ドラム忙し過ぎだろ。足の部分誰か代わりに踏んでくれよ。
キーボードってこんなに難しいの?
やばい歌詞覚えられねえ
スタジオ内は音色より弱音が目立った。
平日の午後一時。今日はツギハギロック初の合同練習。米仲の手配したスタジオでワイワイやっている。ドラム以外は皆自前の楽器を持ってきた。
「やっぱりベイビーズの方がよかったかなぁ」
僕は米仲の隣で胡坐をかいて面々を眺める。鈴木がマイクの高さを執拗に気にしている。
「スタートラインが同じ方が一体感がでるだろ?」
米仲はこの有様にも動じていなかった。
赤ん坊達は教本にガンを飛ばし楽器に八つ当たりをしている。楽器が泣いている。第一の目標「ファーストライブ」が太陽よりも遠くに思えた。
考えても前進はない。練習しよう。
徐に立ち上がり、ベースストラップを左肩に掛け左手でネックを掴み、ベースを構える。
ベースを構える。
ベースを構えた。
ベースは構えられた。
どうやればいいんだ。
練習ってどうすればいいんだ。
僕もまた赤子だった。
シャーンシャンシャンシャーンとシンバルの音がする。斎藤が本能のままにスティックで叩いていた。
「米仲」
「ん?」
「練習って、どうしてた?」
米仲から返事はなく、座ったままギターを構えだした。左手で弦を押さえ、右手にピックを握り、下ろす。
低く長い音がした。前回の音とは全然違った。僕が逃げてる間も米仲はちゃんと練習していたんだ。
「おお、しっかり音出てる!」
「驚くのはまだ早い」
米仲はギターのネックをガン見しながら、左手をスライドさせた。そして目的地で一時停止させると人差し指から弦を押さえ始める。そして最後に小指が震えながら弦を押さえる。
「ここだ!」
ピックが動く。さっきより高い音が鳴った。
「もういっちょ!」
米仲は同じ手順で何度も何度もギターを鳴らし続ける。
「そこだ!」
「これだ!」
「とどめだ!」
一音一音の間に空白があったものの、鳴らす音はしっかりしていた。前回とは比べ物にならない脅威的な進化だ。
「米仲凄いな! 見違えたぞ!」
米仲の正面に回り床に尻を置く。ベースは背後に寝かせた。
「そうだろ。これが練習の成果。ギターの根幹『フレーズ』だ」
「これがフレーズ。聞いたことはあるけど、そうか、これが」
「普通に音楽聴く分には、あんま意識しないからな。ギターカッコイイ、とかはあっても」
米仲は再度ギターを弾き始めた。さっきよりもテンポよくフレーズを奏でる。
「他にも弾けるフレーズある?」
「弾けるのは今んところこれだけだな。結構手こずったんだぜ」
言うと、米仲は左手を俺の顔の前で開いた。細い指の腹にはうっすら赤い線が走っている。
「指先触ってみ」
言われるがままに右の人差し指と親指とで、米仲の人差し指を挟む。その手は少し汗ばんでいた。
プニプニプニ
プニプニプニ
「どうだ?」
米仲が期待を込めた声で聞いてくる。
「僕の耳たぶより柔らかいね。何か秘訣があるの?」
と、正直な感想を述べてはならない。それをすれば米仲の努力は無惨にも砕けてしまう。何もやらない上に人の足を引っ張るのは最低だ。
恐らく米仲は「ギターの練習で指先がこんなに固くなったぜ。ロックだろ?」と、言いたいのだろう。ならば仰せのままに。
「米仲」
「がんばったんだね」
「まぁな。練習のせいで指の先が固くなったが、それもロックだ」
米仲はニッと笑ってみせた。僕は米仲の指を離す。背後から調子はずれのねこふんじゃったが聞こえる。
「悟 も練習すれば固くなるから、慌てんな」
米仲は両手の指を合わせ、その感触を楽しんでいる。米仲の指のプニプニもとい固さは彼がロックをする上でのアイデンティティーの一部になっていた。自信と言い換えてもいい。
僕も練習すれば、自信を持てるのかな。
左右の掌を眺める。未だに何もつかめていない、空っぽの手だ。
この手で僕は夢を掴もうとしている。オリジナルの歌を完成させるんだ。
バンドを組むという重要項目は達成できた。見通しは悪く茨の道っぽいが、道があるだけマシだと思う。
次の目標はファーストライブ。
でも、ただ傷つきながら進めばいいってものじゃない。それは分かっている。大きな目標を成し遂げるには小さな達成を積み重ね、進化する事が必要だ。いっぺんに最終形態を狙わなくていい。
蛇のように脱皮を重ねて着実に大きくなろう。そうすればいつか米仲のように自分にとっての自信がつくはずだ。
まずは下手くそだ。何も出来ないから下手くそまで進化しよう。
空の手でベースを掴む。
「米仲、どうやって練習したか教えてくれる?」
胡坐の上でベースを構える。
今日からだ。今日から始まるんだ。
「会話だよ会話。語り合うんだ。楽器と」
米仲は稚児 の頬をつつくようにギターの腹をピックで二回叩いた。発言と仕草はもう有名ギタリストのそれだ。
語らえ。つまり時間を共にしろってことか。
「米仲~。ドラムむずかし過ぎるわ。特に足のアレ。考えたやつ許せねーよ。出来る奴は宇宙人ぐらいだろ」
斎藤が汗と不満を垂らしてやってきた。右手にはスティックが二本握られている。
「お疲れ。よく叩けてたぜ」
「そうか? ビートとか刻めなかったけど」
斎藤が僕の左に座る。
「大切なのはしっかり叩くことだ。学校で習う叩いて鳴らす楽器はカスタネットくらいだろ?だから大体の奴は臆してまともにドラムを叩けない。でも斉藤は初めてなのにそんな汗だくになるまで叩けた。あんな和太鼓みたいにドラムを叩ける奴は早々いない。俺は斉藤にドラムの新境地を感じる。悟もそう思うだろ?」
「うん。和太鼓みたいでカッコよかったよ」
急に弾丸ストレートが飛んできたが上手く打ち返せた。ボールを返すには腰の捻りが大切だ。
「マジか。俺、意外にイケてたんやな」
首にかけたタオルで斉藤は顔をぬぐった。彼は結構いいやつなのかもしれない。
「みんな揃って休憩?」
行列にひかれて行列に並ぶ人種の様に、三人のジベタリアンにひかれて田中がやってきた。担当するキーボードの性質状、斎藤ほど汗はかいていない。
「おう。次の戦いに向けて休憩中や」
精神的に回復した斎藤が調子良く告げる。
「僕もまざろうっと」
田中は俺の右側に座った。頭上から見れば米仲を要、他三人を扇面とした扇状の布陣になっている。
「お疲れ。キーボードはどうだ?」
米仲が田中に手ごたえを尋ねる。米仲の茶色いギターは悪の大幹部が飼う毛並みの良い猫のように、いまだ彼の胡坐に身を預けている。今にもネックを逸らせ、伸びでもしそうだ。
「難しいね。鍵盤は白と黒で見分けつかないし、両手で同時に違う動きをするなんて人間じゃ無理だね。キーボード奏者は人型の何かだね」
「だよな! 楽器ムズイよな! バンドマンって天才だよな!」
「ね。髪のやたら長いチャラチャラしてる人がやってるから楽勝だと踏んでたけど……。あのチャラチャラは『俺、音楽出来るんで』っていう自信があってこそのチャラチャラだったんだね……」
「あんなの見せられちゃ誰だって勘違いするよな。騙すなんてずりーよな」
斎藤はなおも愚痴る。
「ね。冗談は外見だけにして欲しいよ」
「そこまで卑屈になることもないんじゃないかな?」
沈黙を美徳だと勘違いしている僕でも、斎藤と田中の冗談みたいな被害妄想には口を挟まずにいられなかった。
未踏の地を目指す上で失望や挫折 はつきものだが、如何せん折れるのが早すぎる。言うなれば今は最低限の荷物を準備して、靴ひもを結び始めた段階だ。まだ踏み出してすらいない。
結ぶのが難しくてもひも靴を選んだのは自分だ。やめるのはせめて歩きだしてからだ。出来れば歩き続けて欲しいけど。
他人のことよく言うぜ、とベースが鼻で笑う。一度ボディを叩く。
「でもよ、センター試験からも苦手科目の英語と数学からも逃げて現代文と公民の二科目合計点方式で私立文系大学に助けを求めた俺には、立ち向かう心ってのが残ってないんや。能力の成長は高校受験時がピークで、それからは今の自力で渡れる道を選別するのに全力を尽くしてここまで来たんや。言わばレベル上限十の旅人が、敵との戦闘を避けて何とか中盤の街まで来たみたいなもん。ドラムはそんな俺の前に立ち塞がった新種の怪物で、殴ってみたらこっちの手がダメージ食らって」
「はぁぁぁ」
斎藤による怒涛 の心境報告は深いため息で終わりを迎えた。その体験談はあまりにも悲しく、身に覚えがありすぎた。
私立文系大学の入学式で発表すれば、参加者の八割は涙を禁じ得ない。僕のひも靴の例えなんか吹き飛んでしまった。
斎藤、君は金髪なのに中身は僕に匹敵するネガティブマンだったんだね。
「斎藤も逃げて逃げての人生だったんだね」
「も、ってことは田中、お前もなのか?」
「うん。一度逃げちゃうと癖になっちゃうよね」
僕を挟んでマイナスのオーラが行き来する。居心地が悪いと感じないのが哀れだった。
「僕も同じ穴の狢だけど二人とも落ち込みすぎだよ。人生は冗長なんだからこれからゆっくり改善していけばいいんだよ」
物事の陰ばかり見つめてきた僕とは思えない発言が続いている。人間不思議なもので、自分より落ち込んでいる人が居ると励ましたくなる。
自分の進路は全くの白紙なのに、他人の進路にはあれこれ口を挟めるのと似た心理だ。
自分には弱気で無知、他人には客観的で強気。人間が歪んでいる。
「そうなんかなぁ」
力任せにドラムを叩いてた斎藤とはまるで別人。生気がしぼんでいる。
「悟は前向きだね」
皮肉以外で言われたのはいつぶりだろう。明日世界が滅んだら田中のせいだ。
「その様子だと悟はベースと上手くいってるみたいやな」
「同じ初心者なのに凄いね。コツとかあるの?」
待って待って。それは事実と異なる。これほど見当違いな美化はない。
「僕も二人と同じだよ。何なら立ち向かっていない分、二人に負けてる。けど、これから頑張ろうと思ってるんだ。そうこれから頑張ろうって……」
二人への弁明は緩やかに息を引き取った。言ってて凄く嘘っぽかった。
これから頑張ろうって
なにさりげなく今までの不真面目をチャラにしようとしてるんだ。
決意が漲 る一番前向きな言葉のはずなのに、マイナスの引力に敗北してしまう。
すると、すぐ近くから音が聞こえた。
腹部に電気が走る。
たどたどしくも活力のある瑞々 しい音だった。
「お前ら、落ち込み過ぎだぜ」
発信源が喋った。
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