ジュディスがランスを構えあたしへと迫る。
天使の目の予知の先に行くためには――
「はっ! よく諦めなかったじゃねえか!」
「えっ!?」
白光が横薙ぎに視界を横切りながらジュディスの身体を突き飛ばし、高々とこれみよがしに嘶く。
その姿を見てふっと力が抜けて膝をついた。
すぐそばでとん、という軽い足音と甘い香りがして、あたしの肩を支える。
そして突如あたしの前に現れ両手を広げ守ろうとするぶかぶかローブに巻角の生えた頭。
上空で鳴く山吹色の炎。
「ルネちゃん、リオンちゃん、人間の兵士とズメウの兵士、両方警戒よろしくね!」
「はい!」「了解っ」
「くっ……つぅ……」
「セナ! 傷見せて……うわ、完璧に折れてる。なんでいつも、いっつもボロボロなのさ」
「どうして……?」
「どうしてだ? 勝手にいなくなりやがってバカが! それでどれだけオレたちに心配かけてると思ってやがる! てめえは自己満足でオレたちを守ったつもりなのかもしれねえが、オレたちにだってお前を守りたいって意志があるのを無視するんじゃねえっ! 何度言えば……何度言えばお前はわかってくれるんだ」
角で頬を叩かれる。
痛い。涙が出るほど、痛い。その言葉も胸にずかずかと踏み込んでくるようで、痛い。
「だが、オレも謝らなくちゃならねえことがある。お前はあいつの記憶を見て気付いたんだろう」
「……」
「オレが、お前とエインヘルをどこかで重ねてるって。――そういう時期があったのも確かだ。だから……悪かった。だがオレは、今のオレは……お前を、セナを守りたいんだ。信じてくれなんて、今更言わねえ。――背中で示すからよ。あいつのことは任せろ」
「いっつ……やってくれましたね。っと、なるほど。その方達が姉様の大切ですか。一つ一つ奪って、絶望を刻むのもいいでしょう」
「デゼル……ジュディスには」
「はっ……勝てはしないだろうな。見ればわかる。あれにはエインヘルと似た強さが宿ってやがるみたいだからな。だが、勝てねえからってお前を見捨てていけるわけがねえ。――シャトラ」
「わかってる。時間を稼いで、デゼル」
デゼルとジュディスが戦いを開始した。エインヘルの従者だからだろうか、ジュディスの目にもついていけているようだ。だが、互角以上にもっていくのは難しいらしい。
シャトラが額から汗を垂らしながら、精霊と共にあたしの腕を治療している。リオンは人間とズメウの戦闘の流れ弾の処理をして、ルネは周囲の状況を常に上空から観察しているようだ。
「あの……セナさん……あなたの言う宝石は、そんなに簡単に置いていってしまえるものなんですか……?」
「あ――」
「ボク達は、あなたに巻き込まれたくて、ここまでついてきてるんです。ボクらからしたら、セナさんが光り輝く宝石なんです。大切で、何より大切で……絶対離したくない人なんです」
「……ごめん、なさい……」
「あ、えっと……また会えたから、その、ボクは許してあげます」
それだけ言ってリオンは己の仕事に戻った。その背が頼もしく、大きく見えた。
その言葉はあたしの心に染みていく。
「ウチもショックだったな。そりゃあ、ウチも迷惑かけたけど、それでも一緒に行きたかったんだよ」
「でも……その力は」
「ん……いいんだよ。きみたちと同じ時間を生きられるなら、それで。それがウチの覚悟だからね」
シャトラの悟ったような顔は、ツァイクーンによく似ていた。彼の時折見せる顔にそっくりだった。
自分の信念を貫く顔、なにがあってもそれが揺らぐことはない、そんな顔だ。
「デゼルはね、すごく後悔してた」
「え?」
「自分がセナにエインヘルを背負わせたから。自分が突っ走った挙句傷を負って、セナの心に傷をつけたって。自分が、はっきりしないままだったから一緒に行けなかった。ってね」
「そっ、か……」
「あ、いまのは内緒ね。あいつ、きみの前じゃ弱音を吐きたくないみたいだから――っと、よし、どう? 動かせる?」
精霊の光に包まれた腕を少し動かし、手のひらを握ったり開いたりしてみる。多少痛むが、問題なさそうだ。
あたしはシャトラに頷いて、礼を言った。
「うおっ……」
「気概があってなにより。パワーもスピードもとても優秀です。けれど私には及びませんね。残念ですが次で仕留めます。姉様の大切であったことをどうぞ恨んでください」
浅い傷を負いながら後退してきたデゼル。その向こうには殺意を剥き出しにしたジュディスが今にも駆け出そうとしていた。
「セナ――! 今度はオレにお前を背負わせやがれ! だから寄越せ! 叫べ! 外せ! オレの枷をっ!」
脚が動く。脳に電波が巡る。言葉の納得よりも先に理解が飛んできた。
デゼルの傍に駆け、彼の傷だらけの身体に触れる。
『デゼル――あたしの翼。見せて、あなたの本当をっ!』
「っ――けっ……やっぱりだ。お前となら、きっとどこまでも行けるんだろうよ」
白馬の姿がみるみるうちに変わる。
黄金色の鬣はさらに伸び、足回り、そして尻尾の毛が見てわかるほどにボリュームを増した。
今までも十分に美しかったその姿にさらに磨きがかかり、神々しさのようなものが増した気がする。
「そんな、ちょっとの変化で勝てるとでも?」
「何言ってるかはわかんねえが余裕の顔しやがって。これでも一人じゃあお前には勝てないだろうさ」
「ねえ、デゼル。もしかしたらいけるかもしれない」
「本当か? ならばオレはお前に従う。お前となら負ける気がしないんだ」
デゼルが駆け、ジュディスとの打ち合いを再び始める。その間にあたしはリオンとシャトラの元へ急いだ。
「リオン、えっと……」
「――いいですよ。ボク、何をしたらいいですか? セナさん、もうそんな顔、しないでください。怒ってませんから。ね?」
「ん……ありがとう。えっとね」
説明する。
リオンは面食らったようだった。でも、首を縦に振る。シャトラもリオンとの交代を請け負ってくれた。
あとは、あたしとデゼル次第だ。
激しく撃ち合うデゼルとジュディスへと振り返り、駆ける。そのままジュディスの足元へと矢のような蹴りを叩き込みつつ乱入した。
ジュディスの動きが少しでも鈍るように立ち回ることにする。脳と耳と脚を駆使すれば、今の彼女にもギリギリ拮抗できるはずだ。さっきまでは頭も回っていなかったし、勝てない、そんな確信の元だったから。
「姉様、本当にその方たちが大切なのですね。本当にいい目になりました。そんな勇ましくて美しい姉様も大好きです」
「あたしもね。大好きだったよ。五つも下なのにいつも守ってくれたジュディのことが」
「……っ」
二人を相手にしているとは思えないほどの動きで、ジュディスはあたしたちを軽くあしらっていく。しかし、あたしたちに傷をつけたり、致命打を与えたりはできていなかった。
それはひとえにあたしとデゼルの連携によるものだが、それでもジュディスにこれといった打撃は与えられていない。
「おいセナ、こいつ尋常じゃねえぞ。いくらなんでも……」
「ん……それでもあたしたちは喰らいつくしかない」
「ふぅん。何かを待っているのですね。――なら」
ぐん、と強引にあたしの元へ飛び込んでくるジュディス。
「これで姉様を行動不能――に」
「はっ! させるかよ!」
妹が、あたしに触れる直前でデゼルによって押し出された。その左腕には深々とデゼルのツノが刺さっている。
「いっつぅ……くっ、離せ!」
「離すかよ。――これでいいんだろ、セナ?」
「……リオン!」
「でも!」
「いいから……!」
ジュディスを中心にあの黒い闇が広がり始めた。極小範囲を捉えるためには少しのずれも許されない。
「クソ……離せっ!」
「ぐあっ……」
鼻っ柱を殴られ、デゼルが勢いをなくすとともに妹はデゼルの拘束から逃れた。しかし、すでにあたしが飛び込んでいる。
「セナさんっ!」
「大丈夫だよ」
闇から逃れようとする妹を抱き止める。
背中に左腕を回し、右手は後頭部へ。
「姉、さま?」
「やっと捕まえた。大きくなったね、あたしの大好きなジュディス。――でも、ごめんね」
一瞬だけ脳の力を行使する。
妹の身体から糸が切れたように力が抜けた。その重たくなる身体を強く抱きしめた後、大地に横たえる。
「次会うときは、また、昔みたいに――姉と妹がいいね……ジュディ」
あたしがその場から飛び退くのと同時に黒く深い闇に包まれ、妹の身体はその場から姿を消した。
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