての力。
病は伝染するもの、だから思い人の思考も狂わせる。
そもそも、一ヶ月という期間は短すぎたのだろう。本来ならばリィンの力が解ける事はあり得ないが、結局恋愛なんて当人の頑張り次第だ。
だから惚れ薬や恋の病と表現する。
間違っても|天恵《ギフト》とは表現しない。
恋とは総じて邪なものであるから。
今までは幸福な恋ばかり叶えてきた。そして今回は――どうだろう。
取り敢えず、隣国の存在は我が国が成長する為に現段階では邪魔だ。後に利用するつもりなのだが、今は矛を砕いておく必要があった。
仕方がない事なのだ。
愛すべき自国民の為に最善以上を尽くす。自らの責務である。
――しかし全て、フィンス王子に明かす必要はない。
「……リィン様。時間ですが……?」
「えぇ、そうね」
メイドの耳打ちに聖女は微笑んだ。
「フィンス王子……脱走はいけませんよ。貴方も責務を果たしてください。」
「……?」
彼女はフィンスの背後を指差した。
なんとなくそれに導かれて首を動かすと、盛大に顔を痙攣らせた。
「フィンス王子! 探しましたぞ!」
入口に現れたのは顎髭を蓄えた男。その背後には多数の兵が控えていた。
「右大臣か……私は原因の所在を確かめに」
「いつまでそれを言うのですか!? 彼女が亡くなられたから、幾らか冷めただけでしょう? それを聖女殿に押し付けるなど……はっきり言いましょう。情けないですよ!」
「ち、ちがう……そんなんじゃ……これは明らかにおかしいのだ」
「戯言を――今は大事な時期です。下を向いてばかりいられませんよ」
地に堕ちた王家の信頼を回復させる。
当事者であるフィンス自身がそれをやるしかない。
さもなくば、彼の首が飛ぶのは時間の問題だ。
「聖女殿、時間を取らせて申し訳ない。フィンス王子も国を思うばかりに短絡的な行動に出てしまったのです――ほら、王子。謝罪を」
「…………」
大臣に促されて頭を下げるフィンス。
直前、苦虫を大量に噛み潰した様な顔をしていたのが見えた。
「頭を上げてください。国を思うお気持ちは理解出来ます。民の為にも、一刻も早く健在な姿を見せるべきでしょう」
「おお、聖女殿もそう思いますか――本来ならば何か手土産でも持参すべきでしたが、時間が差し迫っていまして……それはまた後日」
「御心使い、感謝です」
「それでは我々はこの辺りで、行きましょうフィンス王子」
大臣が合図をすると一斉に兵が王子を取り囲んだ。
拘束まではされていない様子だったが、あれではまるで囚人だ。
結局、神殿を去るその瞬間まで王子は黙りこくったままだった。
「ねぇ、以前にも似たような事を言ったと思うけど……聞きたいことがあるの」
「なんなりと」
「私、悪い?」
衣擦れがよく響く、静謐な神殿内に残されたのは聖女リィンとメイドであるフェリスのみ。
その問いは一月前、リィンが溢していた独白。
さて、どの様に応えるのが正しいのか、と一瞬だけ考えた。
「困った方、です」
「それ答えなの?」
「もしあなたが道を逸脱した時はこの私が斬りますので、安心して己の道を進んでください」
「はは、何それ。そもそも君は私に勝てない癖に」
やはりおかしな子だと思う。
駄目なものは駄目とはっきり言えばいいのに。
恋は盲目とはよく言ったものだ。
どうせ叶わないのにね。
あの五月蝿い男も――君も。
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