夢を見たのは俺だけか。

俺はまだ、夢を恨んじゃいない。
イマヤイト
イマヤイト

1_今は記憶

公開日時: 2020年9月30日(水) 18:18
文字数:2,001


 この街は本屋で溢れている。


 数ある本屋のひとつに入り売場全体を見渡す。マンガや薄い本に特化した紹介する人を選ぶ本屋だ。


  新作マンガの平積み台ではスーツ姿の男性があごに手を当てズラリと隊列を組む単行本群に視線を落としている。その姿を背後から見ている俺は彼のリュックに印刷された美少女キャラと視線が重なる。恋には落ちない。


 彼の様に自分の趣味を持ち物のどこかで主張するのはここでは日常茶飯事だ。むしろアニメキャラを取り入れたファッションがこの楽園での正装と言える。

  もしくはチェックのシャツ、あるいは黒を基調とし過ぎた服装。

  故にここでは青のジーンズに薄緑のミリタリーシャツなんぞを着てしまった俺がTPOをわきまえない無礼者だ。

  

 そんな広くもなく狭くもない店内に、真剣、笑顔、迷い、晴れやか、と多様な個人模様が共存している。


 俺の横を眼鏡をかけた男性が通過する。手には黒色のビニール袋を提げていた。店のロゴが白抜きで描かれている、この本屋の代名詞と言える袋。俺には縁遠い物体。

  

 あの袋の中には数百円で買われた、誰かの夢が入っていたはずだ。


 買いたい本はない。あいつらに払う金は持ち合わせていない。

 この街には本屋が溢れている。

 本屋に入るたび、安息と不甲斐なさに奥歯を噛みしめる。


 夢を見たのは俺だけか?

 夢を見たのは俺だけか?



 探している本はここにはない。

 探さなくてもわかる。



「あった、あったよ母さん!」

 学生服や黒のセーラー服が冬空の下、ひしめき合っている。彼らの前には無数に並べられた大きなホワイトボードがあり、板面には大量の数字の羅列が掲示されていた。


『ほんと!? やったじゃない! おめでとう!』


 スマホ越しに母親の歓喜の声が届く。

 合格したって! と、家族に報告する声も電話が拾っていた。


「やったあああ! ありがとう! マジで嬉しい!」


『四月から大学生ね! 今日はお祝いしましょ!』


「うん! じゃあ、書類貰ったら帰る!」


 通話を終了し、もう一度、ホワイトボードの番号を見る。


 51097


 確かにある。幻じゃない。


 両手を強く握る。達成感と狂喜に全身が震える。

 やっとだ。やっと夢に近づいた。あの東京へ行けるんだ。


 東京へ行って、バンドを組んで、オリジナルソングを出すんだ。僕は楽器も歌も出来ないけど、曲の無い歌詞ならある。それで充分だろう。


 そうだ。この喜びも歌詞にしよう。夢への船出を祝福する歌だ。


 合格書類を取りに指定の場所へ向かう。受験の時に一回来ただけの大きな会場。ド田舎者のために設けられた代理の会場。


 ここから都会へ行くんだ。映画やアニメでよく描かれた憧れの場所。本物の都へ。


 不安を感じる余裕すらあった。想像しただけで、あらゆる可能性が脳内を駆け巡った。危うく頭がパンクするところだった。

 たまらず跳ねる。幸いにも廊下には誰も居なかった。


 合格書類は薄桃色の封筒にまとめられていた。

 配付場所からの戻り道、ホワイトボードの裏側で女の子がうつむいていた。時折、痙攣けいれんしたように肩が動く。

 もしかしたら、泣いているのかもしれない。幸福に包まれていた心がチクリと痛んだ。


 封筒を背中に隠し、出来るだけ女の子から距離をとる。これで女の子に追い打ちをかける心配はない。迂回うかいして家に帰ろう。


 と、気が緩んだのがいけなかったのか、ずっと女の子を見つめていたのがいけなかったのか、それとも運命なのか。不意に女の子は顔を上げ、僕の存在に気付いた。


 更に都合の悪いことに、おうとつが組み合う様に目と目がガッチリ合ってしまった。


 そして、動揺した僕は封筒を落としてしまった。最悪のシナリオを最短距離でなぞってしまった。


 女の子は地面に落ちた封筒に釘付けになっており、僕はその光景に釘付けになっている。この流れだと釘付けになっている僕ら二人に釘付けなっている人がいるかもしれなかった。標本の昆虫にでもなった気分だ。


 先に釘を抜いたのは女の子だった。体の動かし方を思い出しているのか、ゆっくりと辺りを見回す。彼女は瞳で僕を捉えると動作を終了させる。


 大声で泣かれる前に封筒を拾って逃げ出したい。

 切実な望みが遠のいていく。


 女の子は再びゆっくり動き出す。

 背負っていた赤いリュックを下ろすと中を漁り始める。顔はブレることなく僕を捉え続けている。


 目的の品に触れたのか彼女の腕が一瞬止まる。僕は彼女の指先に触れているのが、コンパスやカッターでないことを祈った。


 リュックから何か取り出す。


 尖った、角のある、薄桃色の、封筒。


 彼女は笑顔だった。別な意味で釘付けになりそうな、可憐な笑顔だった。


 □


「右か? 左か?」


 テーブルに向かい合う男が二人。トランプを手に勝負を続けている。

 開始時は計六人の男がテーブルに着いていた。俺はその勝負から三番目に勝ち抜け、今は片方の男の背後に立ち、どちらが土にまみれるのかを眺めていた。


 左だ。左がジョーカーだ。


 手に汗は全く握らない。ただ、焦燥と自問が心を炙《あぶ》った。


 何をしているんだ、俺は。



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