池田敬は居た堪れなかった。
リビングには越智と二人きりになり、一気に静寂が訪れていた。
越智と二人で、勝手口から全員の靴を玄関に戻したものの、他にやることがない。
「そうだ」
その間を嫌うように、池田はテーブルの上のテレビのリモコンを取り、電源を入れた。
大きな画面が一瞬ぼやっと暗く光って、番組を映し出す。
「何かニュースやってないですかね。この時間なら…報道番組があるか…」
池田はチャンネルをニュース番組に変えた。
画面はダンプカーと警察車両の正面衝突の事故を映しているが、池田にはなんのことだかわからない。
「ああ、あの、ところで、今回の犯人がヨウツベに動画を上げているとか。
まあ、私はネットとか、そういうのに疎くてね。
まあ、スマートフォンを持ってなくて、まだ見てないんですが…
その、待っている間に、どんなものなのか、見せてもらえませんか」
越智も沈黙を嫌うように口を開いた。
「ああ、そうですか。では、このパソコンでどうぞ」
池田はそういうと、中津が使っていたパソコンの前に座り、ヨウツベを開く。
「ええ、と、ゾンビにしてみた、と」
越智は池田が操作している間に近づき、横に座った。
「ん?あれ?」
池田が驚きの声を漏らした。
「どうかしましたか」
「ああ、これ見てください。
さっきまでフランス人編しかなかったのに、アメリカ人編とか中国人編とか、いち、にぃ、さん…
十個以上、上がってますね。五分置きにひとつずつ…
これが全部本物なら、大変なことですよ。
なぜこんなにたくさんの外国人を誘拐したのか…」
「え、本当だ。これ全部、あれですかね?
まあ、だとしら、えらいことだ」
池田は適当に一つ、動画をクリックしてみた。
映研で借りたものと同様の光景が再生されている。
「ちょっと、まあ、一応、電話しておきます」
越智は動画を見ながら、携帯電話を取り出して、電話をかけた。
電話の相手に、これまでの経緯を一通り話した後、今見ている動画のことをかいつまんで伝える。
「…ええ、ええ、まあ、それでは、よろしくお願いします」
越智は見えない相手にお辞儀をして、電話を切る。
「今、聞いておられて、まあ、ある程度おわかりかと思いますが、サイバー犯罪対策課がもう動いているそうです。
まあ、念のため、他の動画が上がっていることは伝えると言っていました」
越智は池田の方を向いてそう言うと、またパソコンのディスプレイに目を向けた。
その時、二人は気付かなかったが、テレビではキャスターの横から原稿が渡されるシーンが映った。
「…ええ、たった今、入ってきたニュースです。
昨年から国内で行方不明になっている外国人と見られる男性を拷問している様子が、動画投稿サイト、ヨウツベなどで、今日の午後七時頃から公開されていることが判明しました」
その声に反応し、二人ともテレビに向き直る。
「とうとうマスコミにも知られてしまったか…」
越智が諦め顔で両の掌を上に向けて言ったと同時に、
「ヨウツベ…など?」
と池田は呟いた。
ここで画面が切り替わり、ヨウツベの画面となる。
「映像に映っているこの男性は、フランス国籍を持つジョージ・クリスさん、失踪当時二十五歳と見られ、二年前から帝都芸術大学に留学していましたが、昨年の六月中頃、行方がわからないと、大学側と家族双方から捜索願が出ていました。
この映像からもわかる通り、拷問を受けている人物は黒い袋状のものを被せられており、顔を伺い知ることはできませんが、動画の説明文には、ジョージ・クリスという氏名や国籍、失踪日時などが表記されており、これを根拠に、この男性がクリスさん本人ではないかと見られています。
なお、この他にも同様の映像がいくつもアップされ続けており、クリスさんの他にも、外国人と見られる男女多数が誘拐されている可能性も浮上してきました。
この動画は、既にインターネット上で話題になっており、ファセボークやトイッテーなど、ソーシャルメディアを通じて、急速に拡散している模様です。
誘拐されたと見られるクリスさんの母国、フランスの他、数多くの国にもこの動画の情報が伝わっており、再生回数が既に百万回を超えたものもあります。
当番組が、警視庁に確認したところ、警視庁にも多くの通報が入っており、この件を把握しているとの回答でした。
警視庁では、映像の真偽の確認を急ぐと共に、外国人同時多発誘拐事件も視野に捜査を進める、とのことです…」
「どうやら、サイバー犯罪対策課だけではすまなそうな事件になってしまいましたね」
「そのようで…これはこちらも、まあ、我々も今後、動かなければならない事態になりそうです」
「お待たせしました」
その時、二階から身支度を終えた勝が戻ってきた。
「私はいつでも大丈夫です。
と言っても、あとの二人はまだですが。彼女らは何かと時間がかかりますから…あの何か?」
勝は手に持ったコートと鞄をどこに置くか迷いながらそう言うと、二人の緊迫した様子に気が付いた。
「あ、テレビ勝手につけてすみません。
もう終わってしまいましたが、今このニュースで例の動画と同じようなものがヨウツベに投稿されていることが報道されました」
池田はそう言いながら、真剣な表情でパソコンに手をやり、
「岡嵜もしくは有馬は一志君だけでなく、外国人も多数、同様の手口で拷問を繰り返していたようです。これを見てください」
と画面を見るように促した。
勝はコートと鞄を空いたソファの上に放ると、池田と越智のいるソファに座った。
池田は、今度は男二人に挟まれ、マウスでパソコンを操作しながら、説明を続ける。
「これです。ここに…ほら、これだけの数の動画を上げています。
あ、そうだ。投稿者の名前は…」
池田はそう言いながら、投稿者の名前『Scripture』を指差した。
「これ、なんて読むんだ?
スクリ、スクリ…プ、ツ、スクリプツ、ア?どういう意味なんですかね?英語に弱くて…」
「スクリプチャー…恐らく、キリスト教でいう、聖書、だったかと…」
勝が眉をしかめて、思い出すように答えた。
「聖書?聖書ってバイブ、いや、バイブルとか言いませんでしたっけ?」
「私も詳しくは知りませんが…」
「そうですか。あ、これをクリックすれば、他にどんな動画を投稿しているかわかりますね」
池田は名前にカーソルを合わせてクリックした。
動画の画面は右下に縮小し、アップロード動画の一覧画面に変わる。
「全部、ゾンビにしてみたシリーズだらけですね…あれ、パート2がある!」
画面を下にスクロールすると、先ほどは気付かなかった、各外国人編のパート2も並んでいた。
「投稿日時は…四十分前、九時過ぎのようです…あ、ここに日本人編があります!」
池田はすぐにその動画をクリックした。
「あなたは神を信じますか」
第一声は岡嵜零のその言葉だった。
ふと、説明欄に目をやると、『被験者:佐藤一志』の文字を見つけた。
「ここに、息子さんのお名前が…」
池田はその文字を指さした。
「ええ…」
勝はそう声を絞り出すと、俯いて眼鏡を上にずらし、両目を右手で覆った。
池田はそれに気付かず、さらに画面の説明欄を見続けていた。
「あと、職業、失踪日時が書かれていますが、これもやはり一志君のことで…」
と言いかけ、ここでやっと勝の様子に気付いた。
「あ、あの、すみません…お気を確かに…」
池田は勝の心情を測れなかったことを悔いた。
「いえ、大丈夫です。
声は似ているだけだ、間違いであってくれ、等と思っていましたが、確信に変わってしまいましたので…」
勝は涙を堪えるように呟く。
池田も越智もなんと声をかければ良いかわからず、しばしの沈黙が続いた。
「…いや、すみません。
恐らく、岡嵜零はこうやって私たちが悲しむ姿、いや、声だけでも聞きたかったんでしょう。
それがあなたたちのお蔭で聞かれずにすみました。
それだけでも…ありがとう」
そこに、身支度を終えた静と累が鞄と上着を持って下りてきた。
静は、チノパンにボーダーのトレーナー、その上に薄手のコート、累はスラックスに、セーター、ジャケットだった。
「あれ、お父さんどうしたの?」
ただならぬ雰囲気に静が訊いた。
「いや、それがあの…」
「ヨウツベに一志の動画が上がってたんだ。あの映像の続きだよ。
お前たちも見ておきなさい」
しどろもどろの池田を遮るように勝が涙を拭いながら、パソコンを指差して言った。
「え!?」
静と累が手のものをソファに置いて池田たちの後ろに回り、一時停止していた動画を覗き込む。
池田は再生するのを迷ったが、勝を見るとこくりと頷いた。
仕方なく、池田は画面を操作し、動画を最初に戻し、説明欄を指差す。
二人とも口を両手で覆い、驚いた表情で見ていた。
「ああ、一志…」
累が目を伏せて泣き始める。
「お兄ちゃん…」
静は気丈にも、画面を見つめ続けた。
既に、一志が誘拐されたこととしてこれまで動いてきたのだから、それなりの覚悟もしていたのだろう。
いつの間にか、中津も側に立って見ている。
「どうだった?」
池田が中津に顔を寄せ、小声で訊く。
「やはり異常なしです。
二階には盗聴器の反応はありませんでした」
中津も囁いたと同時に、越智の携帯電話が唐突に鳴った。
越智は立ち上がり、その場から離れて電話に出る。
池田は動画を一時停止にした。
「あ、そうか。わかった。まあ、しょうがないな。
じゃあ、ぼちぼちこっちもそっちに向うから。
え?なんで…うん、うん…
まあ、そういうことなら、うん、了解。
はい、はい、どうもー」
越智はそう言って電話を切ると、パソコンを囲む池田たちに向き直った。
「どうやら、ホシはこちらの餌に喰いつかなかったようです」
「そうですか。もしかしたら、もう逃げることに精いっぱいなのかもしれませんね。
で、最後の会話、何かあったんですか?」
池田が気になって訊いた。
「ああ、今回のウィルスのことについて、佐藤教授の見解が訊きたいとかで、今、囮として行った刑事らが、またこちらに戻るそうです。
一応、重要参考人ということで、警護を付けるということらしくてね。
彼らが戻り次第、本当に我々も警視庁へ移動します。
まあ、どちらにせよ、佐藤家の御三方から事情聴取させてもらうことに変わりはありません。
まあ、なぜ、こんな事態になったのか、犯人との関わりなども、お聞かせいただかないとなりませんから。
それまでに、まあ、そうですね、この動画を見ておきましょう」
越智はそう言って、元居た池田の隣に戻った。
「えっと、じゃあ、続きを見ますか?」
池田が周りの雰囲気を確かめながら訊く。
「そうしましょう。一志が岡嵜に何をされたのか、気になるので」
そう言って、勝が手を画面に向け、再生を促した。
「それでは」
池田がマウスを操作して再生を始め、聞き取りやすいよう、ボリュームを上げる。
「ああ、この動画五十分以上ありますね…大丈夫ですか、時間」
池田が越智に向かって訊いた。
「え?そんなに?まあ、夜は長い。
佐藤さんたちがよろしければ、最後まで見てから移動しますか。
まあ、我々は徹夜を覚悟して来ましたから」
「じゃあ、ちょっとだけ、早回ししましょう」
池田はマウスを操作して、再生速度を一・二五倍に設定した。
早口ではあるが、聞き取れる速度だ。
すると、池田と越智は後ろの中津に肩を叩れた。
振り返ると、中津は側で立って見ている佐藤家の母子の方をそっと示す。
中津の気遣いに気付いた二人は、慌てて立ち上がると累と静に席を譲り、ソファの後ろに回った。
動画の中では、零が自身の思う神の説明を始めていた。
「何を言っている。
事実と自分の妄想を織り交ぜて、都合良く解釈しているだけではないか」
勝が苦々し気に言った。
池田の方は内容を理解するのがやっとで、再生速度を速めたことを後悔した。
池田の思いに構わず、動画の中で零は滔々と持論を展開していく。
「…これだけは言っておきたいのですが、別に私はなんでも神の仕業と言って、思考を停止した訳ではないのですよ。
むしろ、その逆です。神がいるとしたら。
そう仮説を立てて、それを証明しようとしている…」
零がそう言った時、
「この人らしい…」
と累が呟いた。
「お母さん…」
静が累を見つめる。
「この人はそうだった。
推論でもなんでも、こうと決めたらそれに真っ直ぐ突き進む。
決して曲げない。
アメリカ帰りというのもあったのかもしれないけど、元々持っていた気質ね」
累は昔の零を思い出していた。
<零は恒が自分と付き合っていることを知りながら、なんの躊躇もなく奪っていった。
恒と別れてから一度だけ会ったが、その時、悪気や後ろめたさの片鱗も見せなかった。
あの女は忸怩たる思いなど、端から持っていなかったのだろう。
人の男を奪っておいて。そして、次は最愛の息子、一志まで。
自分の愛した男の子供なのに、それに気付きもせずに。
憎い…悔しい…あの女さえいなかったら…>
累の中に、過去に鎮めたはずの怒りの感情が、ふつふつと湧き戻ってきていた。
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