ほしくずの
星屑のうみに
星屑の海になげた
星屑の海に投げたかわらぬゆめを
星屑の海に投げた 変わらぬ夢を見せてよ
「ふーっ」
頬一杯に空気をため、すぼめた唇から細く息を吐く。
パジャマ姿の僕は背もたれに体を預け、手を開き、キーボードを叩いていた指を伸ばす。んーーっと、解放を噛み締める十の声が、両の手から聞こえてくる。
二番まで出来た。あとは、三番だ。
文章作成ソフトによれば、新作『ブックマーク』の総製作時間は三十八時間と三十二分十八秒、今、十九秒になった。
このペースが早いか遅いかは、他人の製作速度を知らないので分からないし、そこにこだわっても意味はない。製作時間と作品の質は必ずしも比例しないからだ。
トントン拍子の会心作もあれば、難産の凡作もある。だが、僕のこれまで達はまだ評価の土俵にすら立てていない。
「曲がないとなぁ」
歌詞を名乗る以上、詞だけでは未完成のままだ。
曲は歌詞が無くても音楽として成立するが、歌詞は曲が無ければただの嘆きだ。書き損じた手紙だ。
歌詞に魂を宿す、魔法の曲が不可欠だ。
「歌詞には自信あるんだけどなぁ」
爪先でフローリングを押し、椅子を回転させ、右斜め後ろを向く。椅子と机と万年床が圧迫する狭い部屋の隅っこ、僕の身長ほどある大きな窓に面してそれは置かれている。
専用スタンドに乗っかった、この部屋で二番目に高額な新顔だ。
静かに窓際に佇むそれは、外に広がる夕暮れ空を眺め、物思いに耽っているようだった。
恐らく「この部屋に来て三週間弱経つのに構えられるどころか、まともに触れてもらえないのは何故なのか。初体験で噛みついたことを根に持っているのか」
といった内容だろう。
物思いに耽る姿を眺め、引っ張られるように僕も物を思う。カラオケ店での時間を思い出す。
俺はお前の歌で、震えたよ
お前のオリジナル、絶対完成させような
合わせた、右の拳
視線を右手へ移し、軽く握る。誓いを交わした手でありそれを破り続けている手でもある。
心熱くなった誓いも、帰って疲れて風呂入って布団入って目覚めたら、小学校の友達の日浦君家の麦茶並みの薄さになっていた。本体の残滓しかない状態だ。
当時小学六年生だった僕は、炎天下を自転車で突っ切り、干乾びた喉で日浦君家に到着した。でも「はい麦茶」と日浦君のお母さんが出してくれた麦茶を一口しか飲むことが出来なかった。
薄かったのだ。とても。
麦茶パックを水に浸して生成した自家製麦茶、その十分の一を別の麦茶ポットに注いで水で割ったかのような味の薄さだった。
善治君家のカルピスなんて目じゃない希釈率だった。
麦茶だと思って飲んだらほぼ水道水。
その予測と現実の差に体が驚き手が止まった。牛乳を飲んだ後のコップで水を飲んでしまった時のような後味の悪さが舌に長く残り、飲んだことで、己の格が下がった気もした。
誰かにこの衝撃的な体験を話したかったが、結局、家に帰っても、翌日の学校でも誰にも言わなかった。そのことは今でも少し誇りに思っている。
小学校卒業と同時に日浦君は引っ越してしまい、彼との関係は自然消滅してしまった。彼は今、元気だろうか。
将来の夢としていた警察官への道を、歩んでいるのか。
爪先でフローリングを踏みつけ、椅子を逆回転。青いノートパソコンに向き直る。この狭い部屋で一番高額な所有物。
その価格十二万円也。
都会に出て来て真っ先に買った。
騙されて買った低スペックで大容量な旧型。
何が「私もこれ使ってるんですよ」だ。
時代の最先端を扱う大手電気屋の店員が、こんな骨董品を愛用するものか。
都会は恐ろしいところだ。
指先がこぼした愚痴をバックスペースキーが呑みこんでいく。
作詞再開。この歌の終わりはハッピーエンドで飾りたい。
□
歌詞を頭から口ずさむ。
新しいものを生み出す楽しい時間だ。
この時間を削ってまで、練習すべき楽器があるとは思えない。
ベースはベース中毒に任せればいい。
一途なバカ理論は未だ健在だ。
とかなんとか言って、ホントの本音は、練習したはいいけど一向に上達しなかったらどうしよう、だろ?
一緒に飛び出そうって有りがてぇ奴がいるのに「もしもダメだったらどうしよう」なんて来もしねぇ未来にビビってチャンスをふいにする。
何が一途なバカだ。お前はただのバカだ。
バーカ。
五月蠅い五月蠅い五月蠅い。
矛盾を抱えていようと怖いものは怖いのだ。
手で頭上を払い論客を追い出す。元々いないのかもしれないが気持ちの問題だ。
はぁーー
米仲とはもう数週間会っていない。
こうなった原因はただひとつ。
僕が米仲を避けているからだ。
米仲が僕に会うたび口にする「ベースの調子はどうだ?」の声に「ぼちぼちかな」と目を逸らして偽りの報告をするのが辛くなったからだ。
自分の嘘で自分を苦しめる。
絵に描いたような自業自得だ。
でも、僕はそこからも逃げ出した。
「このままでいいわけないよなぁ」
全てを保留にして薄い布団へ身投げしたくなる。肘置きを押さえつけるようにして、両腕で体を浮かせる。
臀部が宙に舞う、も、すぐにドシンと座席へ着地する。
いかんいかん。布団へのダイブは駄目だ。
気づけば寝てしまい、起床時に凄まじい後悔に襲われる。何度もやったから覚えている。
さて、どこまで進んだっけか。
歌詞の途切れ目を探すも発見には至らず。頭からやり直す。
目で読み、声に出して歌い、耳で聞く。
小声だが歌うことで嫌でも気分が高まる。
然るべき時に、然るべき場所で然るべき人が歌えば、間違いなく誰かの心に響く。歌詞は触れれば触れるだけ、深みを増してくる。
作詞をした時間に無駄はない。あの時の足踏みが、未来にある、涎がでるくらい心地いいフレーズへ繋がる。
文字の向こうにイメージが広がり、感触まで付いてくる。
□
桜吹雪が舞う川沿いの道を自転車で進む。マウンテンバイクではない。シルバーのシティサイクル、通称ママチャリでだ。
頬を撫でる風に季節の香りを感じる。
ほどなくして場面は切り替わり、夕暮れの校舎。ブレザー姿の男女が甘酸っぱい雰囲気を振りまきながら廊下を歩く。
どこからかピアノの音が聞こえる。曲名は分からないが聴いたことのある曲だ。二人が進むにつれてピアノの旋律がはっきりとする。どうやら二人は音源に近づいているらしい。
誰も居ない廊下を二人は歩く。
曲がり角を曲がる。
一回、二回、三回。
ピアノの音は音符が見えそうなくらいはっきりと聞こえる。
突然、女の子が廊下を走り、ある教室へ入った。男子生徒も女の子を追い、教室へ。教室の入り口付近がアップになる。
「音楽室」
木製の札に黒文字で刻まれていた。ピアノの音はここから聞こえている。二人の足跡を辿り、音楽室へ入る。
「よう」
教室の中には黒いピアノの代わりに、一人の男が立っていた。
服装こそ紺色のブレザーに灰色のパンツの高校生ルックだが、茶髪かつ無数の突起が生えた見覚えのある頭は完全に校則違反だ。
右肩に襷掛けしたギターが腰の前でぶらぶら揺れている。ピアノの音はいつしか止んでいた。
びっくりするほど米仲だった。
「いくぜ! お前の! 俺らの! た・め・に!」
米仲は左手で弦を押さえ、ピックを持った右手を本体めがけて振り下ろす。
ジャジャ ジャジャ ジャジャ
勢いの割には控えめな音が鳴る。ピアノの旋律同様、このフレーズも聞いたことがある。
ジャジャ ジャジャ ジャジャ
一心不乱に米仲はジャジャを繰り返す。
何がしたいんだコイツは。
春風 ジャジャ 水面に ジャジャ 揺れて ジャジャ
稲妻が走り、悪寒がせり上がって来た。
それぞれの ジャジャ 距離 ジャジャ 結ぶ ジャジャ
やめろ。僕の歌詞を変に弾き語るのは止めろ。
素直な ジャジャ 言葉に ジャジャ 音色を ジャジャ
分かった。練習する。ベースやるから。サビは勘弁してくれ。
このままの
「やめろおぉぉぉぉぉぉ」
叫び声と共に両腕を四方八方に振り回す。
悪夢よ、去れ、去れ、去れ!
幾ら手を払っても闇が晴れない。恐怖のフレーズは、よかった。聞こえない。
心が冷静さを取り戻す。底知れぬ暗闇は目を閉じているためだと気づいた。恐る恐るまぶたを開き光を取り込む。
そこには狭い日常があるだけだった。例のツンツン頭がいたらどうしようかと思った。へたり込むように、背もたれに寝そべる。
「ジャジャ……か」
右手をだらしなく振りエアギターを弾く。当然、音は鳴らない。
僕が裏切り続けてる今も、米仲はバンド結成に燃えているのだろう。不器用に正面からぶつかり幾度となく断られる。
それでも、米仲は決して諦めない気がする。米仲はそういうヤツだ。
思わず自分自身に笑ってしまう。まだ数回しか会ってないのに米仲の何を知ってるんだ。
だが、同時にこうも思う。
米仲は常に全力で米仲だ。浅いとか深いとかじゃなく、常に自分でいる。初対面だろうが百回会おうがそれは変わらない。
回数を重ねても、初対面の印象の正しさを補強する役割しか持たない。
だから、米仲は一回会うだけでも、十分過ぎるのだ。
エアギターの手を止め、白い壁から茜色の残る空へ視界をチェンジする。築二十年五階建てアパート「グリーン福原」の三階からの眺望。
眠りかけの空が見える。狭い部屋にはせめてデカい窓が必要だ。
そして僕にはやっぱり、勇気が必要だ。
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