「ほれ、今日のお土産」
「わぁ! ありがとう!」
持ってきた白いビニール紙を手渡す。中身は古本屋で買った「コラねもん」数巻、それに児童文学を数冊。
三回目の訪問時、会話のネタにと漫画や本を持っていったら晴人がえらく喜んだので、それから毎回何かしらの本を手土産にしている。
テレビの脇に置かれた四段の本棚も約半分が埋まっている。
古本を贈ることに関しては看護婦さんを通して担当医師からの許可もとってある。
本当は新品を贈りたいが、自腹なので許してほしい。労働意欲の無い大学生には時間はあれども金は無い。
常識的な晴人のお母さんから
「いつもありがとうございます、これ本の代金です」
と言われてお金を渡されてはいるが、使わずにとっておいてある。この金でいつか晴人が退院する時、お祝いに何かドデカイモノを買ってやるつもりだ。
「やった! 『ケランジャン』の続きだ!」
晴人はビニール袋を覗き、はしゃいだ声をあげる。ケランジャンとは小学生向けのファンタジー小説だ。
「ケランジャン気に入ったのか」
「うん! 僕クスレリー好き!」
あまりに目を爛々 と輝かせるから悪戯したくなってきた。
「結末言っていいか?」
「ダメ!」
冗談を真に受け、晴人は両手で耳を塞ぎネタバレの襲来に備えた。ついでに目も強く瞑 っている。
俺は晴人の両腕を掴み、耳と腕とを引き離す。驚くほど簡単に、缶のプルタブを開けるよりも容易くそれは果たされた。そして露になった耳元で囁く。
「ケランは最後にー」
「わーわーやだー!! やめてーーー!」
晴人は声をあげ、体をくねらせ必死に抵抗している。
「ケランは大蛇にー」
「わーー! やだーー!!」
「なんとびっくりー」
「わーー!」
楽しくなってきたが隣室の住人にナースコールされる前に止める。手を離し、晴人に両腕の自由を返上する。
晴人は少し息を乱しながら「お兄ちゃんのいじわる」と恨めしそうな視線を送ってくる。
「悪い悪い。今日は授業あったのか?」
「うん。午前中にあったよ。国語と算数を習った!」
晴人は今年から病院内訪問授業を受けている。週に何回か専門の教員が訪れ二時間ほど授業を行うらしい。
午前中であることが多いため、晴人を尋ねる際は午後と決めている。
「そうかそうか。算数は今何やってるんだ? 割り算か? 分数か?」
「割り算は終わって、今は小数の問題やってる」
「難しいか?」
「うーん。まぁまぁ」
思わず笑ってしまった。俺も小学生の頃、親に
「学校どうだった?」
と聞かれたら顔も向けずに
「まぁまぁ」
と答えていた。
学校にいようと病院にいようと、子どもは子どもだ。
「まぁまぁか。なら復習ついでに問題を一つ出してやろう。小数の問題だ」
「えー勉強はもういいよー。それよりクイズがいい。クイズ出して―」
晴人が布団の中で足をパタパタさせる。ベッドが揺れ、掛布団が不自然に盛り上がる。
「確かに授業外での勉強はタルいな。分かった。とびきりのクイズを出してやる」
「やった! 早く出して!」
晴人は布団を退けると、体をこちらへ向け、俺の左右の膝に手を付き「早く早く」と揺すりせがんだ。
俺が小学生の時はもっとスレてた気がするが、そこら辺は個人差か。
子どもが子どもらしいに越したことはない。
子どもをとばして大人にはなれない。
「わーかったから、ちょっと落ち着け」
俺の要求も虚しく、晴人は「早く早く」と膝を揺らし続けている。それ自体を楽しんでいる。このじゃれ合いよりも面白いクイズは結構ハードルが高い。
「では、問題です。ジャジャン」
□
晴人と過ごす時間は大体一時間弱。
「一時間ならギリギリ常識の範囲内ではないか。あと長居するとやっぱり体に障るのではないか」
というぼんやりした理由からだ。
たまに晴人が愚図って二時間強に延びることもあるが、俺は予定の無い日に晴人のところへ遊びに行くのでなんら問題はない。
大学生と書いて暇人と読む。
過ごし方は今みたいにクイズやトランプ等のゲームで遊んだり、外界の話をしたり。それも尽きればその後はそれぞれ読書をして過ごす。
たまに「お兄ちゃんここ見て! 面白いよ!」と晴人が漫画の一ページをすすめたりするが、それ以外は普通の読書。病室が図書室に早変わり。
読書で本当に楽しんでいるのか、だとすれば俺のいる意味とは、と悩んだ過去もあるが、今では居心地のいい一時だ。
恐らく晴人は何かをしたいというより、誰かに一緒に居て欲しいんだろう。
学校と比べてここは静かすぎる。
□
スマホつけると、午後三時十五分。もういい時間だ。読んでいた文庫本を閉じる。
「晴人、俺そろそろ帰るぞ」
「もう帰っちゃうの?」
晴人はコラねもんの単行本から顔を上げ、俺の顔を一度見た。
次いで枕もとにある置時計で時刻を確認する。
「まだ三時だよ? もうちょっと居てよー」
春人はベッドから身を乗り出し、俺の両膝をまた揺らす。
「もう十分遊んだろ? また来るからよ」
晴人が愚図ったら延長コース。愚図らなかったらラーメンを食って帰る。
「またっていつ? 明日?」
「明日は無理だな」
「じゃあ明後日?」
「今週はキツイな」
「むぅー。さびしいよぉ」
晴人は俺の膝の上に突っ伏し、俺の申し出を拒否するように首を横に振る。体重をかけられているはずだが、不安になる程軽かった。
「ぼくもおうち帰りたいよぉ」
潤んだ言葉に胸を刺される。目の奥で涙が動くのを感じる。こんなの子どもに吐かせちゃいけない、悲しくて惨い言葉だ。
「お兄ちゃんが羨ましい」
右手を晴人の頭に乗せ、優しく撫でる。
ゆっくりと、不安が少しでも溶けるように。
しばらくの間、そうしていた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!