日は傾いた。
陸地は赤みと黒みを増した。
帆は一杯に風を孕み、カナロアは強まりつつある波の中を、もみくちゃになりながら進んでいる。
真後ろを、巨大な帆を膨らませながら、この艦の二三倍はあろうかと言う大きさの艦が急追していた。
俺は艦尾に居たナナミの隣に立った。
「アレが敵か?」
「ああ。そうだ」
「追いつかれるのか」
「恐らくな」
俺を案内した後にどこかに行っていたディードが、キャビンにあったナナミの剣と、油紙に包んだ二丁の銃を用心深く抱えて戻ってきた。
「カイム殿は、射撃に適したスキルと風魔法をお持ちだそうです」
ディードが言うと、ナナミの顔が心なしか明るくなった。
「そうか。それはいい。その銃は父上の形見なのだが、正直私は銃の腕はさっぱりだからな。遠慮なく使ってくれ」
俺が頷くと、ディードが補足した。
「弾と火薬は五十発分を回せます。ただし、他の撃ち手には数発ずつ渡すだけになりますが」
「ああ、それで良いだろう。「銃撃」スキルの有る無しでは全く効果も変わって来る筈だからな。なるべくそれも必要にならずに済むように努力するがな。よし、副長。そろそろ右舷へ回る」
「アイ、サー」
ディードが部下に指示しに行く間、ナナミが自分の剣を腰に着けながら、その意図を説明してくれた。
「今あのフリゲートが出てきた島があるだろう」
「ああ」
その島は、一見大陸の一部かと見まがうほどの大きさである。こんもりとした木々に覆われた山となっていた。
「風はあの島の方角からこちらに吹いている。要するに、あの島の風下は風が弱くなっている」
「なるほど」
「今我々が右舷に変針すれば、奴らもそうするだろう。しかし我らは島から十分遠ざかっているので風をしっかり受けることができる。奴らは風の弱い所を進むしかない。まあ、それでも向こうの方が速いかもしれんが」
「ではどうする?」
「あの島の北端を出る前に奴の頭を押さえ、砲撃する。そうしたらなるべく沿岸沿いを北上、奴を撒ける場所を探す。やはり向こうの方が速い場合、西北西に舵を取る。なに、安心しろ。こういう事には慣れている」
ナナミの目は、決意に満ちていたのであった。
だが、それから十分も経つと、敵の艦が想像以上の戦力を持っていることが明らかになった。
風の弱い地点に入ったにもかかわらず、船足が弱まらないのだ。
フリゲートの頭を押さえようとするカナロアの試みは、早くも失敗した。
「……風を使う海洋魔導師が居るのであろう。船体に付与もされているかもしれん。厄介だな」
ナナミがつぶやき、下唇を噛んだ。
海洋魔導師とは、軍艦の上で有用な魔法を使えるように訓練を受けた魔導師の事だ。殆どが国家の海軍に属し、民間で海洋魔導師を名乗る者は一部の傭兵・護衛稼業にしかいない。
海洋伯三家の海軍には、優秀な海洋魔導師が数多くいることで有名であった。
今ここで再び舵を切って風下に落ちて行っても、間違いなく追いつかれる。
ならば、立ち向かって一矢報い、隙を突くしかない。
傍らでは、部下を指揮するために艦尾甲板から降りたディードの代わりにグラムが居て、二丁の先ごめ銃に弾と火薬を詰めていた。
カイムは、その間もじっと敵のフリゲートを見つめていた。
「大きいし、美しい船だな」
ぼそりと呟くのを、ナナミは聞いた。
ナナミはカイムの隣にぴったりと並んだ。
この日常時でなければ恋人同士のようにも見える。
「そうだな。海洋伯三家の旗下にある船は、どれも優美で機能的だ。しかも、乗組員もよく訓練されている。ウチの艦もその点では劣るものではないと自負しているものの……帆面積や装備はどうしても及ばない。もっと風が乱れる場所や、風向きが逆であればあるいは、なのだがな」
「今度はどうするつもりだ?」
「西北西に向かうのは中止だ。差し当たってほぼ並走するが、大砲の射程ギリギリに近づいたら上手回しする。アレに頭から突っ込む形になるな。出来れば連撃し、マストか艦尾甲板に命中させたら島沿いに元の方向へ戻る。あとはその時だ」
「俺の風魔法では使い物にはならないか?」
「……多分な。あのフリゲートの様に機動させたいのだろうが、ランク1LV1では、十秒でも風を吹かせればいい程度だ。エアカッターも、有効射程は十メートルと言った所だ。魔法は修練を積まないと戦闘には到底使えないのだ」
「そうか。では、銃で何とかする他ないようだな」
「ああ。それであれば、射程だけなら四百メートルある。まあ、届くと言うだけだがな。有効射程となると、スキル持ちで……そうだな、二百メートルも無いと思うが。一般水兵が通常の銃を扱う場合、有効射程は百メートル以下だと思ってくれ。父上が金を掛けたと言うだけあって、品質は保証する。火縄や火打石の代わりに発火の魔方陣を組み込んであるから、発射の時にも殆どブレない。命中率が断然違ってくるのだ」
「ほう、随分大したものらしいな」
「高いぞ。海に落としたら泳いで取りに行ってもらう」
「承知した」
カイムは軽く肩をすくめた。
ナナミは、まだ彼の笑顔を見た事が無いのに気が付いた。
何となく、どう感じているのかは細かい表情で分かるのだが。
(何とか生き延びて、笑顔を見たい)
ナナミはそう思った。
そしてその時はやってきた。
徐々にその間を狭めつつ、もう裸眼でも敵兵の顔が見える位置に至った。
既にフリゲートの方でも搭載している大砲の装填は終わっている筈だ。
ナナミは主甲板を見通せる位置に移動した。
乗組員四十五名全員の姿がある。
「上手回し一杯の後、照準つき次第発射せよ」
全員が頷いた。
ナナミが右手を上げた。
「上手回し!」
「上手回し!」
カナロアの乗組員が、まるで一つの機械のように滑らかに動いた。
転向桁が引かれ、舵が回る。
一旦風に向かい、そして逆の弦に風を受ける。
それは上手くいった。
だが。
ほぼ同時に、フリゲートの方も風下へと舵を切ったのだった。
ズドン!
先ず口火を切ったのはカナロアだった。その艦首の大砲が火を噴いた。
轟音と白い煙をまき散らしたが、しかしフリゲートの帆の一部に穴を開けただけに終わった。
誰かが叫んだ。
「駄目だ! 外した! ケツに付かれるぞ!」
みるみる両者の距離が縮まる。
このままいくと、真南に転舵したカナロアの艦尾を、フリゲートは思うさま砲撃する事が出来るだろう。
(タイミングを読まれていたとでもいうのか? どうする。どうする!?)
ナナミは掴んでいた手すりをぎゅっと握る。その背中に冷たい汗が流れた。
カナロアの甲板には失望の呻き声が溢れていた。
どうやらナナミの目論見は外れたらしい。
こちらの放った砲弾も、外れはしなかったが殆どダメージを与えられなかったようだ。
奇襲攻撃は失敗に終わったって事だ。
ザツカら砲撃班が、必死になって次弾を装填している。
俺は艦尾で側壁の陰に隠れつつ、望遠鏡で敵艦の様子を探っていた。
ONにできるスキルはもうONにしてある。「銃撃」「空気読み」「視覚強化」「状態異常攻撃」の四つである。ここでは視覚強化の効果が凄まじく、望遠鏡を使うと逆に何が何だか分からなくなってしまう。むしろ裸眼の方が、ロープの一本一本まで分かるほどなのである。
ただ、あちらの艦の方が甲板の位置が高く、全てが見えるほどではない。
不意に、フリゲートの艦首付近からプッと煙が上がった。
あっという間も無く瞬時に訪れる轟音と破砕音。
俺もグラムも、とっさに身を伏せた。
衝撃波で痺れる身体の上に、索具や木の破片がバラバラと降り注いだ。
細やかな木片がチクチクと肌を刺す。
カナロアの優美な船体が震え、一気に船足が落ちる。
「チェーンショットでさ」
グラムが僅かに身体を震わせながら言った。
上を見ると、メインマストの三角形に近い台形の帆が大きく破れ、垂れさがっていた。
それどころか、マストの上部が奇麗に無くなり、数々の索具が甲板に散らばっている。
ブランブランと振り子運動している滑車を、そばにいた乗組員が刃物で取り除いた。
破滅的な光景である。
コレ。
マズいんじゃないの?
たった一発でこのダメージってヤバくない?
ナナミが屈んだ姿勢のまま俺の隣にやってきた。
髪の毛の生え際に傷がついていて、血が流れている。
「そろそろ銃の弾も届く頃だぞ。用意はいいか?」
「こっちが先にどうにかならなければな」
「それは無いかもしれん」
「何故?」
「チェーンショットを使うのは、こちらの帆を壊して航行不能にしたいからだ。沈没させるなら通常の弾を使って喫水線を狙えばいいだけだからな。奴らの大砲でそれができないとはとても思えん。事によると、我らが受けていた命令があちらに漏れていたのかもしれんな。狙いは私だ。一応政治的なコマにはなるかもしれないからな」
「まさか、そんな」
苦しげに吐き捨てたのはグラムだ。
「ただの推測だ」
ナナミはグラムの肩をポンと叩いた。
そして俺の肩も。
「さあ、カイム。君がこちらの世界に来た意味を、私に見せておくれ。その銃が何を穿つか、教えておくれ」
ナナミはそう言ってほほ笑んだのだった。
第十話、了。
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