あー泣いた。もう涙が出ないんじゃないくらい泣いた。しばらくこの場所から離れられなくなるくらいに泣き続けた。
でも、そろそろ離れなくちゃなぁ。
笛の音に自然と哀悼が混ざる。
抜けるようなエメラルドグリーンの空に音色が溶けていって、世界に色彩を振りまいていく。
座ってもたれかかった大きな石は、あたしが作った父さんのためのお墓だ。この下にはあたしをこの四年余り育ててくれた父――ツァイクーンが眠っている。
父に比べれば比べるまでもなく硬い感触。温もりもなければ動きもしないそれに、あたしはずっともたれかかって笛を吹いていた。
「ねえねえ、いい加減行こうよ」
「わかってるよ、ルネ。でもさ、どこに行ったらいいのかな」
笛を吹くのを止めると、ばさり、ばさりと翼をはためかせてルネはあたしの右手に嵌められたグローブに捕まった。
金色と赤色が混ざったような、燃えるような羽毛をしている彼とはそこそこに長い付き合いだ。父さんほどではないけれど、あたしと息の合った相棒になってくれている。
「とりあえず食べ物でも探しに行こうよ。今を生きるのも、ツァイクーンの教えでしょ?」
「そうだね。うーん、移動するなら蓄えになる大きいのがいいな」
草原が広がるこの辺りにそんな大型はいない。ここは集落から離れてはいるけど比較的安全な場所で、小型の――その日暮らしに食べるにちょうどいい獣くらいしかいない。
こんな穏やかな場所だからこそ、父さんの墓を建てられたというものだ。それに、彼はちょうどこの周辺で息を引き取ったのだから。
「そんな大きいの狩ってもいくらも運べないじゃないか」
「ん? 君の蓄えだよ? あの姿、消耗激しいんでしょ?」
「まぁ……そうだけど」
「なら決まり。空から探してきて、見つけたらいつも通り誘導よろしくね」
「了解。――セナ」
「なーに?」
「僕はセナが死ぬまで離れないからね」
「ん、わかってるよ。ありがとう」
ルネは一声鳴いて飛んでいく。彼の実際の年齢はわからないけど、出会ってからは三年と少し。おそらく彼に年齢は関係ないので、その言葉は本心だろう。
遠ざかっていくその羽音に耳を傾けながらまた笛を吹き始める。狩りの際の集中力を高めるための儀式のようなものだ。
耳に届く微細な音の変化が心地よく感じられれば、集中できている証拠。あたしの聴覚にしても、笛にしても。
少しだけ乱れがあるものの、先ほど混じった悲しみに比べれば随分と落ち着いている。
「よし。それじゃあね、父さん。今度は長い別れになりそうだから、次に会うのは、そうだね、もしかしたら――」
「セナー!」
ばさばさと焦るように翼をはためかせながら、ルネがあたしの視界に飛び込んでくる。誘導もせずに帰ってくるなんて珍しい。
「どうしたの?」
「なんか、なんか変なんだ。なんていうかね、すごい勢いでこっちに向かってくる馬がいるんだ! ツノの生えた白いヤツ」
「ふぅん? 馬か……そういえば乗るばかりで食べたことはなかったかも?」
「狩るつもり?」
「向かってくるなら好都合でしょう? 今日のご飯にちょうどいいじゃない」
行って、とルネを送り出す。彼は飛んでいるだけで自然と目を引く。それでいて上手く誘導してくれるし、笛による合図にも合わせてくれるから良きパートナーだ。
あたしも耳を澄ます。
確かに早い。普通の馬に比べたらそうだな、二倍か三倍くらいのスピードでこっちに向かってる。会敵までは数分といったところか。余裕はないかも。
「まっすぐってところをみると、たぶん目的があるんだろうけど、こっちにきたのが運の尽きだったね」
とんとん、と軽く足踏みをすると、剥き出しの右脚に浮かぶ翼の紋様が淡く光り始める。左脚は太腿まであるロングブーツを履いているため見えないが、同じように。
このスタイルに違和感を覚えることも無くなったな、なんて思いながらツノの生えた馬の方角へ大地を蹴る。
ふわりと浮き上がるようにしてトップスピードへ。風を切り、大地を滑るようにして駆け抜ける。
スピードは多分あっちの方が速いから下手に距離を置くよりは近づく方が立ち回りやすいだろうとの判断。
「さてと、珍しいツノ馬さんとのご対面だ」
「なっ……こいつは」
数秒の後、会敵。そこで目にしたツノ馬は狩ることを躊躇うくらいの美しさだった。
眩いくらいの純白の毛を纏い、鬣は黄金に輝きながら靡き、ツノは磨かれたように黒光りしている。
「うわぁ……」
「なんだよ」
高く売れそう、と狩猟本能を燃やすよりもそれを見ていたいという欲望が勝ってしまい、あたしは気付けばその場でじっと彼を見つめてしまっていた。
ツノ馬はといえば、あたしのそれに毒気を抜かれたのか、そもそもその意志がなかったのか呆れたように立ち尽くしている。
あたしは自然と目を瞑って聴覚を研ぎ澄ましていた。
「離れろー! ってあれ?」
「あ? なんだ? 鬱陶しいな離れろクソ鳥」
「馬が喋った!?」
「いやお前もだろ」
「あ、そうか。って誰がクソ鳥だクソ馬!」
ルネとツノ馬が罵倒しあっている。こんなことは初めてだがそんなことよりも。
力強い心臓の拍動。全身に伝播していく血液の流れる音。そしてそれぞれが意志を持つように躍動する筋肉の音! そしてそしてそこから外界へと溢れ出す蒸気が如き汗が空気を震わせる音!
「普通の馬と迫力が全然違う!」
「は? 何言ってんだお前……」
呆れたようにぼやきながら、かつかつと蹄を鳴らしてツノ馬はあたしの周りを回る。そしてあたしをまじまじと見つめてきた。それに少し身構えながらキッとその目を睨み返す。
「気にするな、これは確認だ」
「何の?」
「あー、なんつーか。はぁ……」
ずいっとツノ馬が近づいてくる。そしてぶっきらぼうにあたしに頬擦りをするように触れた。瞬間、頭に鋭い痛みと流れるような何かが走る。その処理が追いつかず、あたしはぺたりと尻餅をついた。
「彼女に何をした!?」
「確認だっつってんだろ。なるほど、そこか」
そうして座り込んだあたしの首から胸元にかけてを彼は器用にツノで探る。なにか探すように。
――シャラン。
金属同士が擦れ合う音がして、服の中に隠していたそれがツノに絡め取られて露わになる。
「やっと見つけた。片目違い。その右目が金色。白髪。セナはお前だな?」
「どうしてあたしの名前」
「んなことはどうでもいい。逃げるぞ」
「逃げる?」
「忘れてるのか? これだから人間は――」
ブルルッとツノ馬はため息をついた。
言われて、少し考えて思い出す。
父さんが死んで意気消沈していたあたしは、すっかりそれを忘れていたのだ。
「ジュディスの――妹の、十五歳の誕生日?」
「ああ、そうだ。とりあえず行くぞ」
「行くって、どこへ?」
「クソ……いちいち説明しなきゃならねーのか? 埒があかねーな」
彼はぼやきながら器用にツノをあたしの襟に引っ掛けて、ひょいっと持ち上げた。
「ちょっ……」
「おい! いくらなんでもそれは」
「話なんざ走りながらでいいだろうが」
そしてぽいっと放り投げられたと思った次の瞬間にはその黄金の鬣の上に乗せられていた。体勢を立て直すいとまもなく、彼は猛るように嘶いて走り出した。
「セナに手荒なことするな!」
「……チッ。鬱陶しいな黙ってついてきやがれ」
ルネはいかにも怒り心頭といった様子だったが、少し上空に上がって並走するように飛び始めたようだった。
「どこへ行くのってば」
「……アールヴの里」
「え?」
「はぁ……お前が落ち着ける場所」
「……うん」
会話が途切れる。
あたしはツノ馬の背に揺られながら、さっき流れてきた何かを思い出していた。やっと処理が落ち着いたのか、ゆっくりとそれを情報として記憶に流し込む。
「ユニコーン……『デゼル』、願い。アンスール……エインヘル」
浮かされたように口を突いて出る言葉を噛み締めていく。だが、言葉としての情報以上はわからなかったものがほとんどだ。ただ、ちゃんと情報として認識できたものもある。
「君がユニコーンという種族で、名前はデゼル。それは、合ってる?」
「……ああ」
また、会話が途切れてしまう。
デゼルがあたしの何を知っているのかはわからないが、少なくとも脳を通して情報を共有したということは、つまりそういうことなのだろう。
ふと、疲労を感じたのかあくびが出てしまった。
「……眠いなら寝ていろ」
「そうする」
初めて会ったというのに、彼の背中は存外に心地が良くてすぐに闇が迎えにきた。
「これだから人間は……先が思いやられる」
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