死の嵐の壁を抜けると、そこにはどこまでも続く廃墟というべきものが広がっていた。だがその廃墟の原形となる物それ自体が、初めて見るものばかりで理解の範疇を超えている。
とにかく高々とした建造物の骸とでもいうのか。窓らしき部分、さらには壁に空いた穴にも植物が絡み付いている。しかも、どこもかしこも脆くなっているようで、見渡す限りにその建物のものと思われる崩落した残骸が転がっていた。それに混じっていたるところに散らばる透明な破片が、太陽の光をまばらに反射している。
「これは驚いたね。こんな大きい街が広がっているなんて。どれもこれも見たことないし、見える限り全部廃墟だ。いったいどれだけの時間ここにあったんだろうね?」
「――さあな。だが、近くには他の気配もしない。逃亡先にはうってつけだろう。何が出るかは知らんがな」
シャトラは楽しそうだ。少し間を置いたデゼルは、何かを隠しているようなそぶりだが、まずは安堵しているらしく声が落ち着いている。
――何者かの、あたしを呼ぶ声。
それについてみんなに話したところ、気になるなら行ってみようよ、というシャトラの一声で話がまとまった。今のところ目的地がなかったのも、すんなり決まった理由の一つだろう。
「ねえ、みんな。僕が上から見てこようか? どんな様子なのか」
「――ううん、あたしに行かせて。元はと言えばあたしが言い出したことだし」
「いや。待てセナ。単独行動は危険だからやめておけ。探索するなら全員で行動した方がいい。その方がもしもの時でもいろんなことに対応しやすい」
「そうだよセナ? それとも、ウチたちじゃ頼りにならない?」
そういうことじゃない、とあたしは反論しかけてやめた。彼らの言うことはもっともなことだから。
しかし、軽くでも下見はしておいたほうがいいはずだ。これだけ広い街をあてもなく探索するのは無謀だし、危険が伴う。もしも何者かに襲撃を受けてしまった時、全員が疲弊していたら目も当てられない結果になってしまうのは明らかだ。
あたしの顔を見てデゼルが嘆息して肩を落とした……ように見えた。
「あー……セナ、お前が言わんとしていることはわかる。この中ではお前が一番適任なのもな」
「どういうこと?」
「セナはな、耳がよくて、足が早い。それに高い所にも軽く登れる力を持っている。もし何かあってもセナが一人ならば逃げ切ることも可能だろう。そして、ルネと違って飛んでいる必要がないからこの廃墟の建物に隠れながら移動ができる。そういう意味でもルネより向いているだろうよ」
「なるほどね。ならどうしてデゼルは彼女に反対したの? もしかして過保護かな?」
デゼルは一度黙り込み、舌打ちを一つして大きくため息をついた。無意識ながらもそういう考えがあったと自覚してしまったのかもしれない。
「あはは、冗談だよ。ごめんねデゼル。――ま、そういうことならセナに任せようかな。アールヴは長命だけど時間を無駄にはしたくないのさ」
「……いいだろう。だが一人で行くのはいいが条件がある」
「大丈夫。そんなに遠くに行くつもりはないよ」
「わかっているなら、いい。……あと、何かを見つけても絶対に一人で深追いはするな」
頷いてデゼルの頬を撫でると、彼はくすぐったそうに鼻を鳴らした。
「それじゃ、ちょっと行ってくるね。みんなは少し休んでて」
ひょいっと瓦礫を蹴飛ばして跳ぶ。剥き出しになった金属の骨組みらしきものに足をかけてさらに上へ。たまに足がついた場所が崩れてしまって驚いたが、なんとか建造物の屋上へとたどり着く。しかし、そこには別の問題が転がっていた。
「うわ、こんな高さじゃ全容が全然見えない」
あたしが登った建物は崩落しているのもあるが、この街にあるものの中だと比較的低い部類らしい。囲むように高い建物群が眼前に広がっており、見渡すこともできなかった。
視線を上にあげて一際高い、群を抜いた建造物を探すと、思いの外すぐにそれは見つけられた。
鉄の骨で組み上げられ、高々と造られた塔のようだ。少し距離はあるが、あの上からならばある程度全容が測れるだろう。まずはそこを目指す。もちろん、周囲の警戒は怠らずに。
「今のところ生物っぽい音は……?」
しない。時折何かが壊れるような、崩れるような音がするが、それはこの風景を見れば自然な現象だろう。それ以外は異様なほど静かなものだった。命の息吹ひとつ感じない。
先ほどと同じ要領でさらに高い建物の亡骸を登る。時々気になってその中を覗くと、散らかった瓦礫はもちろん、机やベッド、棚等が散在していた。長らく放置されてはいそうだが、元々は誰かが住んでいた場所らしい。
一つ、二つと屋上を飛び移り、目的の塔の足元へ。
みんなのいる場所からは離れてしまったが、情報を集めるためと自分に言い聞かせた。それに、あたしはこういうスタイルの方が慣れている。父といた時もこういう仕事を買って出たものだ。
「こんな大きな塔は見たことはないけどねー。ふむ……気をつけるに越したことはないけど、これは作りも結構しっかりしていそうだ。ま――何に使うかは見当もつかないけどね」
肩をすくめた。
鉄と金属の骨が重厚さを醸し出している。少し傾いているようにも見えるが、土台もこの塔自体も間も無く崩落するということはなさそうだ。
骨組みの間に何箇所か足場になりそうな場所があるのが見てとれた。まずはそこを目指そう。
とん、とん、とん。
天使の脚の能力を存分に使い、軽快に駆け上がっていく。踏みしめても歪むことはないし、抜けたりすることもなく、かなり安定して登ることができている。
「到着……っと。たぶん一番上まで行く必要はなさそうね」
塔からせり出した区画。ここは崩落がかなり進んでいたが、そのおかげで植物が絡みつき、その区画の上――足場にたどり着くのが幾分かは容易となっている。とはいえあたしじゃなければ非常に苦労するのだろうが。
登り切ってすぐ、あたしは目を瞑った。途中で下を見ることもしなかった。なぜなら少しだけ、この位置から見下ろす景色が楽しみだったから。
心臓の音が聞こえるくらい静かだ。聞こえるのは風が空気を震わせ音くらい。こんなに静かな世界があるだなんて、あたしは知らなかった。
背中を塔に預けるように振り返り、息を吐き出してからゆっくりと瞼を開く。
「…………」
息を呑んだ。
広い。果てが見えない。
どこまでも広がる灰色に緑が混じった海。それを、あたしはどんよりと曇った日の空に似ているなぁなんて思ってしまった。だが、崩壊したその骸のような街に、言い知れない感動を覚えている。
――いけない、浸っている場合じゃなかった。全体は見れなくても気になるところくらいの目星はつけないと。
見下ろし、見える範囲を少しずつ注視していく。すると、ところどころにぽっかりと大きな穴が空いたようになっている場所があった。しかし、どうやらそこから下にも広大な空間が広がっているようらしい。過去に見たこともないものだ、気になる。
さらに視線を泳がせていると、ふと景色に違和感を覚え、視線を戻して見つめ直した。
「何だろうあれ? なんであそこだけ――」
やけに綺麗に見えるんだろう。
それはここからでも目視できる大きな構造物だった。そして見間違いでなければ、どうやらその周りは透明な何かに包み込まれているらしい。時折太陽の光を反射しているのが見て取れる。
じっと見れば見るほど気になって仕方がない。あそこには行った方が良さそうだ。もしかしたらあたしを呼んだ人物がいるかもしれない。
『慧眼だね。……正解だよ。ボクはそこにいる』
「っ!? 君は一体誰なの?」
周囲を見渡すが、誰もいるはずがない。この高さなのだ、いることはありえない。でも確かに――視線を感じたのだ。
『ここに来てくれたらわかる、と思うよ。えっと……セナ、さん?』
デゼルといい、この声の主といい、なぜあたしの名前なんて知っているんだろう。そんなに有名なはずはないのに。
それを最後に声は途切れた。わけがわからないが、どうやら諦めてあの場所を目指すしかないらしい。
そうと決まれば早くみんなの元へ戻ろう。少し遠くまで来てしまったし、急いで帰らないとデゼルとルネに怒られてしまうかもしれないし、シャトラに心配をかけてしまう。
くすくす、と自然と笑みが浮かんだ。どうやらあたしは――自分が思っているよりは変われているらしい。
さて、と真下を覗き込んでその高さに慄いた。こんな高さまでくるのが初めてだったから余計だろう。普段は高いところなんて怖くなく、むしろ得意だというのに。
「はは、どうしよ、早く戻らないといけないのに」
呼吸を整えようと深呼吸をしようとした時だった。
ごう、と突風が吹きあたしの身体を攫っていく。そのままあたしは足場から飛び出して中空へ。そして重力に引っ張られ真っ逆さまを向いた。
「あっ――嘘」
どうする? 決まってる。やったことはないけど、やらないと生き残れない。このまま落ちたら文字通りペシャンコだ。
――いついかなる時も冷静にすることだ。
そうだね。父さん。
目を見開き、意識を脚へと流し込む。紋様が輝き始め、落下速度が落ちていく。だがまだ足りない。
「飛べるはずなんだ。だってこの脚は天使の……ううん。――アンスールの『翼』なんだからっ!」
理解が知識を追い越し、あたしはそんなことを叫んでいた。
頭と右目の中で何かが迸り、這いずり回るのを感じて、浮かされたように目を開ける。
――空の中で静止していた。世界は逆さまだ。
何が起こったんだろう? 今度は理解が追いつかない。しかし、あたしの身体は自然と体勢を立て直し、舞い降りるように大地を踏み締めた。途端に重力が戻ってきて、身体が縛られたように重くなる。
「くっ――!? はぁっはぁっはぁっ……」
心臓と肺が暴れ始めた。汗が溢れ、全身が茹だるような熱に包まれる。それはあたしの意識を刈り取るほどの勢いだった。
「いやはや、素晴らしいものを見た。まるで天使様だ。ご無事ですか? 同胞よ」
男の声。その声に視線を向けると、朦朧としてくる意識の中に人影が見えた、気がする。
「おやおや。これはいけない。すぐに彼の者たちのところへ運んで落ち着かせてもらわねば。手伝ってくれるか? ええっと……」
「――ユウだ。構わない。『龍人』の元へと運べばいいんだろう。この子のことはおれに任せてくれ」
耳だけが漫然と声を拾い上げていく。それを理解する前に、あたしは自分の身体を支えられなくなってしまった。
「危ないっ――ふぅ。この感触……本当におれたちと同じなんだな」
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