真っすぐに 今すぐに 君をチェック
これでカンペキ
真っすぐに 今すぐに 君をチ
真っすぐ に今す
真っ
「はぁーーーー」
石灰水を紫に染めそうな深いため息。
体は吐き出した息を追う様に、前に、沈む。
文章作成ソフトによれば、新作『ブックマーク』の総製作時間は四十六時間と四十五分十秒。今、十一秒になった。
今日だけで五時間以上製作していたことになる。その成果は前回途中だった二番のBメロ作成からはじめて、二番の歌詞の完成までいけた。
ここだけ見ればまずまずと言ったところなのだが
ホームポジションで眠っていた両手を起こし、頭を抱える。
――――思い付かない。
三時間前に二番の歌詞が完成してから、手が完全に止まっている。歌詞を打ってみても気付けば振りだしに戻っている。
また紫色吐息を吐きそうになる。
脳は走り続けているが閃きにはまだ至らず。進んでいる道は上り坂でも下り坂でもない土道。
両脇には緑色が広がるばかりで並木も一陣の風もなく、空には雲もUFOのひとつもなく、片方だけの軍手ともすれ違わない。
この道で間違いはないのだが変化に乏しすぎる風景のせいで、時折ちゃんと前進しているか怪しんでしまう。
残り少なくなったサイダーを飲む。最初の一口から十五分も経ってないが、もうペットボトルは空だ。
どうしたもんかなぁ
今日はここまでにしておこうかな。
これ以上続けてもあまりはかどらない気がする。
画面右下に視線を移す。数列は世間が午後八時十五分を迎えたと告げている。ここから風呂入って飯食って、歯を磨いてだらだらすれば、もういい時間だ。
頭を包む、熱に似た疲労感が達成感へ進化し背中を押した。
よし、今日はおひらきだ。
肘掛けに手をつき、組立式の椅子から立ち上がる。残りの時間は好き勝手に過ごす。
親に見せられないくらい、余暇を食らい尽くす。
そう決めた瞬間
創作の活力が沸いてきた。
巻き戻しのように、椅子に腰を下ろす。
どこからともなくやって来たやる気に、脳みそが張り切って空転する。
よし、あと三十分やろう。
明日は旅行だから早く寝なければならない、と思ってる間は眠気の「ね」の字すらないが、日の出が目前に迫り、さぁ今日はくまと相合い傘か、と覚悟を決め、就寝の強迫と決別した瞬間、これまで塞き止められていた眠気が怒濤 に押し寄せ意識が途切れる。
もしくは、今日の分の漢字ドリルは気が乗らないが、明日以降の分になるとすらすら進む。
それと似たようなことが僕の身にも起きている。
やらなくてはならない、から
やらなくても別にいい、に変わると
人はこうも生き生きとする。
猫背を伸ばし、青の十二万円と正対する。
既に心は日本晴れで緩んだような充足感を感じている。まるで優勝確定後の消化試合だ。
たとえ負けても、優勝は揺るがない。
なんと気楽か。
こんな精神状態では、余計な力みがなくなり実力以上の成果が出てしまう。
両手を組み、手首を解す。きっと今の僕はキモチワルイ笑みをたたえている。
楽しい三十分になるに違いなかった。
□
延長戦開始から十四分。僕はやっぱり快調だった。液晶上は延長戦前と変わりないが、頭の中は一変。さっきまでの停滞が嘘のように回る回る。
あぶくの様に虹色のアイディアが浮かぶ浮かぶ。
猫を飼う
三度目の再開
雨の日の告白
十年後
全てボツだ。
でも、弾ける様はそれだけで美しい。
味気なかった土の道は桜並木に祝福され、空には虹がキャリーバッグに貼られたままのマスキングテープのように無造作にベタ貼されている。
足元には片方だけの軍手が列をなしている。
全て右手用だ。
拾い上げて握手でもしてみようか。
答えのない空欄を前に、腕組をしながら頭を捻っているが、眉間にはしわひとつなく、口角は上がりっぱなし。
明日には表情筋が悲鳴をあげるかもしれない。
暗がりに着こなして
ボツ
過去をまとった君の
ボツ
クジャシャールエモート
ボツ
絶滅危惧種の夜に
違う
今日も明日もこれからも
お
未来さえ約束して
おお
きっと連れていくよ
おおおおおお
忘れない様に ブックマーク
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
僕はもしかしたら、いやもしかしなくてもやっぱり
ある
のかもしれない。
自分で自分を抱きしめ、排尿後のように細く身震いする。気持ちいいけど体には良くない何かを、脳味噌が垂れ流している。
今、僕は確実に生きている。
□
至福の延長戦は十五分の追加延長を含む、合計四十五分で幕を閉じた。目下の目標だった『ブックマーク』は暫定的だが三番のBメロまで進み、試合内容、結果ともに満足している。
今日はもう自由に過ごして見直しは明日、フラットな頭でやろう。
経験上、こういうキマった状態で作った歌詞は高確率で採用になる。今回も、そうであることを期待しつつ『ブックマーク』を保存し、閉じるボタンをクリックする。
画面を覆っていた白色は晴れ、代わりにロボットアニメのイラストが表れる。
仁王立ちした黒い巨大ロボットの足元に、主要キャラクターが集合している一枚だ。
机の左下に置かれたリュックから、密封型の防水ビニール袋取り出す。袋を開け布製のメガネ拭きを剥ぎ取れば、灰色のUSBメモリーに辿り着く。
それをノートパソコン右側面に挿し込む。マウスのドラッグ&ドロップ操作で作詞フォルダを丸々USBメモリーにコピーする。
既存のファイルと置き換えますか?
はい
コピー中……
百パーセント。完了
最後に、USBメモリー側のフォルダを開き、最終更新日時を確認する。
午後九時七分。
コピー元の最終更新日時とピッタリ。
達成感がピークを迎える。
プロの作詞家もこの快感を味わっているはずだ。
そういった意味では今の自分もプロと同じフィールドに立っている。規模が異なるだけで本質的な部分は変わらないはずだ。
皆、パソコンの前で一喜一憂しているんだ。
マウスカーソルを動かし接続を解除、USBメモリーを抜き取る。
このUSBメモリーは高校生の時にネット通販で買った。元値は千円そこらだが、作品が保存される度にその価値を上昇更新している。
僕の口から昔話を語るよりも、このUSBメモリーの中身を見た方が僕をよく知れる。
僕以上に僕を表しているデータ群だ。
USBメモリーをメガネ拭きにくるみ、防水ビニール袋の中へ仕舞う。
お疲れさまでした。
それをパソコンの脇に置き、空になった手ですぐ側にあったスマホを掴む。椅子から立ち上がり、一歩二歩、三歩めで念願の万年床へ仰向けに倒れる。
布団自体はホームセンターで買った安物だが、床との間にマットレスを一枚挟んであるので、寝心地が少しマシになった。
独り暮らしの大学生には敷布団と簡易式のガスコンロ、そして身の程知らずな夢。
それさえあれば十分なのだ。
敷布団に仰向けになったまま天井に向けて腕を伸ばし、スマホを構える。
電源ボタンを一度押しスリープモードを解除する。寝起きの画面には二つのお知らせが並んでいた。
メールに、着信?
誰からだろう。
履歴を確認する。
着信は四十分前。
電話番号に覚えはない。
煩わしいのでスマホは常にサイレントマナーに設定してある。故にリアルタイムの着信に応答することは希だ。
まぁ、そもそも電話がかかってくること自体希れで、かかってきても
「どうだ元気か都会には慣れたか」
という父親からの安否確認の連絡が殆どだから、こういった非通知の謎めいた電話は本当に珍しい。
電話番号をネット検索にかけるも有益な情報は得られず。正体不明というのは不気味だ。
一旦後回しにしてメールの方からやっつけよう。
メールフォルダを開く。
受信ボックスには未開封のメールが二件。
メールは確認次第、保存か削除しているため、未開封メールの数がそのまま新着メールの数となる。
受信ボックスを開き、更に階層を降りる。
「おうふ」
思わず声がでた。反射的に腕を下ろし、スマホを胸に抱く格好になる。
見間違いじゃなければ、受信メールの一番上には避け続けた彼からの久しぶりのメールが積もっていた。
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