異端者幻想譚

-ヘレティックファンタジー-
月緋ノア
月緋ノア

変わっていくもの、変わらない気持ち

公開日時: 2022年9月13日(火) 22:47
文字数:4,563

「お前たち、何者だ? なぜこんなところにいる。あちらにローラン様のご遺体があった。もしかしてお前たちが……?」


 ぺたりと座り込んだあたしと、満身創痍のデゼル。そして緊張の糸が切れたリオン。シャトラとルネも既に戻ってきていた。

 そんなあたしたちの周りを亜人の兵士たちが囲んでいる。

 異変に気付いた兵士たちの一部が集まってきたのだ。そして今こうして彼らに武器を向けられている。


「答えてみるがいい。どう答えてもお前たちは拘束を免れんだろうがな」


 犬歯が異様に発達した、色白で険しい顔をした隊長らしき男が高圧的な態度で言葉を放つ。

 あたし以外には言葉が通じていないのだろう。みなはしきりに首を傾げていた。しかし雰囲気でわかるのか誰も口を開こうとはしなかった。


「あたしが正当な理由でやったんです」


 なんとか立ち上がり、色白の男へと一歩を踏み出す。彼はその鋭い顔に似合わずたじろいだ。そしてあたしの顔を見つめ返し、ぎょっとして狼狽する。


「もしや天使様!? いや、違う……? 髪が短い……片目の色が金色で、しかもその脚の紋様――ま、まさかとは思いますが」


 男は手に持った物騒な武器を下ろした。そして平伏し、地面に顔を向ける。


「異端者王女と呼ばれた――セナ・ハルモニア様?」

「ん……そうです。あたしがローラン兄さんを倒して、妹も倒しました。そのことに文句がありますか?」

「い、いえ! 滅相もございません。――我らはローラン様の部隊でございます。我らの中に、あなた様を悪く言う者は誰一人としておりません。ローラン様より、厳命を受けておりますので」

「……そうですか。顔を上げてください」


 男は顔を上げる。その目に既に敵意はなかったが、恐れが窺えた。


「私はラッセンと申します。ローラン様より副官を任されている者です。セナ様――これより、我々はローラン様を打ち倒したあなたの指揮下に入ります。どうか、何なりとお申し付けください」

「あー、そういう堅苦しいのは苦手だからいいんだけど。それでも聞いてくれるなら、そうね――ラッセン……新たな王として、あなたをローランに代わる総指揮官に任命します」

「……はっ! 御心のままに」

「それで、あなたたちは今まで通りズメウ――じゃない、龍人の相手をお願いしてもいいかしら? 領地には絶対に入れないようにしてほしいのだけど」

「かしこまりました。ここは命にかえても死守いたしましょう。――セナ様は、王都へ向かわれるのですか?」

「ええ」

「護衛は」

「いらない。……でも、伝令だけはしておいてもらえるかしら。敵と思われて攻撃されても困るので」

「ではそのように。――みな、我らが新たな王の命である。龍人どもを退けるぞ!」


 鬨の声が伝播し、戦場にこだましていく。

 ローラン兄さんは実にいい指揮官だったらしい。あたしなんかよりよほど、王にも向いているようだ。

 少しだけ申し訳なく思いつつも、今は彼らをそう育ててきた兄に感謝することにした。余計な揉め事が起こらないなら、それにこしたことはないのだから。


「セナ様、どうかお気をつけて。北方のジュディス様が抜けられたことを考えると、もしかすると――」

「伝令!」


 ラッセンとの会話を遮るようにして、馬に乗った亜人の兵士が現れる。その顔は焦りと怯えに満ちていた。

 ――ああ、これはよくない知らせだ。


「北の防衛線を抜けられました! 龍人どもが続々と王国の領土に侵入を開始しております! どうかご支援を!」

「やはりか……。いやしかし、すまないがそちらに割く余力はない――北軍は直ちに私の指揮下に入り、随時撤退を。死者を少しでも減らすように努めよ」

「……了解しました。ラッセン殿……そちらの方はもしや……?」

「ああ、我らの新たな王だ。私を指揮官に任命してくださった」

「ごめんなさい、妹のせいでとんだ迷惑を」

「あ、い、いえ! とんでもございません。妹君に関してはいつものことでしたので、どうかお気になさらず」


 伝令の兵士は頭を下げ、複雑な表情をしてから去っていった。

 彼も、あたしに対して特別嫌な感情や目を向けてくることはなかった。ローラン兄さんの部隊と同じく、妹によるものだと思われるが、今はそれが本当にありがたい。


「――セナ様。私に、新たな王への誓いを立てさせていただく時間をいただけませんか? そしてどうか、我々がこの場を乗り切るために、私へのお力添えをいただきたい」


 ラッセンが跪くのを見て、あたしは目を丸くした。


 ♢


「ふぅ、ようやく一息つけるな。みんな、大事ないか?」

 

 死の嵐の壁を抜け、王国の領地へと踏み入った。

 外縁の近くはのどかな草原地帯で、デゼルの言葉通り、休息を取るには最適だった。民家もまばらに見える程度で、近くには人の気配もない。


「今更焦っても仕方ないものね。休める時に休むのも必要だし」

「ええ、そうですね。……正直、ボクも疲れちゃいました」

「毎度ながらリオンには一番苦労をさせるな。だが感謝しているぞ。お前がいなければこんなに早くセナと合流できなかったからな」


 シャトラとリオンが座り込み、ため息をついた。デゼルは身体をブルブルと震わせ、小さく声を上げる。ルネは言葉なく空を旋回し、周囲の様子を眺めているようだ。

 あたしはその後ろからついていくだけで、その後彼らと言葉を交わせてはいなかった。

 正直なところ、あたしの疲労もピークに近かったから喋る元気がなかったのもある。もちろん、気まずかったというのが一番を占めるのだが。

 とにかく、緊急事態を抜けた途端どう会話したものか掴めずにいたのだ。


「セナさん」

「な、なにっ?」

「えっと……どうして上擦ってるんですか? その、さっきの兵士さんとは何を?」

「ああ……あれはね。彼なりにあたしへの忠義を立てたみたい」

「でも、血を――」

「――あれは、おそらくヴァルダの民の末裔なのだろう」

「ヴァルダの民?」


 ラッセンとの始終を見ていたであろうデゼルが、思い出したように口を開いた。


「へえ。あれが、ヴァルダの民ですか……まさかそんな種族まで融和に加わっていたなんて」

「もちろん、純粋な種とは違ったようだがな。あの男は自身に厳しい戒律を設けている風だった。――セナに噛み付くようなことはしなかったろう?」

「ええ、まぁ……でも」


 リオンが複雑な顔をして口をつぐむ。むむむ、と唸りながらぶつくさと独り言を呟いていた。


「デゼル、それでヴァルダの民っていうのは?」

「……今詳しく話すことでもないだろうが、簡単に言えば、血を取り込むことによって力を発揮する種族だ。それだけでもないんだが、それこそ今そんな小難しい話はいいだろう」

「……ふうん」


 あれには騎士の誓い以外にそんな意味があったなんて。だからラッセンは、力添え、なんて言葉を使ったのだろう。


「むむむ……そんなことよりセナさん、笛を吹いてくれませんか?」

「え? 笛?」


 面食らう。

 突然言われて戸惑っていると、シャトラが顔をこちらに向けてずいっと近づいてきた。

 

「お! いいね。ウチも聴きたかったんだセナの笛」

「そうだな、アレはとても良いものだった。また聴かせてくれ。心が落ち着くんだ」

「……う、うん。わかった」


 あたしは頷いて、ポーチから傷だらけの笛を取り出した。

 これとも、随分と長い付き合いになる。

 これまで幾度の狩りと戦いを経ても壊れなかったそれを、胸に抱き締めるように握り込む。

 そしてそれを口元に運び、優しく息を滑らせていく。

 音が風に溶けていく。自分で言うのもなんだが、とても澄んだ音色な気がする。

 旋律にも変化があるようだった。少しずつ、少しずつだが吹くたびに表情が変わっていく。

 これは、今更だがきっとあたしの写鏡なのだろう。


「これがきみの音色なんだね、セナ。心がほぐれていくような、温かくなるような。まるで魔法みたいだね」

「セナさんすごいです。こんなにも、温かくなるんですね」

「そうかな……? 大したものじゃないと思うんだけど」

「いや、実際素晴らしいものだ。おそらくここにいる誰もが、音楽などとは縁遠いだろう。その誰もを惹きつけるのだ、お前の奏でる音は」


 シャトラが微笑み、リオンがしみじみとするように目を瞑り、デゼルが鼻先であたしのお腹辺りをくすぐった。

 あたしの奏でる旋律が、みんなとの気まずさを吹き飛ばしてくれるようだ。言葉以外にもこういう伝え方があることを、あたしは改めて思い知る。

 笛を口から離し、一息ついてから口を開いた。


「そうだ、みんなお腹減ってない?」

「もちろん空腹だ。お前を追いかけるので必死だったからな……」

「ごめんなさい。……少ししかないけど、みんなで食べて」


 ポーチから保存用の肉を取り出してみんなに渡して回る。水は、近くを流れる川の水をシャトラが浄化してくれたことによって容易に手に入れることができた。

 とても、穏やかな時間だった。これから戦場に向かうとは到底思えないほどに。あたしが望んだ、夢のような時間だ。

 こういう時間がある度に何度でも思う――こんな時間が、ずっと続けばいいのにと。

 なんて考えながらぐぐーっと身体を伸ばすあたしを、シャトラが不思議そうな顔で見つめているのが横目に見える。

 そのまま視線が交錯すると、彼女は首を傾げながら口を開いた。


「そういえばセナ、きみ、ブーツどうしたの?」

「え?」


 シャトラに言われて視線を下げると、そこには丸出しになった生脚が覗いていた。淡く灯る翼の紋様が輝いている。


「……あっ。回収するの忘れてた」

「むしろ、どうして脱いだんですか?」

「こっちのほうが……その、本気で戦うにはいいんだよ。感覚が研ぎ澄まされるから。――あーでも、ブーツを置いてきたのは痛いなぁ……」


 そう、ローランと戦う直前に脱いだままなのだった。

 正確な場所も覚えていない上、死の嵐の壁を越えてしばらく経ってしまっている。今更戻るわけにもいかない。


「戻るか? 大切なものなのだろう」

「ううん。どの道この先も、戦うなら全力でやりたいから……大丈夫。落ち着いたらまた、探すか作るかしてみるよ」

「でも、素足で歩くの大変じゃない?」

「え? あたしは平気だよ。じゃなきゃ、素足であんな激しく戦えないでしょ?」

「それもそっか……でもツァイクーンさんの作ったものなんでしょう」


 あたしは頷いてもう一度、大丈夫だよ、と念を押す。それから会話に入ってこなかったリオンに視線を向けると、彼女は何か考え込むように俯いていた。


「リオン?」

「……はい?」

「どうしたの?」

「いえ、ズメウを率いてるのは誰かと思っていまして。まぁそれもあるんですけど」

「けど?」

「いえ、そちらは個人的なことなので。すみません」


 リオンはまた思案の海に沈んだようで、それきり黙り込んでしまう。先ほどまでの彼女とは打って変わって極めて真剣な顔つきだった。

 確かに、進軍してくるのがズメウなら、リオンが知っている人物が率いている可能性もあるのだろう。それを前に彼女は果たして戦えるのだろうか。


「急いだ方がいいかもしれない。ボクが思う中で一番悪い相手かもしれないので」


 いつの間にか、リオンはメガネを外していた。その柔肌に黒い鱗がまとわりついていく。その顔は険しく、妖しい。黄色と紫が混ざった瞳が鋭くなる。


「セナさん、お願いがあります」


 その目があたしをじっと見つめる。強い意志を宿す瞳だった。

 普段の彼女からは、信じられないほどに。

 

 

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