「第一段階……」
右手の人差し指と親指で作った輪を通して、大聖堂で起きた惨事を確認すると、隻眼の男――マダイは構えていた闇を塗りたくった様な色合いの大弓を下ろす。
天井が無いとはいえ、巨大な壁で囲まれた大聖堂内の人間の脳天を射抜くのはまごう事なき神業だ。
一番高い物見台から山なりに放った凶矢は、マダイの計算通りの軌道を辿った。
アインザック王国、闇を請け負う部隊の長。裏世界最強の弓兵――『鷹』とは彼の事。
彼を捕らえようとして襲いかかったが返り討ちとなった、アウギュステ兵の遺体が散在する物見台から離れ、指定された場所へ向かう。
その最中ポーチに手を突っ込んで小瓶を取り出した。
透明の液体が入っており、《劇》と書かれた封が側面に貼られている。
「第二段階……」
ごくりと喉を鳴らし、小瓶を口元へ持ってゆく。
この際、手汗で滑りそうになったので握る力を強くする。
「欲を出すな、奴らは怪物だった。最低ラインを達しただけでも十分じゃないか。なにせ大金貨五百枚だ――後は……ッ」
きゅっと目を瞑り、小瓶の中身を一気に呑み干す。すると身体がかっと熱くなり、意識が急激に薄れてゆく。
そのまま直ぐに視界が消え落ちた。
『天恵』持ちが一人――舞台から去った。その瞬間である。
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同時刻。
白で塗り潰されたかの様な白亜の大聖堂では、赤い血潮を止め処なく流し続けるアインザック3世に、覆い被さり嗚咽を漏らす――フィンス第一王子の姿があった。
「……ぅ……く……ッ、父上……、私がお側に付いておりながら……何と情けない……! 愚か者だ、私は……」
各国の王が微動だにせず鎮座する中、息子はというと取り乱し、拳を地面に叩きつけ――「ヴィルヘルド殿下。ここは私に……どうか」と祈る様に頼み込んだ。
「出来るのか? 貴様に」
「やれます。我が二百の強兵ならば、逃すこと無く」
「そうか。ならばその手並拝見させてもらおう」
「その意に、深く感謝致します――それでは……」
顔を引き締めて、大聖堂の外にいた自国兵へ指示を出す。
その後ろ姿と明確にして正確な指示は正しく勇猛な将だった。
――あんな顔をする人だったかな?
リィンはその場に佇んだまま彼の動作全てを見逃すまいと目蓋を上へ押し広げた。
まず、誰でも疑う不自然な点はアインザック3世が襲撃されたタイミングだ。
どう考えても計ったとしか思えない。
これは他の王も容易に察している筈で、その上で言及していない。
もしかすると彼等は襲撃者の正体を既に察している。そしてフィンス王子の意図も――
ならばここは遅れを取る訳にはいかない。
考察材料を集めろ。
――空いた天井。
――王は自らの合図とともに死んだ。
――王子は自身から行動を起こすタイプではない。いや、親が殺されたのなら憤慨するのも不思議ではないか?
もしも、彼の計画通りならば――
と、そこまで考えた頃、大聖堂の大扉が盛大に叩かれた。
「入室の許可を! 襲撃者を捕らえました!!」
「許す」
ヴィルヘルドの返しに、アインザック王国兵が二人入ってきた。指示から十分程度、あまりに早すぎる。
豪奢な白を基調とした鎧に鮮血を付着させた彼等は、血塗れの隻眼男をフィンスの前に投げ捨てた。
力無く横たわった彼は、既に死んでいる。
「申し訳ありません。激しく抵抗された為、生け捕りに失敗しました」
「そうか。有難う、十分だよ。私は仇を討てただけで満足している」
大きな弓を握り締めたまま死亡した男の腹を、フィンスは乱暴に蹴り飛ばし、「不快なものをお見せしました」頭を下げ兵と死体を壁際に寄せた。
「ところで」
彼はリィンの方へ向き直り、
「領土の件ですが、了承します。他に要望はありますか?」
いやに素直に微笑んだ。
その態度にリィンは眉を潜め、思案した。
――要望、そんなものは決まってる。
懐に仕舞っていた一通の手紙と、一人の少女の想いが頭を過った。
「王都にあるヒーストン男爵家を訪ねさせて欲しい。それ以外ないかな」
「……ヒーストン……承知しました。手配させましょう。領土については、国民の移動の完了次第書簡を送らせます」
つらつらと述べるフィンスに眉を潜める。
まるで王の様な振る舞い。
いや、事実上この男が王になるわけだが――ひとまず特に問い質す部分も無いのでリィンは軽く首肯した。
各国の王も、ヴィルヘルドを除き不愉快そうにしている。
背後のセドナは「しゃらくせえ、ぶっ飛ばしちまおうぜ」などと戯けた事をほざいているが、勿論この場でそんな暴挙に出る訳がない。
というかセドナを連れてきた理由はヴィルヘルドの反応が見たかったからだ。
『愉悦至上主義』の奴の事だ。部外者であるセドナは寧ろ、『盤上の駒』として扱うつもりだろう。
だからリィン達の参加を許し、割と筋が通っていない提案も押し通した。
――とは言っても、奴の考えが理解出来るという事もないけどね。
なんとも言えぬ時間が流れ、明らかに苛立ちを隠し切れていない女王マリマががたりと席を立つ。
「終わりだ。実りのない話し合いだったな。私は帰るぞ」
「意な事を、マリマ。貴様は劇の結末を見届ける事なく帰るのか?」
ヴィルヘルドが挑発混じりに制止するが、マリマは既に大聖堂の大扉に手を掛けていた。
無断での退室は反発とも取られかねない行為だが……愉快犯のヴィルヘルド、騎士道のメインへルン、力無きフィンスに動く気配は無い。
――ヴィルヘルドがどう出るか読めない以上動けない。
この中で一番彼の性格を知っているが故に、リィンは動けない。
大陸を舞台にした遊戯に於いて、有力な駒をこんなところで失いたくない。
彼はそう思っている筈だ。
四人の王を見てマリマは、最後フィンスに視線を合わせ、直ぐに切った。
「良い顔になった。次の戦は全力で滅ぼしに掛かろう――その男に免じてな」
意味深な言葉を残して去って行った彼女の横顔には最後、好戦的なものが見えた。
その対象。
フィンスに臆した様子は無く、僅かに視線を斜め下に下げた。
そこには矢で貫かれ、未だ出血が収まらない前王の亡骸が。
(どうする? リィン。俺達もとんずらかますか)
(うん、それも悪くないけど……)
(けど?)
(……ヴィルヘルドが)
珍しく空気を読んで小声で話しかけてきたセドナに応じる。
セドナは大きな大きな舌打ちをした。
「しゃらくせえ」
「はい?」
(順序がどうとかどうでもいいだろ。目的は達成したんだ。後は俺のやりたいようにやるぜ)
(君のやりたいようにって……!)
折角組み立てたプロットが崩れ落ちる音が聞こえた。
天上天下唯我独尊。
火口の様に燃え盛る赤髪揺らし、打楽器の旋律の如し重低音を、拳を突き合わせる事で打ち鳴らす。
「細けえ事は後で考えろ。ここは息苦しくてかなわん――何より」
竜が豪胆に牙を剥いた。
顎門から炎が漏れ出した。
垂涎が床に垂れ落ちて、じゅうじゅうと蒸発した。
――そんな幻覚を見た。
彼は彼のまま、いつもの様に歯を剥いてみせただけなのに。
「てめえは俺の女だろ。ヴィルヘルドヴィルヘルド五月蝿えよ。野郎に一発入れてからずらかるぜ。その方が俺らしい」
自制は何処へやら、ダダ漏れとなった駄々捏ねが大聖堂に響き渡る。
王達の視線が集中する最中、セドナは口笛を吹いて、リィンの手を取り爆裂な速度で駆け出した。
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