頭の中に声が響き続けていた。
しばらく前から、歌が聴こえている。
それが歌だとはっきりわかるようになったのは、王国の領土に入ってから少し経ってからだった。
鳴り響く美しい声があたしを呼んでいる気がしてかぶりを振るが、それで止まるならば苦労はない。
現在は移動を始めて一日が経過した日の夜。遠くに王都の影が見えている地点での休息だった。
はやる気持ちはあるが、あたしはどんどん目が冴えてしまって眠れない。リオン救出以後、そもそもあたしの身体はずっと寝ることなど忘れてしまっているのだが。
「焦っても仕方がない、か」
王都へは、明日の昼には到着できる算段だ。
あたしが感じるエインヘルの方向へ向かえば、彼女の元へ辿り着けるのはわかっていた。しかし、途中の民家の住人から道を訊くなど、無駄がないように動いての結果だった。
あたしは軽く息を吐いた。
「ん……ここまでしなくても、もうどこにも行かないのにな」
あたしの右手を握るリオン、左手を握るシャトラ。背中に感じるデゼルの温もり。ルネだけが少し離れたところで休息をとっている。
みんな、それぞれの覚悟でここまで来てくれたのだ。あたしが彼らの手を取ったように。
「覚悟が足りなかったのは、あたしだったなぁ……。みんながどれだけあたしを思ってるか、大切にしてくれてるか、少し考えればわかったことなのに」
ぽつりとこぼすように呟く。
彼女たちの手をぎゅっと握り直してデゼルの身体へ倒れ込んだ。
――ああ、なんというか、とても落ち着いた気持ちになる。
頭に響く歌声さえなければ、と思うがそれがなくなることはない。だがその美しい声は、不思議とあたしの心に溶けていくようだった。どこか聞き覚えのある気がするのに、どの言葉も理解できない。
これが――ともすれば彼女の歌なのだろうか。
見上げた空には満天の星。
暗い翠の空に点々と輝く星々の名前を、あたしは知らない。
そういえば子供の頃にも、そしてツァイクーンと生活していた時にも聞いたことがなかった。そもそも名前などついているのだろうか。
そんなことを考えながら、頭の中に聞こえる歌を口ずさむ。なんとなく、鼻歌程度で。
「……? エインヘル?」
デゼルの声に振り返ると、耳を動かしながらその声の主を探しているようだった。その声はどこか親しげで、優しい。
「ごめんね、デゼル。起こしたかな」
「ああ……セナか。また、オレは勘違いをしたらしい。すまない。しかし、なぜその歌を知っているんだ? それは……」
「やっぱり、お母さんのなんだ」
「声は似ちゃあいないがな。雰囲気も、もっと無機質だったはずだ。……だが、なんというか」
デゼルは黙り込み、考え込む様子を見せる。それきりなぜかぷいとそっぽを向いてしまったので、気になるその先を聞くことができなかった。
もう一度空を眺める。
視界の端に、一際輝く星があった。
「ねえ、デゼル。あの星の名前、知ってる?」
「うん?……どれのことだ?」
「あの、一際輝いてるアレだよ」
指と言葉で示すと、デゼルはああ、と思い出すように声を出した。
「フルジラ……確か、そんな名前だ」
「どういう意味なの?」
「さすがに意味までは知らねえなぁ」
「――一際輝く星って意味だよ、セナ」
「へぇ……あ、起こしちゃったかな、シャトラ」
左手を握るシャトラが眠たげに瞼を起こし、それから首をふるふると横に振って、大丈夫だよ、とあたしに微笑みかけた。
「ふふ。まるで、セナさんみたいですね」
「リオンまで――そんなにあたしとデゼルの声大きかったかな」
「いいえ。それよりもセナさん、もしかして眠れないんですか? たしか――セーランヘルに着いた日の夜もいませんでしたよね」
「気付いてたんだ」
「ま、夜のうち一回くらいは目が覚めるものね」
シャトラとリオンがずいっと顔を寄せてくる。好奇心ではなく、とても心配したような面持ちだ。
黙ったまま彼女たちが見つめてくるので、ため息を一つついてから口を開いた。
「ん……そう。セーランヘルに行った日から、一回も眠れてないんだよ」
「え、それはさすがに……さすがに嘘ですよね?」
あたしは首を横に振った。
「でも、健康に影響はなさそうだね。寝てないとは思えないパフォーマンスだもの」
「……だが、それは変だ。アンスールでも眠らないなんてことはないはずだからな。――眠らなくてもいいのではあるが、全く眠らない個体は少ない。でなければ、自ら作り出した生物に眠る機能など与えないはずだからな」
デゼルは語る。
ならばあたしはどうなのだろう。いくら彼らの脳を持つとはいえ、今まで眠れていたものが急に眠れなくなることなどあるのだろうか。
あたしの頬にデゼルは鼻をつんと当てた。
「気にすることはない。今のところ異常が現れていないのなら、問題はないだろう。エインヘルを救出した後にでも聞いてみればいい」
「ん……そうだね」
「大丈夫ですか? セナさん……その、なんとなく元気がないというか」
「眠ることは一種のリフレッシュになるからね。身体は元気でも、心は回復しづらいのかもしれないね」
リオンとシャトラの心配な顔が胸に痛い。
しかし、みんなといる状態のほうが心が軽くなる気がするのも間違いなかった。
まだ、太陽は顔を出さない。
朝はずっとずっと遠いのだ。
「でも、その……みんなといるのが、あたしは嬉しい」
『……え?』
デゼルが、リオンが、シャトラが目を見開き、本当に驚いたと言うような顔であたしの顔を見つめた。
なんだろう。そんなに変なことを言っただろうか。今更そんなに驚くことでもないだろうに。
両手を握る力が強くなる。
「セナさん、ようやく言葉にしてくれましたね」
「え?」
「セーランヘルの時から、ずっと、遠くを見てるみたいで。ボクたちといてもどこか上の空で」
「そうだね。やっとウチたちのことを見てくれた気がする」
「そんなこと、ないよ。あたしはずっと」
「……言葉にしなければ伝わらないこともあるということだ。いや、違うな。……言葉にしてくれた方が嬉しいんだ。そういうことは」
ぱぁっと花が開くように、彼らの顔に笑顔が広がっていた。
言葉通り、嬉しそうに。
シャトラがあたしの頭を撫でつつ顔を寄せてくる。その頬があたしの頬に触れた時、ひんやりとした心地よさが広がった。
反対側にはリオンが同じようにしている。控えめな彼女からは想像できないほどに大胆だが、もしかしたら、彼女はずっとこうしたかったのかもしれない。
しばらくそうして彼女らの温もりに触れ、満足して顔を離した彼女たちの顔を、あたしは目に焼き付けた。
「ふん。……ようやく地に足がついたか」
「みんな、ごめんなさい。あたし……こんなに、誰かといたいって思っていいのか、わからなかったんだ。話せば、こんなにも喜んでくれるんだね」
「ボクたちは、セナさんといたくて一緒にいるんですから。セナさんが同じように思ってくれるなら、それが嬉しくないわけないです。これから、な、何度だって言ってあげますから」
「くすくす。ありがとう」
手が塞がっていなければ頭を撫でてあげたくなるほどに、リオンは可愛らしかった。そのくりっとした黄と紫が溶けた瞳が震えながらもあたしを見据えている。
その時、ばさばさとした音が耳に届いた。
「僕は、ううん。彼は、今のセナや、あなたたちを見ることができて満足したみたいだ。これで心置きなく、僕は種としての巡礼に向かうことができる」
「ルネ……?」
「もう、彼は見届けられない」
「――そう、なんだ」
「けれど、それとは関係なく、僕はあなたたちの行き着く場所に興味ができたんだ。だから、それを見届けてから――行くよ」
「わかった。新しい君も、一緒にいてくれてありがとう。……おいで」
訝しげに首を傾げながらも不死鳥はとことこと歩み寄ってくる。夜の下でも輝くようなその姿に、息を呑む。
その頭に手を触れ、頬と共に撫でた。
「もう少しだけ、よろしくね。たとえ君がルネでなくなっても、ここまで一緒にきた君が――これから一緒にいく君はあたしたちの仲間だからね」
「……うん。任せてほしい。セナが満足のいく結末を迎えられるよう、力を尽くすよ」
それだけ言うと、不死鳥は少し下がってから翼を大きく開いた。燦々とした輝きが、彼から溢れ出し彼を包み込む。
光の翼が地面を叩いて、不死鳥は空へと昇り翼を夜空に刻み込んだ。
「全員起きているんだ――行こう。僕があなたたちの道を照らすから」
彼はまるで太陽のように、あたしたちの導となるべく空を駆けた。
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