ナナミがキャビンの表にいた男に伝言をした。
少しして出頭して来たのは、片腕フックの男だった。
そいつはフック付の右手で敬礼をすると、少し身をかがめて立った。
キャビンの天井が低いので、背の高い彼の頭に梁が当たってしまうのだ。
「グラム、出頭しやした」
明かりのある場所で見ると、彼の顔にある傷は凄まじい。
額から顎にかけて、幾つかの深い筋が走っているのだ。
巨大な獣に引っかかれたかのようだ。
それでもどうやら視力は失ってはいないらしい。とても運が良かったのではないか。
「ご苦労。この転生者殿、つまりカイム殿についてだが、私の友人として遇する事になった」
グラムがじろりと俺の事を見た。
「ご友人、でやすか」
「ああ。カイムを空いている部屋に案内してくれ。落ち着いたらこの事を乗組員全員に周知して顔合わせもしておいて欲しい」
「畏まりやした」
ナナミが俺に向き直った。
「それでは、ひとまず部屋で休むといい。朝になったらこのグラムに艦を案内させる。他の事は、その後にここで話すとしよう」
俺は頷いた。
そしてグラムの案内でキャビンから退出した。
「足元に気を付けてくだせえ」
目的地は、階段を下りた所にあった。
木製の扉を開けたその部屋には、二つの寝台と据付の小さなテーブルがあるだけだった。
壁には明り取りの丸窓が一つ嵌っている。
そんなに大きな船ではないので、部屋も小さい。
「ここをお使い下せえ。寝台は上でも下でもお好きな方を。トイレは向こうの突き当りにありやす。すぐ横には飲み水の樽もありやすので、そこのテーブルの近くに掛けてあるカップでどうぞお飲みくだせえまし」
「ああ、分かった」
「余り一人でウロウロされやすと、要らぬ事故が起こったりしやすので、十分気をつけてくだせえ」
言われなくても、おっかない男たちの巣窟なのだ。冒険などするわけがない。
「分かっている。ありがとう」
グラムは一礼して去って行った。
一つ分かった事がある。
俺は敬語を使えない。
努力しているのに敬語にならない。
これが「ハードボイルド口調」の呪いか。
単なるタメ口になる呪いって気がするけど。うん、呪いだこりゃ。
敬語が必要になった時にはどうすればいいのだろうか。
例えば王様に謁見する際に、
「そちがカイムか」
「うむ。用件を聞こう」
となる訳だ。
不敬罪で斬首だなこりゃ。
許されるのは超A級スナイパー様だけだ。
ハードボイルドかどうかが口調で決まる訳でもないのに、この世界の創造神はどうも色々思い違いをしているらしい。
対策が見つかるまでは、敬語を必要とする場面は避けなきゃいけないな。
それにしても、「ぴょん」とか「ぬぬぬぬ」に命中しちゃった人達にはご愁傷様と申し上げる他ないな。
「そちがカイムか」
「そうだぴょん」
やっぱり斬首だし、
「そちがカイムか」
「ぬぬぬぬ」
処刑されないにしても、病院か牢屋行きだよな。
転生者の五年後生存率ってかなり低い気がするのは気のせいか?
それも口調のせいで。
お約束のステータスやスキルの確認もしておかないと。
しかし、溜息をついて寝台に座ると、身体が重くなって瞼が下がり、ぱたりと横になってあっという間に眠ってしまったのだった。
「パメラ様、パメラ様!」
メイド姿のカルラが、机に突っ伏したまま動かないパメラを揺り動かしている。
あのまま夜明け近くまで仕事は続き、たった今終わったのであった。
しかし力尽きたパメラは、その場で意識を失ってしまったのだ。
「起きて頂けませんでしょうか! あの方が出現した座標を頂けませんと私が迎えに上がれませんよ!? ああもう、このポンコツが!」
と、カルラはパメラの髪を掴んで引き起こし、顔をベシンとひっぱたいた。
涎がカルラの掌に付き、メイドは顔をわずかに曇らせた。
「ん~、儂はケーキが好きじゃ……」
「あのう! 幾ら疲れているからと言って、自分の男が戻ってきたと言うこの時に、出てくる寝言がケーキですか!?」
「カルラ、イチゴは儂のじゃ!」
幸せそうな顔をしているパメラに呆れ、カルラは大きなため息を吐いた。
「やれやれ、変な所に出現していない事を祈るしかないですね。まあ、そうなったらそうなったで面白そうなんですが、ね」
とカルラは呟き、パメラの首根っこを掴んで引きずり、ポンとベッドに放り投げたのだった。
「おはようごぜえやす」
目を覚ますとグラムの凶悪顔が目の前にあって、俺を覗き込んでいた。
俺は一瞬混乱し身を固くした。
ああ、そうだ。
俺はこっちの世界に……。
「ああ、おはよう」
上体を起こした途端に、船が大きく揺れて跳ね上がり、ジェットコースターのように落ちた。グラムはなんてことはないらしく、体勢を崩す事もしない。
彼は両手を差し出した。
かなりのおんぼろではあるが、靴や靴下、それに厚手のジャケットを持っている。
「どうぞ、お使いなさって下せえ」
「済まない、助かる」
もっと丁寧にお礼を言いたい所だが、そう言えないのはもどかしい。
この部屋はきちんと密閉されていて、冬の風が入り込まないのだが、廊下はそうでは無い。今ドアが開いていると言うだけでもう寒い。
船内から無理やりかき集めてくれたのかもしれない。おんぼろだとかそんな事はどうでもよく、兎に角有難かった。
俺がそれらを身に着け終わると、グラムが聞いた。
「もう少しで昼になりやすが、朝食を召し上がりやすか?」
丸窓の外はとうに明るくなっている。
寝たのは数時間程度だろうか。
昨日の月明かりで見た海とは形相を一変させていた。
かなりのうねりだ。勿論、この船はその中を走っている。
そして気付いてしまった。
めっちゃ揺れてる。
本当はこの揺れは気にしちゃ負けなんだけど……。
揺れる。
ああ……。船酔いが始まった。
ダメだ。
朝食なんてクエルキガシナイ。
寝台を抜け出して何とか立ち上がる。
「先にトイレに……」
グラムが頷いて先導し始めた。
数秒おきに足元が持ち上がり、堕ちて行く。腹の底に響く衝撃。
縦だけではなく全方向で揺れているのだ。ヤワな俺の三半規管が悲鳴を上げている。
あちこちがガタガタギシギシ言う中で、壁に手を掛けながら、必死で進む。
グラムが待ち構えていた。
「ここでさ」
もう礼も言わずに扉を開け、入り込む。
取り合えず終わらせるべき小用を終わらせ外に出ると、グラムに腕を掴まれた。
「もう酔ってなさいますな。ちょっと外の空気に当たりに行きましょうや」
と、半ば引きずられるように階段を上り甲板に出た。
確かに、刺すような冷たさではあるものの、透明で肺の中が洗われるような空気だった。
ただし、波しぶきがひっきりなしに上から降り注ぐ。
波頭が白く崩れ、それは眼前から水平線まで不規則なパターンを繰り返していた。
カナロアの舳先がそれらを切り裂きながら進んでいく。
上を見ると、数えきれないほどのロープがジャングルの蔦の様にあちこちに渡っており、その中で白い帆が大きく風をはらんで、バタバタと大きな音を立てているのであった。
グラムが、何処からかロープのついた木製のバケツを持ってきた。
「さあ、お飲みなせえ」
中を見ると、水である。
ここで真水が出てくるとは考えにくいので、海水だろう。
「船酔いの薬は、これが一番でさ」
大真面目な顔でグラムが言う。
「一気にどうぞ」
俺は近くの乗組員をチラリと見ると、そいつはサムアップを返してきた。
別にからかっている感じじゃあない。
俺は息を吐き、吸い込んだ。
一気に飲んだ。
当然塩辛い。
胃が驚いたのか、猛烈な吐き気が以下略。
船べりから外に身を乗り出して出せるものを出し切り、甲板に崩れ落ちて粗い息をしている俺に、グラムが手を伸ばした。多分ほほ笑んでいるのだろう。顔が僅かに歪んでいる。
「いかがでさ」
「……ふむ?」
確かに、吐き気が何処かへ消えた。
余りの体験に、脳が吐き気を忘れたのだろうか?
「あっしらも、久しぶりの航海の時には酔うこともありやすがね、こうすると不思議と治るもんなんでさ」
「ほう。面白いな」
俺はグラムの手を掴んで立った。
「では、艦内を案内させてもらいまさ」
と、グラムが踵を返した。
「おはようございます」
お昼過ぎになってようやく目を覚ましたパメラを、カルラが上から覗き込んでいた。
「お、おう。おはよう……今何時じゃ?」
「もう正午過ぎとなります」
パメラがガバッと身を起こした。
寝癖が一房、ぴょんと天辺で跳ねた。
「なっ! 何故起こさぬ!?」
「何度も起こしました。その度に『ケーキが』どうとか『もうお腹いっぱいじゃ』などとベタな寝言をほざいて寝続けたのはどなただったか、私の口から申し上げても宜しゅうございますか?」
「……いや、結構じゃ」
「では、あのお方がいらっしゃる座標を見つけてください」
「おう、ちょっと待て……」
パメラが腕を組んで考えこみだすと、カルラはパメラの着替えを取りにクローゼットへ向かった。
「う、海ぃ!?」
パメラの素っ頓狂な叫びが上がったので、カルラは衣装選びの作業を中断してベッドに戻った。
「どうされましたか?」
「奴め、海の上に出現しおったらしい。ダンセル沖……西へ五十キロメートル地点だとお!? ここからクソ遠いではないか。ハァ!? 『縁』はどうした!? 儂の近くに出現するはずではないのか!? もしやプログラムミスったか!? ましてや航路上ですらない!」
「おやまあ。それでは溺死……いえ、キャラメイクやり直しでしょうか?」
「いや待て。死んではおらんな。んー? そのまま東へ移動中じゃ。きっと何処かの船に救助されたに違いない。しかし……」
カルラがその言葉を継いだ。
「この季節にその様な場所に居るのは、哨戒中のダンセルの軍艦か……移動中の海賊船位ですね。さて、どうしたものでしょう」
第五話、了。
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