異端者幻想譚

-ヘレティックファンタジー-
月緋ノア
月緋ノア

独りの少女

公開日時: 2022年6月10日(金) 10:02
更新日時: 2022年6月28日(火) 19:08
文字数:5,075

 ――ルネは不死鳥なのだと、父が教えてくれた。

 焚き火に飛び込んで焼死した鮮やかな翼をした鳥。数日の野宿の最中、彼は灰の中からのだ。翼をはためかせてその身体についた灰を払い、軽く毛繕いをした。そしてきょろきょろと愛らしげに首を動かして、やがてあたしと目が合った。


『うーん? あなたはだあれ? わぁ、きれいなおめめ! ぼくのいろとおんなじだ』


 彼――ルネは最初にそう言ったんだ。

 今も覚えている。忘れるはずもない。相棒になって一緒にたくさん過ごしたことも。


『だいすきだよ、セナ。どうか――』


 聞こえない。聞こえないんだ、ルネ。君は一体何を言おうとしたの? あたしには、わからないよ。


「――ルネっ! あぐっ……ううぅ」


 起き上がると同時に腹部に鋭い痛みが走って、咄嗟に服を捲り上げた。左手でペタペタと触る。しかしそこに傷はないらしく、覗き込むと紋様のようなものが描かれているだけだった。

 確か、お腹に風穴が空いて、吹き抜ける音と血液の濁流が耳いっぱいに広がって。


「デゼルとルネが言い合いをしていて、それでルネが……?」


 思い出しながら整理していく中で、あたしは自分の右手が強く握り込まれていることに気が付いた。しかも、何かがその両端からはみ出している。

 強張ったように開かない右手を左手で包み込み、ゆっくりと広げていく。


「あっ――」


 そこにはルネの羽根が握られていた。赤と金が混ざり合った、炎のような羽根が。


「目が覚めたのか、セナ」

「デゼル……? 無事なの?」

「その言葉、そのまま返すぞ。オレとシャトラは無事だ、ルネのおかげでな」

「ルネは……?」

「……ああ。そこにいる」


 デゼルが鼻を向けた先に視線を動かしていく。ゆっくり、そう、ゆっくりと。

 だだっ広い空間の一角にこんもりと盛り上がったそれがあった。さらさらとして、吹けば飛びそうなそれは――灰だ。


「もう四日目になる。……そんなにも、甦らないものなのか?」

「わからない。初めて会った時は、数日くらいだったと思う。それからは――」

「今回が初めて、というわけか。ルネはよほど大事にされていたんだな。良いパートナーと出会えたようだ」


 あたしは、返す言葉を持たなかった。結局、彼を死なせてしまった原因はあたしなのだから。

 沈黙が支配した空間をぼんやりと眺める。

 部屋、ではないみたいだ。この場所も広大な建物の中のただの一角でしかないようま。あたしが寝かされていたのは硬質な床で、身体の上に布がかけられていただけだった。


「ねえ、デゼル」

「なんだ? 泣きたいなら泣けばいいだろう。ここにはオレしかいないんだから」

「ううん、そうじゃなくて。――あそこからどうやって助かったの?」

「ああ、そのことか。……セナが言っていた声の主がオレたちをここに転移させてくれたんだ。ルネはあいつら相手に奮闘してボロボロだったが、彼女が上手く回収してくれてな。残念ながら少し間に合わず、命こそ助かりはしなかったが、あいつらに死体をいいようにされるよりはよほどいいだろう」

「そ、っか。シャトラは?」

「今は休ませてる。三日三晩寝ずにお前の傍で様子を見続けていたからな。いい加減にしないとお前が倒れるぞ、って」


 この傷はシャトラが塞いでくれて、治してくれたのか。本当にすごい力だ。もう、死ぬとばかり思っていたのに。


「これからどうする? ズメウ共に報いを受けさせるか?」

「はは、そうしたいのは山々なんだけど。あんなズルい武器を持ってる相手に無策じゃ、ね。また迷惑かけるだけだし、ルネがせっかく助けてくれた命を捨てるわけにはいかないもの。――ほんと、自分の手から離れたところで相手の命を奪うなんてズルいなぁ」

「……じゃあ、ウチもそのズルい一人だね」


 突然かけられた声に驚いて顔を向けると、壁にもたれかかってこちらを見つめるシャトラがいた。目の下には酷いクマが刻まれている。休んでいるはずじゃ、と思考が脳裏をよぎったが、それよりも偶然とはいえ今のを聞かれてしまったらしい。


「それは……」

「ううん、ウチもズルいと思う。あいつらが使ってた武器はほんとに酷いものだけど、ウチの弓だってそれは変わらないよ。ウチはセナみたいに正面からいけない臆病者だからね」

「……ごめん、なさい」


 そんなことない、なんて言えなかった。あたしは彼女に対してそんなことを思ったことは一度もなかったけれど、あんな言い方をしたら彼女にそうとられても仕方ない。


「いいんだよ。まったく……デゼルの言う通りだ。ウチのことを言ったんじゃないのはわかるのに、こんな意地の悪いことを言っちゃうんだから。ごめん、相当疲れてるみたい。もう少し休むね。――セナ、きみが無事で本当によかったよ」


 シャトラはあたしに辛そうに笑いかけてから、足を引きずるように去っていく。呼び止めることはできず、見送ることしかできなかった。その後ろ姿は酷く、小さく見えた。


「気にするな。シャトラは自分のせいでってかなり自分を追い込んでいたから、余裕がなくなってしまっただけだろう。しばらく休めば元の彼女に戻るだろうさ」

「……デゼル。――あたしも、一人にさせて」


 気を抜けば崩れ落ちてしまいそうな身体を必死にもたげる。しかしふらつき、倒れそうになってしまうあたしをデゼルが支えた。その時初めて彼の身体から毛艶が失われていることに気がつき、心臓が締め付けられるように軋んだ。


「無理をするな。一人になりたいのなら、オレがここを去ろう」

「大丈夫だよ。少し身体を動かしたいんだ。デゼルもゆっくり休んで。君こそ、あたしのそばにずっといてくれたんでしょう?」

「それこそ気にすることはない。オレが好きでしていたことだ。……だが、今は言う通りにしよう」


 素直になったね、と気持ちを込めて頭を撫でてあげると、彼は少しだけ嬉しそうにフルフルと首を震わせた。

 そしてひとしきりデゼルを労った後、あたしは一つの建物にしては広すぎるその中をゆっくりと歩き始めた。

 今までにみたことのない建物なのは言うまでもない。球形のそこそこの大きさの空間が重なり合ってできているらしく、外から見たらさぞへんてこな見た目をしているんだろう。

 下に目を向ければ、何もかも飲み込みそうな黒い床。ブーツがそこを叩く度に波紋がわずかに広がって行く。硬い感触はあるのにまるで水面を歩いているような感覚だ。今のふらついた身体ではさすがにこれは気持ちが悪い。

 かといって上に視線を動かすと、そちらにも異様な光景が広がっていた。


「なんだろうあれ? 棚が浮いてる? それだけじゃないや。中にある本が落ちてこないなんて、変なの」


 いくつもある小さめのホールでさえ、宙に棚がいくつも浮いており、その中に整然と同じ形の本が収まっている。それは重力を無視しているかのように落ちてもこないし、張り付いているかのように動くこともない。

 不思議だなぁと思っていると、足音が近づいてくるのが遠くから聞こえた。それは徐々に近づき、あたしから少し離れたところで止まった。


「あ、あの……気になりますか? よければ、その、取って差しあげましょうか」


 控えめな、小さな声だった。声のした方向へ振り向くと二本の巻角が目に入る。


「――っ! うっ……」

「だ、大丈夫ですか? そんなに急に動いちゃ、ダメですよ」


 咄嗟に身構えたがそのせいで全身に激痛が走り、力無くくずおれてしまった。駆け寄ってくる足音に身体がびくっと跳ねる。


「あ、あの……」

「ルネの、かた、き……、――え?」


 振り払おうとした手を握り締められ、ふいに視線が交錯する。目と鼻の先にあったのは、トカゲのような顔ではなく人間に近い女性の顔だった。

 あたしは戸惑いで固まってしまい、その顔をじぃっと見つめてしまう。

 透明なレンズ越しに見える丸くてつぶらな黄と紫が溶け合う瞳に敵意は一切なく、病的に肌が白いことを除けば彼女は随分と可愛らしい顔をしていた。ふわふわとした髪の毛はくすんだ黄緑色で、顔の輪郭を隠しているだけでなく、毛先にかけて色素が抜けるように白くなっていた。しかも、おでこの上あたりから牛のような耳があり、その両耳の後ろ辺りから巻角が生えている。そこにレンズから伸びるフレームが引っ掛けられているようだ。


「ズメウ……じゃ、ない?」

「あ、いいえ……ボクも、ズメウです。混血、なんですけど……ボクには守護精霊の民の一つ、オレイアスの血が入っているのでこんな見た目なんです。――えと、大丈夫なら離してもいい、ですか?」


 蒼白に近い彼女の顔に朱が混じり、視線が泳いでいる。あたしがゆっくりと頷くと彼女はそそくさと離れ、胸を撫で下ろしているように見えた。



「ご無事なようで、安心しました。ボクは、リオンといいます。……ルネさんの件は、本当にごめんなさい。ボクが、もう少し早ければ」

「気に、しないで。……あたしたちを助けてくれてありがとう」

「い、いえ! セナさんが、来てくれたからボクもそれに応えるのが当然なんです。でも、でも」


 リオンと名乗った少女は、終始落ち着かない様子でぶつぶつと独り言を呟き続けている。どうやら後悔に苛まれてしまっているらしい。

 離れ、改めて見ると彼女は子供のように小柄だった。その髪の毛は、床に引き摺ってしまうほどに伸びっぱなしで、外ハネも起きてしまっている。

 リオンの声を聞いてようやく合点がいった。

 あたしをここへ呼んだのは彼女だ。随分と態度や喋り方が違うが、ほぼ間違いないだろう。


「あのさ」

「は、はい」

「さっき言ってた、あれを取ってくれるってやつやってみてほしいな。でもその、なんていうの? 目の前にある透明なのも気になるかな」


 あたしは宙に浮かぶ棚を指で示してから、自分の目の前で気になるものを手で表現してみた。

 しどろもどろして一向に落ち着かない様子のリオンに対して、話題を変えて声をかけてみることにしたのだ。とにかく落ち着いてほしい。彼女からすれば赤の他人であるルネの命に対してそこまで責を感じる必要はないのだから。


「え!? あ、これですか!? これは、メガネって言うんです。今では使われていないみたいですが、ファル――じゃない、人間が持ち込んだ物を模した物なんですよ。こうするとほら、頭良さそうに見えませんか?」


 自分の好きな話題へとシフトしたのだろうか、やけにするすると言葉が出てくるらしい。しかも、最後にそのメガネをくいっとやってみせるのだから微笑ましい。しかし、その中に違和感のある言葉があったのも事実だ。

 しかしあたしが口を開くよりも先に、リオンはえいっと棚を呼び寄せて中にある一つを取り出して嬉しそうな顔をする。


「それと、これはリブロレコルダ――人間の言葉で言えば、本、が近いですね。ズメウがデッカルヴと一緒に開発した記録媒体で、とても便利なんですよ」

「記録媒体?」

「記録媒体というのは、歴史や神話を記録して後世に残すために保存する用途で使われるものです。元々は岩とかに書き殴っていたんですが、デッカルヴの技術にすごいものがあって、ズメウの扱う秘術を合わせたらこうなったんだそうです」

「へぇ……そうなんだ」


 デッカルヴは確か、技術者の種族だったような。山に篭って集落を作る種族で、日夜色んなものを開発してはそれを喜ぶ。それが生きがいであり本能であるといわれる――引きこもりだが素晴らしい種族だと、父が言っていたはずだ。ズメウはどうやらそんな彼らと交流があるらしい。


「あ、ごめんなさい。……誰かと話すの、本当に久しぶりで。どう話していいか」


 大丈夫と首を振り、視線を戻してから気がついた。

 リオンはおおよそ自分の体格に合わないような大きな布のローブを羽織っている。その隙間から覗く胸元や首、裾から伸びる足に傷跡が見えるのだ。それはよくよく見れば、あたしに刻まれた傷跡に酷似していた。


「あっ――人に見られることなんて、もうないと思ってたから、忘れてましたっ」


 視線に気付いて慌てて隠す彼女。何か理由が、あたしと同じような理由があるのだろう。気にはなるが、あたし自身が初対面では踏み込んでほしくない事柄だ――踏み入るのは野暮だろう。


「隠さなくていいよ、あたしもおんなじだし。――それよりもさ、さっき言ってた、メガネを人間がっていうのはどういうこと?」


 あたしは先ほどの違和感を口にした。

 もし幻想世界の住人たる彼女たちが人類を侵攻した側ならば、その表現は使わないはずなのだ。

 リオンは正気に戻ったようにその手に持った本を開いた。まさしくその言葉を待っていたかのように。


「セナさん。あなたはこの世界を――どちらの世界だと思いますか?」

挿絵イラスト:てすん様

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