異端者幻想譚

-ヘレティックファンタジー-
月緋ノア
月緋ノア

エピローグ

宝石箱を心に

公開日時: 2022年10月22日(土) 17:00
文字数:2,315

「――っと、まぁ、こんな感じかな」


 冷たい石の感触に背中を委ねながら、透き通る翡翠色の空を眺めた。心地よい風が頬を掠めて若草の海原を撫ぜていく。

 ポーチから年季の入った笛を取り出した。


「それでね、新しい旋律が浮かんだんだ。初めては、やっぱりあなたに聴いてほしくって。みんながたくさん褒めるもんだから頑張ったんだ」


 息を滑らせる。

 笛はいままでにないほど澄んだ音を奏で始め、旋律を風に乗せていく。

 その音の全てが世界に溶けるまであたしは笛から口を離すことはなかった。

 永遠のようにも感じられた穏やかな演奏の時間は、されどあっさりと終わりを告げる。


「ねえ、父さん。信じられる? あたし、女王様になるんだよ。明日には冠をもらうんだってさ。――そういう勉強なんてしてこなかったから、結局はお飾りなんだろうけどさ。でも――似合うって言ってくれたら、あたしは嬉しい」


 ――あの後。

 エインヘルは改めて融和の歌を歌い、あたしは気持ちを込めた旋律を奏でた。それは瞬く間に王都中に響き渡って、一切の争いをやめさせることとなった。

 アンスールの――エインヘルの力の影響力を知らしめるにはそれで十分だった。

 先だっての暴走もありズメウの軍は疲弊を隠しきれず、また自身の意志と違うところで虐殺に加わったことで動揺が広がっていた。彼らの指揮官であったザガンも、これ以上の戦闘は難しいと判断して投降を選び、行き場のなくなったズメウたちを王国にゆだねることとした。彼自身も、復興を手伝うという名目で償いの意志を見せ、現在も精力的に働いてくれている。リオンとの関係も良好だといいのだけれど。

 もちろん、侵略者であるズメウとの対立は現在も一定以上あるし、信仰の対象である天使様の暴走によって、王国内には不信感が募っている。

 そんな中で、あたしを王に推挙する声が至る所から上がった。


「要は、王家を憎んでいた王族を祭り上げたかったんだと思う。いままでと違う王を望んで、ね。もちろん、エインヘルの暴走を止めて、王国内に広がった大火を鎮めたってのが大きいらしいんだけど」


 暴走したエインヘルが王では不信感が膨張する。

 かといってジュディスは。


『敗北者の出る幕ではありませんわ。それに、いろんな種族と心をつなぎ、先日の戦いでそれを見せつけた姉さまだからこそ、皆が王に推挙するのですわ。身勝手な私では務まりません。それに、あなたを王に推挙する一大勢力は、天使様についてきた始まりの方々です。虐げられ、種を残す道具とされてもなお生き続けた彼らにとって、姉さまは一縷の望みなのでしょう』


 などと言い出す始末。

 結局は押し切られる形であたしは女王という立場を受けることになった。


「だから父さん。これからは簡単にこれなくなってしまうと思うんだ。これでもなんとか抜け出してきたんだよ。今度こそ、長い別れになるかもしれない」


 うつむいてため息を漏らした。


「みんな、支えてくれるっていうけど。できるかな、あたしに。あんな場所、どうでもいいと思っていた場所で女王をするなんて思ってもみなかったんだ」


 本音だった。あたしを虐げ、石を投げる彼らの上に立つなど夢にも思わなかったし、頼まれてもごめんだと思っていた。

 それでも決意したのは、伝え続けるためだ。

 石を投げ続けられ、傷つく者たちに――あなたもきっと誰かの宝石なのだと。

 実際、既にそういう存在を拾い上げ、居場所を与え始めている。誰もが傷つかない世界でもなく、傷ついたその先に少しでも光がもたらせるように。

 エインヘルが、ツァイクーンがくれたその光に、あたし自身がなれるように。


「それでも、手を伸ばすことだけはやめたくないんだ。あなたがしてくれたように。だから改めて、ありがとう」


 立ち上がり、墓に向けて頭を下げ目を瞑る。


「ふむ。これが噂のツァイクーン殿のお墓ですか」


 ざり、という足音とともに女の声が降ってきた。その気配は、ジュディスのものだ。


「感謝いたします。あなたのおかげで、姉さまと再び手を取ることが来ました。どうか、ゆっくりとお休みください。あなたほどの方の代わりにはならないでしょうが、これからの姉さまはお任せください」

「ジュディス……?」

「お迎えに上がりましたわ、姉さま。いえ、陛下」

「あはは、やめてよ」


 ジュディスと軽く言葉を交わし、振り返るとそこには。

 

「え……どうして」


 静かに目を閉じ、死者を弔うみんなの姿があった。

 デゼルにシャトラ、リオンにザガン、エインヘルに――ニルィクまで。


「当然だろう。セナをそこまで育てた男に顔を見せておかないわけにはいかない」

「ん……ここがあの人のお墓なんだ。穏やかな日差し、心地よい風――あの人そのもののような場所だね」


 涙ぐみ、崩れ落ちそうになるシャトラをデゼルが支える。しかしその後顔を上げたシャトラは、晴れ渡る笑顔を宿していた。頬に一筋だけ涙が滑っていくも、それでも彼女は笑顔を崩すことはしなかった。


「リオン、わたしはお前に何もしてやれなんだな」

「そんなこと、ないよ。お父さんが、ずっと守ってくれたから、ボクはセナさんに出会って外に出られたんだ」

「……そうか」


 リオンとザガンの親子はぎこちないながらも、確かに前に進んでいるようだ。


「感謝いたします。ツァイクーン様。我が子をここまで立派に育ててくださって。あなたの魂に、どうか安寧と輪廻が訪れますように」


 エインヘルだけは、亜麻色の長い髪を風になびかせながらあたしの隣に立って、祈るように両手を合わせていた。

 ――そして、各々が弔意を示しながら、少しだけ穏やかな時間を過ごし。


「それじゃあ父さん。名残惜しいけど行くよ。――またね」


 あたしは自分にできる精いっぱいの笑顔をして、父さんへと手を振った。

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