どうやら俺は寝ていたらしい。例の与えられた部屋の寝台で目を覚ました。
僅かな月明かりが、丸窓から差し込んでいる。
カナロアは揺れており、夜間でも帆走していると分かる。
自分の身体をあちこち触る。
別に痛い所も無い。
戦闘が、あった。
まるで夢を見ていたかのようだ。実感が無いのである。
それどころか、幾つもの命を奪ったはずだ。始めの方はともかく、風の魔法の防御結界が張られる直前には、狙って頭部を狙撃する事すら出来ていたのだ。それもあの波と風の中で。
罪悪感?
それは無いと思う。そうしなければこちらの命が無いと言う極限だったのだ。……いや、全く何とも思っていない自分がいる。末野海夢であるならきっと罪悪感に苛まされたであろうが……。
本当に俺は末野海夢なのだろうか?
その問いを繰り返さざるを得ない。
もしかして自分は末野海夢ではなく、その記憶の一部を共有するだけのカイムと言うキャラなのでは無いのだろうか?
もっとも、そんな事を考えても答えなど出ないのは分かっている。
取り合えずトイレ、と立ち上がった。
今度は、ドアにはカギはかかっていなかった。
小用を済ませ、トイレのドアを出ると、近くの部屋からザツカが顔を出した。
「よお。ウチの嬢ちゃんなら、さっき上で足音させていたから起きてるぜ。兄ちゃんがあの場で崩れ落ちる様にして寝ちまったものだから、俺も嬢ちゃんも心配していたんだぜえ。顔出してやんな」
「了解した」
俺は頭を下げ、階段を上った。
果たしてキャビンにナナミがいた。
「ああ、起きたか。ご苦労だった」
早速彼女は不味いワインをマグカップに注ごうとしたので、俺は止めた。
「酒は遠慮しておこう。水で構わない」
「そうか。それもいい」
温い水を貰い、飲んだ。
色々な臭いのする水は、それでも乾いた体に染み込んでいった。
「美味いな」
「それは良かった。少し、風に当たりに行かないか」
ナナミが誘い、外に出る事にした。
艦尾甲板に登ると、そこには操舵主とディードしかいなかった。
雲が時折月を隠すので、文字通り人影しか見えなくなる時もあるのだが、カナロアの副長の影は間違えようもない。
ナナミと俺が艦尾甲板に来ると、ディードはすっと頭を下げて主甲板へと降りて行った。
艦の一番後ろの手すりに二人してもたれかかり、艦の全容を眺めた。
少なくとも、フォアマストについては、上部を失ったなんて事が信じられない位に修復されていた。メインマストは短いままに修復され、艤装されていた縦帆も、若干余らせているようだ。それでも、艦と言うものは努力すればかなり直るものなんだな、と感心させられた。
「それでも……」
とナナミが話し始めた。
「この艦には高位の回復術師がいない。だから重傷を負った人間はそう簡単に治らない」
俺の目線を追い、考えている事を読んだのだろう。
別にいやな気はしない。
「重傷者とは、見張りの男だな?」
「ああ。死にはしないが、ペガズで治療できなければ一生寝たきりだ」
「普通はどういう手段で治療するのだ?」
「光魔法がある。使い手は少ないが、ランクやLVの高い者なら死んだ者をも生き返らせると言う。ウチの見張りを治したいなら、LV
1では足りないだろうな。折れた骨の修復もできずに終わるだろう。まあ、応急処置にはなるがね。後は、水魔法のランク2の魔法や、風魔法にも回復魔法の一種がある。風魔法についてはランク3が必要だから、使い手はまずいない。それとは別に、回復魔法と言う物もあるが、これは世界に数人術者がいるかどうかだ。取得条件が特殊らしい」
俺は無言でステータス画面を開いた。
基本LVが8に上がっていた。
同時に、HPもMPも上昇し、CPも11になっている。
「ナナミ。CPとは何だ?」
「ん? そうか、LVが上がっているのだな。それはそうか。あれだけの活躍をしたのだから。CPとはな、キャラクターポイントの略称だと言われているな。各ステータス上昇やスキルのランクアップ、新規スキルの取得に使えるものだ」
「では、俺も光魔法を使えるようになるのか?」
「まあ待て。奴の怪我の事なら、ペガズに戻れば何とかなるのだ。我らも伊達に毎日魔物と戦っている訳ではない」
「そうか。ならばいい」
ナナミは俺の胸を指でつついた。
「それよりも、自分に何が必要かを見極めて、今あるスキルのランクを上げるか、足りないスキルを取得するのか、よく考える事だ。初めのうちはステータスを上げるのがセオリーと言うがな。一旦使ってしまうともう戻せないから気を付けるのだ。私も、決めかねて使っていないポイントが少しあるのさ」
「了解した」
「所で、カイム」
俺の鼓動が跳ね上がった。
今、月は隠れている。
ナナミの影が、正面に居た。
俺を見つめ、顔を赤らめている。
これは、なんだ。
何故俺は彼女が顔を赤くしているのがわかる?
その理由も何故読める?
「カナロアは主任務を放棄し、経緯の報告の為にこのままペガズに戻るのだが、君はいいのか? 悪い扱いはしないが、治安は悪いし魔物は襲ってくるし、碌な所ではない」
「そうか」
この期に及んで、俺の壊れている言語能力はぶっきらぼうにしか反応できない。
一旦脳みそを取り出して改造してやりたい。
「だが、私は一緒に来て欲しい。君が来てくれれば、何か変わるかもしれないのだ」
俺の両肩に彼女の両手が乗った。
そして……。
「あの、非常に良い雰囲気の所、大変申し訳ございませんが、カイム様をペガズに連れていかれるのは困ります」
武骨なナナミとは違う、色気のある女性の声が直ぐ近くから聞こえた。
ナナミはパッと身を離し、
「何者!?」
と叫んだ。
いつの間にそこにいたのだろう。
月が顔を出し、その女性の全身を照らし出した。
少々露出の多めなメイド服である。ちょっとエッチなコスプレ喫茶の制服みたいだ。
ただ、頭の上にちょこんと載っている帽子から靴まで、白いエプロンを除いて服は全て黒かった。
髪の色も肌の色も、日本人に見えなくもなかったが……。
顔も体格も、どこかギリシア彫刻が動いているかのような印象を受けた。
そして背中から伸びている大きな黒い羽根。
そいつは、スカートの端を摘まみ、お辞儀をした。
「野暮な割り込みをして申し訳ございません。お初にお目にかかります。私はアイデン海洋伯エシュグロク家のご息女、パメラ様のお世話をさせていただいておりますカルラ・セロと申すただのメイドでございます」
只のメイドなんて、そんな訳あるか!
と心中で突っ込みを入れたが、とっさの事なので声に出ない。
そしてついつい、あけっぴろげに開いたデコルトから大きく盛りあがった巨乳に目が行ってしまう。
随分煽情的なメイド服もあったモノだ。
「カルラ・セロ……アイデンの堕天使」
ナナミが呟き、ぎゅっと俺に身体を押し付けた。
平均サイズと思われる胸が、俺の腕に触れている。
ナナミだってそんなにペッタンコじゃないからな? 気にするなよ?
漸くカルラの胸から目を離した俺は、心の中で弁解した。
「て、敵襲!」
近くで舵を握っていた操舵手がようやく叫び、ディードら数人が押っ取り刀で艦尾甲板に集まった。
操舵手がディードに震えながら報告した。
カルラは特にそれを邪魔するつもりもないらしい。マイペースで話し続けた。
「さて、無事この世界に転生なされたカイム様には、既にパメラ様による先約がなされております。従って、その御身を受け取りに参上いたしました」
と涼やかな顔で述べた。
それに対し、ナナミはカルラに掴みかからんばかりの剣幕で叫んだ。
「待て! 転生者を一番初めに救助した者がその保護権を得るはずだ。それがアイデンだろうがペガズの我らとて変わらない国際法ではないか。第一、彼はこのカナロアの甲板上に出現したのだぞ!? 我らと共にペガズに行っても全く法的に問題はない! 横やりは止してもらおう!!」
ナナミがこの様に感情を爆発させるとは思っていなかった俺は驚いた。
くすくす。
カルラが表情を動かさないまま笑う。
不吉、としか言いようの無い不気味さだ。
「この船に出現したから優先権があるのでしたら、この船が今ここで無くなってしまえば、法もクソもございますまい?」
不敵に言い放ったカルラに向け、ディードが部下から受け取った剣でいきなり横薙ぎに切りかかった。
とん。
その強烈に見えた斬撃は、刃を人差し指一本で触れられただけで止まった。
「ちょ……」
それを見た操舵手が、声にならない声を上げた。
「別に私も、弱い人間たちをいたぶる趣味はございません。皆殺しにするのも好みません。そういうのはもう飽き飽きしておりますので。今回は、カイム様を予定通り回収出来ればそれでよろしいのです。さて、カイム様ご自身のご判断はいかがでしょうか?」
皆の視線が俺に一斉に集まる。
特にナナミは縋る様だった。
しかし、カルラは、コイツはヤバイ。ラスボス感が半端ない。
間違いなく、カナロアを消し飛ばす力を持っている。魔王っていう存在がこの世界に居るとすれば、こんな感じだろう。別に船を消そうが消すまいが、俺を連れ去る事はできるのであるなら、後は「その気になるかならないか」というだけである。
「皆、済まない。俺はカルラと行く」
「そっ」
「なっ」
幾つかの悲鳴が上がった。
うち一つはグラムだったかもしれない。
カルラが満足そうに頷いた。
「賢明なご判断、このカルラ、大変うれしく存じます」
ナナミは震えていた。
俺はきゅっと彼女を抱きしめた。
「この艦と貴女をここで終わらせるわけにはいかない。でないと、あのフリゲートを撃破した意味がなくなる。どうか、分かってほしい」
ナナミは俺の肩に顔をうずめたが、数秒もするとぱっと顔を上げた。
「了解した。カイム。きっとまたどこかで会おう」
「ああ、約束する」
ナナミは今度はカルラの前に相対した。
「カイムに危害を加えると言う事では無いのだな?」
「それは勿論です。むしろその逆でございます。その点についてはカルラ・セロの名において保証させていただきます」
「……了解した。では、カイムの事を頼む」
「丁重なご挨拶、恐れ入ります」
カルラは再度スカートを摘まんでカテーシーをすると、歩いて俺の後ろに回った。
15歳の俺の背丈は、背の高い彼女の鼻迄しかない。
そしてカルラは俺を後ろから抱きしめると、ふわりと宙に舞い上がったのだった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!