ノベリズムさんでは初投稿です。
よろしくお願いします!
「お願いします。婚約破棄なんてしたくない! どうか……どうかお力を――!!」
慈愛溢れる聖母のような表情をした女神像が最奥にでかでかと飾られた、手入れの行き届いた神殿にて。
静かな色合いの花々で周囲を囲まれた祭壇の手前には、二人の美しい女がいた。
真冬の新雪を想起させる白髪が一際目を引く聖女と――涙を流し、聖職衣の裾に縋り付く少女。
「そう……どうしようかな」
呆れる程に目鼻立ちの整った聖女が、形の良い眉を潜めた。
聖女はその紺碧の瞳で少女をじとりと見下ろす。
何か悪寒を感じた少女は肩を震わせ、嫌われないようにへらりと笑った。
「安心して」
だがそれも、聖女の暖かい言葉でゆっくりと引っ込んでゆく。
慈愛溢れる聖女の一言は、何よりも心強い。
安心感が込み上げてくる。
「――もう少し近寄って」
陽だまりのように微笑んだ聖女は、しっとりと祭壇に腰掛けた。
少女も言われるがままに距離を詰める。
しかし何処まで近付けばよいのか分からず、いつの間にか息が掛かるくらいの距離になっていた。
「目を閉じて」
「……はい」
指示に従い目を閉じると―――暖かく柔らかい感触が唇に触れた。
「んむぅッ?」
思わず目を開けると、文字通り目と鼻の先に聖女の美しい顔があった。
甘い香りが、口の中に入ってくる。
「――契約の印。儀式の様なものだから心配しないで」
ゆっくりと温もりが離れ、聖女はそう教えてくれたが少女には彼女が何を言っているのか分からなかった。
というより理解出来なかった。
でも、それでも。
彼と結ばれるためなら、どんな大悪魔とだって契約してみせる。
元よりそのつもりの少女にとって、キスがどうとか些細な事であった。
「二十四時間」
「へ?」
「それが君の恋の制限時間」
聖女はそう言って少女の背中を押す。
「今、君は最強。どんな苦境にも負けない、絶対に恋は成就する」
「何を言っているのですか?」
「惚れ薬みたいなものさ、あなたが紡ぐ全ての言葉は思い人の頭を蕩けさせるの。婚約破棄なんて――政治なんてどうでもよくなるわ、必ず」
柔和に笑う聖女は自分を祝福してくれている。
どんな結果になろうとも、彼女だけは応援してくれている。
ならば何を憂う事があろうか。
軽やかな足で出口へ向かう。
「行ってきます、リィン様!」
「ええ、行ってらっしゃい。頑張って」
重厚な扉が、音一つ立てず閉まる。残されたのは聖女ただ一人。
――リィンと呼ばれた聖女は気怠げに、その細くしなやかな指を虚空に滑らせた。
その姿はまるで指揮者のようで、
「……えぇ、君は悪くない……私は精々恋の成就を祈っていよう」
―――
「させない。絶対に」
少女――アイサ・ヴィ・ヴェルリントは決戦に赴く為に純白のドレスを身に纏った。
長い睫毛にぷっくりとした血色の良い唇。
ブロンドの髪に白い肌。
(私は伯爵家の長女、でも……)
今日の『舞踏会』には自分よりも爵位の高い貴族の令嬢がやってくる。
きっとフィンス王子は父上であるパーシヴァル国王にこう言われたに違いない。
――アイサは不釣り合いだと。
「いい? アイサ、頑張るの。大丈夫よ、今はリィン様の御加護も付いてる」
巷で有名な恋のキューピットならぬ恋の聖女。
叶わなかった恋愛は無い。
だから大丈夫だと、胸を張り大きな一歩を踏み出す。
ホールに続く扉を開ける。
「うお!?」
「フィンス王子?」
扉の淵が王子の目の前を勢いよく通過した。
運命のような偶然に、互いの宝石の様な瞳が交錯する。
――なんでこんなところに……!?
聖女のいる隣街から全速力で帰ってきたつもりだったが、舞踏会にはやや間に合わなかったのだ。
ここは出入り口。
もしかしたら舞踏会は終わってしまったのかもしれない。
それにフィンス王子の前に立つと鼓動が早まる。
「婚約は破棄する」
重々しく告げられたあの記憶が頭の中で明滅する。
――大丈夫よ。
絶望しかけたその瞬間、聖女の声が聞こえた気がした。
はっと視界が鮮明になる。
より多くの情報が詳細に入ってくる。
でも、足元が覚束ない。重心が後方に傾く。
「あ――」
力が入らない。
転倒する。
無様な姿を晒してしまう
――
そう思った。
「――アイサ!?」
その瞬間。
世界の時計が急速に進み始める。
端正な顔を歪め前だけを――いや、アイサだけを見据えたフィンス王子が駆け出して、
筋肉質で無骨な腕がアイサを受け止めたのだ。
相反して時が止まった気がした。
「危ないところだった。何故だろう、安堵からか涙が……」
ぽたりぽたりと滴る雫がアイサのドレスを濡らす。
彼の涙に、とくんと心臓が瞬いた。
「フィンス……なんで……?」
「そんなに私が君を助けるのが疑問かい? 私がそんな薄情な男に見えるのかい?」
真っ直ぐな瞳で見つめられ、呼吸が止まりそうになるが何とか言葉を紡ぐ。
「は、薄情です。あなたは薄情なのです! わたしと婚約して下さらないフィンスは薄情に違いありません!」
「な……!」
酷く滑稽な台詞だったが、全ては本心。
恋は人を狂わせる。
――ああ、わたしは狂ってる。
それを理解した上での台詞である。
フィンスが欲しい、それだけだ。
そして、
「……あ、れは―――冗談さ。すまない私がどうかしていた。直ぐにでも結婚したいとさえ思っている。私のアイサ」
その願いは叶う。
もうアイサしか目に入らない。
彼の瞳には一人の女しか映っていなかった。
「あら、フィンス様。そんなところでどうされたのですか?」
背後から声が掛けられた。
フィンスはアイサを隠すようにして立ち位置を変えて、
「まずいな――行くよ!」
「――ふぇ……?」
アイサを抱えて駆け出した。
その姿は御伽話の王子様のよう――否、王子そのものなのだが。
夜を駆ける。
王城を駆ける。
月に一番近い場所にある、背の高い塔を目指す。
――愛を囁きなさい。
言葉が蕩けさせる。
聖女の教えが反芻する。
「愛してます」
「ああ」
「好きです」
「私もだ」
「他に何も要りません」
「私も同じ事を考えていた」
走る、走る。
その間、延々と愛を交わし続ける。
呼吸が間近で混ざり合い、鼓動が不規則に旋律を紡ぐ。
そして最上階に辿り着く。
「愛に期限なんてありますか?」
「そんなものは無い、私達の愛は永遠だ。どんな過酷な運命でも打ち砕いてみせる」
それはまるで御伽話のワンシーン。
抱擁が、鼓動が、熱く、緩やかに――視界が揺れる。
「――よかった……ッ」
ひたすらに愛を囁いて、ああよかった。
とうに二十四時間という期限は過ぎている。
夢は現実になった。
ひと時の甘い夢――などでは断じて無い!
「ふへぇ……フィンスはあったかいですねぇ」
だから腑抜けた声が漏れてしまっても仕方ないのだ。
「君だよ、私に温もりをくれたのは」
だって彼は全てを許容してくれるから。
力強い抱擁に脳が蕩けてしまいそう、いっそのこと二人で溶けて消えてしまいたい。
何にせよ、此処に恋は成ったのである。
―――
聖王暦985年9月11日。
フィンス第一王子による悪政により第二第三都市の飢饉悪化。アインザック王家失墜の兆しあり。ヴェリアント婦人の一言が事の発端と見られ、これを処刑。しかし、火元を絶っても事態は収束の見込みは無く、王家崩壊は確実といえる。
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