何も無い部屋に居続けるのは、流石に俺も退屈だった。
ステータス画面を出してアレコレするのだが、MPを消費しないで出来る操作は無いに等しい。
MPは概ね三十分に1回復するらしい。スキルの鑑定に使ったMPは、まだ全快には至っていない。
丸窓からは、陸地が見えていた。
島だろうか。全く人の住んでいなそうな感じである。
急に揺れが穏やかになったのは、その島の陰に入り込んで波が静まったせいだろう。
ズシン!
轟音と共に船全体が揺れた。
驚いてドアを開けようとしたが、開かない。
……。
いつの間にか、外からカギを掛けられていたようだ。
もしかして、ここは牢屋替わりにも使われた部屋だったのではないか?
ただ、轟音は悪い事では無いのかもしれない。
上から歓声が聞こえて来たからだ。
あの船首にあった大砲を撃ったのだろう。
状況が良くわからなくて不安だ。
それと、もしトイレに行きたくなったらどうすればいいのだろうか?
非常に不安だ。
「オラ! 見ろ!」
「さっさと止まりな!」
歓声が上がる。
ペガズにおいては最新のカノン砲が性能を発揮し、スループの船尾から三十メートル程の海面に大きな水しぶきを上げながら着弾した。
カナロアの砲手長はザツカ。歯無しピアスの男だ。
ナナミはいつも感心する。
ザツカはトレゴリアから追放されてペガズにやって来た男だ。
ペガズでは弾薬不足から碌に訓練もできていないのに、彼は本番でいい腕を発揮する。
何処かで受けた拷問のせいであのような面構えになってしまったらしいが、どうせペガズに流れついた者は大抵経歴に空白があるか、脛に傷があるのである。
しかし、普通なら恐れて停船するはずのスループは、未だ帆を降ろさず、それ所か減速すらしない。ナナミが望遠鏡でその船上の様子を見ても、まるで威嚇射撃など受けていないかのようだ。
「おかしくないか?」
ナナミは隣にいる見張りの男に問いかけた。
「ええ、確かに。慌てもしてませんぜ。これは……あっ!?」
男が自身の望遠鏡を掲げた。
ナナミもその方向を望遠鏡で覗く。
船がいた。
右手の大陸側の、入り江の中。
入り江を囲む小高い岬と植生に遮られてはいるものの、その上に僅かにマストの先端が覗いている。
仮にカナロアがそこにいたとしても、マストの先端はあのような高さまでは届かない。
それはつまり。
「居るな」
「居ますね」
男は見張り台から身を乗り出して甲板に向けて声を張り上げた。
「おーい! 甲板! 右舷前方、入り江の中! います! ダンセルのフリゲートでえす!」
楽勝ムードだった甲板が凍り付いた。
見張りの男は、隠れている船がフリゲート――つまり、カナロアよりも遥かに大きい強力な軍艦――であると視認した訳ではない。しかし、そこにこの状況でその大きさの艦が居るのなら、それしかないだろうと判断したのだ。
(間違いない)
ナナミもその判断を支持した。
「どうやら私に仕事が回ってきたらしい。ここは頼むぞ」
カナロアの艦長は、見張りの男の肩をポンと叩いて僅かに笑みを浮かべながら見張り台から降りて行った。
「反転する! 下手回し用意!!」
「下手回し用意!」
ディードは即座に撤退を決めた。
あのスループは獲物などではなく、海賊狩りの囮であったのだ。
チラリと見えたフリゲートが錨を上げて船足を付ける間に、追い風を受けて離脱しないといけない。もし左手の島の西側にも敵軍艦が居れば、逃げ切れる可能性は低い。追い風の中では、フリゲートの帆面積とカナロアのそれとは桁が違うからだ。
勿論、全ては風次第、ではあるのだが。
旋回を始めて大きく傾く甲板の上を、手すりを伝いながらナナミがやってきた。
「どうやら囮だったようだな」
その言葉には、判断を誤ったディードらへの皮肉はない。
ただ事実を述べているだけの様に、ディードは感じた。
「ええ。申し訳ありません、艦長」
副長は素直に謝罪した。
「いい。ひとまず沖まで逃げ延びるぞ。追いすがられたら一度アレをお見舞いしてまた逃げる。夜になったら逆に北東の沿岸に沿って北に向かい、本来の任務を果たす。それでいいな?」
「アイ、サー」
ディードは敬礼をした。
「そうだ、カイムを連れて来てくれ」
「カイム殿を、ですか?」
「ああ。本当は私掠や戦闘を見せたくは……ましてや関わって欲しくはなかったのだが……。転生者が父上の様な能力を持つのならば、我々の助けになるかもしれん。先に、どんなスキルを持つか聞いておいてくれ」
「確かに。しかし宜しいので?」
ディードは念を押した。
ナナミは僅かに口元をゆがませて笑った。
「仕方あるまい。我々はここで負けるわけにはいかんのだ。そうだろう? そうだ、ディード。お前はずっと舵を握りっぱなしだったのではないか? 出番が来るまで三十分余裕がある。イモを茹でただけの物でもなんでもいいから、手の空いた者と一緒に腹に詰め込めるだけ詰めてこい」
「アイ、サー」
操舵手が呼ばれ、交代し、副長は去って行った。
ナナミは艦尾の手すりに寄りかかりながら、後ろを振り返った。
カナロアの後方では、島影から姿を現しつつあるフリゲートの大きな四角い帆の数々が、まるでゆっくりと白い花が咲く様に展開されつつあった。
完全に日が暮れるまであと二時間はある。
ダンセルの主力フリゲートは、アイデンのそれと同様に種々の魔法による付与がなされているはずだ。速度差を考えると、十分追いつかれると思われた。
日没になれば風も変わる。
そうなって初めてこちらにも目が出て来る。
降伏はあり得ない。
ペガズの住人は、他の場所で捕まれば裁判も無く即刻処刑されることが多い。
ましてやこちらは彼らから見れば海賊なのだ。
ただ、ランプリー家のナナミだけは別かもしれない。
人質にしておけば、ペガズを掣肘するいいコマとなる。
「お前を娶ればペガズを支配下に置けると考えるアレキサンドル王国の貴族さえいるのだ」
そう、兄のカツアキは言った事がある。
だから兄の為にも捕まる訳にはいかない。
もし……。
その時は……。
ナナミは首を振った。
艦尾甲板に、カイムの顔が見えたからだ。
「やあ、カイム。申し訳ないのだが」
ナナミは笑顔で謝った。
ドアのカギが開けられ、ぬっと姿を現したのは副長のディードだった。
ただでさえ凶悪な顔がさらに難しさを増していた。
「どうだ?」
と、ディードは聞いた。
「空気読み」のスキルが有ろうとも、流石に何だか分からない。
寝台から身を起こし、
「何がだ?」
と聞き返した。
とても偉そうな言葉遣いだが、やはりこうにしかならない。こんなおっかないオッサンにタメ口とか勘弁して欲しいんだけど。
がりがり、とディードは頭を掻いた。
「あー、そのなんだ。親父殿……つまり、艦長の親父さんは、お前と同じ転生者で、優れたスキルを幾つも持っていた。成長力も抜群だった。そして人としての器も大きかった。俺達はそこに惹かれてついて行ったのだ。……今、我々は苦境にある。お前の転生者としての器を見せてもらいたい。……どうだ?」
行間を端折るにもほどがある。
そう突っ込みたいが、余りに真面目に喋っているのでやめておく。
「具体的に、どんなスキルを持っている?」
今度は直球で訊かれたので、少し考える。
俺の個人情報を開示しても大丈夫だろうか?
いや、それよりもその必要性があるかどうかだ。
「先に訊かせてくれ。苦境とはどのような状況だ?」
「優勢な敵艦に追跡されている。追いつかれるのは時間の問題だ」
「戦闘になるのだな?」
「ああ。降伏は無い。捕まれば俺もお前もマストのヤードから首を吊るされる。まあ、もしかしたら艦長とお前だけは別かもしれないがな」
「何故?」
「艦長はペガズの名家の娘で、共和国政府要人の身内。お前は転生者。転生者は育て方によっては兵器ともなりうる。戦争捕虜……いや、犯罪奴隷として一生使われることになるだろう。どんなスキルを持っていようと、その価値はある」
俺は首を振った。
ああ、いやだいやだ。
それはいやだ。
ここは彼らに……というよりナナミのお姉ちゃんに協力して無事切り抜けたい。
となれば、持ちうる戦力情報の共有はしておきたい。
「了解した。俺のスキルは、銃撃・風魔法・視力強化・詠唱短縮……だな。何れもランク1だがな。鉄砲を貸してもらえれば、少しは役に立つかもしれない」
別にここで薬学とか言ってもしょうがないし、状態異常攻撃や鑑定魔法はもしかしたら余り人に知られない方がいいかもしれない。レアスキルは猶更だ。
「ふむ、中々ではないか。風魔法を使える狙撃手は、どんな艦からも引っ張りだこになる花形だぞ。訓練する時間が無いのが惜しい」
と、ディードが頷いた。
「スキルの使い方はどうだ?」
「オンオフにするスキルがあること位は分かるが」
「そうだ。今お前が言った風魔法を除く三つのスキルは、何れもONにしないと使えない。ステータス画面からスキル画面にして、そのスキルの文字を押せばONになる。ランク1LV1なら一回でMP1消費して三十分ほど使えるはずだ。それと、魔法なんかはだな、そのスキルの文字を長押しすると、文字が半透明になって浮き上がる。その状態でそのまま上の方にある八つの窓に嵌めると、『ショートカット』という機能がついて、ステータス画面を開けて直ぐにスキルや魔法を使えるようになる。試してみろ」
ディードが空中を指さしながら説明した。
つまり、例えば風魔法の「ウインドバレット」を長押しして「ショートカット」枠に放り込めばいいってことだ。なるほど、これなら幾つかの手順を飛ばせる。
ステータス画面を出現させなければいけない事には変わりないけどな。
他にもいい方法はないだろうかね?
結局その問題は解決しないまま、ディードに導かれて甲板へと上がっていった。
第九話、了。
「カナロア」はハワイの海神です。
これも深い意味はありません。
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