《ファヴィル、聞こえる? そっち行くから準備してて、いつでも出立出来るようにね》
《ご帰還ですか……? して、我々の出番は……》
《ごめん、無い》
彼の落ち着き払った声がダイレクトに頭の中で反響する。これは天恵のチカラ。距離を無視して、実際に声を発する事なく情報を交換する事が出来る。
凄く便利だし、こういう状況下において重宝するんだけど……彼の心も直接伝わってくるので、結構気が散る。
心臓の鼓動だとか、息遣いだとか、体温だとか、そういうのがすぐ近くにある感じ。
本質的に、『距離を無視する』という能力だから仕方ないので我慢する。
たとえ、彼がはぁはぁと息を荒げていても我慢しよう。活躍の場が無いと知って落胆した心情がもろに伝わってきたけど、謝ったから許しておくれ。
いや、ほんとこんな予定じゃなかったんだ。
本来ならマリマ辺りが爛々とした目で試合でもしよう、とか言ってくる筈だったんだけど。あの人なんか帰っちゃったし。
メインへルンは基本的に傍観者だし、ヴィルヘルドの行動も読めない。
いやいや、そんなことよりも今の状況に注視しろ。私。
物凄い馬鹿力で私の手を引いてくる。
そう、まるで何かいけない事をして逃避行している時の様な悪い笑みを浮かべて疾走するセドナ。
岩石のような無骨な掌には、鍛錬で出来たのであろう豆が幾つもあった。それが私の手と擦れる度に、彼の影の努力が伝わってくる。
大きな背中だった。
まるで城壁を前にしている様な……そう、巨大な壁が向かいくる嵐を全て払い除けてくれるような安心感があった。
けど、
ここはあくまでも話し合いの場。
過去にも争いはあったみたいだけど、だいたい当時の王達はロクな目に遭っていない。
全て――眼前の、ヴィルヘルドの手によって。
彼が気分を損ねれば例外なくそうなる。
そう思うとぞくりとする。
背筋を毛虫が這いずり回るような、気色の悪さ。
だって現状敵うわけがないのだ。
あの男に。
天恵を三つ持っている正真正銘の怪物に、尋常な果たし合いで勝機は無い。
だから私は数百年かけて国を再興し、そして強力な戦力を集めてきた。
それでも尚、恐怖が勝る。
だからやめて欲しい。
今はまだ無理だ。ヴィルヘルドに刃向かうべきじゃない。心の準備が――
だというのに……無情にも、奴との距離が縮まっていく。その時だった。
「ジャン! 受け取れ! 丁重にな!」
「ふぇッ!? わわわ!」
瞬間、身体がふわりと浮かび上がる。
みるみる地上が遠ざかってゆく――あ、私今投げられた?
そうして、空中で尻餅をつく。
ドラゴンの背に乗ったのだ。
衝撃を受け流してくれたので痛みは無い。丁重に扱ってくれたみたいだ。
「……君の方がセドナより優しいんじゃないかな?」
乱暴に投げられたせいで腕がじんじんとする。
などと呑気にしている暇は無い。
眼下ではヴィルヘルドとセドナが拳を交え始めていた。
「――いい。貴様は実にいい。リィンの次に踊らせ甲斐がありそうだ」
「踊る? いや俺は踊らねえぜ? 舞踊だのダンスだのに微塵も興味がねえからなぁッ!」
「ぬ!?」
セドナが叫ぶ。
赤熱した拳を、超速で振り抜いた。
キィィィィィ、と。鉄と鉄を擦り合わせるような独特な音。拳撃を受け止めたヴィルヘルドの左腕がバターのようにどろりと溶け落ちた。
「次は右腕貰うぜ!」
続けざまに燃え盛る回し蹴りを放つセドナ。
角度的に受け止めるか、回避をしなければ顔面に直撃してしまう。
――やれる!
竜騎士の驚異的な戦闘力に、私は自然と高揚していた。
奴の能力など、一時的に脳味噌の中から何処かへ消えてしまっていたのかもしれない。
――ここで。
ヴィルヘルドが、少年のように無邪気に笑った。
復活した奴の左腕が、防御不可である筈の攻撃を受け止める。
次いで、ここに来て漸く腰に挿していた漆黒の剣を抜く。
ぬらぬらと、太陽光を吸収して粘着質に輝くすらりとした刀身が、がっしりと掴んで離さずにいたセドナの右脚を斬り落とす。
「……ぬぐッ!」
「セドナ!」
同時に拘束から逃れ、距離を取ったセドナは苦悶に顔を歪めながら、「ふんッ」と気合を入れて右脚を生やした。
……蜥蜴の様な奴だ。君も。
私の心配を返して欲しい。
それにしても、久々にヴィルヘルドの能力を見た。
一つ目の天恵――『再生と耐性』。
一度攻撃を受けた部位は、より強固な耐性を得る。再生能力に限度は無いため、戦闘は長引けば長引く程不利になる。
セドナに教えておけばよかった……ていうのは結果論かな。
私はあいつの性格上、ヴィルヘルドの能力を伝えてしまうと好奇心のままに戦闘を仕掛けてしまうと判断した。
そもそもドラゴンとセドナは示威目的で連れてきただけ。ぶっちゃけドラゴンは殺されちゃっても仕方ないと思ってたし、竜騎士が味方にいるという証明でしかない。
いやでも、ドラゴンも乗り物の一部と考えたら殺される事はないか?
「……てめえ。姑息な手ェ使いやがったな? 決めた。それすらも完全に上回ってやらあ」
「暑苦しい男よ――だがな竜騎士。敢えて忠告しておくが、貴様はここで退くべきだぞ?」
「なんだと?」
「分からんか? 貴様は俺の顔に指一本触れる事すら出来ん」
――
挑発するヴィルヘルドに、ゆるりと半身になり腰を落とすセドナ。
全身が赤熱し、もはや何処に触れても大火傷必死だろう。通常なら。
「竜騎士の流儀……教えてやんよ」
セドナが爆ぜるように跳び出す――と同時に、視界が揺れた。ドラゴンが急降下している。
距離が近くなったので私はここで漸く忠告する。
「あいつは天恵を三つ持ってる! 危険な戦闘はもうやめて!」
しかし、この声は、しっかりと無視された。
「勘違いするなよ!」
刹那、接敵したセドナが性懲りもなく拳を引き絞ると。ヴィルヘルドは左腕を前に突き出して、防御態勢に入った。あの魔剣すら使わずに、受け止めてみせるという傲慢な構えだ。
無論、セドナは止まらない。
「竜騎士ってのは、ドラゴンに跨るだけの孤独な英雄じゃねえ! いつの時代も! ドラゴンとともに戦う――!!」
足場がぐらりと揺れる。
ドラゴンが首を擡げたのだ。
ちらちらと氷の粉が舞い、そしてそれが発射される。
巨大な氷球がセドナに直撃し、その膨大な冷気が即座に彼の右腕に絡み付いた。
赤熱していた彼の腕が、白く、変色し、
「喰らえ! 雪竜拳撃ッッッ!!!」
引き絞られた強弓が、電光石火の如く一直線に飛ぶ。
受け止めんと突き出された左手を一瞬で凍結させ打ち砕くと、勢いのままにヴィルヘルドの顔面を真正面から文字通り、粉砕した。
振り抜いた右腕を反動で引き戻し、彼は初めて会った時と同じく、指を天に突き上げる変なポーズをビシッと決めた。
「ふん、誰が誰の女だって? もう一度言ってみな! 皇帝陛下さんよ……ああ、聞こえねえか? そうだろうな。それでも聞け――気に入らねえなら粉砕する。それが俺の、竜騎士の流儀だ」
顔無しに口無し。
死人は言葉を介さない。
首から上を失い、倒れ伏したヴィルヘルドを見下ろして、セドナはふふんと鼻を鳴らした。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!